3094話

「うわ、本当だ。巨大なスライムがいなくなってやがる……何で急にこんなことに?」


 見張りをしていた冒険者達が交代の時間になって戻ってくると、多くの者から巨大なスライムがいきなり燃えつきたといったことを聞く。

 最初はそれを信じる者は少ない。

 当然だろう、昨日……いや、今朝までは以前よりも大分小さくなったとはいえ、それでもかなりの大きさだったのだから。

 見張りにいって戻ってきたら、いきなり巨大なスライムが燃えつきていたと言われて、それを信じろという方が難しいだろう。

 だからこそ、自分を騙そうとしていると思って湖に向かい……そして湖に近付けば、その時点で違和感に気が付く。

 いつもなら湖に近付けば少し暖かく感じたり、あるいは燃えている巨大なスライムが光源となっていたりするのだが、そのような様子が一切ないのだ。

 巨大なスライムが燃え続けているという、普通ならとても信じられない光景が自分達にとっての日常となっていただけに、それがなくなると強い違和感があった。

 驚きの声を発したのは一人だけだが、他の面々も同じように驚いているのは間違いない。


「うわぁっ、畜生……どうせなら、俺も最後にどうなったのか見たかったな」


 不満そうに言う男に、後からやって来た女が慰めるように声を掛ける。


「何でも巨大なスライムが赤いスライムに生まれ変わったらしいわよ?」

「そんなことがあるのか? いやまぁ、この湖は異世界の湖だし、その主だったんだ。俺たちには全く理解出来ないことがあっても、おかしくはないか」

「言っておくけど、あの巨大なスライムを主と呼んでいたのは私達の判断なのよ。実際にこの湖があった世界で、巨大なスライムがどんな風に呼ばれていたのかは、ちょっと分からないんだから」

「それは……まぁ、そうだろうな。だからって俺達の間で意味が通じればそれでいいんじゃないか? この湖の疑問は研究者達がどうにかしてくれるだろうし」

「だといいんだけどね。恐らく、あの巨大なスライムが消えたから、次に研究者達が来たら、色々と騒動になるわよ?」


 その言葉には、強い説得力がある。

 この湖の研究をしている者達は、有能な……言ってみれば、自分の知的好奇心を最優先させる者も多い。

 中には自分の権勢欲を満足させる為にやって来ている者もいるが。

 とにかく、研究者達にとって燃えている……いや、燃えていた巨大なスライムというのは非常に大きな意味を持つ。

 湖の主であると見なされていた以上、そのように思うのは当然だろう。

 そしてその主が死んだと知れば、それこそ死体の残骸くらいは残っていないのかと研究者達が考えてもおかしくはない。

 実際には完全に燃えつきてしまい、そこには既に何もないのだが。


「ここに来ても、特に何かある訳じゃない以上、意味はないと思うんだけどな」

「それでも気にするのが研究者でしょう? もし死体……いえ、残骸の類がなかったりした場合、巨大なスライムがいた場所の土とかを持って帰るとか言っても驚かないわよ?」

「それは……何かそういうのをしそうだよな」


 この場にいる者達は、最初はそこまで研究者達について詳しい訳ではなかった。

 しかし、野営地で生活をしていれば、嫌でも研究者達と関わり合うことになってしまう。

 そうなれば、当然だが研究者達がどういう性格をしているのかといったことを認識出来てしまう。

 中には頭ごなしに命令してくる、気にくわない研究者もいるし、友好的に接してくる研究者もいる。

 しかし、大半の研究者について共通しているのが、少しでも多くの情報を集めようとすることだろう。

 そうである以上、研究者達にとって巨大なスライムがいた場所の地面の土というのは、是が非でも入手したい物になっている筈だ。

 それ以外にも、本来なら巨大なスライムが湖から出て来た時は、地面には草が生えていたりもした。

 しかし、その草は巨大なスライムに潰され、あるいは巨大なスライムを燃やす炎に巻き込まれて既に灰と化してどこかに消えているのは間違いない。

 それらを入手出来ない以上、巨大なスライムの残骸……いや、残滓とでも呼ぶべき何かを入手するには、巨大なスライムのいた場所くらいしかなかった。


「そういうのを集めるのは俺達の仕事じゃないだろうから、構わないけど」


 もし研究者達が巨大なスライムのいた場所の土を入手したい場合、それを行うのは研究者の助手、あるいは護衛の冒険者に命令をしてやらせるだろう。

 そういうことであれば、生誕の塔の護衛をしている冒険者達には特に問題はない。

 もっとも、研究者の中には野営地にいる冒険者達ですら自分の思い通りに動かそうとする者もいるので、そういう研究者がいた場合は、面倒なことになるかもしれないが。


(レイがいるから、そういう心配はいらないか)


