3152話
それは、唐突に起こった。
「い、いいわよ! そこまでレイが言うのなら、やってやろうじゃない! 私だって一人で行動しても何も問題ないんだから!」
ニールセンが他の妖精郷に、そしてイエロと一緒に行動する件でレイがからかっていたのだが、そんな中で不意にニールセンが叫んだのだ。
「え? いいのか? 本当に?」
「何よ、さんざん私をからかったのに、いざ行くとなればそんな風に言うの?」
ニールセンが呆れたように言うと、レイも反論出来ない。
勿論、レイもニールセンが覚悟を決めるといったように口にしていた以上、最終的にはしっかり決めるとは思っていた。
思っていたが、それでも今回の件はさすがに予想外だったのだ。
ニールセンの性格を考えると、まさかここでレイの言葉に頷くとは、と。
そんな驚きを抱いたレイだったが、だからといって今の状況ではそれを取り消すことは出来ない。
また、何だかんだとニールセンが覚悟を決めるまでは結構な時間が必要になるのは間違いなく、それをどうにか出来たのなら、それはそれで悪くないと考え直す。
「いや、そんなことはない。ニールセンがこんなに素早く決断するとは思っていなかったからな」
「ふふん、そうでしょう、そうでしょう。レイは私のことを見くびっていたのよ。これからは気を付けることね」
レイの言葉を聞いて有頂天になったニールセンは、レイに向かって満足そうに告げる。
そんなニールセンの態度にレイも思うところがない訳ではなかったが、それでもここで何かを言って、その結果ニールセンが機嫌を損ねたりするのは困るので、突っ込まないでおく。
「じゃあ、早速長にその辺について伝えた方がいいんじゃないか? こうして今日決意を固めたのなら、明日にでも出発出来るだろうし」
「そ……そうね。でも、イエロの方の準備は大丈夫かしら?」
「明日出発なら、今夜のうちにエレーナに言っておく。そうすれば明日の朝には出発出来ると思う」
ここでニールセンに無駄に時間を与えれば、その時間によってまた怖じ気づくかもしれないとレイは判断したのだろう。
実際、今こうしてニールセンが他の妖精郷に……そして穢れの関係者の拠点に行くと決めたのは、レイがからかったのが原因だ。
それだけに、その勢いのまま話を進めてしまった方がいいと判断し、レイは動いていた。
ニールセンは何か話の流れがおかしいような? という違和感はあったが、それでも実際に自分がやると口にした以上、ここで退くという選択肢はなかった。
「レイ、レイ、レイ、レイ! ちょっと来てくれ!」
ニールセンと話していたレイだったが、不意にそんな声が周囲に響く。
それが誰の声なのか、レイはすぐに分かった。
「オイゲン? ……呼ばれてるようだし、ちょっと行ってくる。ニールセンはどうする?」
「私はいいわ。長に連絡をしておくから」
「そうか。なら、長によろしくな」
そう言い、レイは研究者達の方に向かう。
ニールセンはまだ若干納得できないものがありつつも、自分で決めた以上は退けないということで長に連絡をする。
セトはレイがいなくなったのは残念だったが、また湖で遊び始めた。
「どうした? ああやって俺を呼んだということは……」
「レイ、あれを……あれを見てくれ!」
普段のオイゲンとは全く違う様子で叫ぶ。
その指は炎獄を示している。
そんなオイゲンの様子に、レイは炎獄に視線を向ける。
「これは……」
レイが知ってる限り、炎獄の中にいたのは黒い円球が三匹だった。
だが、現在炎獄にいるのは二匹の黒い円球だけ。
一匹の姿がなくなっていた。
「一匹はどうした?」
「消えた。出来ればあの光景をレイにも見せたかったが……肝心な時にレイがいないのは、一体どういう訳だ?」
「いや、そこで責められても困るんだが」
勿論、あのままずっと炎獄を見ていれば黒い円球が消える……餓死かエネルギー切れかは分からないが、それを見ることも出来ただろう。
だが、レイは炎獄を見続けるのは面倒だったので、その場を離れたのだ。
その結果として、最初に黒い円球が消える光景を見ることは出来なかった。
ただし、まだ黒い円球は二匹いて、その二匹とも揃ってかなり小さくなっている。
恐らくこのまま見ていればそう遠くないうちに消えるだろうと判断し、レイは改めてオイゲンの隣に陣取った。
