3117話
レイが炎獄によって穢れを捕らえたというのは、すぐに野営地に知らされた。
特にオイゲンを始めとした研究者達は、冒険者達よりも早く湖までやって来る。
「これが穢れ……前に見たのと同じだが、こうしてゆっくりと見ることが出来るのは、やはり大きいな」
オイゲンは空中に浮かんでいる炎獄を見て、興奮したように言う。
助手の男も、言葉には出さないもののオイゲンと同じように興奮した様子を見せていた。
炎獄の周囲には多くの研究者達が集まり、それぞれが炎獄に閉じ込められた三匹の黒い円球を観察している。
そんな研究者達から少し離れた場所では、冒険者達も炎獄の中にいる穢れを見て、それぞれに話をしていた。
冒険者達は別にこれが初めて穢れを見たという訳ではない。
野営地の一件もあるし、それ以外でも何度か穢れを見ている。
それでも、戦いの中ではそこまでじっくりと穢れを見る機会というのはない。
誰かが穢れを引き付けている間、休憩している者達にはそれなりに余裕があるので、多少は穢れを観察することが出来たが。
また研究者や冒険者だけではなく、リザードマンも何人か興味深い様子で集まってきていた。
「レイ、よく穢れを捕らえることが出来たな」
周囲が騒がしい中、レイにそう声を掛けてきたのは野営地で冒険者達の指揮を執っている男だ。
男にしてみれば、まさかこのような状況になるとは思っていなかったのだろう。
「ちょうどオイゲンと話していて、何とか穢れを捕らえる魔法がないかと言われていてな。それで色々と苦労した結果、何とか魔法の開発に成功したんだよ」
「それでもこんなに早く魔法を開発出来るというのは、驚きだよ」
「だろうな。それは否定しない。もっとも、俺が驚いたのは魔法を開発してからそう時間が経ってないのに、いきなり穢れが出てくるとは思っていなかったけど」
そう言いつつも、実際にはレイはこのタイミングで穢れが出て来たのはそこまで不思議には思わない。
そもそも、穢れは基本的にいつ出てくるか分からないからだ。
時には夜に襲ってくるといったこともあり、何よりも人のいる場所に穢れが出てくるというのを考えれば、今回のタイミングで出て来ても特におかしなことはない。
「穢れは人のいる場所に出てくるしな。そういう意味では、樵達の方に出なくてよかったと思うけど」
もし樵達の方に穢れが出ていた場合、セトにのってそちらに移動する必要があった。
そうなると、それはそれで面倒なことになるのは間違いない。
だからこそ、今の状況はまだ悪くないのは事実。
男と話していたレイは、ふと騒いでいる声が聞こえてきて、そちらに視線を向ける。
すると、そこでは何人かの研究者が一人の研究者を押さえ込んでいる。
(何があった?)
明らかに何らかのトラブルがあったのは間違いない。
そこで一体何があったのか。
それが気になったレイは、話していた男に一声掛ける。
「悪い、向こうの方で何らかの問題があったみたいだ。ちょっと見てくる」
「そうか。それならこっちのことは気にするな。俺はただちょっと世間話をしに来ただけだしな」
男の言葉に感謝しながら、レイは研究者達の方……穢れが炎獄に捕らえられている場所に向かう。
「それで、これは一体何の騒ぎだ?」
「すまない、レイ。実は……」
オイゲンがレイにそう言いながら、捕らえられている研究者に視線を向ける。
その視線を向けられた研究者は一瞬視線を逸らしたものの、それでもすぐに気を取り直したのか叫ぶ。
「少しくらい触ってみないと、穢れがどういう存在なのか分からないだろ!? 何も別に自分の手で触るつもりじゃない。その辺の落ちている木の枝を使うんだ。それなら問題はない。違うか!?」
ああ、なるほど。
その叫び声を聞いたレイは、素直に男の言葉に納得出来た。
ただし、それはあくまでも男が何をしようとしたのかということに納得したのであって、その行為を許容する訳ではない。
「この魔法については、まだ出来たばかりで完全に検証が終わった訳じゃない。特に内部に黒い円球のような穢れを入れている状態だと余計にな。そうである以上、妙な真似をすると最悪この炎獄が破壊されて穢れが外に出て来るかもしれない。それを分かった上での行動か?」
「それは……」
研究者も、当然レイの言ってるようなことになるかもしれないのは理解していただろう。
しかし、それでも試してみたいと思ったのは、やはり自分の中にある好奇心を少しでも満足させたかったからなのだろう。
