3073話

 護衛をしている冒険者をその場に残し、レイはトレントの森の中を進む。

 すると樵達が斧を木の幹に叩き付ける音が次第に大きくなっていく。


(けど、これ……聞こえてくるのは殆ど同じ方向からだな。穢れの件を考えると、そうなってもおかしくはないのか?)


 いつどこから穢れが姿を現すのか、分からないのだ。

 その上、護衛の冒険者達では相手の注意を引くことしか出来ない。

 ただし、それはあくまでも敵がいるというのを察知出来ればの話だ。

 もしそのようなことが出来ない場合……それこそ黒いサイコロが転移でいきなり樵達の側に姿を現した場合、樵はその黒いサイコロに対処する方法がない。

 咄嗟に回避出来れば、まだ何とか助かるだろう。

 だが、もし驚愕で動けない状態であれば……あるいは反射的に素手で殴ろうとすれば、黒いサイコロが触れた場所は黒い塵となって吸収されてしまう。

 そのような時、樵がある程度集まっていれば、その誰かが犠牲になっているのを見て、逃げるといったことも出来るだろう。

 しかし、樵が単独でいた場合はそのような真似も出来ない。

 その辺の状況を考えて、恐らく樵達はある程度纏まって行動しているのだろうと、そう予想出来た。

 そうして音のする方に向かって進むと……やがて数人の冒険者達の姿を見つける。

 先程レイが遭遇した冒険者は、樵達のいる場所に侵入しようとするモンスターを倒したり、倒せなかった場合は襲撃があったと知らせる為に配置されている。

 それに対し、ここにいる冒険者は樵達を守る最終防衛ラインとでも呼ぶべき存在。

 ……そして、黒いサイコロが現れた場合はその注意を引き付けて樵達を守る役目もある。

 向こうの冒険者達も近付いてくるレイの存在に気が付いたのだろう。

 手を振りながら、レイのいる方に近付いてくる。


「レイ、どうしたんだ?」

「いや、昨日の今日だしちょっと様子を見ておこうと思ってな。それに昨日の件で樵達には会っておいた方がいいと思って」

「……なるほど。だが、樵の中には怒ってる奴もいるぞ?」

「それは聞いてる。ここに来る途中で別の冒険者に遭遇したしな」


 ここに来る前に遭遇した冒険者のことを口にすると、それを聞いていた者達も納得した様子を見せる。

 そんな中、その中の一人が恐る恐るといった様子で口を開く。


「なぁ、レイ。その……妖精は……」

「いるぞ」


 先程の冒険者にニールセンの姿を見せたのだから、ここでもう隠す必要はない。

 そう判断して告げるレイだったが、ドラゴンローブの中のニールセンはいきなり自分を売るな! と不満そうにレイの身体を蹴る。


「痛っ」

「レイ?」

「いや、自分のことをあっさり話すなってことらしい。……でも、もう隠してもしょうがないだろ?」


 そんなレイの様子に、話し掛けた冒険者も、他の冒険者も意味が分からないといった様子を見せる。

 ドラゴンローブの中で起きている出来事を知らなければ、ニールセンが何をやっているのかといったことは分からないのだから、それも当然だろう。

 周囲の様子から自分が奇異の目で見られていると知ったレイは、ドラゴンローブの中にいるニールセンに出てくるようにと、上から軽く叩く。

