3075話

 樵達の様子を見て、冒険者の一人が叫んだ切実な願いを聞いたレイは、いつまでも樵達の場所にいるのもなんなので、セトやニールセンと共にトレントの森の中を歩いていた。

 何だかんだと、既に昼近くになっているのだが……


「昨日はあれだけ黒いサイコロが出たのに、今日になると全く出て来なくなったな。もしかして、実は出ているけど、長が気が付いてないとか?」

「この場所でのことを考えると、それはまずないと思うけど」


 レイの言葉に、側を飛んでいたニールセンがそう言う。

 ニールセンは長のことを若干……いや、かなり苦手としてはいるが、だからといってその能力についてはこれ以上ない程に信頼している。

 それだけに、長から穢れが出たという連絡がないのであれば、それはこのトレントの森に穢れが出ていないということを意味している。


「だよな。長の力を考えれば、穢れの存在に気が付かないといった可能性はまずないし」


 レイもまた、長が気が付いていないかもしれないと口にはしたものの、それは冗談でしかない。

 そうである以上、もしトレントの森に穢れが存在すればすぐに長から連絡がくる筈だった。


「けど、そうなると何で昨日の今日でここまで穢れが出て来ないのかしら?」

「考えられる可能性としては、転移能力を持つ黒いサイコロを倒したってことだろうな。多分、巨大なスライムを攻撃していた個体のうちの一匹がそれっぽいけど」


 昨日、最後に戦った黒いサイコロの中に転移能力を持っていた個体がいた可能性が高いのではないかと思える。

 それが実際に正しいのかどうかまでは、生憎とレイにも分からない。

 しかし、もしまだ転移能力を持った個体が生き残っていた場合、そこから再度黒いサイコロが転移して姿を現すだろうと予想出来る。

 あくまでもそれは予想で、他にも何らかの理由があって黒いサイコロが姿を現さないといった可能性も否定は出来なかったが。


「出来ればこのまま何事もなく終わってくれるといいんだけどね」

「いや、それはまずないだろ。ニールセンにとっては残念なことだけど」


 レイも、穢れの関係者が何を考えているのかは分からない。

 最初こそ穢れについての何か重要な光景を見てしまったボブを狙っての行動だろうと思っていたが、秘密であることが最大の強みで、それを見られたからこそボブを殺そうとした筈だ。

 だというのに、こうまで何度も穢れを送ってくるような真似をするのは、それこそ自分達の存在を知らしめようとしているようにしか思えない。

 実際、その件でレイが野営地で宿泊するようになったのだし、領主のダスカーは穢れについて知って、王都に報告をするといった真似をしている。

 そうである以上、もう穢れの関係者が秘密裏に行動するというのは難しい。

 穢れについて多くの者に知られた以上、このまま何もせずにひっそりと行動を終わらせるといった真似をしても、それで終わるとはレイには思えなかった。

 王都に、国王にまでこの件について知らせたのだから、それこそ穢れについてはきちんと解決をしなければ、この話は終わらないだろう。

 もし中途半端に終わらせようものなら、後々今回よりもっと面倒なことになって返ってくるという予想すらレイは出来た。


「ともあれ、今の俺達に出来るのはこうして見回りをするくらいだけどな。……あ」

「グルルルルゥ!」


 喋っている途中で、不意に木々の隙間から遠くにゴブリンの姿を見つける。

 レイが気が付いたことは当然のように既にセトも察知しており、真っ直ぐゴブリンの群れに向かって突っ込んでいく。


「珍しいな」

「いいの? いえ、ゴブリンを相手にセトがどうこうなるとは思ってないけど」


 ゴブリンに向かって突っ込んだセトの背から素早く飛び降りたレイは、その姿に珍しいといった風に呟く。

 それに対して、ニールセンは普通に空を飛んでいただけなので、セトが突っ込んでも特に気にした様子は全くないまま、いいの? と尋ねる。


「別にそのくらいは問題ないと思うぞ。セトの能力を考えれば、まさかゴブリン程度にやられるとは思えないし」


 セトはランクAモンスターだ。

 いや、実際にはスキルを使える希少種という扱いになっているので、ランクSモンスターということになっている。

 そんなセトが、低ランクモンスターの代表格とされているゴブリンと戦った場合、それこそゴブリンが数万匹、あるいはもっとそれ以上いなければ太刀打ちは出来ない。

 もっとも、ゴブリンが数万匹いてもセトの場合は空を飛んで地上に向かってブレスを始めとするスキルを使えば、それだけで勝利は間違いないのだが。

 勿論、ゴブリンの中にもゴブリンメイジのように魔法を使えたり、ゴブリンアーチャーのように弓を使いこなしたり、もしくはそこまでいかなくても石を投擲するといった攻撃手段を持つ者はいる。

