3065話

「じゃあ、私達は戻るわね。また近いうちに来ると思うから」


 そう言い、ヴィヘラはビューネと共に去っていく。

 そんなヴィヘラに向かって残念そうな表情を浮かべている者が数人。

 ヴィヘラの性格を知っているので口説こうとは思わない。

 だが、見ているだけならヴィヘラは極上の美人だ。

 そんなヴィヘラがいなくなるのを悲しんでいる者もいるのだろう。

 中にはビューネを見て名残惜しそうにしている者もいたが。


(注意が必要か?)


 そういう趣味の者なのかと、少しだけ警戒するレイ。

 レイの仲間の中で、ビューネは最年少の存在だ。

 実際に生まれてからの年齢なら、セトやイエロの方がまだ数年でビューネよりも年下なのだが。

 しかし、良くも悪くもセトやイエロはモンスターだ。

 人間と一緒の年齢と考えるのは間違っている。

 そんな訳で、もしそういう趣味の男がビューネに妙なちょっかいを掛けようとしたら、手段を選ぶつもりはなかった。

 もっとも馬に乗っているビューネの後ろ姿に視線を向けている男が浮かべているのは、性欲の類ではなく、娘や妹といった年下の家族に向けるような視線だ。

 なら問題はないだろうと判断し、レイはそこにちょっかいをだすような真似は止める。


(もし本当にそういう趣味の奴がいたら、そもそもヴィヘラが先に動いていてもおかしくないか)


 色々と性格に問題のあるヴィヘラだが、それでもビューネの保護者であるのは自認している。

 そうである以上、もし特殊な趣味を持っている者がビューネに近付いて来た場合、それを防ぐのは間違いない。

 それも物理的な意味で。

 そんなヴィヘラがそのままにしたのだから、やはりビューネを見ている男に疚しい気持ちはないのだろう。


(もっとも、傍目から見ると危ない感じだけど)


 最後にその男を一瞥すると、そのまま野営地に戻る。


「グルルゥ?」


 そっちに行くの? と喉を鳴らすセト。

 レイのことだから、恐らくはもっと他の場所……それこそトレントの森にでも行くのかと思っていたのだろう。

 先程行ってきたばかりだったが、今は特にやるべきことがない以上、それもいいかとレイは少し考える。

 考えるのだが、何かあった時にすぐ対処出来るように準備をしておくという意味では、やはり野営地の方がいいのは間違いない。


(それに、頻繁に行ったり来たりしていると、ニールセンが怒りそうだし)


 もし穢れが姿を現した時、近くにニールセンがいないとレイはそれを察知出来ない。

 レイ達のすぐ側に穢れが現れたのなら、セトが感じられるかもしれないが。


「迂闊に湖とかに行くと、さっきの研究者がいるかもしれないし。なら……うん?」


 野営地でゆっくりとしていよう。

 そう言おうとしたレイが見たのは、リザードマンと戦っている冒険者の姿。

 一瞬、ガガやゾゾ率いるリザードマンを冒険者が敵だと勘違いしているのか?

 そう思ったが、改めて見れば周囲には他の冒険者やリザードマンの姿もあり、それでいて双方共に闘気はあれども殺気の類はない。


「模擬戦か」

「そうだ。別に不思議なことじゃないだろ?」


 呟いたレイの言葉に反応したのは、少し離れた場所でレイと同じく模擬戦を見ていた男。

 レイの独り言に返事をしたものの、その視線はレイではなく模擬戦に向けられている。

 それも興味本位で見ているのではなく、真剣な表情。

 少しでも何か見て盗めるようにといった感じで。

 模擬戦をやっている周囲にいる者達も、休憩をしながらも気が抜けている様子はない。

 自分が少し……本当に少しであっても強くなりたいと、そう思っての行動。

 ニールセンの一件やヴィヘラに向ける視線の件もあって、この野営地にいる冒険者達は大丈夫か? という思いが幾らかあったのだが、その模擬戦を行っているのを見れば安堵する。


