3114話

 多少の問題はあれども、穢れを捕らえる魔法を完成させたレイはセトやニールセン、それと魔法の開発――正確には気分転換――を手伝ってくれた男と一緒にオイゲンに会いに行く。

 そうしてオイゲンがレイの魔法によって生み出された炎獄を見ると……


「これは、素晴らしい」


 オイゲンが空中に浮かぶ炎獄を見て、感嘆の声を発する。

 オイゲンが見た限りではレイの生み出した魔法は穢れを問題なく捕らえることが出来るように思えた。

 勿論、オイゲンも穢れについてはそこまで詳しい訳ではない。

 実際にオイゲンが穢れを見たのは、湖の側での一件だけなのだから。

 その時も本当にただ見ただけで、詳しく観察する余裕は一切なかった。

 オイゲンもそれは分かっているのだろう。

 だが、それでもオイゲンはこれなら大丈夫だと、何故かそのような確信がある。

 そしてオイゲンがこうして完全にレイの魔法を信頼している以上、他の研究者達もそれに反対するようなことは出来ない。

 ここにいる研究者達を率いているのが、オイゲンなのだ。

 そんなオイゲンの言葉に異を唱えるような真似をした場合、一体どうなるのか。

 ……実際には、オイゲンは研究者としては十分に優秀なので、自分に逆らったからといって具体的に何かをするようなつもりはない。

 つもりはないのだが、それでも他の研究者達にしてみれば、オイゲンの不興を買いたいとは思わないだろう。

 あるいはレイの魔法で生み出された炎獄が見て分かる程の何らかの欠陥があれば、もしかしたら研究者として、それは使えないと言ったかもしれない。

 しかし、レイの使う魔法は一見した限りだと、特に何か違和感の類はない。

 実際に穢れを捕らえられるかどうかというのを試してみないと、何とも言えないが。


「ちなみに、炎獄だったか。これを動かすことは可能かな?」

「え?」


 不意に出て来たオイゲンの言葉に、レイは意表を突かれた様子でそう言葉を返す。

 だが、考えてみればこれは当然のことだ。

 穢れと遭遇するにしても、必ずこの野営地で遭遇するとは限らないのだから。

 レイの経験からすると、穢れが姿を現すのは人がいる場所だ。

 アブエロの冒険者の件は例外としても、樵達やその護衛の冒険者達は今でもトレントの森に入って仕事をしているし、実際にそちらに穢れが出たこともある。

 そうなった時、そちらで穢れを捕らえたとして、研究者達がその場所に行くのと、捕らえた穢れをこの野営地に運んでくるのでは、どちらの方が研究をしやすいのか……考えるまでもないだろう。


「え? とは……もしかして、この炎獄というのは一度発動すると動かせないと?」

「悪いけど、そうなる。……炎の壁で捕らえる対象を覆って、その相手が触れてもダメージを受けないといったようにするのに精一杯だった」

「ぬぅ」


 レイの説明を聞けば、オイゲンも呻くことしか出来ない。

 炎の魔法で敵を捕獲する魔法というのが、そもそも無茶なのだ。

 その無茶をこの短時間で対処したのだから、それに対して不満を言うような真似は出来ない。

 今の状況を思えば、それこそ感謝をするのが最優先だろう。


「そうか。とにかく、これで穢れを捕らえることが出来るようになったのは大きい。具体的に穢れとはどのような存在なのか、それをしっかりと確認する必要があるのでな。それこそが研究の最初の一歩だ」


 オイゲンは、取りあえず穢れを鹵獲することが出来るだけで穢れの研究が一歩進んだと判断したのだろう。

 完全に満足した訳ではないものの、取りあえずこれでいつ穢れが出ても問題はない。


「後は、肝心の穢れがいつ出てくるかだな。ニールセン、その辺は……」

「ああああああああああああああ!」


 ニールセンに対し、穢れについて聞こうと思ったレイだったが、その言葉を遮るような叫び声が周囲に響く。

 一体何だ? もしかして穢れが現れたのか?

