3126話

「ほら、レイさんを連れて来たから、場所を空けてくれ!」


 レイを連れてきた研究者が叫ぶと、それを聞いていた者達……炎獄の前にいた研究者達が場所を空ける。

 これが昨日の時点であれば、こうも素直に場所を空けるといった真似はしなかっただろう。

 それでもこのように場所を空けたのは、それだけ炎獄が……正確にはそこに捕らえられている穢れの様子がおかしかったからなのだろう。

 そうして場所を譲られたレイは、改めて炎獄を見る。


「これは……小さくなっているな」


 呟いた言葉と同様に、間違いなく炎獄の中に存在している黒い円球の姿は小さくなっていた。

 それも一匹や二匹ではなく、炎獄に捕らえられている三匹の黒い円球が全てがだ。

 炎獄に捕らえた時点での、黒い円球の大きさをレイもしっかりと覚えている訳ではない。

 しかし、それでも小さくなっているのは間違いないと断言出来るくらいには昨日と大きさが違っている。

 昨日に比べて、大体半分くらいの大きさか。


「レイ、理由は分からないか?」


 レイの呟きを聞き、近くでレイの様子を見ていたオイゲンが尋ねる。

 オイゲンにしてみれば、何故このようになっているのか分からないのだろう。

 いや、正確には幾つか予想は出来るものの、それが正解かどうか分からないのだ。

 だからこそ、現時点において一番穢れと接しているだろうレイにこの状況に心当たりがないのか尋ねたのだろう。

 だが、そのように尋ねられたレイだったが、素直に首を横に振る。


「いや、分からない。ただ、予想は出来る。あくまでも予想だけどな」

「それでいい。穢れについて一番詳しいのはやはりレイなのだ。そのレイが何か思いつくようなことがあれば、こっちで検討しやすい」


 オイゲンの言葉は、他の研究者達も同様の思いなのだろう。

 炎獄の周囲にいる研究者達がレイにしっかりと視線を向けてくる。


「黒い円球……黒いサイコロとかもそうだが、それらは何かに接触するとそれを黒い塵にして吸収する。だが、俺の炎獄はそんな黒い円球が触れても意味はない」


 レイの炎獄は、黒い円球が触れてもそれを黒い塵とすることが出来ない。

 そうである以上、黒い円球は黒い塵を吸収することが出来ないのだ。

 だからこそ、黒い円球は何らかのエネルギー……レイから見れば食事の類を摂取することが出来ない。

 だからこそ、黒い円球はエネルギーを消耗する一方となり、エネルギー不足によって身体が小さくなっていくのだろう。

 その辺りについて、分かりやすく説明するレイ。

 オイゲンを始めとする研究者達は、そんなレイの言葉を真剣に聞いていた。

 そして説明が一段落するが……


「あれ? あまり驚かないんだな」


 レイの説明を聞いたオイゲン達がそこまで驚いていないのを見て、レイは意外そうな声を上げる。

 そんなレイに対し、オイゲンは素直に頷く。


「可能性として、その辺りについても考えていたからな。だが、それはあくまでも可能性としてだ。実際にそれが正しいのかどうかは分からなかった。だからこそ、穢れについて私達よりも詳しいレイの意見を聞こうと思ったのだ」

「いや、さっきも言ったけど、これはあくまでも俺の予想だからな? 違っている可能性もあるから、その辺についてはしっかりと考えてくれよ?」


 レイは自分の予想がそう間違っていないとは思っている。

 だが、それは何らかの確証があってそのように思っているのではなく、あくまでも勘によるものだ。

 そうである以上、その勘が外れている可能性を考えると、迂闊にどうこうといったようなことは言えない。


「分かっている。だが、それでも穢れと最も接触しているレイの言葉は聞き流すような真似は出来ないのだ」


 オイゲンの言葉に、レイは少し困る。

 だが、自分の意見はあくまでも素人の意見で、それを専門の者達がどう認識するのかといったようなことにまで口出しをする必要はないだろうと判断し、話題を変える。


「それでこの黒い円球達だが……どうする?」

「難しいところだ。このまま放っておいて、その結果どうなるのかといったことにも興味はある。何より、もしそれで穢れを倒すことが出来るのなら、それもまた重要な研究成果だ」


