3091話
マリーナと会話をした日の翌日……
「昨日の今日だから、また忙しくなると思ってたんだけどな。ここまで全く何もないのはちょっと疑問だ」
「そうね。こうしてゆっくりと昼食を楽しむ時間もあるし」
レイの側でパンを自分で食べられる大きさに千切り、野菜とオークの肉がたっぷりと入ったスープに浸して口に運ぶといった真似をしていたニールセンがそう言う。
現在は昼……正確にはもう少しで昼になるという時間だ。
午前中に樵達の場所に顔を出し、湖の側にある巨大なスライムが燃えて昨日よりも小さくなっているのを確認すると、レイにはそれ以上は特に何かやるようなこともなく、ゆっくりとしていた。
本当に暇すぎたので、現在はいつもより少し早い昼食の時間を楽しんでいる。
昨日だと、何だかんだと忙しかった。
それこそ穢れが現れたので、その対処をレイが行っていたのだ。
しかし、今日に限ってはそういうのは何もない。
勿論、今はまだ昼だ。
午後から夜に掛けて、場合によっては真夜中にでも穢れが姿を現す可能性は否定出来なかった。
そうなれば最悪なのだが、今のところはそのようなことになっていない以上、最悪の未来を心配しても意味はない。
「ほら、セト。これも食べるか?」
「グルゥ!」
レイに渡されたパンを嬉しそうに食べる。
袋状にしたパンの中に豆や猪の内臓を煮込み、汁気を完全に飛ばした後で酸味のある野菜――トマトに近い味――を加えた後でとろみを付けた惣菜が入っている惣菜パンだ。
入れ物がパンになっているので、食べるのを失敗すると中身をこぼしてしまったりするのだが、セトの場合はそのような心配はいらない。
クチバシで咥えると、そのまま一口で食べるのだから。
しっかりと惣菜パンの味を楽しみつつ、嬉しそうに喉を鳴らす。
どうやらセトの好みに合ったらしい。
「嬉しそうだな。俺もこのパンは好きなんだよ。とても上品な料理とは言えないが、美味い」
「あ、ちょっとレイ。そんなに美味しい料理があるのなら、私にもちょうだいよ!」
レイとセトの様子を見て、本当に美味そうだと思ったのだろう。
ニールセンはスープを吸ったパンを手にしながら、レイに向かって要求する。
「食べるのなら渡してもいいけど、食べきれるのか? そのスープは、もう二杯目だし、パンは三個目だろ?」
ニールセンの身体の一体どこにそんなに入るのか、レイには分からない。
妖精だから、その辺はどうとでもなるようになっているのか。
レイもまた、食べるということなら外見からは信じられないくらいに食べる。
しかし、それでもニールセンのように食べることは出来ない。
(妖精だから幾ら食べても問題ないのなら、もしかしてセトと大食い勝負が出来たりするのか?)
セトはグリフォンということもあってか、かなり食べる。
それこそ自分の体重以上の量を食べても問題はない。
……これは、あるいはグリフォンだからという訳ではなく、魔獣術を使ってレイの魔力によって生み出された存在だからこそなのかもしれないが。
「大丈夫よ。美味しいのは幾らでも食べられるわ」
「それは素直に凄いな。……なら、残すなよとかは言わなくてもいいか。ほら」
そう言い、セトが食べたのと同じ惣菜パンをニールセンに渡す。
若干……本当に若干、セトに渡したのよりは小さかったが。
それでもニールセンにとっては十分に大きく、嬉しそうに惣菜パンを食べ始める。
食べている量はともかく、ニールセンのような妖精が必死になって大きなパンを食べているという光景は、見ているだけでどこか癒やされるものがあった。
(このまま、今日は何もなければいいんだけどな。そうすれば、昼食が終わったら一時間くらい昼寝をしたいんだけど……ちょっと難しいか?)