 そんな風に思いながら、レイだけではなくオイゲンも声を上げた研究者に視線を向けると、その研究者はとある一点……レイが生み出した炎獄を指さしていた。

 その指さしている方を見ると、そこには炎獄の上に座ってるニールセンの姿。

 同時に炎獄にニールセンが触れたことによって、若干だがレイの魔力が消費される。


「って、おい!?」


 レイもまた、その光景を見て思わずといった様子で叫ぶ。

 当然だろう。炎獄についてはまだ作ったばかりで、具体的にどういう感じなのかは分からないのだ。

 木の枝を放り投げて、取りあえず燃えるといったようなことがないのは前もって確認しておいたものの、それ以外についてはまだ殆ど確認されていない状況だ。

 だというのに、ニールセンは炎獄に躊躇なく触れている。……いや、座っている。

 捕獲する魔法を考えている途中に、間違って溶岩を生み出してしまい、その熱さに即座に避難したニールセンとは思えない行動。

 あるいは妖精だからこそ、そこまで深く考えたりはしないのかもしれないが。

 とにかく今の状況はニールセンにとって危ないのは間違いない。

 炎獄を生み出す魔法については、あくまでも穢れを捕らえるという効果を狙ってのものである以上、本来なら炎獄に触れても特に問題はない。

 問題はないのだが、レイの予想外の動きをすることになってもおかしくはなかったのだから。


「おい、ニールセン。こっちに戻ってこい。危ないぞ」

「あら? そうでもないわよ? ほら、全然問題ないし。寧ろ、今の季節だと触れているところが暖かいから、持ち歩きたいくらいよ。空中に固定されていてそれは無理だけど」


 暖房器具じゃない。

 そう言おうとしたレイだったが、何気にそういう使い方もあるのか? と思う。

 普通に暖を取るだけなら、別に炎獄ではなくても普通に魔法を使えば……いや、魔法を使わずとも、焚き火だけで十分だろう。

 しかし、焚き火というのは当然だが触れれば熱いし火傷をする。

 それに比べると、炎獄は触れても問題がないように調整されていた。

 実際にニールセンが炎獄に触れても、現状では特に何の問題もないことからも明らかだろう。


「それでも、まだその炎獄は出来たばかりの魔法で、そういう風に触れても問題がないかどうかは分からないんだから、とにかくこっちに戻ってこい」


 開発したのが攻撃魔法なら、レイもここまで神経質に言うようことはなかっただろう。

 だが、炎獄は初めて作った捕獲用の魔法だ。

 そうである以上、慎重になるのは当然だった。

 実際に穢れを捕らえるといった使い方をしたのならまだしも、外から刺激を加えるというのは、レイにとっても想定外の使い方となる。

 ……もっとも、実際に穢れを捕らえるといった真似をした場合、炎獄の範囲外にいた穢れが外から炎獄に触れるといった真似をするのは間違いないので、ニールセンの行動も絶対に有り得ないという訳ではないのだが。


「ニールセン、いいから一度こっちに戻ってこい」

「何よ、このくらいならいいじゃない」

「……長に言うぞ」


 炎獄の暖かさが気に入っていたニールセンだったが、レイの言葉を聞いた瞬間には炎獄を蹴って、レイのいる方に戻ってくる。


「ちょっとした冗談じゃない。別にそこまで怒ることはないでしょ? ……長に言ったりしないわよね?」


 もしこの件が長に知られれば、お仕置きをされてしまう。

 それが分かっているからこそ、ニールセンは必死になってレイに尋ねる。

 レイはそんなニールセンの様子に少し考え、やがて頷く。


「今回は大人しく俺の指示に従ったから、黙っておいてやる。ただ、次に同じようなことがあったら……」

「分かってるわよ! レイの指示には従うから!」


 ニールセンが長を……より正確には長のお仕置きを怖がるというのは、レイにとっては見慣れた行動だった。

 しかし、オイゲンを始めとした研究者達にしてみれば、ニールセンの様子は驚きでしかなかったのだろう。


「レイ、少し聞きたいんだが……長というのは、妖精郷の長のことか?」

「ああ、そうなる。俺にとってはかなり親しい相手だ」

「怖い人物なのか?」


 ニールセンの様子を見れば、そのように思うのも当然だろう。

 他の研究者達からの視線を向けられたレイは、しかし大方の予想を裏切って首を横に振る。


「いや、俺にとってはそこまで怖い相手じゃないな。以前ちょっと妖精と関わることがあって、それで俺との関係は友好的だ」


 妖精郷においては多くの妖精に恐れられている長だったが、妖精郷を助けたことや、あるいは以前セレムース平原で他の妖精と遭遇した時のことを同じ妖精として悪いとおもっているのも関係しているのか、その辺りは分からないが、長がレイに対して非常に友好的な存在なのは間違いなかった。


