3142話

 空を飛ぶセトの上で、レイは地上を見る。

 地上に広がっているのは、ギルムの街並みだ。

 トレントの森の野営地にいたレイは、ダスカーに会いにいくとフラットやオイゲンに告げ、こうしてギルムまでやって来た。

 フラットやオイゲンにしてみれば、レイがいない間に穢れが現れたらどうするのかといった心配を抱いていたのだが、レイは他の妖精郷から妖精がやって来たことや、何よりも穢れの関係者の拠点と思しき場所を見つけたということをダスカーに報告する必要があった

 もっとも、その件を報告するだけなら、エレーナに頼むという手段もある。

 穢れが出た時のことを考えると、それが最善なのは間違いない。

 それでもレイがわざわざ領主の館に行くことにしたのは、この件の重大性を考えてのものだ。

 他にも領主の館の庭に直接降りてもいいという許可をエレーナ経由で貰っていたので、それを試しておきたいという思いもあったが。


「じゃあ、セト。今日はマリーナの家じゃなくて、領主の館の庭だ。空から降りるのは初めての場所だけど、問題ないよな?」

「グルルルルゥ!」


 任せて、と。そう喉を鳴らすセト。

 そんなセトの様子に笑みを浮かべながら、レイはセトの首を軽く叩く。

 セトに全てを任せるといった行為。

 それによって、セトは地上に向かって降下していく。


「うきゃあっ! ちょっ、ちょっと私には何も言わないの!?」


 セトの行動に、ニールセンが不満そうに叫ぶ。

 レイとセトのやり取りを聞いていたので、振り落とされることはなかった。

 だが、それが少しでも遅れていたらどうなったか。

 勿論、ニールセンも妖精である以上、吹き飛ばされても別に地上に落下するといったことはない。

 だからといって、それが許容出来るかと言われれば、それは否だったのだが。


「落ち着け、大丈夫だから」


 急速に近くなっていく地面を見ながらそう告げるレイに、ニールセンは何かを言おうとするも、その勢いに反論出来ない。

 反論出来ないままでいる間にも領主の館の庭は大きくなっていく。


(あ、見つけたな)


 セトの背に跨がっているレイは、領主の館の敷地内にいる何人かの兵士や騎士が空を見て、指さしているのを確認する。

 それは間違いなく自分達の存在を認識してのことだった。

 ただし、レイにとって幸いだったのはセトであると認識出来ている為だろう。

 もしくは、領主の館の庭に着地する許可を出したという話が広まっているからか、落下してくるレイやセトに向かって攻撃をする様子がない。

 そのことに安堵しつつ、レイは改めて地上を見て……その瞬間、セトが大きく翼を羽ばたかせ、落下速度を落とし、ふわりと地面に着地する。

 本来なら着地したことによる轟音が周囲に響いてもおかしくはない。

 だが、下半身が獅子……猫科のグリフォンのセトは、殆ど音を立てずに地面に着地することに成功する。


「ふぅ」


 地面に着地したセトの背から降りるレイ。

 セトのことだから、初めての場所でも着地に失敗するようなことはないと理解はしていた。

 だが、それでも場所が場所……マリーナの家ではなく、領主の館だ。

 それだけに、場合によっては矢や魔法、もしくはそれ以外の何らかの攻撃をされるかもしれないと、そう思っていたのだ。

 だが、幸いなことにそういったことはなく、無事に着地出来た。


「ちょっと、レイ。今度からは降下する時は私にも言ってよね!」


 こちらもまた、一安心といった様子のニールセンがレイに向かってそんな風に言ってくる。

 ニールセンにしてみれば、今回のレイの行動はそれだけ不満だったのだろう。


「悪いな。けど、ニールセンにとってもあのくらいの行動はもうそろそろ慣れてるだろ? なら、特に何も言わなくてもいいかと思っただけだよ」

「むぅ……」


 レイの言葉に納得出来ないといった様子のニールセン。

 そんなニールセンを眺めていたレイは、ミスティリングの中から取り出したサンドイッチを渡す。


「ちょっと、これで私の機嫌が取れると思ってるんじゃないでしょうね!」


 そう言いながらも、ニールセンはレイからサンドイッチを奪っていく。

 言葉とは裏腹なニールセンの様子にレイも思うところはあったが、ここで突っ込むような真似をした場合、余計にニールセンを拗ねさせてしまうだろうと判断し、何も言わない。

 代わりに、レイは再度取りだしたサンドイッチをセトに渡す。


「ほら、セト。お前の分のおやつだ」

「グルゥ!」


 煮込んだ肉と新鮮な野菜のサンドイッチを、美味そうに食べるセト。

 レイはそんなセトの様子に笑みを浮かべつつ、自分が食べる分のサンドイッチを取り出そうとして……不意に自分の方に近付いてくる兵士の姿に気が付くと、サンドイッチを食べ終わったニールセンを急いでドラゴンローブの中に入れる。


