3135話

 妖精郷を見たレイは、久しぶりに戻ってきたという感じがする。

 実際には、そこまで長く妖精郷を離れていた訳ではない。

 そもそもそれ以前に、レイにとって妖精郷は別に故郷ではないのだ。

 レイも当然のようにそれは分かっていたのだが、それでもこうして眺めていると、どこか懐かしい思いを抱いてしまう。

 何故? とそんな疑問を抱いたレイだったが、いわゆる郷愁を抱いても別にそれでどうこうといったようなこともないので、今はその件については置いておく。


「うーん、何だかこう……久しぶりに帰ってきたって感じがするわね」


 レイの右肩の上では、ニールセンがレイと同じようなことを思っていたのか、そんな風に呟く。


「ニールセンにしてみれば、妖精郷は正真正銘の生まれ故郷だしな。……もっとも、このトレントの森にある妖精郷は、出来てからまだそんなに経ってないんだが」

「そうなのよね。でも、その辺については長がいるから妖精郷って雰囲気があるんでしょうけど」


 ニールセンの口から出た説明は、レイを納得させるのに十分な説得力を持っている。

 妖精郷にとって、長の存在がどれだけ重要なのかは、レイも知っている。

 知っているからこそ、納得出来る説明だった。


「その長が呼んでるって話だったが、具体的にどういう理由で呼んだのかは分からないんだよな?」

「そうね。ただ妖精郷に来て欲しいってだけだったから。……とはいえ、そこまで切羽詰まった状態ではなかったから、悪いことではないと思うんだけど」

「長の性格を考えると、悪いことであっても動揺を表に出したりといった真似はしないんじゃないか?」

「それは……」


 レイの言葉に納得出来るところがあったのか、ニールセンは反論出来ない。

 長について、ニールセンはレイよりもよく知っている。

 よく知っているからこそ、レイの言ってる内容が決して間違っていないというのも理解出来たのだろう。


「あ、ニールセン。レイとセトも。久しぶりじゃない。どうしたの? お土産は?」


 ニールセンが何も言えなくなったタイミングで、妖精郷の中を飛んでいた妖精の一人がレイ達を見つけて声を掛けてくる。

 その言葉の中でお土産を要求する辺り、妖精らしいところでもあるのだろうが。


「ちょっと長に呼ばれたのよ」

「そうなの? じゃあ、邪魔しちゃ悪いわね」


 勢いよくレイ達に近付いてきた妖精だったが、ニールセンが長から呼ばれたと言うと、すぐに離れていく。

 このまま会話を続けて、長に怒られるようなことになったらお仕置きされるかもしれないと思ったのだろう。

 長のお仕置きを一番受けているのはニールセンだったが、ニールセン以外の者もそれなりにお仕置きを受けたことはある。

 だからこそ、話し掛けてきた妖精は自分が……もしくは仲間がお仕置きされた光景を思い出し、即座に離れていったのだろう。

 ニールセンはそんな妖精に呆れの視線を向けていた。


(いや、この状況でお前がそういう表情をするのはどうなんだ?)


 あるいは、今まで散々長からお仕置きされてきたニールセンだけに、長のお仕置きから逃げるのかといったように思っているのかもしれないが。


「長のいる場所に向かうか。……うん?」


 レイは自分達のいる方に向かってくる二匹の狼の子供に気が付く。


「グルルゥ」


 そんな狼の子供達が向かっているのは、正確にはレイではなくセト。

 前からレイ達が妖精郷にやって来た時、狼の子供達はセトと遊んでいた。

 今回もセトがやって来たことに気が付き、急いで向かって来たのだろう。

 ……どうやってセトが妖精郷にやって来たのに気が付いたのかは、それこそ嗅覚を使ってだろうとレイは予想していた。


「行ってきてもいいぞ。あの狼の子供達も、セトと遊ぶのを楽しみにしていたんだ。それなら一緒に遊んできてやれ」

「グルルゥ、グルゥ!」


 レイの言葉にセトは短く喉を鳴らしてから、やって来た狼の子供達のいる方に向かって駆け出す。

 セトも、狼の子供達と遊ぶのは嫌いではないのだろう。


「いいの?」


 ニールセンがレイに向かってそう尋ねる。

 だが、レイはそんなニールセンに問題ないと頷く。


「ああ。長がどういう話をしたいのかは分からないが、それでもセトがいなければ駄目ってことはないだろうし。それにもしどこかに移動するのにセトに協力して貰う必要があるなら、その時は改めてセトを呼べばいいし」


