3125話

 無事にセトのスキルの確認を終えると、少し離れた木の枝からニールセンがレイの側までやって来て、呆れたように口を開く。


「何よ、あんなに強力なスキルがあるのに、それを忘れてたの?」


 ニールセンにしてみれば、自分ではとてもではないが出来ないような、圧倒的な攻撃力を持つアシッドブレスをレイが忘れていたというのはとてもではないが信じられないことだった。

 実際には、セトが単独行動をしている間に何らかのモンスターを倒して、その魔石から手に入れた力なのだが。

 問題なのは、レイにはセトが一体どんなモンスターを倒してアシッドブレスのレベルを上げたのかが分からないという事だろう。

 セトはレイの言葉を完全に理解しているが、レイはセトの言葉を完全には理解していない。

 全く理解出来ないという訳ではなく、鳴き声やニュアンス、態度といった諸々で何をして欲しいのか、何を言いたいのかといったようなことは分かる。

 だが、それはあくまでも大雑把なもので、詳細については殆ど分からないのも事実。

 ……もっとも、もし今の状況でレイがセトの言葉を全て分かっても、セトがどのようなモンスターを倒したのかは分からないだろうが。

 セトがゴブリンの群れと戦っているところに乱入――正確には既に戦闘は終わっていたので、乱入というのは正しくないのかもしれないが――してきた上に、敵は茂みの向こう側に身を隠していたのだ。

 そうして倒してしまえば、一体どういう訳か死体は残らず、魔石だけが残っていた。

 ある意味で穢れ以上に不気味な存在なのは間違いない。


「色々とあるんだよ。特にセトはスキルの数も多いからな。俺がど忘れしたりしてもおかしくはない」


 これはレイにとって言い訳ではあったが、同時に事実でもある。

 現在、セトは二十以上のスキルを持っている。

 レイはそのスキルを全て把握しているものの、その全てを完全に使いこなすといった真似が出来ている訳ではない。

 そういう意味では、レイもしっかりとセトのスキルの威力を把握するのは悪い話ではなかった。


「ふーん。セトと一緒に協力して戦うのも大変そうなのね」

「それは否定しないが、ニールセンだって妖精だけが使える魔法だったり、妖精の輪を使った転移だったり、光を放ったりとか、攻撃手段は色々とあるだろ?」

「それは……言われてみると、そうね。でもそれなら私だけじゃなくてレイだってそうでしょう?」

「攻撃の手段が複数あるのは間違いないな」


 レイの場合は、それこそ魔法を含めると数え切れない攻撃手段がある。

 セトがアシッドブレスで溶かした岩と同じような大きさの岩を空から落とすといった攻撃手段もあるのは間違いないのだ。

 その場で色々と話をしていたレイ達だったが、いつまでもこの場にいる訳にもいかない。

 野営地に出来るだけ早く戻った方がいいと判断すると、野営地に戻るのだった。






「レイ……」


 野営地に戻ってきたレイは、マジックテントを設置する場所にやって来ると、即座にそう声を掛けられた。

 それは、野営地の冒険者達の指揮を執っている男。

 レイに向け、ジト目を向けている。

 時間的にはもう少しで日付が変わる時間。このエルジィンにおいては、多くの者が既に眠っている時間帯だ。

 レイの前にいる男も、本来ならこの時間には既に眠っている筈だった。

 だが、夜の見張りをしていた者が、トレントの森からモンスターの雄叫びと思しきものを聞いたと言われれば、この場の責任者である男に連絡がいかない訳がない。

 結果として眠っていたところを起こされる男。

 野営地の近くにモンスターがいるのなら、そのまま寝ている訳にはいかない。

 何しろここは辺境なのだ。

 それこそ、いつどこから敵が現れるのかも分からない上に、それが高ランクモンスターである可能性もある。

 そんな訳で、何かあった時すぐ対処出来るように準備をしていたところで、不意にレイとセトとニールセンがひょっこり戻ってきたのだ。

 纏め役の男にしてみれば、未知のモンスターと遭遇した時の為にレイには是非いて欲しいと思っていたのだが、そんなレイを捜しても何故かいない。

 そのような状況の中でいきなりレイ達が戻ってきたので、慌てて強力なモンスターがいるかもしれないと言ったところで……その強力なモンスターがセトであると、そうレイは言ってしまった。