 しかし、それはあくまでも少数だ。

 高速で空を飛ぶセトに命中させられるかどうかは微妙なところだし、もし命中してもセトの身体能力を考えればそこまで大きなダメージにはならないだろう。

 ゴブリンというのは敵に勝てないと分かればすぐに逃げ出すという性質を持っている。

 もしゴブリンが数万匹いても、セトと少し戦闘をしただけで勝てないと判断して即座に逃げ出すだろうが。

 生き物としての絶対的な格差がそこには存在している。

 だからこそ、レイはセトがゴブリンの群れを蹂躙しに行っても特に心配をするつもりはない。


(とはいえ、別にセトも弱いモンスターを攻撃するのが好きだという訳じゃないんだが。何で急にゴブリンに攻撃をしに行ったんだ?)


 例えば、攻撃をする相手がゴブリンではない低ランクモンスターであっても、美味い肉を持つような存在であれば、セトが今回のような行動をしてもおかしくはないだろう。

 しかし、相手はゴブリンだ。

 その肉は、それこそ餓死寸前の者であれば渋々食べる……といったような、圧倒的な不味さを持っている。

 それだけにセトがゴブリンの肉を食べたくて襲撃しに行ったという事は、まずない。


「取りあえず、ここでじっとしていてもしょうがないし、行ってみない? そうすれば、向こうでどういう風になっているのか、少しはわかるんじゃない?」

「そうだな」


 レイもニールセンの言葉に異論はなかったので、素直にその言葉に頷く。

 セトが何を思ってゴブリンに突っ込んだのか、自分の目で直接見れば事態はどうなるのか分かるだろうと判断したのだ。

 レイはニールセンと共にそちらに向かって進む。

 すると到着した場所に広がっているのはゴブリンの死体が周囲に散らばっている光景だった。


「うわぁ……」


 ニールセンの口から、そんな声が漏れる。

 ゴブリンは弱い。

 それこそ攻撃魔法が殆ど使えない妖精であっても戦い方次第で容易に倒せる程度の強さしかない。

 そういう意味では、ニールセンもこのような光景を作ることは可能だろう。

 しかし、だからといってこのような光景を作りたいとは思わない。


「セト、一体何でこんな真似をしたの?」

「グルルルゥ……グルゥ……」


 ニールセンの言葉を聞いたセトは、とある方向に視線を向ける。

 そこには、一匹の狼の子供の死体があった。

 それもただ殺されただけではなく、身体中に傷がある。

 眼球も片方は完全に取り出されており、片目は空洞となっていた。

 一体何がどうなってこうなったのか。

 それは周囲にあるゴブリンの死体が証明している。


「なぶり殺しか」

「……それでセトが……」


 レイの言葉に、ニールセンは納得した様子を見せる。

 そうしながらも、レイやニールセンの表情には悲しみの色があった。


「セトは妖精郷にいる狼の子供達を可愛がっていたしな」

「そうね」


 レイの言葉に短く返すニールセン。

 セトにしてみれば、妖精郷で自分と一緒に遊んでいた狼の子供達の仲間――種族的な意味で――がゴブリン達に攻撃されているのを察知して、ゴブリンの群れを蹂躙したのだろう。


「グルゥ」


 悲しそうに喉を鳴らし、レイを見るセト。

 しかし、レイはそんなセトに首を横に振る。

 セトが何を求めているのかは、レイにも理解出来る。

 ポーションを使って欲しいと、そうセトは言いたいのだろう。

 だが、狼の子供はもう死んでいる。

 これがもしまだ生きているのなら、レイもポーションを使うことを躊躇しなかっただろう。

 だが、死んでいる以上はもうポーションを使っても意味はない。

 レイの持つポーションはあくまでも怪我を回復する為のもので、死んだ相手を生き返らせるような能力を持つ訳ではないのだから。

 少なくても、レイが知ってる限りでは死者を生き返らせるポーションは、そしてマジックアイテムの類は存在しない。


(アンデッドとかなら別だけど)


