3118話
レイの炎獄によって捕らえた穢れの件は、結局そのままその場所から動かさないということになった。
もっとも、動かさないも何も、そもそも炎獄は動かせるようにはなっていないので、結局のところはそうするしかなかったというのが正確なのだが。
そうなると、どうなるか。
「いや、分かっていたけどな。こうなるってのは」
炎獄の周囲に集まっている研究者や助手達を眺めながら、レイはそう言う。
レイの視線の先に存在する研究者達は、それこそ炎獄の中にいる三匹の黒い円球を観察し、何か少しでも理解出来ることがないのかを見つけようとしている。
「レイ、その……ありがとうな。お前のお陰で助かったよ」
半ば呆れた様子で炎獄に群がる研究者達を見ていたレイだったが、不意にそんな声を掛けられる。
声のした方に視線を向けると、そこにいたのは二人の男女。
そう、炎獄に捕獲された三匹の黒い円球に追われてた二人だ。
「気にするな。考えようによっては、お前達がいたからこそ穢れを捕らえることが出来たようなものなんだし」
そうレイが言うと、スワンナと呼ばれていた女が申し訳なさそうに頭を下げる。
「本当にありがとう。そしてごめんなさい。まさか、私があんな風に何でもない場所で転ぶなんて……」
頭を下げているのは、顔が赤くなっているからなのはレイにも分かった。
何故なら、頭を下げているので顔を見ることは出来ないが、耳が赤くなっているのだから。
スワンナにしてみれば、生誕の塔の護衛に抜擢されるくらいだから、自分が相応の腕利きであるという自覚はあったのだろう。
そんな自分が見せた醜態が恥ずかしかったのは間違いない。
ましてや、それを他人に……それどころか、ギルムでも有名なレイに見られたのだ。
そのような状況で恥ずかしく思うなという方が無理だった。
もっとも、レイにしてみれば失敗というのは誰にでもあるのだから、そこまで気にする必要はないと思えるのだが。
「失敗したなら、それを何かで挽回すればいい。……俺にとっては、お前達が黒い円球に襲われたところできちんと攻撃して、敵を引き付けた状態で俺のいる場所までやってきたんだ。その結果が、あれだろ?」
そこで一旦言葉を切ったレイは、炎獄とそれに群がっている研究者達に視線を向ける。
その視線を追った二人は、嬉しそうな表情を浮かべるでもなく、微妙な表情を浮かべてしまう。
「あれ? どうしたんだ? てっきり喜ぶかと思ったのに」
二人の反応は、レイにとっても予想外のものだった。
自分達の活躍のおかげで黒い円球を捕らえることが出来たのだから、それを喜んでもおかしくはないと思ったのだろう。
「いや、その……嬉しいか嬉しくないかで言われれば、嬉しい。嬉しいんだけど、それでもあの光景を見ると、何かこう……なぁ?」
「ちょっと、ここで私に振らないでよ。けど、そうね。……何かちょっと引くわ」
レイが呆れ半分で見ていた光景だったが、どうやら二人にとっても同様だったらしい。
いや、レイとは違い、スワンナはより大きく拒否感があったのだろう。
「ああいう連中にしては、まだ大人しい方だと思うぞ」
スワンナに対し、しみじみと呟くレイ。
レイが思い浮かべていたのは、トレントの森で伐採した木に魔法的な処理をする錬金術師達だ。
自分を見ると群がってくる錬金術師達と比べれば、まだ研究者達の方がいいと思える。
(多分、オイゲンが上手い具合に制御してるからなんだろうけど)
いつの間にかレイと交渉をする役割になっていたオイゲンだったが、統率力という点では非常に高い。
実際に他の研究者達が暴走していないのも、あるいは何か妙な行動をしていないのも、オイゲンの統率力のお陰……あるいはオイゲンのバックにいる存在のお陰だろうというのを想像するのは難しい話ではない。
「それにしても、あの様子だと……オイゲンはマジックテントをこっちに持ってきそうだな」
「え?」
何気なく呟かれたレイの言葉に、スワンナは自分の聞き間違いか? といった視線を向ける。
男の方もスワンナと同じ視線をレイに向けていた。
レイはそんな二人に対し、首を横に振る。