 そう言うオイゲンだったが、そこまで嬉しそうではない。

 穢れについて一つの性質が新たに判明したことは嬉しいが、元々オイゲン達が穢れの研究をするように要請された理由は、レイやエレーナがいなくても穢れに対処出来る方法を知る為だ。

 だが、炎獄によって閉じ込めると衰弱――もしくはエネルギー不足と表現するべきか――して死ぬというのが分かったのは大きいものの、それはあくまでも炎獄があってこその話でしかない。

 炎獄のように、相手を捕らえるといった真似が出来る者がいればいいのだが、そのような者がそう簡単に見つかる筈もない。

 中途半端な結界術の類を使っても、それこそ穢れによって接触され、その結界そのものを黒い塵にされ、吸収されてしまうだけだ。


「後は、こうして穢れを捕らえることが出来る手段を持つ者が、レイ以外にいればいいんだが」

「それは……可能性はまだある、か?」


 ここが辺境でも何でもない普通の場所なら、穢れを捕らえるような結界の類、あるいはそれ以外にも何らかの方法で穢れを捕らえる者はまずいないだろう。

 だが、ここは辺境だ。

 辺境であるが故に、珍しいモンスターや高ランクモンスターと戦える者が揃っている。

 ……もっとも、最近では増築工事の仕事をする為に多くの者がきており、冒険者の数は増えたものの、平均的な質は低下するようなことになってしまっているが。

 だが、それでも高ランク冒険者や、異名持ちの冒険者は結構な数がいる。

 そのような者達……平均的な冒険者でしかない者達から見れば化け物としか思えない、そんな強さを持つ冒険者達の中には、穢れを捕らえられる者がいても不思議ではない。

 そういう意味では、捕らえられた穢れがこうして明らかに弱まってきているというのは、決して悪い話ではないのだ。


「私はギルムの冒険者事情には詳しくないが、そのような者がいてもおかしくはないのではないか?」

「取りあえずこの件はダスカー様に知らせる必要があるな。……とはいえ、直接知らせるような真似は出来ないか」


 レイがダスカーに直接知らせるとなると、その手段は実際にレイが領主の館に行くしかない。

 だが、クリスタルドラゴンの件でレイは堂々とギルムを移動出来ない。

 そうなるとセトに乗って直接領主の館の庭に降りるしかないのだが、生憎とエレーナ経由で頼んだその意見は却下されている。

 ダスカーは悪くないと思っていたらしいが、前例のないこととして反対されたらしい。

 結局のところ、対のオーブを使ってエレーナ経由でダスカーに知らせるしかないというのが実情だった。

 もっとも、エレーナは貴族派を率いるケレベル公爵の娘にして、姫将軍という異名を持つ人物だ。

 そんなエレーナがダスカーと会おうと思えば、ダスカーとの面会の予約が入っていてもその相手を抜かして面会出来るだろう。

 普段ならエレーナもそのような手段は使わないのだが、今回の場合は事情が事情だ。

 最悪の場合、この大陸が滅ぶといったようなことになっている以上、使える手段を使うのは当然の話だった。


「ちょっと待っててくれ。この件をダスカー様に知らせる」

「では、私達はどうすれば? このままただ弱っていく穢れを見ているだけにした方がいいと?」

「その方がいいだろうな」


 そう言いながら、レイは護衛の件はどうなる? と疑問を抱く。

 今回ここに研究者達の護衛を呼ぶことになったのは、あくまでもオイゲン達が湖の側……野営地から離れた場所で寝泊まりをしているからだ。

 しかし、この場にいる最大の理由である、炎獄に捕らえれた穢れが死にそうになっているのを思えば、わざわざ護衛を呼ばなくてもよくなったのでは?

