3140話

「おや、レイ。どうした? 穢れの件で何か進展でもあったのか?」


 野営地の側にある炎獄でサイコロと円球の観察をしていたオイゲンは、レイを見るとそんな風に言ってくる。

 湖の炎獄は特に何もなく、敢えていつもと違うところを口にするのなら、それは赤いスライムが何故か炎獄の側にいたくらいだった。

 幸いにも、レイに対して敵対的な護衛も悪戯半分に赤いスライムを攻撃するといったようなこともなく、平穏無事と評すべき状況となっており、それを見たレイは安堵してこちらにやって来たのだ。


「特に何もないな。……それにしても、湖の方を見て思ったんだがお前達はよく穢れを普通に見ていることが出来るな」


 オイゲンに対し、若干呆れ気味にレイは言う。

 穢れというのは、見ているだけで嫌悪感を抱かせる存在だ。

 レイも戦っている時の短時間であればともかく、長時間ずっと穢れを見ていたいとは思わない。

 これが、例えば嫌悪感を抱かせる要因が分かっているのなら、それをどうにかすればいい。

 しかし、穢れが抱かせる嫌悪感は本能的なもので、特に何か理由があるようなものではないのだ。

 つまり、その嫌悪感に対処しようとしても、どうすることも出来ない。

 あるいは魔法やスキル、マジックアイテムといったものでならどうにかなるのかもしれないが、残念ながらレイはそのような手段を持っていない。

 そんな穢れを、研究者達は長時間……それこそ、一時間や二時間は苦もなく見続けているのだ。

 一体嫌悪感をどうやって処理しているのか、レイとしては素直に教えて欲しいとすら思ってしまう。

 しかし、オイゲンはそんなレイの言葉に特に気にした様子もなく、首を横に振る。


「何か特別なことはない。ただ、嫌悪感を抱いても我慢しているだけだ」

「……それはまた……」


 オイゲンの口から出たのは、レイにとって予想外な……そして同時に納得出来る内容だった。

 嫌悪感を抱くのなら、その嫌悪感を我慢すればいい。

 そのように思っての言葉なのだろう。

 ただし、それで嫌悪感を我慢出来るかと言われれば、レイは首を横に振るだろうが。


「それで、結局レイがここに来たのはどのような理由でだ? セトとニールセンはいないようだが」


 オイゲンが言うように、現在レイの近くにセトとニールセンの姿はない。

 本来なら湖から一緒に来てもよかったのだが、ニールセンは気が進まないと言い出したのだ。

 湖の側にいる研究者には会ってもそこまで気にする様子はなかったのだが、何故こちらに行くのは嫌がったのか。

 その辺はレイにも理由は分からない。

 とにかくこちらに来るのを嫌がったので、レイもそれを無理に連れてくる訳にもいかず、一旦別行動となった。

 これがオイゲンのいる場所ではなく、もっと遠く……樵達のいる場所であったり、ギルムに行くということになれば、ニールセンがレイと一緒に行動しないというのはなかっただろうが。

 なお、セトは特に何か理由がある訳でもなく、何となく周囲の様子を見て回ってきたいといった様子だったので、こちらも別行動だ。


「こう言っちゃなんだけど、ニールセンはお前達……研究者があまり好きじゃないしな。自分から進んで研究者に関わるといったことはないと思う」

「ふむ、そうか。出来ればもう少し色々と話を聞きたかったのだがな。しかし、まぁ、いい。そのように言うのなら、今は触れないでおこう」


 そう言うと、少しだけ残念そうな様子を見せるオイゲン。

 妖精と穢れでは穢れの方に興味を持つオイゲンだが、それでも妖精に興味がない訳でないのだ。

 レイもそれは知っていたが、だからといってニールセンを無理にこちらに連れてくる訳にもいかない。


「ニールセンの件は、ゆっくりと関係を修復していくことだな」

「修復も何も……いや、私達の行動が何かしら嫌だったのだろう」

「だろうな。そういう訳で、取りあえず俺だけだ」

「話は分かったが、様子を見に来たということでいいのか?」


 オイゲンの言葉に、そう言えば自分がまだここに来た理由を話していなかったかと思い、事情を話す。


「何……だと……」


 するとレイの説明……他の妖精郷からやって来た妖精が穢れの関係者の拠点の一つらしき場所があるというのを教えたとか、ニールセンを一度そこまで派遣して色々と調べてみるとか、妖精郷が他にも幾つもあるとか……そんな諸々の事情を聞いたオイゲンの口からそんな言葉が出る。

