3064話

 十分程巨大なスライムを見て満足したのか、ヴィヘラはすぐに野営地に戻る。

 レイもそれを追う。

 ……ちなみに巨大なスライムについて監視していたゾゾもそこにはいたのだが、レイ達の邪魔にならないようにと少し離れた場所にいた。

 そして研究者も、結局はレイやヴィヘラを相手に何かをする様子もなく黙ったままだった。

 実際には研究者はレイとヴィヘラに話し掛けようとしていたのだが、冒険者がそれを止めたというのが正しい。

 冒険者にしてみれば、ここで迂闊に研究者を自由に行動させた結果、レイやヴィヘラに喧嘩を売るといったような真似をすることになるのは避けたかったのだろう。


「それで巨大なスライムを見て満足したと思うけど、これからどうするんだ?」

「ギルムに戻るわ。本来ならここに残って、私も穢れを一度自分の目で見てみたいとは思うんだけど」

「それは止めておいた方がいい」


 穢れと戦うのではなく、あくまでも見てみたいという表現にしたところに一応ヴィヘラはレイに配慮しているのだろう。

 しかし、それでもレイは首を横に振る。

 基本的にヴィヘラのことは信じているレイだったが、それはあくまでも戦い以外のことに対してだ。

 こと戦いとなると、とてもではないがレイもヴィヘラを信じるといった真似は出来なかった。

 ヴィヘラも自分が戦いについては暴走することも珍しくないので、レイが駄目だと言う理由も理解出来る。

 理解は出来るのだが、それでも少しだけ残念そうな様子を見せる。


「ねぇ、本当に駄目なの?」


 男なら……いや、女であっても、思わず構わないと言ってもおかしくはないような、そんな表情で尋ねるヴィヘラ。

 しかし、何だかんだとヴィヘラとは付き合いの長いレイだ。

 そんな表情を見せられても、これに関してはすぐに首を横に振る。


「駄目だ」

「……そう、残念だけどレイがそう言うならしょうがないわね」


 このように言っても駄目である以上、これ以上レイに頼んでもまず受け入れられない。

 そう理解しているからこそ、ヴィヘラは大人しく退いたのだろう。

 そうして離れようとしたところで……


「ちょっと待ってくれ!」


 不意に声を掛けられる。

 声のした方に視線を向けると、自分達の方に向かって走ってくる男と、申し訳なさそうにその男の後をついてくる男が一人。

 研究者と護衛の冒険者だ。

 先程までは何とか冒険者が研究者を押さえていたのだが、レイとヴィヘラが巨大なスライムから離れたところで、もう限界だと判断したのだろう。

 走って追ってきたのだ。

 当然だが、レイもヴィヘラも近くに研究者がいるのは気が付いていた。

 しかし冒険者に押さえられていた以上は、自分達に声を掛けてくるとは思わなかったのだ。

 どうする?

 ヴィヘラはレイに向かってそう視線で尋ねてくる。

 レイはそんなヴィヘラの視線を受けて、少し迷う。

 とはいえ、研究者達はダスカーからの要望によっている以上は無視をすることも出来ない。


「どうした?」

「うむ。レイだったな。君に聞きたい。あの巨大なスライムに何かあったのか?」

「あの巨大なスライムは魔法防御力が高くて俺の魔法に対抗出来ていた。しかし、その魔法防御も決して絶対ではない。それが全てだろう」

「つまり、レイの魔法に対抗していたが限界を迎えたと?」

「俺はそう思っている」


 そう告げるレイだったが、その言葉は決して嘘という訳ではない。

 黒いサイコロによってその時間が急激に早まったものの、もし黒いサイコロが接触するようなことがなくても、時間が経てばいずれはレイが言うような結果になったのは間違いない。

