3113話
レイと話していた研究者の男は、エグジニスに行くのは無理だという言葉に残念そうな表情を浮かべる。
そんな表情を浮かべながら、それでも不満を口にするような真似はしない。
実際、今の状況を考えると、レイがトレントの森にいないというのがどれだけ危険なことなのか理解出来たからだ。
「そうですか。残念ですが、仕方がありませんね。ですが……そうなると、穢れの行動原理を把握するのが難しくなった分、レイさんが穢れを捕らえる魔法を完成させる必要がありますよ?」
「それは……」
レイはそんな男の言葉に反論出来ない。
元々穢れを捕獲する為の魔法を、どうにかしようとしていたところにこの男が来たのだ。
そういう意味では、魔法を研究しているというこの男の力を借りて穢れを捕獲する為の魔法を考えるというのは、自然な流れだろう。
「それで、どうします? もう少し休憩しますか? それとも、魔法の開発をしてみますか?」
「レイはもうちょっと休んだ方がいいわ!」
研究者の男にそう言い返したのは、レイ……ではなく、ニールセン。
セトの上でレイと男の話を聞いていたニールセンが、不意にそんな風に叫んだのだ。
「妖精ですか。そう言えば、妖精の魔法で穢れの対処は出来ないんですか? 聞いた話によると、穢れについては妖精から情報提供があったと聞いています。それはつまり、妖精は穢れについて知っていたということですよね? なら、それに対する方法も何かあるのでは?」
「う……ないわよ……」
男の言葉に、ニールセンは不承不承といった様子でそう告げる。
「穢れという存在を知っていたのに、何故それに対処する方法を考えなかったんですか? 妖精の作るマジックアイテムは非常に強力だと聞いています。そうである以上、いざという時のことを考えておいてもいいと思うのですか」
「その辺にしておけ」
男の言葉がニールセンを……いや、正確には妖精を責めているように思えたので、レイがそれを止める。
「そもそも、このトレントの森のどこかに穢れが出たら、すぐに対処出来るのは妖精郷の長がいるからだ。もし長がいなければ、それこそ穢れがどこに出たのか全く分からない。そうなると、俺とセトがずっとトレントの森を歩き回って穢れを捜すといったようなことになるんだぞ? そう考えれば、妖精達は十分役に立っている」
「レイ……」
自分を――正確には妖精全体をだが――庇ったレイに。ニールセンが感動したといった様子でその名前を呼ぶ。
そんなニールセンの様子に構わず、レイは言葉を続ける。
「それに、妖精が穢れのことを知っていたというのは、それこそかろうじて伝承が残っていたという話だ。それこそお伽噺とかそんな感じでな。一応聞くが、お前は大昔にそういう怪物がいたというお伽噺を知っていたとして、その怪物への対抗手段を考えて、マジックアイテムなり、それに対抗する魔法を開発したりといった真似をするか?」
「それは……」
改めてレイに言われ、自分の口にした内容が客観的に見ておかしいというのは理解出来たのだろう。
男は言葉に詰まり、少し沈黙した後でニールセンに頭を下げる。
「申し訳ありません。私が考えなしに言いすぎました」
「……ふん、分かればいいのよ、分かれば」
男が自分の非を認めて素直に謝ったからだろう。
ニールセンもそこまで追求するような真似はせず、素直に許す。
(まぁ、実際長の様子を見る限りだと、穢れについては断片的な情報しか残ってなかったみたいだし、お伽噺とかよりも更に酷い感じだよな)
これが例えばお伽噺であった場合、物語風に話が伝わることによって、敵の弱点といったものが伝わっている可能性もある。
だが、穢れについては、それこそ妖精にも断片的にしか情報は残っていなかったのだ。
(それでも、もう少しお伽噺とかそういうので残ってれば……ちょっと違うけど、日本……というか、地球にもそういうのがあったよな)
ニールセンと男を見てレイが思い浮かべたのは、日本で見たTV番組の内容だった。
トロイの木馬、もしくはトロイアの木馬。
これは長い間神話上の伝説と言われていたのだが、ドイツ人の考古学者によって実際の出来事だと証明されている。