 冒険者の男は、野営地のある方に視線を向けてそう確信する。

 もし研究者がレイに向かって何かを命令しても、例えばそれが本当にレイにしか出来ないようなことであったり、緊急性の高い何かであった場合はともかく、ただの命令である場合はレイがそれに従うことはないだろう。

 もしそのようなことになったら、それこそレイは堂々と拒否をする筈だった。


「おーい、いつまでそこにいるんだ? そろそろ夕食の時間だぞ。戻って来い!」


 巨大なスライムのいた場所を見ていた者達は、聞こえてきたそんな声で我に返る。

 不意に視線を空に向けると、既に薄暗い。

 既に秋も終わりに近付いている今、暗くなるのは早い。

 それでもこうして食事の準備が出来ているというのは、いつもより大分早い。

 この場にいる者達の中に時計を持っている者はいないが、それでもまだ夕方の五時にはなっていない時間だろうと思う。

 もっとも、冒険者をしていれば食事の時間というのは不規則になってもおかしくはない。

 そうである以上、食事というのは食べられる時に食べておくというのが基本になる。

 それを抜きにしても、ここにいる者達は生誕の塔の護衛が仕事だ。

 何かあった時は激しい戦いになるのは間違いなく、そういう時に腹が減って力が出ないということになったら、護衛として雇われている意味がない。

 それを理解しているからこそ、巨大なスライムの死んだ場所を見ていた冒険者達は野営地に戻る。

 ……そこには、食べられる時に食べるのが冒険者の務め云々といったものよりも、この野営地で働いている中で一番楽しいのは食事だからというのもあるのだろう。

 勿論、他にもこの場所で楽しい事は色々とある。

 冒険者だけに、未知の存在を発見することに楽しみを見出す者も多い。

 特に今はニールセンという妖精がいる。

 最初にニールセンを追いかけ回した妖精好きの面々程ではないにしろ、妖精という存在を珍しく思うような者はそれなりに多いのだ。

 ニールセンに話し掛けたりといった真似はしなくても、遠くから見ているだけで十分に面白いと思うことも珍しくない。

 また、未知という意味では湖の存在そのものが未知だ。

 水狼は少し特別な存在になってしまったが、それ以外にも色々と珍しい存在はいる。

 他にも単純に強くなるという意味では、この環境は悪いものではない。

 好戦的なリザードマンという種族がおり、しかもそのリザードマンは意思疎通が出来て、強者を尊重する性格だ。

 冒険者達にしてみれば、そのような相手がいるというのは自分の技量を磨くという意味では悪い話ではない。

 ましてや、ゾゾのようにこの場にいる冒険者でもなかなか勝てない者や、ガガのように今のところ模擬戦で勝った者が数人程度しかいない存在もいる。

 その上で、現在は穢れの対処の為にレイやセトもいるのだ。

 強くなりたい者にしてみれば、ある意味で理想の環境に近い……と、そう思ってもおかしくはない。

 それでも……やはり大多数の者にとって、一番楽しいのは食事だと、そう主張する者が多数なのだろうが。


「お、いい匂いがしてきたな。何だか凄く食欲を刺激する香りだけど……今日の料理当番って誰だった?」

「さぁ? でも、本当に美味しそうな匂いね」


 漂ってくる香りに期待をしながら野営地に到着する。

 すると、そこでは多くの者が少しでも早く食事が出来るようにと、準備を行っていた。

 それこそ巨大なスライムを見に行っていた者達と同じく見張りをしていた者達もまた、食事の準備を手伝っている。


「なぁ、これ……ちょっと大袈裟すぎないか? 幾ら何でも、ここまで必死になる必要があるか?」

「でも、この匂いを嗅げば少しでも早く食事をしたくなっても無理はないわ。……ほら、行くわよ。私達も手伝うの。そうすれば、少しでも早く食事が出来るようになるんだから」

