3147話
「このドワイトナイフ、ありがたく使わせて貰います」
執務室に戻ってきたレイは、ダスカーにそう言って頭を下げる。
レイも、自分が今までダスカーからの要望を聞いて、このギルムの為に働いてきたという思いはある。
穢れの件については放っておけば最悪大陸が滅びるかもしれない以上、それを知ったレイが動かなければならないのは間違いない。
……もっとも、その件に関してもレイやニールセンがボブを妖精郷に連れて来たのが穢れがトレントの森に現れる原因となっているのだが。
ただし、それは決して責められることではないだろうとレイは思う。
具体的には、もしレイがボブを妖精郷に連れてこなかった場合、穢れの関係者の暗躍はいつまでも分からないままだったのだから。
穢れの件以外にも増築工事の諸々。
それを考えると、ドワイトナイフというダスカーですら気軽に動かせない金額のマジックアイテムは、報酬として相応しい。
レイにしてみれば、その辺の店で売っていないマジックアイテム、それも冒険者として活動する上で非常に使えるドワイトナイフを貰えたので、十分に満足出来た。
そんなレイとは裏腹に、ダスカーとしてはドワイトナイフだけで今までの全ての報酬となるとは思っていない。
実際、レイがいなければ増築工事で一体どれだけの遅れが出ていたのか分からない。
今でこそ、伐採や木の運搬、それ以外にも建築資材を運ぶといったようなことはレイ以外の手で行われているが、増築工事が始まった当初は完全にレイにおんぶに抱っこだったのだ。
もしレイがいなければ、ここまで増築工事は進んでいなかった。
そうである以上、ダスカーとしてはかなりの金額ではあるが、マジックアイテム一つだけを報酬とする訳にもいかない。
「さて、ドワイトナイフのことですっかりと忘れてましたが、他の妖精郷から妖精が来たという話に関してです」
ビクリ、と。
レイの言葉を聞いたニールセンは、テーブルの上で焼き菓子を食べていた状態で固まる。
レイが色々と考えているのはニールセンにも分かっているし、護衛……というか、相棒としてエレーナの使い魔のイエロを一緒に行動させようとしてくれているのも知っている。
だが、その全てはニールセンが穢れの関係者の拠点に行くのが前提での話なのだ。
「妖精郷に行く件か。……ニールセンに任せるしかないのだろう?」
「そうですね。今となってはまずニールセンが決めるしかないんですが……」
「う……そう言われても……前向きに考えてはいるわよ? 前向きには」
ニールセンの様子を見て、日本にいた時の政治家の言い訳を思い出すレイ。
最終的には自分が行かないでやりすごそうとしているようにも思える。
とはいえ、長がいる以上はいつまでもそのような言い訳でどうにかなるとはレイにも思えないのだが。
「出来るだけ早く決めてくれよ。ニールセンの判断が遅れれば遅れる程に、穢れの関係者に時間を与えることになるんだから」
そう言うレイだったが、炎獄によって穢れを捕らえるということや、レイがミスティリングに収納している素材を餌にして、錬金術師達に同じように穢れを捕らえるマジックアイテムを作らせるという計画もダスカーには話している。
実際にはまだ話しただけで計画は進んでいないものの、レイが知っている錬金術師達のことを考えれば、すぐにでもマジックアイテムを完成させそうな気がするのは決して間違いではないだろう。
「分かってるわ。そう……今日中……は無理でも、明日には決めてみせるから!」
ニールセンのその宣言に、レイは驚く。
まさかこのような宣言をするとは、思ってもいなかったのだ。
(明日には決めるというのなら、今この場で決めてもおかしくはないと思うけど)
そう思うレイだったが、それはあくまでも自分の判断でしかなく、ニールセンにはニールセンの考えがあるのだろうと考え、突っ込むような真似はしない。
「ニールセンもこう言ってることですし、少し待って下さい」
「それは構わん。いつ雪が降ってもおかしくはないからな。拠点が見つかっても……いや、レイなら何とかなるか?」
レイの場合は簡易エアコン機能を持つドラゴンローブがある。