 勿論、その件を隠そうと思えば隠すことも出来ただろう。

 だがそのような真似をすれば、どうなるか。

 いつこの野営地が高ランクモンスターに襲撃されるかもしれないという話になり、それによってこの野営地は忙しくなってしまう。

 実在しない敵を求めて、だ。

 レイも、さすがにそのような真似を許容する訳にはいかなかったので、素直に事情を説明し……その結果が、今の状況だった。


「悪い。けど、何かあった時にセトのスキルをしっかりと把握出来ているかどうかというのは、生存に直結するから、分からないままにはしておけなかったんだよ。……ただまぁ、夜にやることじゃなかったな。それこそ明日の日中にでも試せばよかったと思う」


 レイも今更ながら、自分の行動に少し問題があったのでは? とは思ったのだ。

 自分の知らない場所でセトがスキルを強化したので、出来るだけ早くそのスキルを確認してみたいと思っての行動だったが、別に緊急にそれを確認する必要はない。

 スキルを確認するだけなら、明日でも問題はなかったのだ。

 レイが反省しているというのは理解したのだろう。男はジト目を止めて、大きく息を吐く。

 男にしてみれば、レイがここにいることで非常に助かっている以上、あまりレイとの関係を悪くはしたくない。

 勿論、レイが迷惑行為を続けるといった場合は別だったが、今回の場合はレイがきちんと自分の非を認めている以上、これで終わりにするのが最善だった。


「次からは気を付けてくれ。何もそういう真似をするなと言っている訳じゃない。日中に……あるいは夜なら、野営地から十分に離れた場所でやってくれればこっちとしては助かるから」

「次からはそうするよ」


 こうして話は終わる。

 高ランクモンスターの襲撃かもしれないということで、迎撃の準備をしていた者達も、それぞれ自分のテントに戻っていく。


「やっちゃったわね」

「そうだな。これはやってしまったというのが正しいだろうな」


 ニールセンの言葉にそう返す。

 レイとしては、正直なところ本当にやってしまったという思いがある。

 気が急いていたとはいえ、そこまで急ぐことはなかったのだと。


「グルゥ……」


 レイとニールセンの会話を聞いていたセトは、ごめんなさいと喉を鳴らす。

 そんなセトに、レイは気にするなと頭を撫でてやる。

 今のこの状況でセトを悪く思うということはない。

 別にセトがスキルを習得したのを早く試してみたいと急かした訳ではない。

 あくあまでも今回の一件は、レイが強化されたセトのスキルを見てみたいと思ったのが理由だ。

 ……夜になって、他に何かすることもなく、それこそ後はエレーナ達と対のオーブで話すか、マジックテントの中で寝るくらいしかやることがなかったからというのもあるが。


「取りあえず次からは注意することにして、今日はもう戻るか」


 レイの口から出た言葉に、セトとニールセンはそれぞれ頷くのだった。






「んん……? んー……ああ、朝か」


 マジックテントの中で起きたレイは、安全な場所で起きた時と違い、寝惚けるようなことはなく、即座に意識が覚醒する。

 寝室の中にニールセンの姿がない……つまり、現時点で穢れの襲撃がないということを理解し、そのまま身支度を終えてマジックテントから出る。

 マジックテントの側では、いつものようにセトが寝転がっていた。

 昨日の一件でレイが注意されたことを気にしていたセトだったが、レイが励ましたり、何より一晩経ったおかげで、現在のセトは特にそこまで気にしている様子はない。


「グルゥ」


 マジックテントから出て来たレイに、喉を鳴らして挨拶をしてくる。

 そんなセトにレイも挨拶をしながら、早速朝食の準備を始めた。

 とはいえ、朝からそこまで凝った食事をする訳がなく、サンドイッチとスープ、果実といった簡単な食事をしていると……


「ちょっと、レイ。湖の方で何かあったみたいよ」


 ニールセンが姿を現し、不意にそのように言ってくる。

 具体的に何があったのかということまでは、ニールセンにも分からないらしい。

 それでも一体何があったのかは、レイにとっても気になる。

 ニールセンがこうして言ってきたということは、間違いなくそこには何らかの理由がある筈なのだから。


(取りあえず新たに穢れが出たとか、そういうのじゃないのは間違いないだろうけど)