「それで、消える時に何か特殊なことはあったか?」
黒い円球が消滅したことによって、もしかしたら穢れを殺す手段が何か分かるかもしれない。
そう思いながら尋ねるレイに、オイゲンは難しい表情で口を開く。
「最後に一瞬微かに黒く光って、次の瞬間には消えたな」
「死体……という表現が相応しいかどうかは分からないが、そういうのも残らなかったのか?」
「そうなる。研究者としては、黒い円球の一部でも手に入れることが出来ればありがたかったのだが」
そう告げるオイゲンだったが、レイとしてはもしそのような物があってもかなりの危険物ではないのか? と思ってしまう。
穢れは触れた相手を黒い塵にして吸収するのだ。
そうである以上、その死体に触れた結果として触れた物、あるいは部位が黒い塵となってしまうという可能性も決して否定は出来ない。
そして最悪の可能性として、それによって消滅した筈の黒い円球が復活するかもしれないのだ。
勿論これは本当に最悪の可能性の話であって、他のこと……それこそ、何も起こらないという可能性は十分にあるし、寧ろその可能性の方が高いとレイには思えた。
だが、それでも穢れの件であると考えれば、慎重に行動するのは大前提だった。
「一応言っておくが、この炎獄を解除するのは中にいる黒い円球が全部死んでからだぞ?」
「分かっている」
オイゲンはレイの言葉にそう言うが、研究者の中にはまだ穢れについて分かっていないことが多いのだから、一度炎獄を解除して残り二匹の黒い円球を元気にしてから、また観察をしてもいいのでは? と思っている者もいる。
だが、実際にそれを言う者がいないのは、自分達を率いているオイゲンが納得してるからだろう。
それ以外にも、レイに逆らうといった真似は止めた方がいいと考えているのかもしれないが。
「それで……」
「レイ」
レイが何かを言おうとした時、鋭くオイゲンが言う。
その言葉にレイが視線を向けると、そこではオイゲンが真剣な表情で炎獄を見ていた。
そんなオイゲンの視線を追って、レイもまた炎獄を見る。
「あ」
ちょうどその瞬間、炎獄の中に残っていた二匹の黒い円球のうちの一匹が消えた。
その消え方は、まさに身体が崩れるといった表現が相応しい。
ただ不思議なのは、身体が崩れて消えたのに、その崩れた部分も炎獄の下に溜まるようなことはなく、空中で消えていったことだ。
これがもし黒い円球……いや、穢れについて何も知らない者なら、もしかしたら幻想的だと判断したかもしれないだろう光景。
だが、穢れについて詳しいレイにしてみれば、一瞬だけその儚さに思うところがあったのは間違いないものの、それでもそこまで目を奪われるようなことはない。
(こういう風に消えるのか。……にしても、炎獄の下に何も残らないのは、どういう訳だ? いやまぁ、そもそも穢れという存在に常識を求めるのが間違ってるのかもしれないけど)
残り一匹となった黒い円球だったが、こちらもかなり小さくなっており、いつ他の二匹と同じような最期を迎えるかもおかしくない。
「残り一匹か。……そう言えば、もう一つの炎獄の方はどうなってる? 向こうに捕らえられている穢れも、やっぱり時間が経てばこうして消えるのか? それともサイコロと円球という二種類がいる以上、どちらかがどちらを吸収するのか」
レイの言葉に答えたのは、研究者の一人。
レイが湖でセトと遊ぶ前にはいなかった顔なので、恐らくその間にもう一つの炎獄からやって来たのだろう。
「そちらは今のところ特に動きはありません。勿論時間が経過すれば、この炎獄の中と同じように何らかの動きがあるかもしれませんが。だから、こっちに来たんですけどね」
そういう研究者に、レイはなるほどと納得する。
まだ特に何も変化のない向こうよりも、今は大きく変化するこちらにやって来たのだろうと。
勿論、そのような研究者ばかりではない。
実際にまだ野営地の近くの炎獄を観察している者もいるのだから。
「そうか。なら、今はこっちに集中した方がいいな。……オイゲン、最後の黒い円球が死んだら炎獄を解除して、残りの研究者は……」
「待って欲しい。最後の黒い円球が死んでも、炎獄はこのままにしておくことは出来ないか?」
