3090話

『ふーん。そうなるとなかなかに厳しいわね』

「ああ。結局のところ、現状では俺とエレーナしか穢れに対処出来ないってのがな」


 夜、レイはマジックテントの中で対のオーブを使って会話をしていた。

 ただし、今日話しているのはエレーナではない。

 ヴィヘラやアーラ、ビューネ、イエロといった面々でもなく……マリーナだった。

 他の面々ではなくマリーナだけになったのは、特に何か理由がある訳ではない。

 他に色々とやらなければならない用事があったり、あるいは最近マリーナはレイと話していないからと周囲に気を遣われたりといったのが大きな理由だった。

 マリーナも女である以上、想い人との会話の機会を逃すことはなく、こうしてレイとの会話を楽しんでいる。

 もっとも、その内容が男女間のものではなく、穢れの対処であったりする辺り、この二人らしいのかもしれないが。

 とはいえ、マリーナもレイとの現在の関係が非常に心地良いのも事実。

 無理をして距離を詰める必要はないと思っていた。

 どのみち、ダークエルフにして世界樹の巫女である自分と、ゼパイル一門によって生み出されたレイには……そしてエンシェントドラゴンの魔石を継承したエレーナやアンブリスを吸収したヴィヘラは、共に人より上位の存在になっている。

 生きる為の時間は、それこそ自分達でも理解出来ない程にあるのだ。

 そうである以上、レイとの今の関係を楽しむのは悪い話ではなかった。


『ヴィヘラの場合は難しいわよね。素手の格闘が主な攻撃方法だし』

「そうなんだよな。それを知ったヴィヘラは、色々と複雑そうな表情だったけど」


 ヴィヘラのスキル浸魔掌は、非常に強力な……場合によっては強力すぎる一撃だ。

 しかし、穢れと戦う場合には相性が悪すぎるのも事実。

 穢れの身体に触れた場合、その部位が黒い塵となって吸収されてしまう可能性が高い。


『それがあったからでしょうね。今は色々と考えてるみたいよ? もっとも、考えたからといってそう簡単にどうにかなるとは思わないけど』

「だろうな。あまり根を詰めすぎないようにすればいいんだけどな。……そう言えば、マリーナの場合はどうだ?」

『私? それは穢れを私がどうにか出来るかってことよね?』


 確認の為に聞いてくるマリーナに、レイは頷く。

 レイから見て、マリーナは非常に強力な精霊魔法使いだ。

 応用力も高く、出来ないことはないのではないかと思えるくらいに。

 それはあくまでも精霊魔法を使わないレイから見ての話で、実際にはマリーナにも出来ないことというのは十分にあるのだが……それでもレイにしてみれば、マリーナなら何とか出来るのでは? と思ってしまう。

 それだけ、レイはマリーナの精霊魔法の威力を信頼していた。


『うーん、そうね。実際には試してみないと分からないわね。もしかしたら効果があるかもしれないし、ないかもしれない。精霊魔法は物質じゃないから、多分黒い塵となって吸収されるといったことは心配しなくてもいいと思うんだけど』


 そう言いつつも、マリーナにとっては自分から進んでやりたいという思いはない。


「あまり気が進まないのは、精霊魔法だからか?」

『そうね。精霊魔法はその名の通り精霊に力を貸して貰う魔法よ。場合によっては、その精霊が穢れに吸収される……消滅するかもしれないとなれば……ちょっとね』


 この辺りが、レイが使う普通――あくまでも形式的にだが――の魔法と、マリーナの精霊魔法の違いだった。

 使用者によっては自由度は非常に高い精霊魔法だが、使い手としては精霊に危害が加えられるかもしれないとなれば、躊躇してしまうのだろう。


『レイの魔法でなら穢れを倒すことが出来るのなら、私の精霊魔法でも上手くいくかもしれない……とは思うけど、本当にどうなのかは実際に試してみないと何とも言えないでしょうね。そして私はあまり試したいとは思わない』