また、雪で厄介なこととして、地面が歩きにくくなるというのがある。
新雪が積もった状態では一歩進むごとに足が雪に埋まり、あるいは寒い日が続くと雪が固まって滑るようになり、ある程度暖かくなると雪がシャーベット状になって足に纏わり付く。
そのように雪というのは非常に面倒なのだが、レイの場合はセトに乗って移動出来るのだ。
もっとも、歩きにくくなるのと同様に雪の厄介さとしては吹雪がある。
特にレイやセトは微妙に方向音痴気味なので、何も見えない状況で移動した場合、妖精郷どころかいつの間にかベスティア帝国の帝都にいてもおかしくはない。
寒さに関しては簡易エアコンがあるので問題はないのだが。
「何とかなるかもしれませんが、出来れば万全の状態の方がいいのは間違いないですね。……とにかく、明日か明後日にはニールセンがイエロと一緒に穢れの拠点の近くにある妖精郷に向かうのですが……」
え? と。
レイの言葉を聞いたニールセンは、焼き菓子を食べる手を止めてレイの方を見る。
今日か明日には覚悟を決めると言った。
言ったが、だからといってその日のうちか、あるいはその翌日にはもう出発することになるのかと。
しかし、レイはそんなニールセンの様子に気が付かず……あるいは気が付いてない振りをしてるのかもしれないが、とにかくそんなニールセンの様子に気が付かず、ダスカーと話を続ける。
「それでニールセンがいなくなると、当然ですが長との連絡手段がなくなります」
「む、それはそうか。……なら、ニールセンの代わりに別の妖精と一緒に行動するのはどうだ?」
「残念ながら、離れていても長と話が出来るというのは、長だけではなく受け手側の方も相応の力が必要らしく……今のところ、妖精郷で出来るのはニールセンだけらしいです」
「だとすれば、どうする?」
難しい表情を浮かべるダスカー。
野営地だけに人がいるのなら、今のところ穢れは人のいる場所に現れるというので問題はない。
だが、以前と比べると数は少ないが、今も樵は仕事をしている。
それ以外にも、以前アブエロの冒険者が無断でトレントの森に入ってきた時のように、警戒網の隙間から何者かが入ってくる可能性は十分にあった。
あるいは、湖にも穢れが現れたことから、トレントの森の外に穢れが現れる可能性も否定は出来ない。
そんな諸々のことを考えれば、やはりここは何とか穢れを察知出来る長とレイが連絡可能な状況でなければならなかった。
「ニールセンがいないのなら、俺が直接長から情報を聞けばいいかと。幸いセトの飛行速度を考えれば、妖精郷から野営地とかにもかなりの速度で到着出来るでしょうし」
そう言うレイだったが、実際には穢れに接触しただけで黒い塵となって穢れに吸収されてしまう。
幾らセトの飛行速度が速くても、現場に到着するまでに穢れに触れて死んでしまう者が出ないとも限らない。
限らないが、それでもどこに穢れが出るのか分からない以上、やはりレイが妖精郷にいるのが最善なのは間違いなかった。
「妖精郷か。……やはりそれが最善なのだろうな。だが、そうだな。例えば穢れの拠点があるという場所を確認するのはニールセンではなく他の妖精でというのは無理なのか?」
「難しいですね。トレントの森で長に次ぐ力を持つのがニールセンですから」
「つまり、穢れの関係者の拠点を見に行くのはニールセンではないと駄目だと?」
「そうらしいです。これについては俺も完全に理解している訳じゃないですけど、そういうものだと思うしかないかと。そんな訳で、暫くの間は妖精郷で寝泊まりすることになるかと」
当初の予定では、雪が降ってきたら生誕の塔で寝泊まりをするつもりだった。
それが妖精郷になっただけではあるのだが、これはある意味でレイにとっては悪くない話だった。
生誕の塔はそれなりの広さがあるし、途中で折れているとはいえ、その名に塔とある通り、一階以外に二階や三階といった場所もある。
それでもリザードマンや護衛の冒険者、研究者や助手、その護衛といった者達が揃って生活するとなると、どうしても狭いと感じることもあるだろう。
ましてや、レイがいるとなれば、そこにはセトもいる。