「……は? いやまぁ、出来るか出来ないかで言われれば、問題なく出来るけど」
炎獄を使う際には、レイの魔力が大量に使われている。
その魔力は、炎の魔法なのに燃やすのではなく捕らえるという、炎の属性に反した魔法を無理矢理使っているということからくる消費だったが、同時に炎獄を維持するには十分な魔力があったのも事実。
そうである以上、もう暫くの間は炎獄をそのままにしておくのは何の問題もない。
問題はないのだが、何故そのような真似をするのかというのがレイには疑問だった。
「なら、それを頼む」
「何故? と、そう聞いてもいいか?」
「簡単な話だ。現在、こうして炎獄の中には何もないように思える。……いや、黒い円球が一匹いるから、何もないという訳ではないが。とにかく、そのような感じだろう。だが、それはあくまでも私達には見えないだけで、もしかしたら何かがある可能性は否定出来ない」
「それは……まぁ、そうかもしれないな」
例えば穢れが死んで何らかの気体になった場合、それが無色透明であれば分からない。
そう考えるレイが思い浮かべたのは、日本で使っていたガスだ。
ガスコンロとかに使うガスの類は、本来なら無臭のものに意図的に臭いをつけている。
その理由としては、ガス漏れに気が付きやすいようにする為だ。
もし穢れが死んで何らかの気体になって、それが無色で無臭の場合、炎獄の中に存在はしているものの、外から見てもそれに気が付くといったことは難しい。
オイゲンが心配しているのも、そこだろう。
「分かって貰えたようで何よりだ。そんな訳で、穢れが死んだ後で何らかの気体が炎獄の中にあるかもしれない以上、炎獄を解除するのは色々と問題がある」
そう言われると、レイもオイゲンの言葉に反論は出来ない。
穢れの能力を考えると、オイゲンの言葉は考えすぎという訳にはいかないのだ。
もし炎獄の中に何らかの穢れ由来の気体が充満しており、その気体が凶悪な……それこそ穢れが持つ能力のように、触れた相手を黒い塵に変えるといったような性質を持っていたらどうなるか。
それはまさに最悪の出来事以外のなにものでもないだろう。
「オイゲンの話は分かった。けど、いつまでもそのままにしておくといったことも出来ないだろう?」
「そうなるな。ある程度時間が経ったら、炎獄を解除してみる必要がある。……問題なのは……」
そこで言葉を止めたオイゲンの視線が向けられたのは、湖だ。
湖から比較的近くに存在するこの場所だけに、もし炎獄の中に危険な気体があった場合、被害を受けるのは湖に棲息する生物だと言いたいのだろう。
「湖の側で炎獄を使ったのは失敗だったか?」
レイの口から苦々しげな様子で呟きが漏れる。
湖の側以外の場所……それこそもう一つの炎獄のある場所なら、まだ周囲に悪影響をもたらす可能性は低い。
もし何らかの悪影響をもたらす気体が炎獄の中にあっても、トレントの森と異世界から転移してきた湖では、当然ながら異世界から転移してきた湖の方が貴重な存在だ。
まだそこまで研究は進んでいないものの、異世界の存在だけに、もしかしたらもの凄い何かがあるという可能性は否定出来ない。
その辺はレイも分かっているものの、このような結果になるのは全く想像していなかった。
そうである以上、湖の心配は今更の話だった。
「絶対とは言えない。だが、私が今まで見てきた経験から考えると、恐らくだが大丈夫だとは思う。……とはいえ、万が一があるのも事実。次から湖の側で穢れに遭遇した場合は、出来るだけ距離を取ってから炎獄を使った方がいいと思うが」
「そうするよ。……俺が穢れを殺した時は有毒なガスとかそういうのはなかったから、もしかしたらそこまで心配することはないと思うけど」
「それは……レイの魔法の威力が高すぎるから、単純にもし有毒な気体があっても燃やされるだけなのではないか?」
「……まぁ、その可能性はあるな」
中途半端な魔法では穢れに効果がない以上、強力な魔法を使うしかない。
それによって、もし有毒な気体があってもそれが燃やされているのなら、それはレイにとって非常に幸運なことだった。
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