「これでマリーナが精霊魔法じゃなくて、普通の魔法を使っているのならそういう躊躇とかはなかったんだろうけどな」

『そうね。それは否定しないわ。精霊とかその辺を気にする必要がないんだもの』


 しみじみとマリーナが呟く。

 その声を聞きながら、レイは仕方がないかと思う。

 これで精霊魔法を使うのがマリーナでなければ、もう少し無理も言えただろう。

 しかし、マリーナは増築工事において怪我をした者達の治療を担当している。

 勿論治療を行っているのはマリーナだけではない。

 マリーナ以外にも多くの者が治療院で働いている。

 しかし、そんな中でも回復魔法を使える者達は少ない。

 治療院はマリーナが働いている場所以外にも複数存在するのだが、一つの治療院に一人回復魔法を使える者がいれば、それは恵まれている方だ。

 元々魔法使いの絶対数が少なく、魔法使いの中にも本人の意思に関係なく使える魔法の属性が決まっている者もいる。

 その代表が、レイだろう。

 デスサイズのスキルを使うことで多数の魔法を使えるようにと周囲には見せつけているが、基本的にレイの使える魔法は炎の魔法だけで、それに特化した魔法使いとなっている。

 とはいえ、実際には浄化魔法を使えたりするのだが……それは、レイの持つ莫大な魔力で強引に使っているのであって、一の効果を出す為に千……いや、万、場合によっては億や兆といった魔力を消費している。

 莫大な魔力を持つレイだからこそ出来ることで、もしレイが普通の魔法使いであった場合は、とてもではないがそのようなことは出来ないだろう。

 このように色々と抜け道や例外はあるものの、基本的に個人で使える属性というのはそれなりに決まっていることが多い。

 そんな訳で、回復魔法を使える者はかなり珍しい。

 それでもギルムの場合は、腕利きの冒険者が多く集まってくるので他よりも回復魔法の使い手は多い。

 それでも治療院全てに回復魔法の使い手がいないのは、単純に治療院で働くよりも冒険者として働く者が多いからだろう。

 冒険者としてギルムに来たのだから、それはおかしな話ではない。

 また、増築工事で仕事を求めて多くがギルムに集まるようになった今はともかく、以前ギルムにやって来ることが出来た冒険者達は腕利き揃いだ。

 治療院で回復魔法を使うよりも、パーティとして活動した方が多く稼げるというのもある。

 他にも回復魔法の使い手がいることが前提としてパーティが動いていたのに、そんな中で回復魔法の使い手が一時的にしろパーティから抜けるといったような真似をした場合、そのパーティは辺境のギルムで活動するのは難しくなる。

 つまり、もし回復魔法の使い手が治療院で働くようなことになれば、パーティ全員分の生活費くらいは稼ぐ必要があった。

 勿論、厳密にそこまでしなくても、残った者達で何らかの仕事をしたり、あるいは野良のパーティを臨時で組んで行動するといった手段もない訳ではなかったが。


「結局のところ、マリーナが抜けると回復魔法の使い手……というか、強力な回復魔法の使い手が減るから、外す訳にはいかないというのが大きいんだろうな」

『そうね。自分で言うのもなんだけど、私の回復魔法は強力だもの』


 それは自分の力を過信しているから出てきた言葉……という訳ではない。

 純粋な事実だ。

 マリーナの使う回復魔法は非常に強力で、結構な重傷もすぐに治してしまう。

 そのおかげで、増築工事が順調に……場合によっては予定以上に進んでいるのは間違いないのだから。


「そんなマリーナをトレントの森に連れてくる訳にはいかない、か」

『一日くらい……いえ、数時間くらいなら何とかなると思うけど、そのくらいの時間だと難しいでしょう?』

「難しいだろうな。ずっとマリーナを手元に置いておく訳にはいかないし、かといって穢れが現れてからマリーナを呼びにいくのも難しいし」


 穢れが出てからマリーナを呼びにいくといった真似をしていれば、その間はずっと冒険者達やリザードマン達、場合によっては樵達が穢れを引き付ける必要が出てくる。

 今のところは基本的に人のいる場所に出現することの多い穢れだが、もし人のいない場所に現れた場合は、穢れを引き付けるといった真似が出来ないので、トレントの森に大きな被害が出てしまうだろう。