 穢れに強い興味を持っているオイゲンにしてみれば、穢れの関係者の拠点というのは穢れについて色々と詳しい資料があるかもしれない場所だ。

 それこそ是が非でも自分が行きたいと思ったのだろう。

 しかし、そんなオイゲンの機先を制するかのようにレイは口を開く。


「言っておくが、実際に拠点を占領するという事になってもお前を連れていくつもりはないぞ」

「何故だ!」


 一喝。

 レイの口から出た言葉は、それこそオイゲンにとって我慢出来るものではない。

 レイとの関係を友好的なものとするべきと考えているオイゲンだったが、そんなオイゲンにとっても今のレイの言葉は我慢出来なかった。

 その声の大きさは、炎獄に捕らえられた穢れを観察していた他の研究者や助手、護衛といった者達の視線を集めるのに十分なものだ。


「何故だと言われても、お前は研究者だから身体能力的な問題で俺達と一緒に行動は出来ないだろう。お前が戦いの中で殺されるようなことがあればどうなる?」

「それよりも、今は穢れの情報だろう! 私が何らかの被害を受けても、今はそちらを重要視するべきだ!」


 オイゲンにしてみれば、自分が怪我をするといったようなことになっても、それより重要な情報を入手出来るのならそれを優先するべきといった考えらしい。

 レイもそんなオイゲンの言いたいことは理解出来るが、だからといって実際にオイゲンを戦場となるだろう場所まで連れていくのは不味い。


「別にその拠点で入手した情報を渡さないとは言わない。現状において、穢れに一番詳しい研究者はオイゲンなんだ。そうである以上、その拠点で手に入れた情報の類は間違いなくオイゲンに渡す。……それで我慢して貰えないか?」