 そんな風に思うレイだったが、その答えをすぐに自分で否定する。


(いや、穢れが次にどこに現れるか分からないんだ。野営地の中に現れるとは限らない以上、又今回のようなことになる可能性が高い)


 かなりの広さを持つトレントの森だ。

 全体の広さで考えれば、レイ達が使っている野営地というのは本当に一部でしかない。

 そうである以上、別の場所に穢れが現れるかもしれないとなると、いざという時のことを考えれば、やはりここは研究者達の護衛はいた方がいいのは間違いなかった。

 もっとも、今のところ穢れの習性として、人のいる場所にしか姿を現さないというのがある。

 黒い塊だった時の一件のように例外はあるが、それ以外は人のいる場所にしか出ていない以上、この予想は間違っていない。

 そうなると、穢れが現れるのはやはりこの場所となる可能性が高かった。


「とにかく、今はこのまま待機だ。この穢れが死んでも、どうせまたすぐに他の穢れは現れる筈だ」


 そう言うと、レイは黙って様子を見ていたセトやニールセンと共に野営地に戻る。

 この場で対のオーブを使ってもよかったのだが、もしそのような真似をした場合、オイゲン達がどのような口出しをしてくるのか分からなかった。

 それを防ぐ為にも、この場から離れて対のオーブを使った方がいいのは間違いない。


「分かった。では、そのようにしよう」

「ちょっ、オイゲンさん!?」


 オイゲンがレイの言葉に素直に頷いたのを見て、その場にいた研究者の一人が何故レイの意見を承知するのかといったように叫ぶ。

 研究者としては、一度炎獄を解除して穢れにある程度の元気を取り戻して欲しいと思っていたのだろう。

 あるいは、観察することで多少なりとも情が湧いたのかもしれないが。

 基本的に見ただけで本能的な嫌悪感を抱かされる穢れを相手に、情が湧くという風になるのかどうかは、レイにも分からなかったが。

 これまで何度となく穢れを見てきたレイにしてみれば、最初に穢れを見た時のように顕著なまでに嫌悪感を抱くといったことはなかったが、だからといって嫌悪感が消えた訳ではない。

 そういう意味では、研究者達は普通に穢れを見ている辺り、素直に凄いと思ってしまう。


(研究者だから、もしかしたらこういうのにも慣れているのかもしれないな)


 研究者というのは、そう考えれば決して楽な仕事という訳でもないのだろう。

 自分は冒険者でよかったと考えつつ、レイは野営地に入る。

 すると、何人かの冒険者達がレイに……いや、レイ達に視線を向けていた。

 その中の何人かは妖精好きでニールセンに視線を向けていたり、あるいはセト好きでセトに視線を向けているのだが、それ以外の冒険者達はレイに視線を向けている。

 やがて、一人の冒険者がレイに近付いて来た。


「レイ、湖の方で一体何があったんだ?」


 そう尋ねるのは、ただの興味本位からではない。

 昨夜一晩研究者達の護衛をさせられた冒険者達にしてみれば、もしかしたらまた研究者達が何かをやって、その影響が自分達に来るのではないか。

 そのように思ってのことなのだろう。

 そんな冒険者の男を安心させるようにレイは口を開く。


「俺が炎獄で捕らえた穢れだが、どうやら空腹で死にそうらしい」


 空腹といった表現が相応しいのかどうか、生憎とレイには分からない。

 穢れをモンスターとして認識しているし、数える時も一匹、二匹といった具合に数えている。

 だが、穢れの生態を考えると、実際にはモンスターというよりは、ロボットに近いような印象を受ける。

 その場合、穢れが死にそうになっているのは空腹ではなくエネルギー不足といた表現の方が正しいだろう。

 それをここで言っても、そこまで強い説得力があるかと言われれば、その答えは否だが。


「穢れって……あの黒い円球が!? レイや姫将軍以外にも、穢れを殺せる奴がいるのかよ!?」


 レイの言葉を聞いた男は驚きの声を上げるものの、そんな男に近くにいた別の男が言葉を続ける。


「レイや姫将軍以外にって言っても、実際にはあの炎獄とやらで穢れを捕らえたのはレイだろう? なら、今回もレイが殺したってことになるんじゃないか? どのみち、穢れが死んだのは俺にとって悪い話じゃないけど……って、ちょっと待った。じゃあ、昨日わざわざ呼んだっていう連中はどうするんだ?」


 清々したといった様子の男だったが、すぐに次の問題に気が付く。

 護衛を新たに複数呼び寄せたが、肝心の湖の穢れは死にそうになっている。

 そうなると、結局この野営地で全員がすごすことになり、色々と問題がおきるのではないか。

 そう考える男や他の面々だったが、レイはそんな相手に対してご愁傷様と口にするのだった。

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