 もし新たに穢れが出たということなら、こうしてニールセンが知らせに来るということは同じでも、ニールセンが独自に考えて連絡に来るのではなく、長からの連絡がニールセン経由で来るという形になるだろうし、ニールセンもそれを隠すといったようなことはしないだろう。

 つまり、今のニールセンの様子を見る限りでは、新たに穢れが現れたといったようなことを報告しにきたという訳ではない。


「分かった。ちょっと待っててくれ。すぐに行く」


 残っていた料理を急いで口の中に詰める。

 なお、セトはレイよりも先に食べ終えているので、レイのように急いで食べる必要はない。

 レイは食事はゆっくりと食べる派……いわゆる早飯の類はそこまで好まないのだが、冒険者である以上は、その手の技術も必須となる。

 不幸中の幸いだったのは、もう朝食は殆ど残っていなかったことだろう。

 レイは素早く食事を終えると、マジックテントを収納し、ニールセンに引っ張られるように湖に向かう。

 なお、当然ながらレイの側にはセトの姿もある。


(あ、もしかして護衛が来たとか? 今日来る予定になっていたし)


 オイゲン達は、炎獄で捕らえた穢れを観察する為に、野営地ではなく炎獄のある湖の側で寝泊まりをしていた。

 ここはギルムの外である以上、野営地であっても絶対に安全とは言えない。

 いつ高ランクモンスターが姿を現してもおかしくはないし、実際にレイは翼を持つ黒豹という明らかに高ランクモンスターと戦っている。

 また、昨夜セトが倒したモンスターも詳細は不明ながら高ランクモンスターである可能性は十分にあった。

 その辺りの事情を考えると、湖に研究者達だけで寝泊まりさせる訳にはいかない。

 かといって、研究者達は少しでも穢れの観察をしたいと主張し、野営地に戻るといったことはしない。

 そんな両者の妥協案として、研究者達がギルムに来る際に連れてきた護衛にその仕事の本領を発揮して貰うといったことになっていたのだ。

 その護衛がやって来たのではないか。

 そう思うが、実際に行ってみなければその辺をしっかりと確認するようなことは出来ないだろう。

 

「だから、これは問題なんです!」


 野営地を進むと、不意にそんな声が聞こえてくる。

 声の聞こえてきた方に視線を向けると、そこには研究者の姿があった。

 真剣な表情で叫んでいるその様子は、それこそ一体何があったのかといった疑問を抱かせるには十分なものだ。

 あまり面倒なことに巻き込まれたくはないのだが、それでもニールセンがわざわざ呼びに来た以上、この件について声を掛けない訳にはいかなかった。


「おい、どうかしたのか? まさか護衛の件で何か問題でもあったのか?」


 声を掛けるレイに、研究者やこの野営地を纏めている男の二人は助かったといった視線を向ける。

 研究者にしてみれば、自分達の困っていることを話す相手として問題のない相手と認識しているのだろう。

 野営地を纏めている冒険者にしてみれば、研究者の相手をレイに任せることが出来て助かるといったところだろう。

 そんな二人の期待が込められた視線に、レイは少し困った様子を見せつつも話を促す。


「じゃあ、レイ。任せた。今回の件は俺にはどうしようもないからな」

「あ、おい」


 レイに任せた男は、すぐにその場を後にする。

 そんな男に何かを言おうとしたレイだったが、それよりも前に研究者が口を開く。


「レイが来てくれて助かりました」

「あー……うん。それで結局何がどうなったんだ? こうして騒いでいるのを見る限り、何かあったのは間違いないと思うんだが」

「実は、レイの炎獄によって捕らえられた黒い円球についてですが……その、弱っているのです。このままだと研究をするといったことも出来なくなるかと」


 研究者のその言葉に、レイは意外な展開に驚きの表情を浮かべるのだった。

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