 その場合は具体的にいつ限界を迎えたのかは分からなかったが。

 場合によっては、数年……いや、数十年という時間が必要になったかもしれない。

 そういう意味では、レイとしては黒いサイコロに感謝をしてもいいのかもしれないが……当然、レイとしてはそんな気持ちにはなれなかった。

 黒いサイコロは元々レイ達を……いや、ボブを殺す為に送られてきた存在だ。

 しかし、明確な知性がなく、本能や反射に近い行動を行っている。

 巨大なスライムを攻撃したのも、あくまでもその巨体に接触したからというのが最大の理由だろう。

 そうである以上、そんな黒いサイコロに感謝をする訳がない。

 目の前の研究者にその辺りの事情を話すつもりはなかったが。


「ほう、魔法防御力か。確かにレイの魔法は高い威力を持つと聞く。炎の竜巻の件とかな」


 研究者が言う炎の竜巻……火災旋風は、ベスティア帝国との戦争や内乱で使い、多くの人目についたこともあってレイの代名詞的な存在とされている。

 他にもセトの存在やデスサイズ……最近ではデスサイズと黄昏の槍を同時に使う二槍流がかなり有名になってきてはいるが、それでもやはり火災旋風が見ていた者達に与えた衝撃はそれだけ大きかったのだろう。

 とはいえ、実際にはレイは火災旋風よりも強力な魔法を使えるのだが。

 それをわざわざ研究者に話す必要はない。

 もしそのような真似をしてしまえば、それこそ実際に使ってみて欲しいと言われてもおかしくはないのだから。


「そうだな。俺が魔法を得意としているのは間違いない」

「あら、レイの場合は正確には魔法も使う戦士、魔法戦士でしょう?」


 レイと研究者の話を聞いていたヴィヘラがそう口を挟む。

 研究者は口を挟んできたヴィヘラに視線を向けるものの、特に気にした様子はない。


(へぇ)


 そんな研究者に少しだけ感心するレイ。

 娼婦や踊り子が着るような薄衣をヴィヘラのような絶世の美女が身に纏っているのだ。

 普通の男なら、その肢体に目を奪われてもおかしくはない。

 事実、野営地にいる冒険者達は今まで何度も見ているのに、今日もまた目を奪われている者がいた。

 そして研究者の護衛の冒険者も、出来るだけそちらに目を向けないようにはしているものの、それでも何度もヴィヘラに視線を向けている。

 野営地にいる者でヴィヘラにそのような類の視線を向けないのは、それこそリザードマン達くらいだ。

 元々リザードマンと人では外見が大きく違うのが影響してるのだろうが。

 しかし、そんな中で研究者の男は違う。

 れっきとした人間の男でありながら、ヴィヘラにはまるで興味がないといった様子だったのだ。


「レイの魔法が持つ威力は、あの巨大なスライムの魔法防御力を上回るものがある。つまりはそういうことだろうか?」

「そんな感じだな。もっとも、具体的にいつそういう風になるのかといったような事は分からないから、他の奴で試せと言われても難しいと思うけど」

「そもそも、大抵のモンスターはレイの魔法に一時的にしろ、耐えることは出来ないと思うけど?」

「ヴィヘラの言うことも間違いじゃない」


 レイはヴィヘラの意見にそう言う。

 実際にレイの魔法の威力を考えれば、それに耐えられるだけの強さを持つモンスターというのはそう多くはないのだ。

 それだけレイの魔法は圧倒的な破壊力を持っているのだから。


「ふむ。そういうものか。……しかし、あの巨大なスライムがあのようになるとは、冒険者とは凄いものなのだな」

「一応補足しておきますが、冒険者が誰でもあんな真似が出来るとは思わないで下さいね。あんな真似が出来るのは、あくまでもレイのような異名持ちだったり、高ランク冒険者だったりする一部の者達だけですから」