……正確には見つかったのはトロイの木馬の舞台となったトロイアという国であったり、トロイア戦争の記録であったりで、実際に木馬が見つかった訳ではないのだが。
ともあれ、伝承の中にも事実が含まれているといったこともあるということの証だろう。
(とはいえ、穢れについては……いや、今はそういうのを考えるよりも、まずは魔法か)
男のように妖精達を責めても、この場合は意味がない。
そもそも穢れについては妖精達だけが知っており、人間やエルフ、ドワーフ、獣人といった者達が知らなかったというのは、色々とおかしかった。
特にエルフのように人間と比べても遙かに長寿の者達ですら、穢れについて知らないというのは、それこそレイにとっては疑問以外のなにものでもない。
「では、魔法についてですが……レイさんの場合、天才肌なのがちょっと難しいですね」
男が困った様子で頭を掻く。
もしこれでレイが感覚ではなく、きちんと理論から魔法を組み立てるようなやり方であれば、それなりにやり方もある。
しかし、そうではない。
そうなると、今の状況で男が出来るのはレイがイメージしやすいように魔法についての説明をすることだった。
「ああ、そうそう。そう言えば穢れについての伝承ではありませんが、とある地方にこういう伝承があるのですが」
そう言い、男はとある地方に伝わるという炎についての説明を行う。
その炎は人が触れても火傷をしたりすることはなく、暖かさだけを周囲に放っているという。
寒冷地であるその地方においては、その炎によって多くの者が生きることが出来たという。
その炎は地面に埋まっていた巨大な宝石から生み出されていたという。
他にも炎によって構成された卵の話であったり、延々と……それこそ数十年もの間燃え続けている大樹の話であったりと、炎に対する伝承やお伽噺を次々とレイは聞く。
そうして二十分程の間話し続け、それが一段落すると男はレイに向かって尋ねる。
「どうです?」
「いきなりどうです? と言われてもな。……ただ、炎に関する伝承が思ったよりも多いのは驚いたけど」
「そうね。私も初めて聞くような話が幾つもあったわ。さすが研究者って言った方がいいのかしら」
研究者に対しては、何人かが自分に向ける視線から面白くないと思っていたニールセンだったが、今の炎に関する話を聞いて感心したのか、先程の何故穢れについて知っていたのなら対処してこなかったのかと言われたことも忘れたかの様子だ。
また、レイとニールセンの側にいたセトも、男の話を興味深く聞いていた。
ニールセンの言葉に、男は照れた様子を見せる。
男にしてみれば、ここまで感心されるとは思っていなかったのだろう。
「ありがとうございます。喜んで貰えたようで何よりです。それで……どうでしょう? レイさんは、今の私の話を聞いて、何かヒントなりましたか?」
期待を込めて尋ねてくる男に、レイは首を横に振る。
「話は面白かったけど、それで穢れを捕らえるといった魔法が出来るかと言われると難しい」
「そうですか……」
ニールセンに褒められただけに、もしかしたらと思ったのだろう。
それだけに、男は残念そうな様子を見せる。
だが、レイはそんな男に続けて口を開く。
「安心しろ……ってこういう時に言うべき言葉なのかどうかは分からないけど、お前の話はヒントにならなかった。けど、色々と面白い話を聞かせて貰って、十分に気分転換は出来た。これならもしかしたらと、そう思うくらいにはな」
「本当ですか? その、私に気を遣ったりとか、そういうことは……」
「俺がそういう真似をすると思うか?」
レイの問いに、一瞬の躊躇いもなく首を横に振る男。
自分で聞いたレイだったが、それでもここまで即座に反応されると、若干思うところがあるのは事実だ。
とはいえ、自分から聞いた以上、それに突っ込むといった真似は出来ないが。
「では、その……見せて貰えますか?」
「そうだな。ここでどうこう言うよりも、実際に見せてみた方がいいか」
レイはデスサイズを手に起き上がる。
一応といった様子で周囲の状況を見るが、特に誰も自分達に注目している様子はない。
別に呪文を使うところを見られたからといって、特に困ることはなかった。
勿論、実際に穢れと戦う際に魔法を失敗する訳にはいかないのだが、今は別にそこまで難しく考える必要はない。