研究者である以上、知的好奇心が高いのはレイにも理解出来る。
理解出来るが、だからといってそれを満足させる為に周囲を危険に晒すのを許容出来るかと言われれば、当然否だ。
だが……それでも、と男は叫ぶ。
「しかし、穢れを研究する為にはもっとしっかりとその存在を把握する必要がある! そうでなければ、穢れについては分からないことも多い筈だ!」
男の言葉には一定の説得力があるのも事実だった。
しかし、それでも今の状況を思えばそれを許容するかどうかと言われれば、不可能だった。
不可能だったのだが、研究者の中には言葉には出さないものの、男の言葉に同意する者が何人かいるのも事実。
「いい加減にしろ」
そんな中、微妙な空気の中に声が響く。
その声を発したオイゲンは、取り押さえられている男を厳しい視線で見ながら言葉を続ける。
「お前が考えていることは分かる。それについては私も同じ気持ちだ」
おい、ちょっと待て。
男の言葉に賛成するかのようなオイゲンにも、レイはそう突っ込みたくなる。
もしかして、オイゲンもこの男と同じように考えているのか。
そう思って心配そうな様子を見せたレイだったが、幸いにもその心配はオイゲンの次の言葉で否定される。
「しかし、それはあくまでもこの状況でやるべきことを全てやり、他に研究のしようがなくなってからの話だ。今のこの状況では、まだやるべきことは多数ある。その地味な作業をせず、いきなり穢れに直接触って調べるといったことをするのはどうかと思うぞ」
「……」
オイゲンの言葉が図星だったのだろう。
押さえつけられていた男は、そんなオイゲンの言葉に何も反論出来ない。
勿論、実際には色々と反論したい気持ちはあるのだろう。
しかし、その言葉でオイゲンを納得させられるかと言えば、それは否。
ましてや、これ以上ここで騒ぎを起こせば、穢れの研究から外されてしまう可能性も少なくなかった。
「分かりました。……先走ったことをしてしまって、申し訳ありません」
「それを謝るのなら、私ではなくレイだろう」
オイゲンは自分に向かって謝った男にそう告げる。
すると男は、オイゲンからレイに視線を移して口を開く。
「レイ、悪かった」
「次からは気を付けろよ。また同じようなことをするつもりなら、俺もダスカー様にお前を研究から外すように言わないといけないからな」
レイの判断は、取りあえず保留。
レイとしては、出来ればこの男は穢れの研究にいれない方がいいという思いがあるのも事実。
だが、実際に穢れの研究をするには多くの研究者が必要だというのはレイにも十分に理解出来ていた。
そうである以上、この男を研究から外すというのは、出来れば避けたい。
そんな考えを理解しているのか、いないのか。それはレイにも分からなかったが、男は素直に自分の非を認めている。
「オイゲン、今回は特に問題はなかったみたいだけど、この調子で本当に大丈夫なのか? 折角こうして穢れを捕らえても、それを外から解放しようとか、そんな風に考えている場合、こっちで対処するのは難しいぞ」
「気を付けよう。この男のような真似をするのなら、こちらも相応の態度を取ることを約束する」
オイゲンはそう言いながら、ここに集まっている研究者……つまり、野営地で寝泊まりをする予定の研究者達を一瞥する。
今のこのオイゲンの様子を見れば、この場にいる研究者達が妙な真似をするとは思えない。
それを何となく理解したので、レイはこれ以上今回の件で責めることは止める。
「分かった。オイゲンがそう言うのなら、今回の件についてはこれ以上何も言わない。後は、穢れの研究を頑張ってくれ」
「任せて欲しい。ダスカー様に頼まれた以上、こちらも出来る限りのことはさせて貰おう。この穢れを放っておけば、それによって最悪大陸が滅亡すると言われては、本気にならざるをえない」
純粋に自分の研究だけをしたいと思う者もいるかもしれないが、そのような者にとっても大陸が滅ぶといったようなことになれば、自分の研究に集中出来る筈もない。
「任せた。穢れについては少しでも詳しく調べたいところだからな。穢れを研究することによって、俺以外の者達も穢れを倒すことが出来るようになるかもしれないし」
「任せて欲しい。いいな。くれぐれも炎獄に触れるような真似はしないように」
そう告げるオイゲンの言葉に、それを聞いていた研究者達は不承不承といった様子で頷き……そんな中、一人の研究者が口を開く。