セトの場合は真冬に雪の中でも普通に寝ることが出来るので、実際には生誕の塔に入らなくても問題はないのだが、子供達の相手をするという理由や、何よりもセトがレイと一緒にいたいということで、結果的に体長三mオーバーのセトも生誕の塔の中に入ることになるだろう。
そのようなことを考えれば、レイとしては生誕の塔よりも妖精郷の方がゆっくりと出来るのも間違いはないのだ。
妖精郷は妖精郷で、妖精達が悪戯をしてきたりすることもあるのだが。
ただ、レイの場合は長の威光を使える。
レイに悪戯をすると長からお仕置きをされると言われれば、妖精達もそう簡単に悪戯をするような真似はしない。
それでも時には勇気……あるいは蛮勇によってレイに悪戯をしようとする者もいない訳ではないのだが。
「妖精郷か。……一度行ってみたいとは思っているんだが」
しみじみといった様子でダスカーが呟く。
ニールセンを見て、妖精がどのような存在なのかは、既に知っている。
しかし、それでもニールセン以外の妖精を……それも多数の妖精がいる光景を見てみたいと、そうダスカーも思うのだろう。
「ダスカー様が行けるのは、いつになるんでしょうね」
一応、ダスカーもトレントの森の側の湖を見に行ったりしたことはある。
だが、湖と妖精郷を一緒にする訳にはいかないだろう。
湖はトレントの森の中に入るような真似をしなくても、外側を移動すれば到着するので馬車を使える。
だが、妖精郷があるのはトレントの森の中だ。
好き勝手に木々が生えている以上、馬車で通るような真似も出来ない。
それはつまり、自分の足で歩いて移動する必要があるということだ。
実際にはセト籠に乗って移動するといった手段もあるのだが、セト籠を使ってもそれなりに歩く必要は出てくる。
ただ、ダスカーは領主になる前は王都で騎士をしていたし、今も……それこそ仕事で忙しくても、訓練は止めていない。
そんなダスカーだからこそ、トレントの森の中を移動するくらいは問題なかった。
トレントの森にも高ランクモンスターは出るが、それでもやはり数としては低ランクモンスターの方が多い。
そのような敵であれば、ダスカーなら倒すのに苦労するようなことはないだろう。
(俺が見た感じだと、ダスカー様はランクB……いや、ランクA冒険者くらいの実力はあると思うし)
数年前に起きたベスティア帝国との戦争においても、ダスカーは最前線で戦いながら部下に指示を出していた。
それを考えれば、ダスカーのその実力は普通に高ランク冒険者として通じるだけのものはあるのだ。
だからといって、ギルムの領主を妖精郷まで連れていくといった真似をするのは難しいが。
そんな風に考えていたレイだったが、次の瞬間にダスカーの口から出たのは予想外の言葉。
「そう遠くないうちに行けると思うぞ」
「ダスカー様?」
その言葉の意味が理解出来ずに尋ねるレイに、ダスカーは笑みを浮かべて口を開く。
「忘れたのか? 穢れの件で王都から人が来る予定になっている。その相手を妖精郷に連れていく時は、当然ながら俺も同行する必要があるだろう」
「それは……そうかもしれませんね」
妖精郷という、それこそお伽噺染みた存在の場所に行くのだ。
王都からやって来た者達だけではなく、ギルムの領主のダスカーも一緒に行っても不思議ではない。
(いや、不思議ではないというか、それは必須事項か)
ギルムの側に存在する妖精郷に王都からやって来た者を案内するのだ。
そうである以上、ギルムの領主であるダスカーが長と顔を合わせておくのは間違いないだろう。
であれば、やはりダスカーが妖精郷に行くのは必須事項となる。
それも、出来れば王都からやって来た者達が妖精郷に行く前に会っておくことが望ましい。
問題なのは、具体的にそのような真似が本当に出来るかどうかだが……
「雪が降って、仕事が落ち着いて……それでもまだ王都から人が来てなかったら、前もって妖精郷に行っておくのはいいかもしれませんね」
「そうなるといいんだがな」
そう言い、ダスカーは笑みを浮かべる。
妖精郷の話題が出たからか、ニールセンはレイやダスカー達の方を不思議そうに見るのだった。
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