「おい、レイ」


 近付いて来た兵士がレイにそんな風に声を掛る。

 呆れた様子でそう言ってきたのは、領主の館の警備を任されている兵士の一人。

 レイのことを知っている兵士だけに、サンドイッチを食べているレイを見て思うところがあったのだろう。

 ニールセンをドラゴンローブの中に入れたのは見ていなかったのか、それとも見てはいたが言及しない方がいいと判断したのか、とにかくニールセンの件に触れるようなことはなかった。


「騒がせて悪いな。俺達がここに直接降りてくるのを許可されてるんだが、その辺については聞いてるか?」

「ああ、聞いてるよ。ただ、まさかこうしていきなり来るとは思わなかったけどな」

「知っての通り、俺はギルムの中を移動するのが難しいしな」


 そうレイが言うと、兵士も素直に頷く。

 レイがクリスタルドラゴンを倒した件は、既に多くの者にとって常識となっている。

 兵士もそれは知っているので、レイの言葉には納得するしかない。

 今まで何度もギルムに戻ってきてはいるが、それは正面から堂々とではない。

 それこそ隠れたり、変装をしたり、気配を消したり……そのような真似をしながらの行動だった。

 そのような行動をするとなると、当然ながら移動するのが面倒だし、普通よりも時間が掛かる。

 レイにしてみれば、こうして直接領主の館に降りることが出来るというのは、非常に助かることだった。

 マリーナの家に直接降りることも可能だが、その場合でも領主の館まで移動するには色々と手間なのは事実だ。

 だが、これからはそのような心配をしなくてもいいのだから、レイにとって今回のダスカーの判断は非常に助かるものだった。


(後は……ギルドの倉庫に行けるようになればいいんだけど、それは難しいよな)


 マリーナの家や領主の館は、あくまでも個人の持ち物だ。

 その敷地内に無断で入るといった真似をすれば、警備兵に捕らえられてもおかしくはない。

 それに対して、ギルドは誰でも入ることが出来る場所だ。

 そのような場所にセトが直接降りてくれば、当然だがすぐに冒険者達に囲まれるだろう。

 勿論それは、レイに危害を加える……攻撃をしたりする為にそのような真似をするのではなく、あくまでもレイから色々と情報を聞きたい、あるいはクリスタルドラゴンの素材を売って欲しいといったような者達だろうが。

 そのような者達の相手をするのが面倒だから、レイは今のような行動をしているのだ。

 そうである以上、わざわざ自分から見つかるような真似は絶対に避けたかった。


「ダスカー様に会いたいんだけど、どうなってる?」

「レイが来た時点で、もう人は向かってるよ。とはいえ、実際にダスカー様が会うかどうかは分からないけど」

「会ってくれると思うけどな」


 そう断言するレイ。

 実際、今回レイが持ってきた話は半ば停滞している穢れとの一件に一石を投じるかもしれないものなのだから。


(いや、かもしれないじゃなくて、もし本当だったら確実に一石を投じるだろうな。……投じるのは石じゃなくて岩とか、そういうのの可能性も高いけど)


 レイにしてみれば、妖精の話ということで完全に信じるようなことは難しいものの、それでも長がわざわざ自分に話したことを考えると、その話はそんなに間違っていないように思えた。


「随分と自信があるみたいだな。……まぁ、今までレイが来た時はダスカー様も普通に会っていたから、そう考えればおかしな話ではないのだろうが。ただ、それを普通のことだとは思わない方がいいぞ?」