「オイゲンさんの言いたいことは分かりました。それは構いませんが、それならせめてこの炎獄を早速野営地に運び込んで貰えないでしょうか? 穢れを研究するにも、まずは野営地に持っていく必要がありますし」
「……は? 何を言っている?」
レイはその研究者が一体何を言っている? といった疑問の声を上げる。
そんなレイの様子を見て、研究者もまたレイが一体何故不思議そうな表情をしているのかといった様子を見せていた。
「いや、何を言ってるって、この炎獄がここにあるのでは、研究が出来ないでしょう? なら、オイゲンさんのマジックテントがある野営地に運ぶ必要があると思いませんか?」
研究者の男の言葉に、レイはようやく何を言ってるのか分かり、少し戸惑った様子で口を開く。
「何を勘違いしてるらしいが、この炎獄は敵を閉じ込めるといった効果だが。一度炎獄を作ったらそこから動かすことは出来ないぞ」
「……は?」
研究者の男は完全に意表を突かれた様子でレイを見る。
これは双方の間にある勘違いからくるものだった。
研究者の男にしてみれば、炎獄によって閉じ込めた穢れは炎獄に入ったまま移動出来ると思っていたのだろう。
それに対し、レイは炎獄で穢れを捕らえるということだけを最重要として考えていたので、炎獄で穢れを閉じ込めた後で移動させるといったことは全く考えていなかった。
「それは……一体何故そのようなことに? 魔法を開発する際にその辺は考えてもおかしくはないと思いますけど」
「炎獄で穢れを閉じ込める為に、上下左右前後の全てを空中で固定してるんだぞ? それを動かすとなると、一体どれだけ大変なことになると思う?」
もしこれが、純粋に炎の魔法ということなら炎獄を動かすといった真似も出来るだろう。
だが、実際には炎獄は炎の魔法でありながら、敵を捕獲し、それでいて内側と外側のどちらから触れても熱くはないといった、色々な意味で特殊な魔法となっていた。
そうである以上、ただでさえレイには扱いにくい魔法となっているのだ。
その上で、炎獄として魔法が発動した後で動かせるようにということは……レイにとっては非常に難しいことなのは明らかだった。
あるいはレイがイメージではなく理論から魔法を開発したのなら、この辺りは上手い具合に調整出来たかもしれない。
しかし、生憎とレイはイメージから魔法を作るタイプだ。
一度こうとイメージが固まってしまえば、それを修正するのは難しい。
この辺がイメージから魔法を作る者の欠点だろう。
その代わり、イメージで魔法を作るというのはイメージさえ出来ればいいので、理論的に魔法を作るのとは比べものにならないくらい早く魔法を開発出来るという利点があるのだが。
「それは……ですが、そうなると、この場で観察をするしかないということでしょうか?」
「そうなるな」
あっさりとそう告げるレイに、研究者の男は少し考えていると、その会話を聞いていた別の研究者がふと気が付いたように口を開く。
「少し待って欲しい。もしレイの言うことが事実であった場合、もし遠い場所に穢れが現れた場合、どうする? 聞いた話によると、トレントの森には樵達がいるという話だし、穢れは人のいる場所に現れるんだろう?」
「そうなるな。もしそうなったら、炎獄で捕らえても観察する場合は向こうに行くしかない」
「それは……」
レイの言葉に信じられないといった様子の男。
そんなやり取りを、オイゲンは微妙な表情で見ていた。
オイゲンにとっても、出来れば炎獄は動かせるというのが一番だったのだが、それが無理だった以上、どうしようもないというのが実情だった。
もし炎獄を自由に動かせるのなら、穢れを捕らえた炎獄は自由に動かせると思っていたのだ。
だが、そんなオイゲンの希望は、炎獄の性質によって無駄になってしまった。
「仕方がない、か」
やがてたっぷりと一分程の間沈黙していたオイゲンはそう呟く。
オイゲンにしてみれば、レイの魔法に色々と思うところはある。
あるのだが、それでもレイのおかげで穢れを捕獲して観察することが出来るようになったのは、大きな……非常に大きな一歩であるのは間違いない。
そうである以上、ここでレイを責めるようなことはオイゲンには出来なかった。
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