「いや、そう言いたいのは分かる。分かるが……そこまで急ぐようなことか?」

「当然でしょ! ほら、急ぐ! じゃないと、あんたの分の夕食は抜きにするわよ!」

「って、おい、ちょっと待て!」


 今の女の表情を見れば、これは間違いなく本気で言っていると理解出来た。

 これだけの美味そうな……食欲を刺激する匂いの料理を食べられなかったら、最悪だ。

 そう判断した男は、急いで女を追う。


(それにしても、これだけ美味そうな料理となると……一体誰が作ったんだ?)


 生誕の塔の護衛をしている冒険者の中には、それなりに料理が出来る者もいる。

 実際、食事に関しては持ち回りで作ることも多いし、中には趣味が料理でギルムでは屋台を出しているという者もいる。

 ギルムの屋台というのは、非常にレベルが高い屋台が多い。

 中には、それこそ本職顔負けの技量を持つ者もいた。

 それだけに、趣味であってもギルムで屋台を続けられるというのは料理の腕が高いという証となる。

 なるのだが、それでもこれだけ食欲を刺激するような香りを漂わせる料理を作れるかと言われれば、その答えは否だ。


「何をすればいい?」

「こっちの皿を並べていってくれ」


 料理の準備をしている者に尋ねると、すぐにやるべきことを指示される。

 そのことを嬉しく思いながらも、周囲の様子を確認すると……


(あ、やっぱりレイか。けど、あの窯は……確かこの前ガメリオンの肉の料理をする時に使ってたマジックアイテムだったよな?)


 見覚えのあるマジックアイテムの窯から漂ってくる匂いに、ガメリオンの肉の料理を好きなだけ食べたことを思い出す。

 しかし、今回漂ってくるのはガメリオン料理とはまた違った種類の料理だ。

 具体的に一体どういう料理なのかは分からないが、香りという点では間違いなく一流の料理だろう。


(香辛料とかをかなり使ってる……のか? まぁ、今のギルムなら不思議でも何でもないけど)


 現在のギルムでは、多くの香辛料が市場で売られている。

 少し前まではとても考えられないような、様々な香辛料が。

 とはいえ、問題なのはその香辛料を購入しても、使いこなせるかどうかだろう。

 料理人達は色々と試しているし、実際にそれによって今までとは一味も二味も違う料理になっている店もある。

 だが、今まで使ったことがない香辛料だけに、それを使いこなすのは難しく、逆に味を落とすといった結果になっているものもあった。

 中にはその香辛料を作っている地域からやって来た者もおり、これが地元での香辛料の使い方だと本場の料理を出す者もいるが、それが必ずしも受け入れられるとは限らない。

 例えば、麻婆豆腐。

 本場の麻婆豆腐はかなり辛いのだが、それをそのまま日本に持ってきても……勿論好きな者は本場そのままの麻婆豆腐を好むだろうが、大多数の者達にしてみれば辛すぎて口に合わない。

 だからこそ、麻婆豆腐を出す店でも日本人の口に合うように味を調整しているのだから。


「ほら、窯の中の肉が焼き上がるぞ! 切り分ける準備をしてくれ! 料理ってのは、冷えれば味が落ちる! やっぱり美味い料理は熱々のうちに食わないといけないからな!」


 指示を出している人物のその言葉に、周囲にいた者達は素早く動き始める。

 男もまた、そんな周囲の行動に遅れれば自分がこれだけの香りを出す料理を食べることが出来なくなるかもしれない、あるいは量が減るかもしれないと思い……他の者達と同様に準備を始める。


「スープの方はもう少しで出来るぞ! 今日は穢れが出なかった一日だった! それを記念しての料理だけに、皆もしっかりと準備をしろよ!」


 おい。

 準備をしていた男は、その言葉で何故これだけの料理が出来たのかを知り、思わず突っ込みたくなる。

 もっとも、それはあくまでも理由付けでしかない。

 たまにはパーッとやって、この場にいる者達のストレスを少しでも解消しようというのが、この騒動の狙いだった。

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