3098話
三十匹近い黒い円球。
レイはそれを見た時、それらがどこから姿を現したのか分からなかった。
それ以外にも、何故これだけ大量に黒い円球がという思いもある。
「ニールセン!?」
レイは目の前に研究者達がいるというのを理解しつつも、ドラゴンローブの中にいるニールセンに声を掛ける。
穢れについての情報は、長が感じたらすぐにニールセンを通して自分に来る筈だった。
だというのに、三十匹近い黒い円球が姿を現したというのに、ニールセンからは何の連絡もなかった。
一瞬……本当に一瞬だったが、穢れが出たのが湖の側……つまり、トレントの森の外だったからか? と思う。
レイが聞いている長の探知範囲は、あくまでもトレントの森だけだ。
そして現在レイがいるのは、湖の側。……トレントの森から、多少ではあっても離れている場所となる。
レイのそんな疑問に答えるように、ニールセンがドラゴンローブの中から飛び出して叫ぶ。
「知らないわよ! 長から連絡は何も来てないんだから!」
突然周囲に響いたその声に、多数の穢れに意識が集中していた者達のうち、決して少なくない数の視線がニールセンに向けられる。
『な……』
そしてニールセンの姿を見た者の多くは言葉を失う。
自分が一体何を見ているのか。
それが何であるのかは知っている。
知ってはいるが、だからといってまさか現実に自分の目で見ることが出来るとは思っていなかったのだろう。
レイもそんなニールセンの存在に気が付いた者達については理解していたが、今はそれに構っているような余裕はない。
「やっぱりそれが原因か! 長に、トレントの森だけじゃなくて湖も探知範囲に入れろって言っておいてくれ!」
「無茶言わないでよ!」
即座に叫び返される内容に、レイも納得してしまう。
これで、例えば湖が少し大きな沼程度の大きさであれば、長も湖全体を監視するような真似が出来るだろう。
しかし、この湖はギルムと同等……もしかしたらそれ以上の広さを持っているかもしれないのだ。
長にそんな湖全てを探知範囲に入れろというのは、自分で言っておいて何だが無茶だろうと。
しかし、今はそれについて詳しく説明しているような余裕はない。
今の状態でまずやるべきは、集団で姿を現した穢れの対処だった。
幸い、今は黒い円球も一ヶ所に固まっているが、いつまでも同じ場所にいるとは限らない。
黒い円球も、一応自我……あるいは何らかのプログラムのようなもので、それなりに動き回るのだから。
「セト、雄叫びだ!」
黒い円球の群れがまだ殆ど動いていない状況で、レイが指示を出す。
その指示を聞いたセトは、それこそ一瞬の躊躇いもなく雄叫びを上げた。
「グルルルルルルルルルルルルルルルルルルルルルルルルゥッ!」
周囲一帯……それこそ、野営地どころかトレントの森全体に響き渡っていてもおかしくはい、そんな雄叫び。
その雄叫びを間近で聞いた研究者や助手達は、大半が腰を抜かして地面に座り込んでいる。
今の雄叫びを聞いただけで、自分とセトの間にある圧倒的な格の違いというのを理解してしまったのだろう。
中には股間を濡らしている者すらいた。
そのような研究者達に比べれば、護衛の冒険者達はまだ立っている者の方が多い。
以前からギルムにいた冒険者達は大半が無事。
だが、研究者達が自分で連れてきた護衛達は、その多くが腰を抜かしている。
「レイ!?」
セトのいきなりの行動に、研究者達の護衛の中でもギルム出身の者がレイに声を掛ける。
突然姿を現した黒い円球や、レイの側にいる妖精。そして突然のセトの雄叫び。
聞きたいことは色々と……本当に色々とあるのだが、今のこの状況では一体どれから話を聞けばいいのか分からない。
だからこそ、男は取りあえずといったことでレイの名前を呼んだのだ。
「あれは敵だ。それもとびきり厄介な」
見ているだけで本能的な嫌悪感が湧き上がる黒い円球を見ながら、レイは言う。
その言葉が聞こえた者は一体どれくらいいるだろう。
あるいは聞こえても話を理解出来た者がどれくらいにいるのか。
多くの者は、現在一体自分達がどういう状況にあるのか、それを全く理解していなかった。