「だが、その割には……」


 レイの言葉をどこまで信じてもいいのか分からないといった様子で、オイゲンの視線はニールセンに向けられる。

 それはオイゲンだけではなく、他の研究者達も同じだった。


「ニールセンの場合は、今まで色々と悪戯をしていたからな。その結果として、長から厳しいお仕置きをされている。そのことから長のことを怖がっているんだろうな」

「……どんなお仕置きなのか、聞いてもいいだろうか?」


 ニールセンが研究者達と関わるのを好んでいない為、オイゲンを始めとした研究者達はニールセンの詳細な性格については知らない。

 それでも多少なりともレイと話している光景を見れば、どういう性格なのかというのは大体は分かってもおかしくはなかった。

 そんな少ない情報から理解出来たのは、ニールセンは非常に気が強いということだろう。

 そのように気の強いニールセンが、長に知らせるのだけは止めて欲しいと、そんな風に言うのだ。

 普通に考えれば、長というのは非常に怖い存在だと思ってもおかしくはないだろう。


「お仕置きの種類は色々とあるみたいだが、俺が見たことがあるのは超能力……いや、一種のスキルか何かだろうけど、魔力か何かで遠くの物を掴んだりするのを使う……ちょっとこれだと分かりにくいな。誤解を承知の上で言うのなら、見えない手を使って遠くの物を掴んだり出来るって感じか。それでニールセンの身体を掴んだまま、好き放題に振り回すといった感じだな」


 レイは長の能力を自分にも分かりやすく超能力と呼称していたが、その言葉が分かるのはレイだけだろう。

 レイもそれを理解したからこそ、スキルという風に言い換えて説明する。

 見えない手というのは、デスサイズに風の手というスキルがあるので、それなりに説明しやすかったが、それを聞いたオイゲンや他の者達は、その言葉に納得の表情を浮かべた。


「見えない手か。それはあると便利そうだが、同時に怖いという思いもあるな」

「その辺はひとそれぞれだと思う。俺は長を信頼してるから怖いという思いはない。それに、俺が知ってる限りだと、長はかなり真面目な性格をしてるから、そのスキルで妙な真似をしたりはしないと思う」


 レイから見た長は、本当にかなり真面目な性格をしている。

 ニールセンを含めた他の妖精達が悪戯好きなのを考えると、長だけがそこまで真面目なのは少し疑問ですらあった。


(あるいは、長になると真面目になるのかもしれないけど)


 そうレイが思ったのは、長の大きさは掌サイズのニールセンよりも更に一回り大きいことだろう。

 そこまで大きさが違うし、同じ妖精であっても違う種類ではないかとすら思ってしまう。

 勿論、違うのが大きさだけである以上、違う種族ではないというのは分かっているが。


(モンスターとかの上位種族とか、そんな感じなんだろうな。希少種ってのはこの場合違うと思うし)


 通常の妖精から、長のような上位種になることによって、性格も変化するのかもしれない。

 これはあくまでもレイの予想……いや、予想とも言えないような、本当にただの思いつきでしかないが、何となくレイはそこまで間違っているようには思えなかった。


「ふーむ、レイがそういう風に言うということは、実際に長はそこまで危険な存在ではないということか。だとすれば、私もいつか会ってみたいものだが」


 現在は穢れについて強い興味を持っているオイゲンだったが、だからといって妖精に興味がない訳でもない。

 あくまでも現在最も興味があるのは穢れであるというだけで、妖精郷に行く機会があればそれを逃すつもりはない。

 その辺りについても考えているからこそ、研究者達の代表といった立場になったのは間違いないのだから。

 勿論、研究者達の中にレイと敵対しそうな者がいて、そのとばっちりをうけるのはごめんだからというのもある。

 そのような色々な理由によって、オイゲンは研究者達の纏め役という現在の立場にいるのだった。

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