「それは……」


 レイの言葉に、オイゲンの中にあった怒りが静まる。

 先程の言葉から、その拠点にあった情報はオイゲンに渡されないといったように思っていたのだ。

 だが、きちんと入手した情報を渡すと言われれば、ある程度落ち着くことは出来た。

 しかし……それでも、今の状況を考えれば、素直に頷く訳にもいかない。


「話は分かった。だが、もしその拠点に何らかの情報が隠されていて、それをレイが見つけることが出来ない……という風になったらどうする?」


 オイゲンにとって一番の心配はそれだった。

 レイの実力については、これまでの実績……それもあくまでも知られているだけの実績で十分に理解出来る。

 理解は出来るが、だからといって冒険者と研究者では有する能力が違う。

 レイが気が付かないように隠されている何かがあるという可能性は、否定しきれないのだ。

 だからこそオイゲンはレイと一緒に自分も行くべきだと強硬に主張する。


「オイゲンの言いたいことも分かる。分かるが……それでもやっぱり駄目だ」


 穢れの関係者の拠点となると、そこには一体どのような相手が待ち受けているのか分からない。

 穢れは下手をしたら大陸を滅ぼすと言われている存在である以上、レイですら手に負えない何かがいる可能性は否定出来ない。

 そのような存在との戦いでオイゲンを守りながらともなれば、一体どうなるか。

 レイだけではなくセトがいる以上、守れるかもしれない。

 あるいはレイが頼んでいる防御用のゴーレムを前もって入手しておけば、それに対抗出来る可能性も否定は出来ない。

 だが……それはあくまでもそうなるかもしれないというだけであって、場合によってはオイゲンが死ぬ可能性は十分にあった。

 敵の拠点を襲撃する時にオイゲンがいるのでは、完全に足を引っ張られてしまう。

 拠点の近くまでは一緒に行動して、実際に拠点を攻撃する時にオイゲンは別の場所で待機して貰うといった手段もない訳ではない。

 だが、そうなればそうなったで、単独のオイゲンが穢れの関係者に狙われるという可能性も否定は出来なかった。


「無理だ」


 オイゲンに対し、改めてそう告げる。

 何かを言い返したい様子のオイゲンだったが、そんなオイゲンであってもレイがこうして改めて無理だと断言すると、反論は出来ない。

 だが……そうして一分程黙り込んだ後、オイゲンは再び口を開く。


「何も、レイに護衛をしろとは言わない。知っての通り、私には独自の護衛がいる。そのような者達に身を守って貰うといったことも出来るだろう」


 オイゲンのその言葉は、咄嗟の思いつきだったのだろう。

 それだけに、オイゲンの話を聞いていた当の護衛達は、いきなり自分に話を振られたことに驚きを隠せない。

 話の流れから、もしレイが今のオイゲンの言葉に頷けば自分達が穢れの関係者の拠点の近くまで一緒に行かなければならないのだと、そう理解しているのだろう。

 だからこそ、オイゲンの護衛達はレイに視線を向ける。

 出来れば断って欲しいと、そう思いながら。

 そんな護衛達の思いは叶う。

 レイはそれでもオイゲンの言葉に首を横に振ったのだ。


「ただでさえ、穢れの関係者の拠点という場所に近付くんだぞ? 可能な限り人数は少ない方がいい」


 普通なら、未知の存在と遭遇する時の戦力は多い方がいい。

 そうなれば何かあった時でも、普通に対処が出来るのだから。

 だが、ことそれがレイとなると、話は違ってくる。

 レイは単独で非常に高い戦闘力を持っているし、従魔のセトもまた同様に強力なモンスターだ。

 そして双方共に多数の魔法やスキルを使いこなすだけの実力を持っている。

 もしレイとセトが未知の存在と遭遇しても、どうとでも対処出来る可能性が高いのだ。

 あるいはそんなレイやセトでも手に負えない相手がいた場合、即座にセトに乗って逃げるといった手段も使えるだろう。

 だが、その時にオイゲンがいたらどうなるか。

 あるいはオイゲンの助手や護衛達がいた場合は。

 レイが勝てないと判断して逃げ出すのだから、当然ながらオイゲン達を連れていく……例えばセト籠に入れて運ぶような余裕はない。

 そうなると、レイは間違いなく見捨てるだろう。

 ニールセンくらいの小ささなら、ドラゴンローブの中に入れることで一緒に逃げることも出来るかもしれないが。

 その辺りについてまで説明されると、オイゲンは今度こそ何も言えなくなる。

 これが穢れのような、まだ殆ど何も分かっていない未知の存在ではなく、高ランクモンスターではあっても、ある程度の情報が揃っているような敵であれば、また微妙に違ってくるのだが。

 穢れというのは、それだけ未知の存在だということなのだ。


「分かって貰えるな? オイゲンを連れていくことは出来ない。その代わり、書類とかそういうのがあったら手当たり次第に持ってくると約束する」


 これもまた、レイならではだろう。

 もしレイではなく普通の冒険者なら、拠点にある諸々を持ってくるといった真似は出来ない。

 例えば食器棚の類があったりした場合、それを持ち運ぶには馬車が必要となるのだから。

 そのような状況であっても、レイの場合は違う。

 ミスティリングに収納すれば、それこそ食器棚の一つや二つは容易に持ち歩けるのだ。

 そういう意味では、穢れの拠点に何らかの隠された情報があっても、それを見逃す可能性は非常に低い。

 ……もっとも、壁にある隠し棚の中に書類があったりといったようなことになれば、それを持ち帰るのは難しいだろうが。

 それでも情報に関しては、しっかりと入手出来る可能性の方が高かった。

 レイにしてみれば、どうにかしてオイゲンを諦めさせるといったことにしないといけないので、これ以上の言葉は無意味だと、それを示すようにオイゲンを見る。

 ドラゴンローブのフードを被っている状態ではあるが、それでもレイが向けてくる視線の鋭さはオイゲンにも理解出来た。

 あるいはこれがもう少し視線の圧力が低ければ……もしくはレイではなく他の誰かであれば、オイゲンももっと強気に出ることも出来ただろう。

 オイゲンはそれだけの気迫をもって、レイに自分の意思を主張してきたのだ。

 それが分かるレイではあったが……それでも危険さを思えば、決してここで引き下がる訳にはいかない。

 そんなレイに視線を向けられたオイゲンは、やがて全く納得は出来ていない様子だったものの、レイの言葉に頷く。

 なお、そんなオイゲンの様子に、様子を見守っていたオイゲンの助手や護衛は、安堵するのだった。

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