 そんなレイの行動の意味を理解したニールセンは、ドラゴンローブから姿を現そうとし……


「ああああああああああああああああ! てめえ、レイ! 昨日は約束をすっぽかして、しかもギルドマスターに説明させるとか、何を考えてやがる!」


 樵……というよりは、筋骨隆々の男は、斧を手にレイに向かって近付いてくる。

 斧を手にしているのとその体格から、樵というよりは盗賊と表現するのが相応しい。

 実際に夜道で気の弱い相手がこの男と遭遇したら、腰を抜かしても不思議ではない。

 そんな男が、こめかみに血管を浮かび上がらせながら、レイに近付いてくるのだ。

 何も知らない者が見れば、レイが小柄なこともあって盗賊に襲われそうになっているように見えてもおかしくはない。

 とはいえ、その男は外見とは違ってそれなりに理性も残っていたのか、斧を手にしたままだが、それを振り上げたりする様子はない。

 そんな男に対し、レイもまた特に気にした様子もなく口を開く。


「悪いな。昨日は色々とあったんだよ」

「それで許せってのか? ……ギルドマスターなんてお偉いさんに会うなんてことをさせておきながら」

「普通はギルドマスターと会えるというのは、喜ばれてもおかしくはないんだけどな」


 勿論、何らかの悪事を働いてギルドマスターに裁定を下して貰う為に会うといったようなことであれば、その冒険者は決して嬉しいとは思わないだろう。

 しかし、今回は事情を説明する為に樵達がギルドマスターと会ったのだ。

 それは決して悪いことではない。

 人によっては、ギルムのギルドマスターと会ったと喜んでもおかしくはないくらいに。

 ……とはいえ、世の中には偉い人と会うのが決して好きではないという者もいる。

 例えば、レイもまたその一人だろう。

 もっともレイの場合は礼儀作法とかそっちの関係での話であって、その辺をそこまで気にしなくてもいいダスカーと会うのは苦ではなかったが。


「ああいうお偉いさんと会って、俺が嬉しいように見えるか!?」

「……見えないな、うん」


 レイの目から見ても、目の前の男がお偉いさんと会うのが嬉しがるようには思えない。

 寧ろその盗賊に間違われる顔立ちである以上、お偉いさんを脅していたり、あるいは裏で手を組んでいるといったようなことになった方がお似合いなのは間違いなかった。

 ……そう本人に言えば、恐らく怒るからレイが実際にそれを口にすることはなかったが。


「だろう? そもそも約束を破るってのが、色々と問題なんだよ」

「そっちの件に関しては素直に悪かったと思う。けど、あの時に色々と決めたから、今度から穢れが出たらすぐに俺がここに駆けつけられるようになってるのも間違いない」

「それは……」


 レイだけが黒いサイコロを倒せる以上、そのレイが何かあったらすぐに駆けつけてくれるというのは非常にありがたい。

 ありがたいが、それでも約束を破ったという件については色々と思うところがあるのも事実だった。


「ふん……取りあえず納得してやるよ。他の連中にも俺がそう言っておくから、レイは気にするな」


 結局男が口に出したのは、その言葉。

 その言葉を聞いて、もしかしてこの男は他の樵が自分に突っ掛からないようにしてるのか?