空を見上げたレイは、残念そうにする。
空を覆っているのは秋晴れと呼ぶに相応しい青空……でははく、どんよりとした厚い雲だ。
雨雲のように黒い雲ではないが、それでもいつ雨が降ってきてもおかしくはない。
当然ながら、雨が降ってくれば野営地にいる者達もかなり動きが取りにくい。
それでも野営地にいる者達なら、いざとなればテントや……場合によっては生誕の塔の中に入ればいいだろう。
しかし、見張りをしている者達は木の下といったような場所で雨宿りをするのがせいぜいだ。
場合によっては、それこそ雨宿りする場所がなく雨に当たり続けることになる。
これが夏なら、そこまで問題ではない。
しかし、今はもう秋も深まってきており、そろそろ雪が降ってきてもおかしくはないと思える。
そうである以上、幾ら鍛えている冒険者であっても風邪を引くかもしれない。
(けど、だからって俺がそう思っても、仕事は仕事だ。生誕の塔に迂闊に近付いて来る奴がいたら危険だしな)
樵やその護衛をしている冒険者なら、湖や生誕の塔に近付くといったことはしないだろう。
しかし、この前のアブエロの冒険者のような者達がいた場合は、どう行動するのか分からない。
そうである以上、そのような者達が来てもすぐ対処出来るように準備しておくのが最善だった。
それ以外に、モンスターや動物の件もある。
小さな動物……リスの類であればともかく、熊や猪のようなモンスターを野営地に行かせると、被害が出てしまう。
それらと遭遇した場合は、基本的に倒すことになっていた。
とはいえ、見張りが出来る範囲はそこまで広くはない。
中には見張りの隙間からあっさりと中に入ってしまうモンスターや動物もいるのだが。
基本的に見張りというのは、あくまでも人が生誕の塔に近付かないようにさせるのが目的であり、そちらはあくまでもおまけでしかない。
……ただし、おまけとして猪や鹿、熊といった動物を倒したり、モンスターを倒した場合は、それらのモンスターは解体されて野営地での料理に使われることになるのだが。
「いっそ、俺達も何か適当な獲物を狩りに行くか?」
「えー……戦うのは穢れだけで十分でしょ?」
既に半分程惣菜パンを食べたニールセンが、レイの言葉にそう不満を漏らす。
ニールセンにしてみれば、狩りに行くよりもゆっくりとしていたいのだろう。
昨日の日中はかなり忙しかった。
夜になると特に何もなかったが、それでもまだ疲れは取れていないと、そう言いたいのだろう。
かなりの量の食事をしたのに、まだ疲れが取れていないのかとレイは思うが、実際にはそこまで疲れている訳ではないのだろう。
それでも狩りに行きたくないというのは、単純に今はゆっくりとしていたいということなのはレイにも理解出来た。
(ニールセンにしてみれば、長から何らかの連絡があった時はすぐ俺に知らせる必要があるから、出来るだけ俺の近くにいる必要があるんだろうな)
それはレイにも理解出来たが、だからといってニールセンが動きたくないから自分もずっとここにいるというのは、どうかと思う。
(それに、何らかのモンスターや動物を狩ったりすれば、ニールセンもその肉は食いたいって言うのは間違いないし)
結局のところ、ニールセンの行動はただの我が儘なのだろう。
レイもそれは分かっていたが、ニールセンのおかげで色々と助かっているのも事実。
もしニールセンがいなければ、それこそ長から穢れの情報を聞く為には妖精郷で待機していないといけなくなる。
そして穢れの出た場所を聞いてから、妖精郷からセトに乗って出発する必要がある。
そのようなことになれば、間違いなく移動に時間が掛かるだろう。
あるいは他の妖精と一緒に行動を……とも思うが、ニールセンがレイと一緒に行動しているのは、ニールセンが長の後継者にされるだけの力があるからだ。
普通の妖精では、長からの連絡を受け取れるかどうも分からないだろう。
「けど、ずっとこのままゆっくりしてるってのは、どう思う? 俺としては少しは身体を動かしておいた方がいいと思うんだけどな」
「えー、そう? 昨日あれだけ忙しかったんだから、それこそいざという時の為に体力を温存しておくとかした方がいいんじゃない? そうすれば、これから何かがあってもすぐに動けると思うし」
「それ、ニールセンが動きたくないだけだろ? 穢れの件で何かあれば、すぐに動くようになるとは思うけど」
