3095話
「レイ! ちょっと、起きて! レイ!」
士気を高める意味で、少し……いや、かなり豪華な夕食を楽しみ、夜になったことでマジックテントの中で眠っていたレイだったが、耳元で叫ぶ声によって意識を急速に覚醒させていく。
安全な場所であれば、寝起きのレイは三十分程寝惚けていることが多いのだが、今回のような何かが起きたのだろう緊急事態の時は、寝惚けるようなこともなく、寝起きでも即座に行動に移れる。
「ニールセン? どうしたんだ?」
「穢れよ」
「……なるほど。分かった。すぐに準備を整えるから、マジックテントの外で待っていてくれ。それで、どこに出た?」
「ここよ!」
「……何?」
ニールセンからの知らせに一瞬意味が理解出来ないといった表情を浮かべたレイだったが、その言葉の意味を理解して、表情を厳しく引き締める。
だが、考えてみればこの結果は当然なのだろう。
最初の時のような例外はあるが、それでも基本的に穢れというのは人のいる場所に姿を現す。
そして今は夜中である以上、人のいる場所というのはこの野営地か、あるいは見張りをしている者達の場所くらいしかいない。
樵達や冒険者達はこの時間ならギルムで寝ているだろうし、アブエロからやって来た冒険者のように無断で侵入するような者にしろ、そのような行為をするのなら日中で、わざわざ夜に侵入するようなことはないだろう。
人目を盗んでということなら、夜中にトレントの森に侵入するといったこともあるかもしれないが、トレントの森があるのは辺境だ。
辺境で夜に出てくるモンスターは、それこそ日中に出てくるモンスターよりも凶暴なことが多い。
とてもではないが、アブエロにいる冒険者……いや、アブエロではなくても、辺境で行動出来る冒険者以外の者達がどうにか出来るとは思えなかった。
そういう意味では、この野営地に穢れが出現するというのはおかしな話ではないのだろう。
「他の連中はどうした?」
この野営地には、レイ達以外にも生誕の塔の護衛を任されている者達がいる。
そのような者達が穢れと遭遇した場合は色々と不味いことになりかねない。
一応穢れにはどう対処すればいいのかといったことは教えてあるが、夜中にいきなり穢れが姿を現したとなると、咄嗟に穢れに対処するのは難しいだろう。
「分からないわ。私は長から連絡があってすぐレイに知らせに来たし」
長からの連絡を受けて、それをレイに知らせる。
それがニールセンの一番重要な仕事である以上、それに対してレイが不満を言うつもりはない。
「分かった。なら、マジックテントから出たら、セトに雄叫びを上げて野営地にいる全員を起こすように言ってくれ」
穢れの存在に気が付いている者がどれくらいいるのかは、レイにも分からない。
しかし全員が気が付いているとは限らない以上、念の為に全員が気が付くようにした方がいいのは間違いない。
そう判断して指示を出すレイに、ニールセンは真剣な表情で頷くとマジックテントから出ていく。
ニールセンにとっても、長から報告があったということを考えると、今回の件は少しでも早く片付ける必要があると考えているのだろう。
それによって、野営地にいる面々に被害が出るということになれば、後味が悪いというのもあるのだろう。
妖精好きの相手に対してはまだ苦手意識を持っているようだったが、だからといって嫌いという訳ではない。
自分に好意を持っている相手を嫌うというのは、ニールセンには難しいのだろう。
そんな相手が穢れに殺されるというのは、ニールセンにとっても決して好ましいことではない。
だからこそ、レイの指示に素早く従ったという一面があってもおかしくはない。
「にしても、まさか真夜中とはな。……厄介なことをしてくれる」
ミスティリングから懐中時計を出して時間を確認すると、午前二時をすぎ。
日本であっても基本的に真夜中だが、この世界においては本当の意味で真夜中だろう。
夏であれば、早朝に行う仕事の為にもう少しで起きる者がいてもおかしくはない、そんな時間。
見張りをしている者達も、眠気のピークになってもおかしくはないこの時間帯に、いきなり穢れが襲ってきたのだ。