「お前達がどう思っているのかは分からない。だが、あの研究者達の熱意は本物だ。それこそ、ここから野営地に戻る時間も勿体ないと思うくらいにはな。そして炎獄は動かせないが、マジックテントは動かすことが出来る。そうなればどうなるか……後は考えなくても分かるだろう?」
「いや、だって……ここは野営地の外だぞ? しかも湖の近くだ。一体どんなモンスターが襲ってくるのか、分からない!」
「だろうな。俺もそう思う。そもそも巨大なスライムがいなくなって水狼が湖の主になった……というのも、あくまで俺達がそう認識しているだけで、本当はどうなのかというのは分からないんだし」
レイとしては、自分のその判断が間違っているとは思わない。
実際にそれを示す証拠……状況証拠の類だが、それは多数あるのだから。
しかし、それはあくまでも状況証拠でしかないのも事実。
ゾゾ達のようなリザードマン達と違い、水狼と完全な意思疎通が出来る訳ではない。
冒険者の中には水狼と友好的な関係を築いている者がいるのも事実だったが。
とにかく、湖の側にマジックテントを持ってきてそこで寝泊まりをするというのが、オイゲン達にとって非常に危険なのは間違いなかった。
もし水狼が湖の主となっていても、湖にいるモンスター全てがレイ達に友好的という訳でもないのだから。
「なら……」
止めないと。
そう言おうとするスワンナだったが、レイは炎獄の周囲にいる研究者達を見て首を横に振る。
「無理だろうな。こっちで幾ら駄目だと言っても、あの状況の研究者達が話を聞くとは思えない。悪いことに、向こうはダスカー様から穢れについて研究をして欲しいという要請を受けている立場だし」
レイの言葉に、スワンナもその恋人の男も何も言えなくなる。
今のこの状況で研究者達が炎獄の側で寝泊まりするのを止めることは出来ないと判断したからだ。
そして同時に、野営地にいる冒険者から何人か……あるいは十人くらいの護衛を派遣しなければならないということを意味している。
(これは、冒険者達の護衛を連れてこないようにとしたのは失敗だったか?)
元々は研究者達が野営地で寝泊まりをすることを前提にしていた為に、数があまり多くならないようにということで、護衛は野営地の冒険者達がついでにやるということになっていた。
しかし、それはあくまでも研究者達が野営地で寝泊まりをしている場合であって、野営地から離れた場所で寝泊まりをするとなれば、その護衛を野営地にいる冒険者でというのは難しいだろう。
「もしオイゲン達がこっちで寝泊まりを止めないようなら、護衛は改めて向こうで用意してもらった方がいいだろうな。幸いって言い方はどうかと思うが、護衛達は現在ギルムで待機していて暇だろうし」
「でも、元々の研究者の護衛じゃなくて、ギルムに来てから護衛として雇われた人もいるんでしょう? そういう人達はもう新しい仕事を見つけてるんじゃない?」
「スワンナの言いたいことも分かるが、それはつまりギルムに来る前から研究者の護衛を任されていた者達もいるってことになる」
「ああ、なるほど。ギルムに元々いた冒険者達は新しい仕事を見つけているけど、護衛として一緒にやって来た人達はそのまま待機しているわけね」
「そうなるな。後は……ギルムの冒険者でも、冬越えの資金が貯まった奴なら、早めに仕事を止めるという可能性もあるし」
冬の間、基本的に冒険者というのは仕事をしない。
冬の間の仕事は、それだけ危険なのだ。
雪で足元が不安定になり、移動速度も遅くなり、滑って転ぶ可能性もある。
新雪の場合は足を取られて、非常に動きにくい。
ましてや、冬だけしか出て来ないモンスターもおり、それらのモンスターは基本的に高ランクモンスターだ。
悪条件としか言いようのない中でモンスターと戦うか、あるいは安全な依頼を求めて街中で雪かきをしたりするか。
ただし、非常に厳しい肉体労働の割に報酬はそこまで高くないが。
あるいは、レイが行うギガントタートルの解体に参加するか。
冬越えの資金を貯められなかった者、あるいは調子に乗って使いすぎた者は春までの間にそのような厳しい依頼をこなす必要がある。
だが、冬までにたっぷりと資金を稼いだ者の場合は、まだ雪が降っていない晩秋、もしくは初冬と呼ばれる今くらいから、既に冒険者としては休みに入り、春まで悠々自適な生活に入っていてもおかしくはない。