だが……そんな中でも、今すぐに動けるような者達はどうすればいいのかといった視線をレイに向ける。
しかし、レイは現在その視線に答えるような余裕はない。
「さっきのセトの雄叫びを聞いて、野営地から冒険者達がやって来る筈だ。悪いが、詳しい話はそっちから……くそっ、セト! 離れようとしている奴に攻撃をして、誘き寄せてくれ!」
纏まっていた三十匹程の黒い円球だったが、この場に現れて少し時間が経ったことによって、それぞれが別個に行動を始めようとしていた。
そうした黒い円球の行動を自由にさせてしまえば、周囲に大きな被害が出かねない。
そうさせないようにするには、敵の攻撃をどこかに集めるようにするしかなく、現状でそれをやれる最善の存在は、セトだった。
勿論、レイもやろうと思えば出来る。
だが、もしレイが敵を引き付けるような真似をすれば、魔法で一気に焼滅といった真似が出来なくなるのだ。
黒い円球の数が三十匹近くとなれば、それだけで非常に厄介な存在だった。
「グルルルルゥ!」
雄叫びを上げつつ、セトはアイスアローを放つ。
狙うのは、黒い円球の群れから離れようとしている個体だ。
ファイアブレスのような広範囲を攻撃するスキルを使ってもいいのだが、その場合はスキルの効果範囲外にいる黒い円球を逃がすといったことになりかねない。
そうならないようにするには、単純だが離れた場所にいる個体を狙って倒すのが一番手っ取り早い。
そんな訳で放たれた氷の矢は、群れから離れそうになっていた黒い円球に命中し、黒い円球はその性質に従って自分に攻撃をしたセトに向かって移動を始める。
(これだけの数となると、一度の魔法で全部を纏めて倒すのは難しいか? 取りあえず、最初はこっちだな)
ミスティリングから取り出したデスサイズを手に、レイが視線を向けたのはセトを追っている黒い円球……ではなく、集団で纏まっている黒い円球だ。
何故そのような感じになってるのかは、生憎とレイにも分からない。
しかし、せっかく敵が同じ場所に纏まってくれているのだから、そんな絶好の機会を見逃すという選択肢はレイにはない。
『炎よ、汝は我が指定した領域のみに存在するものであり、その他の領域では存在すること叶わず。その短き生の代償として領域内で我が魔力を糧とし、一瞬に汝の生命を昇華せよ』
呪文を唱え、デスサイズの石突きを地面に突き刺す。
すると石突きから赤い線が伸びていき、まだ空中に留まっている状態の黒い円球の群れを纏めて線の中に入れていく。
当然だが、黒い円球の中でも端の方にいた個体は少し動くことによって線の外側に出る個体もいる。
数匹そんな個体が出たが、それでも大部分の黒い円球は赤い線の内側に入り……
『火精乱舞』
魔法が発動する。
赤い線から魔力によドームが生み出され、黒い円球の大半を内部に閉じ込めることに成功する。
続いてトカゲの形をした火精が次々に生み出されていく。
黒い円球の中でも端の方にいた個体は、自分が現在危険な状況になっていると理解しているのか、それとも特に何か考えがある訳でもなく、偶然そのような形になったのか。
赤いドームの外側に向かおうとする。
もし赤いドームが木材か何か……いや、例え金属の類で出来ていても、黒い円球であれば触れるだけで黒い塵となって吸収され、空いた穴から黒い円球は外に出るだろう。
しかし、レイの魔法で生み出された赤いドームは当然ながらレイの魔力によって生み出された存在だ。
例え穢れであろうとも、赤いドームを破壊して外に出るといったようなことは到底出来ない。
そうしている間にも、赤いドームの内側には多数のトカゲ型の火精が増えていく。
「ちょ……おい、あれ……本当に大丈夫なのか!? 見るからに怪しいぞ!?」
研究者の護衛としてやって来た冒険者の一人が、赤いドームの内側を見て叫ぶ。
当然だろう。赤いドームというだけで不気味なのに、そこには黒い円球という、研究者やその護衛達にとっては全く理解出来ない存在が多数存在しているのだ。
そこでトカゲ型の火精が増えていくのは、見ている方にしてみれば不気味な光景としか言いようがないのだろう。
そして……そんな動揺の言葉を発したのが、ある意味でフラグになったのか、次の瞬間には赤いドームの内側にいたトカゲ型の火精が爆発した。
