3089話
樵達のいた場所に戻ってきたレイ達は、特に怪我もない。
待っていた者達はそんなレイ達の様子を見て、安堵する。
レイ達が腕利きの冒険者であるというのは知っていたが、それでもやはり実際にそれを見ることによって安心するのだ。
そんな樵達とは違い、護衛として残っていた冒険者達はレイ達が無傷で戻ってきたのを見ても、特にそこまで安堵はしなかったが。
穢れがどのように行動するのかという情報は既に知っている。
そうである以上、何らかの迂闊な真似をしない限りは怪我をしたりするといったことはないと思っていたのだ。
……それでも万が一というのはあるのだが。
「待たせたか?」
「気にしないでくれ。こっちは特に何かやったりする必要もなかったからな。今回はただここで待っていればよかっただけだから」
レイの言葉に樵の護衛をしていた冒険者の一人がそう言う。
そんな会話を交わしつつ、レイは周囲の様子を確認する。
自分と話している冒険者は気にするなと言ったが、それを本当に信じてもいいのかと。
しかし、レイが見回した限りでは、穢れを倒すのを遅いと樵達が怒っている様子はない。
そのことに安堵しつつ、レイは言葉を続ける。
「それで、これからどうするんだ? 出て来た穢れは倒したが、また木の伐採に戻るのか? それとも、穢れが出て来た以上は今日の仕事はもう終わって、ギルムに戻るのか」
「ああ、その件か。待ってる間に色々と話したんだが……また仕事を続けることになった」
「……そうなのか?」
冒険者の口から出た言葉は、レイにとっても意外だった。
昨日の一件から考えて、穢れが出たということでもう今日の仕事は終わりだと判断してもおかしくはなかったのだから。
「もう冬も近い。今のうちに出来るだけ稼いでおきたいんだとよ」
その言葉に、レイは納得する。
樵達もいつまでもギルムにいられる訳ではない。
冬になる前……雪が降り始める前には、自分の故郷に帰りたいと思っている者も多いだろう。
もうすぐそうなる可能性が高い以上、既に樵の中には故郷に戻る準備……荷物の整理や土産を購入したりといった真似をしていてもおかしくはない。
勿論、樵が全員戻るという訳ではなく、何人かは故郷に帰らないでギルムに残る者もいるだろう。
そちらは故郷に帰る者達と違って、まだある程度の余裕がある。
最終的には、そのような者達が最後まで木の伐採を行うことになるのだろう。
「話は分かった。俺はそれに反対したりはしない。また穢れが出たらすぐに来るけど、それでも万が一がないように気を付けてくれ」
現状、レイ以外にはエレーナしか穢れを倒せる者がいない以上、穢れが現れたらレイが処理をする必要があるのは間違いない。
レイとしても、ここで樵達の仕事が滞った場合はギルムの増築工事に遅れが出る可能性がある以上、放ってはおけない。
ただ、樵達が数日休んだ程度でギルムの増築工事に遅れが出る訳でもないのは事実。
現状、これまでに樵達が伐採して木々に錬金術師達が魔法的な処理をし、建築素材とした物は結構な量がある。
だが……それでも増築工事を進めている間に、ずっと樵達が仕事を休むというようなことになれば、最終的に足りなくなるのは間違いない。
そうならないようにする為には、伐採された木はあればあっただけいい。
勿論、伐採しすぎて建築資材として保管出来ないような量になってしまえば、それはどうしようもないのだが。
「分かってる。もし穢れが出ても、今回のようにレイが来るまで待ってればいいんだろ? なら、何とかなる。いきなり大量で襲撃をしてくるようなことになれば、こっちとしても困るけど」
黒いサイコロの移動速度はそこまで速い訳ではない。
しかし、その動きの遅さは数で補える。
数匹ならともかく、数十匹の黒いサイコロに襲撃されるようなことがあれば、その全てを回避するというのは難しいだろう。
「そうなったら、一人で全部を引き寄せるじゃなくて、一人数匹とか、そういう感じにした方がいいだろうな」
「ああ、そうする予定になっている。けど、俺達はともかく……」
そう言って、樵達の方に視線を向ける男。
レイに言われるまでもなく、そういう時にどうするかというのは護衛の冒険者達の間で既に話して決めてあるし、樵達にも説明はしてある。