もし穢れの件で動かなかった場合、ニールセンは間違いなく長によるお仕置きをされる。
レイが見たお仕置きはまだ少ないが、ニールセンにとってそのお仕置きは非常に恐怖を覚えるものであるというのは理解出来た。
だからこそ、何かあってもニールセンは穢れの件では無視をするということはないだろう。
「それは……うん?」
レイの言葉に何か不満があったのか、ニールセンが何かを言い返そうとする。
しかし、その途中で不意に言葉を切った。
誰かが近付いてくるのを察知したのだろう。
当然だが、ニールセンが察知した相手はレイやセトも当然のように理解している。
そうである以上、ニールセンがそちらに視線を向ける前に、その存在には気が付いていた。
しかし、その近付いて来た相手を見てレイは納得すると同時に少しだけ疑問に思う。
急いで自分の方にやって来るのは理解出来るものの、その相手がゾゾだった為だ。
ゾゾが自分に忠誠を誓っているのは理解しているので、そのゾゾが自分のところに来るのは理解出来る。
しかし、今の状況では特に何か急いでゾゾが話すような事態があったのかと言われれば、それは否だ。
そのような状況である以上、ゾゾが自分のいる場所に急いで向かってくるのは何らかの理由があってのことであり……
(あ、もしかして)
ゾゾの様子を見て、もしかして? と思うことがあった。
それは、湖の側で燃えている巨大なスライムの件。
当初の予想では完全に燃えつきるまでもう少し時間があった筈だ。
実際、ゾゾにも何か異変があるまではそこまでしっかりと観察をしなくてもいいとは言ってあった。
そんな状況でゾゾがこうして急いで会いに来たのだ。
そこには特に何らかの理由があってのものだというのを予想するのは難しい話ではない。
「レイ様、少々よろしいでしょうか?」
レイの側までやって来たゾゾが、一礼してそう告げる。
レイはそんなゾゾに対して頷いてから口を開く。
「構わない。どうしかしたのか?」
「はい。先程少し巨大なスライムの様子を見に行ったのですが、かなり小さくなっています。どうやら燃える速度が急激に増しているようです」
「……何?」
その報告は、レイにとっても驚きだった。
巨大なスライムは、穢れによって大きな被害を受けた。
それによって、自分を燃やす炎に対抗する力を失い、レイの魔法と巨大なスライムの魔法防御力のバランスは崩れたのだ。
レイもそれは知っていたが、それでもまだ結構な大きさだったので、もう暫くは問題ないだろうと思っていた。
そんな中でゾゾのこの報告なのだから、驚くなという方が無理だろう。
「どうするの?」
狩りに行くのは面倒でも、巨大なスライムが現在どうなっているのかは気になるのか、ニールセンがそう言ってくる。
それに対するレイの言葉は、短く単純なものだった。
「行くに決まっているだろう。あの巨大なスライムがどうにかなるのなら、それはきちんと自分の目で見届けておきたい。もし俺が分からない場所で何か異常があった場合、間違いなく後で後悔するだろうしな」
レイにとっても、あの巨大なスライムはそれなりに大きな意味を持つ。
何しろ、今までレイの魔法にここまで長時間耐えられた存在はいなかったのだから。
中には魔法を回避したり、迎撃したりといったようなことをした者はいる。
しかし、巨大なスライムはレイの魔法を食らった上で持ち堪えていたのだ。
それこそ、何らかのマジックアイテムや魔法、スキルといったものを使わずに。
勿論、そのようなことが出来たのは巨大なスライムと呼称されているように、巨大だからというのが大きいだろう。
もし普通のスライム……とまではいかずとも、人間程の大きさのスライムであった場合、レイの魔法にここまで耐えられたとは思えない。
また、スライムと一口で言ってるものの、そのスライムはあくまでもこの世界のスライムではなく、異世界のスライムだ。
そうである以上、レイが知らない何らかの魔法への対抗手段を持っていてもおかしくはないが。
レイが巨大なスライムについて強い興味を持っているのは、その辺が理由というのもあるのだろう。
もしその巨大なスライムの魔法に対抗する手段が何かを知ることが出来れば、それは自分にとって利益にもなるだろうと。
「行くぞ」
そう告げ、レイは湖に向かうのだった。
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