 そんな風にレイが思っても、おかしくはないだろう。


「悪いな」


 感謝の言葉を口にするレイだったが、樵は気にした様子もなく、また自分の仕事をしていた場所に戻る。

 そんな樵の様子を見て、他にもレイに何かを言いたそうしていた樵達はその樵同様に自分の仕事に戻っていった。

 中には先程の男が何の為にレイにそのように言ったのかというのを理解した上で、再び自分の仕事に戻って行く者も多い。


「気を遣わせたと思うか?」

「そういう感じじゃなかったと思うけど?」


 呟くレイに言葉を返してきたのは、ドラゴンローブから出て来たニールセン。


「え?」


 いきなり出て来たニールセンを見て、呆気にとられたかのような言葉を口にする冒険者。

 今の樵との一件ですっかり忘れていたのだが、元々レイと冒険者達は妖精について話をしていたのだ。

 そんな中、樵の一件ですっかり忘れていたのにいきなりニールセンが出てくれば、それに驚くなという方が無理だった。


「何よ?」


 ここで退けば、向こうにどんどん詰め寄られて面倒なことになる。

 そう思ったのか、強気な言葉を返すニールセン。

 冒険者の方は、まさかいきなりそのように強気な発言をされるとは思っていなかったのか、戸惑った様子を見せる。


「えっと、いや、その……」


 何かを言いたげにレイに視線を向ける冒険者の男。

 冒険者の男にしてみれば、妖精というのはお伽噺の類でしか知らず、だからこそある種の幻想のようなものがあったのだろう。

 もしかしたら、自分が話し掛けたら嬉しそうに笑みを浮かべて言葉を返してくれるかもしれないと。

 しかし、実際に話してみればその性格は想像していたものと大きく違っていた。


「妖精にどんな幻想を抱いていたのかは分からないが、ニールセンにとってはこれが普通の性格だ」

「……本当、なのか?」

「ああ」


 実際には普段はもう少し大人しいのだが、今はそれをわざわざ言う必要もないだろう。

 もしそれを言った場合それならばということで面倒なことになってもおかしくはないのだから。


「えっと、じゃあ……そうだな、例えばレイが行くことが出来る妖精郷には普通の妖精がいるのか?」

「ちょっと、その言い方だと私は普通の妖精じゃないみたいじゃない」


 不満そうに言うニールセン。

 ニールセンにしてみれば、自分が普通の妖精ではないと言われたかのように思えてしまい、それに対して色々と思うところがあるのだろう。

 レイとしては、男の言葉に対して否定するような真似は出来なかったのだが。


(長の後継者として育成されている点では、普通の妖精とは言えないよな。それは良い意味なのか、悪い意味なのか、ちょっと疑問だけど)


 一般的に見れば、長の後継者というのは恵まれた地位にあると言ってもいいだろう。

 しかし、ニールセンにしてみればそれは決して恵まれたとは言えない筈だ。

 ニールセンの性格からすると、そういうのは考えないで好きなようにしていたいと思うのだから。





「ほら、落ち着け。ニールセンが普通の妖精かと言われたら、俺だって首を横に振るぞ」

「ちょっと!?」


 ニールセンはまさかレイにまでそのようなことを言われるとは思わなかったのか、心外だといった様子で叫ぶ。

 しかし、レイはそんなニールセンの様子を気にした様子もなく口を開く。


「妖精郷には、かなりの数の妖精がいる。生憎と俺もその全ての妖精の性格を知ってる訳じゃないが、中にはお前が理想とする妖精とかいるかもしれないな」


 レイの言葉に希望に目を輝かせる男。

 だが、レイは次の瞬間には男の希望をへし折る。


「けど、今のところは妖精郷に行くのは限られた者だけだ。幾ら妖精郷に行きたくても、行くことは出来ないけどな」

「レイ……俺を喜ばせたいのか、それとも泣かせたいのか、どっちだ?」

「どっちだろうな。ただ、上げて下げたところでまた上げるが、もしこのまま事態が進んだ場合、お前が妖精郷に行ける可能性は十分にあるぞ」

「え? 本当か? 何でだ?」

「トレントの森で樵の護衛として働いている時点で、お前は……というか、ここにいる冒険者達はギルドからの評価が高い。そうである以上、もし何らかの理由で妖精郷に行くのなら、ここにいる面子から選ばれる可能性が十分にある」


 そう言うレイだったが、もし真っ先に妖精郷に行く面子を選ぶのなら、樵の護衛達ではなく生誕の塔の護衛をしている者達だろうと思える。

 同じトレントの森で働いている者達ではあるが、樵の護衛と生誕の塔の護衛では後者の方がギルドの信頼度が高い。


(それでも、ここにいる面子が選ばれる可能性が皆無という訳ではないんだが)


 ここにいる冒険者達は、少なくてもギルムで普通に働いている冒険者達と比べれば妖精郷に行ける可能性は十分にあった。


「ちょっと待ってくれ。なら俺達も妖精郷に行ける可能性があるのか?」


 レイと話していた冒険者……ではなく、近くで話を聞いていた冒険者が、そうレイに尋ねる。

 それだけではなく、数人の樵もレイに対して期待の視線を向けていた。


「樵の方は……正直分からないけど、冒険者なら可能性は十分にあると思うぞ」

「ちょっと待ってくれ。何で樵の俺達は分からないんだ?」


 冒険者なら可能性はあるが、樵は分からないと口にしたレイに不満そうな様子を見せる樵の男。

 樵というのは、基本的には山や森、林といった場所で仕事をすることが多い。

 そして妖精郷があるのは樵が働くような場所というイメージがある。

 実際、トレントの森に妖精郷があるのを思えば、それは決して間違ってはいないだろう。

 そのような状況だけに、樵の中には妖精に興味を持っている者も多い。

 今レイに話し掛けてきた樵も、そのような人物なのだろう。


「冒険者の場合は、多数いる中からギルドが選んで優良な冒険者をここに派遣している。それに対して、樵はそこまで人数が多くない。その辺が理由だな」


 実際、ダスカーは一人でも多くの樵を雇おうと、多くの村や街に連絡をしている。

 現在ここにいる樵の大部分はそうして集められた樵だけに、話を聞いていた樵はレイに反論出来なかったのだった。

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