 例えばグリムは、ある意味で生き返ったようなものだろう。

 実際には死んだままなので、正確には生き返ったという表現はおかしいのだが。

 それでも生前と変わらない意思を――これについては生前のグリムを知らないので、恐らくとしか言えないのだが――持ち、生きている者を見ても反射的に攻撃をするといったことはしない。

 そんなグリムである以上、レイにしてみれば全く問題なく接してくれる相手だった。


(いっそグリムに頼んでこの狼の子供もアンデッドにして貰うとか? ……駄目だな)


 一瞬だけそんなことを考えたレイだったが、すぐにそれは却下する。

 もしそのような真似をしても、この狼の子供はただのモンスター……それこそ自我も何もなく、本能で生きている存在を攻撃するだけのアンデッドになってしまう。

 グリムのように自我を残したままでアンデッドになるとは、到底思えない。

 幾らセトが死んだ狼の子供を可哀想に思っても、そんな結果になれば、それは狼の子供の死を弄んでいるかのようなものだ。

 レイはそんな真似はしたくなかったし、狼の子供の死を悲しんでいるセトもそのような結末は望んでいないだろう。


「悪いな、セト。この狼の子供はどうしようもない。俺に出来るのは、アンデッドにならないように焼いてやるだけだ」

「グルゥ……」


 レイの言葉に嘘はないと判断したのだろう。

 セトは残念そうに、本当に心の底から残念そうに喉を鳴らす。

 そんなセトを励ますように一撫ですると、レイはミスティリングの中からデスサイズを取り出して呪文を唱え始める。


『炎よ、我が魔力を糧とし死する者を燃やし尽くせ。その無念、尽く我が炎により浄化せよ。恨み、辛み、妬み、憎しみ。その全ては我が魔力の前に意味は無し。炎は怨念すらも燃やし尽くす。故に我が魔力を持ちて天へと還れ』


 その呪文を唱え、石突きを地面に突き刺すと魔法を発動する。


『弔いの炎』


 魔法が発動すると同時に、青い炎が地面に広がる。

 その青い炎は狼の子供の死体を……更にはついでだと言わんばかりにゴブリンの死体も含めて燃やしていく。

 正直なところ、レイとしてはゴブリンの死体もこの魔法で一緒に片付けてやるようなつもりはなかった。

 しかし、ここに大量のゴブリンの死体があると、場合によってはその死体がアンデッドとなる可能性も否定が出来なかった。

 ここは野営地からも樵達が木を伐採している場所からも、それなりに距離がある。

 また、死体の類は放っておけば、空腹になった動物やモンスターが片付けてくれる可能性も高い。

 レイにしてみれば、とてもではないが食べられないゴブリンの肉も、動物やモンスターにしてみれば、食べるしか生きる道がないのなら食べないという選択肢はない。

 それを考えた上でも、レイは万が一を考えて魔法を使って焼いたのだ。


(ゴブリンがどうこうというよりも、狼の子供のためだったしな)


 レイにしてみれば、あくまでも今の魔法は狼の子供に対してのもので、ゴブリンたちはついででしかない。


「グルルゥ」


 狼の子供がアンデッドにならないですんだことに、感謝するセト。

 ゴブリン達に殺された狼の子供は、別にセトが知っている狼の子供ではない。

 あくまでも妖精郷にいる狼の子供達とは別なのだというのは、セトにも理解出来ている。

 だが……それでも、狼の子供達に対しては色々と思うところがあるのも事実。

 そんなセトにとって、万が一にも狼の子供がアンデッドにならないようにしてくれたことには感謝しかない。

 レイもそんなセトの様子を理解しているので、特に言葉で返事をするのではなく、その身体を撫でる。

 そんな一人と一匹を、ニールセンはどこか羨ましそうな視線で見ていた。

 だが、レイはそんなニールセンの様子に気が付かず、口を開く。


「さて、じゃあそろそろ出発するか。いつまでここにいても意味はないし」


 そう告げ、野営地に向かうのだった。

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