ましてや、昨日は巨大なスライムの件はあったが、穢れは結局一度も襲撃されるようなことはなく、気が抜けていたというのもある。
それだけに多少なりともレイの気が緩んでいたのは間違いないだろう。
今回のように夜中に襲撃をしてきたのは、その辺を考えてのことだとすれば、相手にも頭の回る者がいるということになる。
(いやまぁ、相手が眠っているところで夜襲を仕掛けるというのは、ありふれた手だけどな。昨日の日中に攻撃しないで油断させたのは頭がいいとは思うが)
そんな風に考えている間にもレイは素早く身支度を整えていく。
最後にドラゴンローブを纏うと、マジックテントから外に出て……
「グルルルルルルルルルルルルルルルルルルルルルルルルルルルルゥ!」
ほぼ同時に、セトの雄叫びが周辺一帯に響き渡る。
それこそ、ギルムにまで届いてもおかしくないのではないか。
そんな風に思える、圧倒的な声量の雄叫び。
そんなセトの雄叫びを聞きながら、ニールセンの姿を捜す。
幸いにも、ニールセンはセトの背中に立って……いや、倒れ込んでいた。
(あの雄叫びを間近で聞いたんだから、無理もないか)
たった今、セトの口から出た雄叫びはかなりの音量だった。
それこそもしまだ野営地の中で眠っている者がいても、即座に起きてもおかしくはないくらいには。
「黒いサイコロじゃなくて、黒い円球か。数は……三……五……十匹以上は確実か」
ニールセンのことは取りあえず放っておいて、野営地の様子を確認する。
空中には結構な数の穢れが姿を現しており、漂っているのが見える。
穢れの形も、黒いサイコロではなく黒い円球……現在レイが知ってる限りでは、一番新しい形態の穢れだ。
それなら、何故アブエロの冒険者の件の後で出て来たのが黒いサイコロだったのかといった疑問があるのだが、それについては今のところは考える必要もないだろう。
現状でまず最優先にするべきなのは、少しでも早く穢れを倒すこと。
その為にはレイの魔法を使う必要があり、そしてレイの魔法を効率よく使う為には穢れを一ヶ所に纏める必要がある。
「穢れの性質を思い出せ! 穢れに攻撃して、どこか一ヶ所に集めろ! そうすれば、俺が魔法で纏めて穢れを焼滅させる!」
先程のセトの雄叫びよりも小さいが、それでも野営地全体に響くだけの声でレイは叫ぶ。
その声は、既に野営地の中で黒い円球を引き寄せるといった真似をしていた者達の耳にしっかりと届く。
今の状況であっても、冒険者達は相応に対処をしていた。
元々ここにいた者達は、ギルドに優秀と認められている冒険者達なのだ。
そうである以上、突然黒い円球が姿を現しても、それに対処するのは難しい話ではない。
だが……それでもやはり突然の事でもあったので、黒い円球に攻撃して自分に引き寄せ、周囲に被害が及ばないようにしながらも、どこか落ち着かず、混乱するようなところがあった。
そんな中でレイの言葉が周囲に響いたのだ。
それを聞いた者達が、素早くその声に反応するのは当然だった。
「よし、いいか。一気に穢れを一ヶ所に集めるといった真似をしても間違う可能性がある。そうならないようにするには、穢れを一匹ずつ確実に一人に集めていく事だ! いいな、ここで急いで失敗するような真似は絶対にするなよ! それと、焚き火と月明かりがあるとはいえ、決して明るくはない! 暗闇に紛れた穢れを見逃すような真似はするな! 見逃せば、それは死を意味するぞ!」
冒険者達の指揮を執る男が、素早く指示を出していく。
セトの雄叫びとレイの声で冷静になったところで素早く指示を出され、穢れの相手をしている多くの冒険者がその指示に従うようにして動いていく。
「レイ、悪いが軽く炎の魔法でも使ってくれ! 明かりが足りない!」
指揮を執っている男の言葉に、素早くレイは頷く。
レイの身体はゼパイル一門が作っただけあって、明かりが何もない状態であっても普通に見えるくらいには夜目が利く。
月明かりや焚き火があるこの状況であれば、それこそ昼間と同程度に周囲の情報を認識出来るだろう。
しかし、それはあくまでもレイの場合だけだ。
……正確にはレイ以外にセトも同様に夜目が利くのだが。
そんなレイやセトとは違い、他の者達はそこまで夜目が利く訳ではない。