 もしくは、アブエロの冒険者達のように無断で侵入してきて穢れについての知識がない者の場合、何も出来ずに黒い塵となって吸収される可能性もあった。

 つまり、今の状況でマリーナが穢れと戦うのは無理ということになる。

 もっとも、本人が口にしていたように精霊が穢れによって殺されるということを考えれば、マリーナを連れて来ても意味はない。


(マリーナの精霊魔法で、精霊で直接攻撃をするんじゃなくて、精霊が何らかの現象を引き起こして穢れを攻撃するとか、そういうことが出来れば話は別だけど)


 だが、それが出来るかどうかというのは、また別の話だろう。


『正直なところ、穢れについて多少の興味はあるんだけどね』

「悪趣味だな」


 マリーナの口から出た予想外の言葉に、レイは呆れたように言う。

 レイにしてみれば、自分から進んで穢れに接したいとはとてもではないが思えない。


(あ、でもそうでもないのか?)


 レイが穢れを嫌っているのは、見た瞬間に感じる嫌悪感は勿論のこと、他にも触れた存在を黒い塵にして吸収するという凶悪な能力を知っていたり、最悪の場合は大陸を滅ぼすといったようなことがあるというのが大きい。

 その辺について何も知らない状態で、黒いサイコロや黒い円球といった存在を見た場合、もしかしたら……本当にもしかしたらだが、好意的に思えるかもしれない。


(とはいえ、そういう風に見えたりしたら、それはそれで困るけど)


 幾ら好意的に見ることが出来たとしても、穢れは穢れであるのは間違いない。

 好意的に見ることが出来るから、倒すことが出来ないといったことになったら大陸の破滅まで近付いてしまうだろうし、好意的に見えるから撫でてみたい、触れてみたいと思って行動すれば、致命傷になる。

 そういう意味では、穢れが今のように見ただけで嫌悪感を抱くといった存在なのは、レイ達にしてみれば決して悪い話ではないのだろう。


『あら、そう? 世の中には悪趣味に見えるけど実は……というのもあるのよ?』

「まぁ、それは否定しない」


 マリーナの言葉でレイが思い浮かべたのは、タコやナマコ、ウニといった食材だ。

 何も知識のない者が見れば、それらは到底食材だとは……それも美味い食材だとは分からない。

 特にタコはデビルフィッシュ、直訳すると悪魔の魚と呼ばれることも多い。

 それを普通に食べるようになったのは、最初に誰かが……それこそ悪趣味と呼ばれるような者が食べたからに他ならない。

 そういう意味で、レイとしては決して悪趣味なのが悪いとは思わない。

 しかし、その対象が穢れとなれば、やはり話は別だった。


「実は穢れも食べることが出来たりするのか? ……無理だろ」

『いきなり何を言ってるのかしら?』


 対のオーブの向こう側で、レイが一体何を言ってるのか理解出来ないといった様子のマリーナ。

 対のオーブ越しでも、マリーナが持つ強烈なまでの女の艶はレイの注意を惹くには十分だったのだが、キョトンとしたマリーナの顔の前には、女の艶も消えてしまっていた。

 それだけレイの口から出た言葉が予想外だったのだろう。


「いや、以前俺がいた世界では、外見からとてもじゃないが食えるとは思えないような食材を食べて、それが美味かったから世界中……とまではいかないが、かなり広い地域で食べられるようになったんだよ。今のマリーナの悪趣味というのを聞いて、それを思い出してな」


 事実、タコやナマコは未だに忌み嫌う者も多いが、日本では基本的に全国で食べられているし、外国でも普通に食べている場所が多い。

 個人の好き嫌いは別として、だが。


『あのね、幾ら何でも穢れを食べろとは言わないし、食べてみたいとも思わないわよ』


 レイの言葉の意味を理解したマリーナは、呆れた様子でそう告げる。


「だろうな。俺もそう思う。ただ、何となく思ったことを口にしただけだから、気にしないでくれ。そもそも、穢れを食べるという時点で触れる必要があるし、そうなれば黒い塵になるだろうし」

『でしょうね。だから、私はそんなのは食べたいと思わないわ。レイは食べたいのかしら?』

「止めておく。穢れと呼ばれている存在だぞ? そんなのを食べたら、腹を壊すのは間違いないし」

『普通に考えれば、腹を壊すどころの話じゃないと思うけど』


 そんな風に言いながらも、マリーナはレイとの会話を楽しむのだった。

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