「え? ちょっと、レイがまた魔法を使うの? じゃあ、少し待って。私は離れた場所から見てるから」
レイがこれから魔法を使うといったことを理解したニールセンは、慌てたようにレイから離れる。
先程レイが魔法を失敗した時、間近で溶岩を見てしまったからだろう。
いきなり目の前に溶岩が現れたというのもそうだが、何よりドラゴンローブを着ているレイやグリフォンのセトでは溶岩の熱さはそこまで感じないが、ニールセンはそんな訳にはいかない。
ニールセンに出来るのは、出来るだけレイから離れるということだけだろう。
「……え?」
そんなニールセンの様子を見ていた男は、間の抜けた声を上げる。
一体ニールセンが何を考えてそのような真似をしたのか、その理由が全く理解出来なかったのだ。
レイは凄腕の魔法使い――正確には魔法戦士――として知られており、男がその噂を知っているのもこの場合は大きく影響していたのだろう。
そんなレイが何か大きなミスをするのか。
男が疑問を抱き、何か口を開こうとしたところで、レイは呪文を唱え始める。
『炎よ、我が思いに応えよ。汝は壁、何者をも通すことのない壁にして、それが四方に、そして上下に存在すべきもの。その壁は炎にして炎にあらず。破壊の炎ではなく触れても暖かな気分を抱かせる炎。我が魔力が存在する限り、その炎の壁が消え去ることはない』
呪文が完成すると同時に、デスサイズの先端が示す場所に炎が生み出されていき……やがて、その炎は前後左右上下に炎の壁として形成され、そして魔法が発動する。
『炎獄の壁』
魔法が完成し、発動したと同時にレイの身体から大量の……それこそ普通の魔法使い十数人分が命を削って絞り出す規模の魔力が消費される。
「これは……予想はしていたけど、厳しいな」
レイは炎属性の魔法に特化している。
そんなレイであっても、炎を媒介にすれば他の属性の魔法を使うことも出来る。
今のように、常人では持つことが出来ない莫大な魔力のごり押しによって。
魔力を大量に消耗したとはいえ、元々のレイの持つ魔力は莫大だ。
それこそ浄化魔法を炎によって使った時に比べれば、魔力の消耗そのものは少ない。
……この場合、あくまでも比較対象がおかしいのだが。
「そうなんですか? そこまで魔力の消費を?」
空中に浮かぶ、三m四方程度の炎で出来た檻……というか炎の壁を見ていた男が不思議そうにレイに尋ねる。
魔法について研究している男にしてみれば、炎で出来た壁によって生み出された炎獄を見ても、レイが何故そこまで魔力を消耗しているのかが分からないのだろう。
レイが炎の属性に特化しているというのを知らないのだから、当然かもしれないが。
「ああ。普段使っている魔法と随分と違う形だしな。……ちょっと待ってくれ。一応試してみるから」
男にそう言うと、レイは地面に落ちていた木の枝を軽く投擲する。
レイの魔法で生み出された存在なら、それこそ少し触れただけで木の枝くらいは一瞬にして燃えつきてもおかしくはない。
しかし、レイが投擲した木の枝は炎獄に触れても特に燃えるようなことはなく、そのまま地面に落ちる。
「これは……」
投げた枝が炎獄に触れた瞬間、レイの魔力が多少だが消耗されたのを感じる。
それはつまり、穢れを炎獄の中に捕らえたとしても、穢れが炎獄に触れる度にレイの魔力が消耗するということを意味していた。
一度の接触で消耗する魔力は少ないが、それでも消耗は消耗だ。
「どうしました?」
「あの炎に何かがぶつかると、その度に少しだけだが魔力が減る。魔法としてはそれなりに成功したと思ったけど、これはこれで少し予想外だったな」
レイの言葉に、男は難しい表情を浮かべる。
男にとっても、それは予想外のことだったのだろう。
「具体的にどのくらいの魔力ですか?」
「そんなに多くはない。ただ、塵も積もれば山となるって言うしな。数十の穢れを閉じ込めて、その中で延々と炎の壁にぶつかるといった真似をしたら、俺が想像している以上に魔力が消耗しそうだな」
そう言うレイだったが、本人としては魔力の消耗をそこまで気にしている様子はなかった。
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