問題なのは、もし実際にそのようなことになった時にどうなるかだろう。
冒険者達はそれなりの修羅場を潜ってきてるので、いざという時になっても冷静に行動出来る。
しかし、樵達はそれなりに喧嘩っ早い者はいるものの、実際にモンスターに襲撃された時、本当に前もって決められた通りに動けるかと言われると、難しい。
いざという時に混乱し、それぞれが好き勝手な方に逃げるといった真似をした場合、全員が生き残るのは難しくなる。
混乱していると周囲を冷静に把握するといった真似は出来ない。
それはつまり、間違って穢れに触れてしまうかもしれないということを意味していた。
「そうだな。なら、避難訓練とか、そういうのをやっておけばどうだ?」
「避難訓練?」
「ああ。読んで字の如く、避難する為の訓練だ。いざという時にどう動くのかというのを前もって教えておけば、そのいざという時が来てもその通りに身体が動く……とまではいかないが、何も知らない状況で行動するよりは圧倒的に生き残りやすくなる」
そう言いながら、レイは日本にいた時にTVで見た内容を思い出す。
避難訓練をしたことがある者と、したことがない者。
そのような者達がいざ火事なり地震なりにあった時、生き残る確率が圧倒的に高いのは避難訓練をしたことがある者だというデータがあるというものだった。
レイとしては、小学校、中学校、高校で避難訓練をやるのを面倒だと思っていたのだが、そのTV番組を見ればしっかりとデータとして残っていると聞かされて、驚いたことがある。
避難訓練は、それこそ一年に一度、もしくは二度あるかどうかといった程度だったのに、それでも生存率がそこまで違うのかと。
地球でのことだというのを誤魔化しながら、そういう訓練をしているだけでいざという時は生き残る可能性が高くなると説明するレイ。
レイにとって意外だったのは、その話を真剣に聞いていたのは冒険者達ではなく樵達だったことか。
(いや、そこまで驚くようなことでもないのか? 黒いサイコロを実際にその目で見ているんだ。自分達が生き残る為に必要なら、避難訓練をするくらいは何の問題もないってことか)
学生時代の自分と違い、死が確実にそこに存在しているのだから、避難訓練に必死になるのも当然だった。
「何かあった時に、対処するように相談しておく方がいいだろうな。その辺は全員で話し合った方がいい」
冒険者だけで決めても駄目だし、樵達だけで話してもこの場合は駄目だ。
双方でしっかりと話し合って、お互いにどういう風にするのが最善なのかを決めておく必要があった。
「そういうものなのか? まぁ、レイがそう言うのなら信じてもいいか」
冒険者の一人が、完全に信じた訳ではない様子ではあったがそう言ってくる。
これはレイが異名持ちのランクA冒険者だからこそ、相手も信じたのだろう。
もし避難訓練について説明したレイが異名持ちでも高ランク冒険者でもなかった場合は、今レイに言ってきた男が完全に信じるかどうかは微妙なところだろう。
異名持ちやランクA冒険者というのは、こういう時に強い説得力を持つ。
「じゃあ、そんな訳で避難訓練をするなり、いざという時にどう行動するのかを決めるなり、その辺は頑張ってくれ、いつまでもここにいるのはなんだし、俺はそろそろ野営地に戻るから」
「もう行くのか? もう少しここにいてもいいと思うんだけど」
樵の一人がレイに向かってそう言う。
自分がここにいなければ、戦力的に不安……そう思ったのだが、その樵がニールセンに視線を向けているのを見れば、戦力不足という訳ではなく、ただの妖精好きだからというのが明らかだ。
「行くわよ、レイ」
ニールセンも自分に向けられている視線に気が付いたのだろう。
ここにいても面倒なことになりそうだと判断したのか、レイを急かすように言ってくる。
これ以上はニールセンの機嫌が悪くなるだろうと判断し、レイもその言葉に頷く。
レイとしては、もう少しここに残るといった真似をしても構わないのだが、ニールセンの機嫌を悪くしてまでここに残りたいとは思わなかった。
だからこそ、今回の一件においては出来るだけ早くこの場を立ち去った方がいいと判断したのだろう。