 セトが狼の子供達と遊んでいても、レイが呼べばすぐにやって来るのは間違いない。

 今は狼の子供達と一緒だが、それでもセトにとってどちらが大事なのかと言えば、その答えは当然レイなのだから。

 ニールセンもレイの様子を見て、セトが呼べばすぐに来るだろうと判断すると、それ以上は特に気にしない。

 こうして二人はいつも長のいる場所に向かって、妖精郷の中を進む。


「何だか久しぶりに帰ってきたって感じはするけど、こうして見るとあまり変わったところってないわね」

「いや、それは当然だろ。別に何年ぶりに妖精郷に戻ってきたって訳でもないんだから」


 ニールセンにそう返しながら妖精郷を進むレイ達。

 途中で何人かの妖精達が最初に声を掛けてきた妖精達のようにお土産を要求してきたりもしたが、ニールセンが長に呼ばれていると一言告げるだけで撃退することに成功する。

 そうして進み続けると、やがてレイ達は長のいる場所に到着する。

 そこでは既に長が待機していた。

 レイ達が妖精郷に入ってきたのを察知していたのだろう。

 ただ、長の側にはボブがいるのがレイにとっては少し意外だった。


「ボブ? 何でここに?」

「いえ、長に少し話を聞きたいと言われまして」

「そういうものか。……にしても、長がお前に話を聞きたい? 珍しいこともあるな」

「レイ殿が何を言いたいのかは分かりますが、必要なことだったのです」


 レイとボブの会話に、長がそう言ってくる。


「ボブから話を聞いていたのが、ニールセンを通して俺をここに呼び出した理由なのか?」

「そうなります。現在の穢れの一件……元々はボブが何らかの重大な何かを見たから起こっているというのはレイ殿も知ってますよね?」


 それは尋ねるというよりも確認を求めるといった質問だ。

 実際にボブをこの妖精郷に連れて来たのは、レイやニールセンだ。

 そうである以上、ボブを切っ掛けとして穢れの関係者が穢れをトレントの森に転移させているのをレイが知らない訳がないのだから。


「その件については、少しは悪いと思ってる」

「いえ、別にこれは責めている訳ではありません。寧ろ感謝していると言ってもいいかと。もしレイ殿がボブに関わるといった真似をしなければ、穢れに関して何も知らないままでいた可能性が高いのですから」

「そう言って貰えると、俺としては助かるよ。けど、それで話はどういう風に進むんだ?」

「申し訳ありません。そちらについて話すのが先でしたね。実はつい先日他の妖精郷から妖精がやって来たのですが、その際に興味深い話を聞いたのです」

「ちょっと待った。……他の妖精郷から妖精が? そういうことはあるのか?」


 勿論、レイもエルジィンに棲息する妖精が、この妖精郷の妖精達だけではないというのは知っている。

 以前セレムース平原において、この妖精郷の妖精とは全く別の妖精達と遭遇したことがあったのだから。

 だが、それでも妖精郷同士で行き来をしているというのは、レイにとってもかなり意外な話だった。


「ええ、そうなります。もっとも、当然ですがそのような真似はそう簡単に行われるようなことではありません。自分の住んでいた妖精郷を出て、他の妖精郷に行く。そのような真似をするとなれば、派遣される妖精は実力者となります。うちだとニールセンのような存在でしょうか?」