ギルドに優秀と認識されている冒険者である以上、多少は夜目が利く者もいるだろう。
しかし、その多少というのは……今この状況で穢れを相手にするには、致命的なことにもなりかねない。
何しろ穢れは黒い円球という外見だけに、闇に紛れると判断しにくい。
そんな中で、レイという炎の魔法を得意とする者がいるのだから、ここで活用しない訳がなかった。
レイはデスサイズを取り出し、一瞬どういう呪文にするのかを考える。
最初は太陽程ではないにしろ、上級の炎……熱は殆どなく、明るさだけに特化したような照明弾のような魔法がいいかと思った。
しかし上空に……この野営地全体を照らすような照明弾のような魔法となれば、ギルムからも見える可能性が高い。
穢れについてどころか、湖や生誕の塔、そこに存在するリザードマンの件も基本的に秘密にしている以上、そのような真似は出来れば避けたい。
そう判断すると、レイは別の手段を思いつき、即興で魔法を生み出し、それを詠唱する。
『炎よ、我が意思に従い思うがままに囲み、照らせ。熱はいらず、明るさだけを炎の意思として顕現せよ』
呪文を唱えると同時に、デスサイズの石突きを地面に突き刺す。
すると、石突きが突き刺さった部分から赤い線が地面に引かれていき、野営地を覆うように囲む。
それを確認したところで、レイは魔法を発動する。
『熱さなき炎の壁』
魔法が発動すると同時に、赤い線に沿うようにして炎の壁が生み出されていく。
ただし、熱は感じさせず、周囲に明るさだけをもたらす……そんな炎の壁が。
その炎の壁は、夜の闇を明るく照らし出すには十分な光量を持っていた。
明かりによってしっかり把握出来るようになった、黒い円球。
そんな黒い円球に対し、冒険者達はしっかりと指示された通りに動いていく。
「ほら、こっちだこっち! こっちに来い!」
冒険者の一人がそう叫びつつ、地面に転がっている石を投擲する。
持っている武器ではなく石を投擲したのは、黒い円球の力を知っているからだ。
普段使っている武器で黒い円球を攻撃してもいいのだが、そのような真似をすれば持っている武器は間違いなく黒い塵となって吸収されてしまう。
そうである以上、一番最適なのは何か壊れてもいい物を投げて黒い円球の攻撃相手を自分にすることだった。
他の冒険者達も同じような行動をしており、黒い円球を引き付けている。
中には石どころか、ゴミを投擲して攻撃している者もいた。
攻撃をしている者達にしてみれば、どのような攻撃方法であっても黒い円球に攻撃すれば、攻撃した相手に向かって移動してくる。
そうである以上、別に石ではなくてゴミでも十分だった。
(この嫌悪感さえなければ、ゴミ処理機能とか凄く便利なんだけどな)
穢れは何であれ、触れた存在を黒い塵にして吸収するという能力を持っている。
それはつまり、不必要なゴミを処理する為にはかなり便利なのだ。
……だが、そういう用途で使おうとはレイには思えない。
その最大の理由が、穢れを見た時の強烈な嫌悪感。
今回の夜襲において、幾ら明かりが足りない状況での戦いになったとはいえ、冒険者達がここまで動揺していたのは、その嫌悪感こそが大きく影響しているとレイには思えた。
今のところ、四種類の穢れが存在している。
そんな穢れが持つ能力の中で一番厄介なのは、当然ながら触れた相手を黒い塵にして吸収するというものだ。
しかし、嫌悪感というのも厄介な能力なのは間違いない。
本能的な嫌悪感だけに、対処をするのが難しいというのもある。
触れて黒い塵となるのは、それこそ触れなければ問題はない。
だが、本能的な嫌悪感は一度見てしまえばそれを回避する方法はどこにもない。
厄介な……本当に厄介な能力であるのは間違いなかった。
「レイ、そろそろ集まってきたぞ! 魔法の準備を頼む!」
指揮を執っている男の言葉にレイは頷く。
今は余計なことを考えるより、とにかく敵を……穢れを倒すことを最優先にするべきだと。
そう思ってデスサイズを手に、穢れに対して何度も使っていた魔法を使うべく呪文を唱え始めるのだった。
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