「ああ、分かった。じゃあ、こっちの護衛はよろしくな」
「任せろ。絶対に大丈夫とは言い切れないが、それでも俺達に出来ることならやってみせるから」
冒険者の一人が自信に満ちた言葉でそう言う。
穢れについて何も知らなかった前回はともかく、穢れについての情報を知っている今回は当初の予定通りに動き、結果として樵達に誰も怪我をさせなかったというのが自信となったのだろう。
これなら次に穢れに襲われても、レイが来るまで持ち堪えることは出来る、と。
実績があるだけに、レイもそんな男の言葉を素直に受け止める。
「じゃあ、頼んだ」
そう言ってレイがセトの背に乗ると、ニールセンも置いていかれないようにとレイの右肩に掴まり、出発する。
数歩の助走で翼を羽ばたかせて飛び立つセト。
それを見ていた樵達や冒険者達は、すぐにまた仕事に戻るのだった。
「レイ、戻ってきたのか。それで、どうだった? 樵達がいる方に飛んで行ったって聞いてたけど、襲われたのは向こうの連中なのか? 向こうの被害はどうだった?」
野営地に戻ってきたレイは、この場の指揮を任されている男に声を掛けられる。
セトに乗ったレイが急に飛んでいったので、何か緊急の事態……それこそレイがここにいる理由である、穢れが出たというのは予想出来たし、飛んでいった方向から恐らく樵達の方に穢れが出たのだろうというのも予想は出来た。
しかし、予想は予想であり、事実ではない。
実際にどうなったのかというのは、それこそレイに直接聞いてみなければ分からないのだ。
だからこそ、レイが戻ってくるのを待っていた。
本当に少しでも情報が知りたいのなら、それこそ現在は見張りをしていない者を樵達のいる方に向かわせて情報収集をするといった手段もあったのだが、そこまで大袈裟にしてもいいものかと考える。
この場所の特殊性から、出来れば樵達やその護衛達とはあまり接触しない方がいいだろうと思っていたのもあった。
そうして迷っているうちにレイが戻ってきたのだ。
ある意味、これ以上ないタイミングだったのだろう。
「向こうに被害はない。護衛の冒険者達も穢れの対処の方法は理解してるしな。俺が到着するまで、しっかりと時間稼ぎをしていたよ」
「なるほど。こういう時はさすがと言うべきか」
「向こうもギルドから優秀な冒険者と認められた連中が揃ってるしな。ただ……」
樵達や冒険者に被害がなかったというのを喜んだ男だったが、話の途中でレイが言葉を濁したのに気が付く。
「ただ? 一体何があったんだ?」
「いや、向こうで出て来た穢れが、新しい黒い円球じゃなくて、黒いサイコロだった。何でわざわざ古い方に戻す?」
「それは……疑問だな」
レイの言葉に男もそう呟く。
一体何がどうなってそうなったのか、男にも理解出来なかったのだ。
普通に考えれば、新型がいるのにわざわざ旧型を使う必要はない。
絶対に新型を使わなければならないという理由はないが、それでも敢えて旧型を使う理由は……
「例えば、新型。黒い円球の穢れを作るのは、黒いサイコロを作るよりも大変だとか?」
男の言葉に一理あると思ったのだろう。
レイはまだ自分の右肩に掴まっているニールセンに視線を向ける。
「どう思う?」
「それを私に聞くの? でも、うーん……長からは特に何もないみたいだし、可能性はあるんじゃない?」
「長でも分からないか」
「あのね、長を何だと思ってるの? 私がこう言うのもなんだけど、長だからって何でも分かる訳じゃないのよ? それはレイも知ってると思うけど?」
「それは……まぁ、そうだな」
長から穢れについての情報を聞いたレイだったが、その情報は決して多くはない。
……その多くない情報に、穢れは最悪の場合この大陸を破壊するといったようなものがあったが。
いや、そのような非常に危険な情報だからこそ、朧気ながらでも情報が残っていたのだろう。
実際、もしそこまで穢れが危険な存在ではないと思っていれば、レイはここまで本気で穢れの対策の乗り出すようなことはなかっただろうから。
レイのそんな様子に、何故かニールセンは勝ち誇った表情を浮かべるのだった。
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