「だろうな。俺もそう思うよ。ただ、今の状況を考えると仕方がないんだよ」


 レイと話している兵士は穢れについて知ってるようには思えなかったので、レイはそう誤魔化しておく。

 そんなレイの様子に、兵士も何か感じるところがあったのだろう。

 それ以上は小言を口にするようなことはなく、最近はどんな料理を食べているとか、冬が近くなって人が大分減ってきたとか、そのような世間話が行われていた。


「へぇ、じゃあガメリオンの肉の値段は最終的には例年通りくらいだったのか」

「そうだな。最初の方にかなり値段が上がったからちょっと心配だったが……最終的にはちょっと高めかな? と感じるくらいになった」


 その内容に、レイは少しだけ安堵する。

 何しろガメリオン狩りの当初に肉の値段が上がったのは、全てではないにしろレイにも責任があったのは間違いないのだから。

 具体的には、ニールセンが一緒にいたのでそれを見られないように、レイ達はかなり奥の方でガメリオン狩りを行っていたのだ。

 結果的に、本来ならギルムの冒険者達が倒すべきガメリオンも、レイ達が倒していた。

 あるいは倒したガメリオンの肉を市場に流していれば、ガメリオンの肉の値段もそう上がらなかったかもしれないが、レイはそうしなかった。

 そのことが少し心配だったのだが、レイが途中でガメリオン狩りを止めた結果として、例年のようにギルムの冒険者達もガメリオン狩りを行い、最終的にガメリオンの肉の値段は例年より若干高い程度に落ち着いたのだろう。


「ただ……中には冒険者ではあっても、戦闘とかもろくにしたことのない連中もガメリオン狩りに参加して、怪我をしたり死んだりした奴も出た」

「無茶な真似をする」


 兵士が言ったのは、増築工事の仕事をする為にギルムに来ていた者達だろう。

 そのような者達はギルドから斡旋させる仕事を引き受ける為にギルドに冒険者として登録していた。

 あるいはこれが依頼を受けるというのなら、ランクが低くてギルドの方で止めただろう。

 だが、ガメリオン狩りは別に依頼を受けて行う仕事ではない。

 勿論、中にはガメリオンの上質な肉を欲している貴族や商人、高級料理店といった場所からの依頼もあるだろうが。

 だが、依頼を受けずにガメリオンを倒し、それを売るといった真似は……現在ギルムに集まっている人数を考えると、ギルドの方で止められるものではない。

 ましてやギルドもギルドで増築工事の影響によって非常に忙しいのだから。


「そうだな。俺もそう思うよ。ガメリオンだぜ? 俺達兵士だって、戦うにはしっかりと準備をする必要があるくらいには強いんだ」

「あれでウサギってのは……ある意味詐欺だよな」

「分かる」


 即座に納得した様子を見せる兵士。

 ガメリオンのベースとなったモンスターは、ウサギだ。

 だが、その巨体や刃のようになっている耳、鋭い牙、鞭のように使える尻尾……そして何より、その攻撃性。

 どこからどう見ても、とてもではないがウサギとは思えない何かなのは間違いない。

 そんな風にレイが兵士と話していると、やがて別の兵士が姿を現す。


「レイ、ダスカー様が会うそうだ。すぐに来てくれ。セトは……いつも通りだな」

「グルゥ!」


 その兵士の言葉に、嬉しそうに喉を鳴らすセト。

 いつも通りということは、料理人から何か料理を作って貰えるから、それが嬉しかったのだろう。

 レイと一緒にいられないのは残念だったが、食べさせて貰える料理が楽しみなのは間違いなかった。


「分かった。じゃあ行くか。……ちなみに、ダスカー様は今は暇ってことはなかっただろうけど、俺と会うのは問題ないのか?」


 ダスカーが暇だという事は、まずない。

 冬になりつつあって大分人が減り、夏に比べると仕事がかなり少なくなっているのは間違いない。

 しかし、それでも今の時間に仕事がなくて暇だということはまずない筈だった。


「忙しいのは間違いないだろうけど、レイと会うのがそれよりも重要だと思ったんだろ。……内容は聞かない方がいいか?」

「ああ、その方がいいと思う。知ってしまうと知ってしまったで、面倒なことになってもおかしくはないし」


 穢れの一件を知ってる者はそれなりに増えてきているのは間違いなかったが、だからといって誰彼構わず話してもいい訳ではない。

 そう思って告げるレイに、兵士は納得の表情を浮かべるのだった。

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