「うおっ!」
爆発音や熱の類は、赤いドームによって完全に遮断されているので外側に広がるということはない。
しかし、それはあくまでも魔法を使ったレイだから知っているのだ。
あるいは、レイ以外の者でもレイが使ったこの魔法を以前に見たことがある者達であれば、そこまで驚くようなことはなかっただろう。
しかし、ここにいる者達はその大半が初めてこの魔法を見る。
中には以前からギルムで活動していた冒険者を護衛としている者もいるのだが、そのような冒険者達はレイの魔法を……今回とは別の魔法だが、見たことがある者もいる。
あるいは、冒険者の中にはベスティア帝国との戦争に参加した者もいた。
その時にレイが使った魔法――実際には魔法とスキルの融合なのだが――で生み出された炎の竜巻を間近で見た者もおり、そのような者達にしてみれば今回の魔法も驚くような魔法だが、言葉も出ない程に驚く魔法とまではいかない。
そうして赤いドームの中が爆発と炎で満たされ……そして、赤いドームが消える。
するとそこには、既に黒い円球の姿はどこにも存在していなかった。
「お、おい……これ……」
恐る恐るといった様子で冒険者の一人が呟く。
その言葉に何人かがピクリと反応するものの、実際に声に出すといったような真似は出来ない。
一体自分達は何を見たのか。
それが全く理解出来なかったのだ。
「呆けるな! まだ終わってないぞ!」
デスサイズを手に、レイが鋭く叫ぶ。
その言葉通り、セトが攻撃をして引き付けている数匹の黒い円球に、レイの使った魔法の範囲外……赤いドームの外にいた黒い円球は、まだ倒されていないのだ。
最初の攻撃で多数の黒い円球を焼滅させることが出来たので危険度は大分下がったが、それでもまだ安全という訳ではない。
「どうすればいい!?」
レイの言葉を聞いて最初に反応したのは、ギルムで護衛として雇われた冒険者の一人。
それだけに、今の状況でどのように行動すればいいのかを判断したのだろう。
レイの指示に従って行動するのが、この場合は最善だと判断して。
「あの黒い円球は、どんな攻撃でも、攻撃をした相手に向かって突っ込んでくる。触れればその部分は黒い塵となって吸収されてしまうから、絶対に触れるな。近接攻撃は論外だ」
その言葉に、レイにどうすればいいのかを聞いていた護衛の冒険者は勿論、レイの言葉を聞いて自分にも何か出来ないかと思っていた者の多くが残念そうな、無念そうな、そんな表情を浮かべる。
研究者の護衛ということで、基本的に長剣や槍といった武器を持っているのが大半だ。
弓を持っている者は数人しかいない。
「別に攻撃は……」
武器を犠牲にしてまでやるような攻撃ではなくても、石か何かを投げるので十分だ。
そう言おうとしたレイだったが、そうレイが言うよりも前に野営地の方から十人以上の冒険者が姿を現す。
先程のセトの雄叫びで、何があったのだろうと判断してやって来た冒険者達だ。
それを見たレイは、何をすればいいのかと言ってきた冒険者に向ける言葉を変える。
「迂闊に動くようなことをして黒い円球を刺激するようなことになったら、そっちにも被害が出るかもしれない。研究者達が妙な行動をしないように注意しておいてくれ。言っておくが、研究者達が勝手に行動して攻撃に巻き込まれるからって、攻撃を中断するつもりはないぞ」
自分の攻撃を受けてもいいと思うのなら好きにしろと。
そう冒険者に……正確には、冒険者達の近くにいる研究者達に向かって告げる。
そんなレイの言葉に、何人かの研究者達はビクリとした。
恐らく黒い円球を捕らえるなり、間近で観察するなりといった真似をしてみたかった者達だろう。
(穢れについて調べるという意味では、それも悪くないんだが。ダスカー様に聞いてみないことにはな)
そう思いつつ、レイは野営地からやって来た冒険者達がレイから何も言われなくても、地面に落ちている石を拾っては黒い円球に投擲し、自分の方に誘き寄せる光景を眺めるのだった。
いつでも魔法を使えるようにデスサイズをしっかりと握りながら。
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