「え? 私ですか!?」


 長とレイの話に自分が関われば面倒なことになる。

 そう判断したニールセンは、レイと長が話をしている間は声を出さず、目立たず、可能な限り気配を消していた。

 そんな中で、いきなり長の口から自分の名前が出て来たのだから、それに驚くなという方が無理だった。

 しかし、レイはニールセンの様子を無視して、長の言葉に納得する。

 ニールセンを見ていると、とてもそのようには思えないが、ニールセンは長の後継者候補となるだけの力を持っているのだ。

 つまり、この妖精郷において二番目に強い者ということになる。

 ニールセンがそのような力を持つにいたったのは、レイと一緒に行動して多くのモンスター達と戦ったのが大きい。

 つまり、レイがいたからこそ今のような立場にいるのだ。

 ……もっとも、二番目に強いニールセンだったが、最高実力者の長との間には比べものにならないだけの実力差があるのだが。

 この妖精郷の場合は、レイのおかげでニールセンという存在が生まれた。

 しかし、他の妖精郷からやって来た妖精は、レイがいない状況で自分の住んでいる妖精郷の長に次ぐ実力を身に付けたのだ。

 それだけで、その妖精がどれだけ類い希な才能を持っているのか、予想するのは難しくない。


(とはいえ、妖精である以上は結局ニールセンのような性格をしてるんだろうけど)


 妖精の性格についてそれなりに理解しているレイは、その妖精がどこにいるのかと周囲を見る。

 レイのそんな様子に気が付いたのだろう。

 長は申し訳なさそうに口を開く。


「レイ殿が誰を捜しているのかは分かりますが、残念ですがレイ殿の期待に添えることは出来ません。他からやって来た妖精は、既にこの妖精郷を去りましたので」

「……もうか?」


 長の口ぶりからすると、他の妖精郷から妖精がやってくるのはかなり珍しいことの筈だ。

 そうである以上、用件を終えたらすぐに妖精郷から出ていくというのはレイにとっても信じられなかった。


「ええ。この妖精郷が最後に回る場所ならよかったのですが、他にも幾つか妖精郷を回って情報を知らせる必要があるということでしたので」


 そう言う長の言葉は、妖精郷が最低でもこの世界に三つ以上はあるということを意味している。

 レイが以前セレムース平原において遭遇した妖精達のものと、この妖精郷以外にも。

 長が意図してその辺りについて口にしたのかどうかは、レイにも分からない。

 しかし、頭のいい長のことだ。

 何の意味もなくそのようなことを口にするとは思えない。

 レイのことを信頼して、その程度のことは教えてもいいと思っての行動という可能性が一番高かった。


「俺にそれを言ってもいいのか?」

「レイ殿に対する報酬の一つと考えて貰っても構いません」

「……なるほど。大きな報酬だ」


 具体的に、他の妖精郷がどこにあるのかというのはレイにも分からない。

 だが、あるとはっきりしているのは、もし何らかの理由で妖精郷を探す場合、非常に助かるのは間違いなかった。

 もっとも、レイがここ以外の妖精郷を探すかどうかは、また別の話だが。


「そう言って貰えると、私もこの情報を教えた甲斐があります。……さて、話を戻しますが、その妖精が持ってきた情報は穢れについてでした」

「だろうな」


 レイはボブを見ながらそう告げる。

 穢れについての話でもない限り、ボブが長のいる場所にいるとは思えなかったからだ。


「あ、あははは。その……あまりお役には立てませんでしたが」


 レイと長の二人から視線を向けられたボブは、何かを誤魔化すようにそう告げる。

 なお、ニールセンは目立たないように、ボブに視線を向けるといった真似もしていない。

 ニールセンにしてみれば、少しでもここで目立ちたくはないのだろう。


「それで、具体的にはどういう情報だったんだ?」


 ボブについては、取りあえず触れないようにしてレイは長に尋ねる。

 そもそもの話、ボブは別に狙って穢れに関わった訳ではない。

 その上で、穢れについて自分が何らかの理由で関わっているということすら最初は分からなかったのだ。

 その辺の事情を考えれば、ボブが長に呼ばれても何か特別な意見を口に出来る訳はない。

 それ以前に、ボブが妖精郷に入れるようになってすぐ穢れについて知ってること、思い当たることを長には説明している筈なのだ。

 改めて何か知ってることがないかと聞かれても、そう簡単に答えられる筈もない。


「その妖精が住んでいる妖精郷の近くに、穢れの関係者と思しき者達が集まっていたらしいのです」

「……よく無事だったな」


 レイが知ってる限り、穢れの関係者達は妖精を捕らえようとしていた。

 そうである以上、穢れの関係者が集まっている場所の近くに妖精郷があるということは、餓えた狼の隣に生肉を置いてあるようなものだ。

 そのような状況で妖精郷が無事だったのは、レイから見てみれば驚き以外になにものでもなかった。

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