「そういう人達は、護衛の仕事があると言っても大人しく引き受けないんじゃないか?」
男の冒険者の言葉にスワンナも同意するように頷く。
レイもその意見には特に異論はなかったので、素直に頷く。
「そうかもしれないな。ただ、もしかしたら楽に金儲け出来るということで冬越えの資金を貯める為に依頼を受ける可能性もある」
「楽に……?」
レイの言葉が納得出来ないといった様子の二人。
実際に黒い円球に追われた身としては、レイが口にした楽にという言葉は納得出来なかったのだろう。
もっとも、本来ならそれでも楽にという表現が相応しい状況になっていても、おかしくはないのだ。
攻撃をすればその人物を追い掛けるといった習性を持つ黒い円球なのだから。
移動速度も、冒険者……いや、冒険者ではなく一般人であっても走れば追いつくことは出来ないといった、そんな相手。
そんな相手であったのに、レイの前にいる二人は逢い引きの最中だったこともあってか、動揺して普段通りの実力を発揮出来なかった。
そのことを理解していたからこそ、他の冒険者が楽だからこそ依頼を受けるといったようなことをレイが口にしたのが許せなかったのだろう。
レイも何となくそんな二人の不満そうな様子は理解しているものの、だからといってそれを受け入れるような真似は出来ない。
「お前達が今回の一件で色々と思うところがあったのは理解出来る。理解出来るが、だからといってそれを俺に向けられても困る。予想外の事態に動揺して、本当の実力を発揮出来なかったのは間違いない筈だ。違うか?」
「それは……」
レイの言葉に、二人は何も反論出来ない。
レイの口から出た言葉が否定出来ない事実だと理解出来たからこそ、何も言えないのだ。
「別に恋愛が悪いとか、そういう風に言うつもりはないし、見張りの途中とかにそういうのをやっていたのならまだしも、野営地でってことはお前達は休憩中だったんだから、そっちについても文句はない。けど……生誕の塔の護衛を任される立場としては、今回の件はちょっと問題だったな」
もし二人きりでいる時に黒い円球に襲われたとしても、冒険者らしい行動をして動揺しなければ、レイもここまで言わなかっただろう。
だが、今回の件では攻撃をして引き付けるといった行為こそしたものの、実際に黒い円球に追われている時、完全に動揺してしまっていた。
「分かった。あの時のことを考えると、そんな風に思われても仕方がない。反論出来ない」
男は悔しそうにしながら、それでもしっかりと黒い円球に追われていた時の自分のミスを考え、そう告げる。
スワンナもまた、男の言葉に同意するように何も言わないでいた。
「ねぇ」
レイの側で様子を見ていたニールセンが、二人の様子を見てレイに小さく声を掛けてくる。
この辺にしておいた方がいいのではないかと、そう言いたいのだろう。
レイはそんなニールセンの様子を見て、すぐに頷く。
実際、これ以上ここで自分が何かを言っても、それは目の前の二人を無意味に責めるだけで、あまり意味はない……どころか、今回の件が原因で二人が別れるようになった場合、下手をしたら自分が恨まれるといったようなことになりかねないと思ったからだ。
恋愛沙汰の恨みは、かなり深い。
その辺りはあまり経験のないレイだったが、それでもそのような事例を幾つも知っている。
そうである以上、ここで自分が関わった結果、その手のいざこざに巻き込まれたくはない。
「そうだな。この二人も、ギルドから信用されている立派な冒険者だ。そうである以上、この件について俺がそこまで言う必要はないか。それに……色々と不味かったのは事実だが、それでも黒い円球に攻撃して、俺のいる方に引き連れてきたのは間違いないし」
結局レイはそのように口にし、今回の件について有耶無耶にすることにする。
ある意味、問題の先送りではあったが、その先送りに巻き込まれるのが自分でなければそれでいいと、そのように思ったのだろう。
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