 研究者の言葉を聞いた護衛の冒険者は、慌ててそう告げる。

 レイと同じだけの実力を持つ冒険者が他にもいるのは事実だ。

 だが、だからといって冒険者の全てがレイと同じ実力を持っていると認識されるのは、とてもではないが許容出来なかった。

 少なくても、護衛の冒険者は自分がレイと同じような真似を出来るとは到底思えない。

 護衛対象の研究者にレイと同じようなことをしろと言われても、そのような真似は到底出来ない。

 だからこそ、今のうちに慌ててそのように言っておく必要があった。


「む、そうか。それは分かっている。……だが、同じような真似は出来なくても、似たような真似は出来るのではないか?」

「それは一緒です。無理です、無理」


 同じような真似を似たような真似。

 言葉こそ微妙に違っても、実際にその意味は同じようなものだろう。

 研究者に慌ててそう言いながら、護衛の冒険者は何か理不尽な命令をされるよりも前に訂正することが出来たことに安堵する。

 もしこのまま勘違いが続いていた場合、巨大なスライムと同じような圧倒的な質量を持つモンスターを相手に、自分だけでどうにかしろと言われてもおかしくはなかった。


「レイのような真似が出来る冒険者が他にいないとは言いません。けど、それは本当に少数です。取りあえず私にはそういう真似はまず出来ません」


 その言葉を聞いた研究者は、露骨に残念そうな表情を浮かべる。

 護衛の冒険者は、それを見てこうして言っておいてよかったとしみじみと思った。

 もしここで自分が何も言わなかった場合、もしかしたらレイと同じようなことをやってみせろと言われていた可能性も否定は出来ないのだ。

 そのようにならないでよかったと、心の底から安心する。


「じゃあ、用件はそれだけなら俺はそろそろ行かせて貰う。こう見えて忙しいんでな。色々とやることがあるし」


 先程までは暇でトレントの森を散歩していたレイが言うとは思えない言葉。

 しかし、そのように言わなければ恐らく面倒なことになるだろうと思えたのだ。

 とはいえ、忙しいと言われて研究者が大人しく引き下がるかと言われれば、それは微妙だった。

 もしかしたら、レイが忙しいと言ってるのは単なる誤魔化しで、本当に忙しいのかどうかを確認する必要もある。

 そうなった場合は、面倒ではあるがレイの方で何か手を打つ必要があった。

 レイの様子を観察するということは、場合によっては妖精のニールセンと遭遇する可能性もある。

 それ以上に最悪なのは、穢れを研究者が見てしまうことだろう。

 もし研究者にその辺りの事情を知られた場合、それこそ巨大なスライムよりもそちらの方に興味を持たれる可能性もあった。

 穢れについては現在王都から人が来ることになっているものの、可能な限り情報は秘匿しておきたいというのがダスカーの考えだったし、レイもまたそれには同意している。

 もっとも樵達が襲われ、ガガ達が襲われ、巨大なスライムが襲われている。

 本来は秘密にしなければならないのだが、トレントの森で仕事をしている者の多くは穢れについて知っていた。

 トレントの森の中央の地下にも人を派遣するとダスカーがいっていたので、トレントの森で仕事をしている者で穢れについて知らない者は……例えば樵やその護衛の冒険者で、今日休んでいたような者達だけだろう。

 そのような者達もトレントの森で働いている以上、どうしても穢れについて知らされることになるのだが。


「じゃあ、そういう訳で俺達は行かせて貰う。……ヴィヘラ、行こうか」

「そうね。ビューネ、行くわよ!」


 離れた場所で馬やセトと遊んでいたビューネが、ヴィヘラの言葉に反応する。

 小さく頷くと、そのまま馬に乗ってレイ達の方にやってきた。


「あ、おい、ちょっと待ってくれ! まだ話が……」

「ほら、この辺にしておきましょう。レイの邪魔をすると、どうなるか分かりませんよ。レイは貴族を相手にしても全く退かないどころか、平気で力を振るうんですから」


 レイを止めようとした研究者が冒険者の男にそう言われて動きを止める。

 その説明だけで、レイがそこまで危険な相手なのだと理解出来たのだろう。

 ……その言葉はしっかりとレイにも伝わっており、それを聞いたレイは微妙な表情を浮かべていたが。

 レイが貴族を相手にしても躊躇なくその力を振るうのは、間違いのない事実だ。

 しかし、だからといって誰にでもそういう真似をする訳ではない。

 例えば、ギルムの領主のダスカーだ。

 あるいはエレーナもまた貴族であるのは間違いないだろう。

 そう考えれば、すぐに誰にでもそういう風に力を振るうといったような真似はまずしない。


(とはいえ、ここでそれを言ったら研究者がそれなら自分も一緒に行動しても問題ないといった風に言ってくる可能性もあるから、言えないけど)


 言い返したいが、面倒になることを考えると言い返さない方がいい。

 そう判断し、レイはヴィヘラと共に野営地に戻る。

 自分にそのような評判があるからこそ、貴族の中でも面倒な者達はあまり自分に接してこないと、そう理解しているのも大きい。


「それでヴィへラはそろそろ戻るのか?」

「ええ、出来ればもう少しレイと一緒にいたかったんだけど、ギルドの方に顔を出す必要があるし」


 そんな言葉を交わしつつ、レイ達は研究者達をその場に残しつつ野営地に戻るのだった。

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