「模擬戦は結構やってるのか?」

「それなりにだな。折角こうして多くの冒険者が……それもギルドから腕利きと認められる者達が揃ってるんだ。なら、この機会を逃がす手はないだろ?」

「それは否定しない。……お前が言うのは気になるけど」


 レイと話しているこの男、今はこうして真剣な表情で模擬戦を見ているが、ニールセンがいた時は自慢の干し肉で料理を作っていた男だ。

 その時の様子を知ってるだけに、レイはどうしても今の真剣な表情を素直に受け入れることが出来ない。

 男も自分がニールセンを追っていた時のことや、料理をしていた時のことを言われると、納得したように頷く。


「そういう風に言われるのは分かる。だが、あれはあくまでも趣味だ。そしてこれは仕事。趣味と仕事をきちんと分けるのは当然のことだろう? ほら、あっちを見ろ」


 そう言い、男が示した先にいるのは女の冒険者。

 こちらもまたレイには覚えがある。

 ニールセンにドライフルーツを渡そうとして奪われていた人物だ。

 ニールセンを追っていた時とは違い、真剣な表情で模擬戦を見ている。

 真剣な表情を浮かべる顔立ちは整っており、もし何も知らない者がその女の冒険者を見れば、一目惚れするような者がいてもおかしくはない。


(中身はあれだけど)


 レイは女の冒険者から視線を逸らし、改めて周囲の様子を見る。

 当然の話だが、現在この野営地にいるのは見張りの仕事は休みの者達だ。

 また、冒険者達以外にもリザードマン達の姿もそれなりに見える。


「こうして見ると、結構真面目にやってるんだな」

「当然だろう。ギルドからの仕事なんだから。それに、こちらと友好的で知能の高いリザードマンや、異世界から転移してきた湖の護衛だ。それで手を抜くと思うか?」


 男の口から出た真面目な言葉は、ニールセンの件を知ってるからこそどこか素直に受け止めることが出来ない。

 とはいえ、男が言うように趣味は趣味、仕事は仕事としてきちんと分けて考えているのなら、それは決して悪い話ではないのだろうが。

 冒険者としては真面目に仕事をしているのはレイにも理解出来てしまう。


「それで、レイは暇なんだろう? よかったらレイも模擬戦をやっていかないか? レイと模擬戦を行えると知れば、参加してみたい奴は結構多いと思うし」


 そんな男の言葉が聞こえたのだろう。

 模擬戦を見ていた何人もがレイに視線を向けてくる。

 レイの強さは、ギルムにおいてもトップクラスだ。

 そうである以上、レイとの戦いを実際に自分も試してみたいと思っている者も多いだろう。

 レイのような強者と戦えば、それだけ自分の力も上がるのだから。


「俺がか? まぁ、模擬戦をしたいと言うならやってもいいけど」


 レイは男の言葉にあっさりと頷く。

 そんなレイの態度に驚いたのは、寧ろ模擬戦をやらないかと言ってきた妖精好きの男だ。

 まさかレイがこんなにあっさり引き受けるとは、思ってもいなかったらしい。

 しかし、今は特にやることもなく暇をしていたレイにしてみれば、模擬戦の誘いは丁度いい暇潰しだった。

 ここでの模擬戦は、自分にとっても悪い話ではないのだから。

 この場にいる冒険者達が精鋭と呼ぶに相応しい者達であるのはレイも知っている。

 身のこなしや、模擬戦、そして実際に見張りをしている時の動きを見れば、十分に理解出来る。

 しかし、黒いサイコロの件もあるし、湖でも巨大なスライムが死ぬのは時間の問題で、それに付随して何が起きるのか分からない。

 だからこそ、実際に自分が戦ってみて直接冒険者達の強さを確認してみるのは悪い話ではない。


「分かった。ならやるか」


 ざわり、と。

 レイの言葉を聞いた者達がざわめく。

 冒険者の男が誘ってはいたが、それはあくまでも駄目元に近い。

 こうして誘ってレイが模擬戦に参加するとは、周囲にいる者達も……そして当然だが、誘った男も思ってもみなかっただろう。

 とはいえ、別にレイは模擬戦を行うのを勿体ぶったりといった真似はしない。

 事実、マリーナの家で寝泊まりしている時はエレーナやヴィヘラと模擬戦をすることが多かったのだから。

 それでも他の者達がそのように思ったのは、やはりレイが異名持ちのランクA冒険者だからというのが大きいのだろう。

 レイの普段の行いの影響で流れている噂によって気軽に誘うことは出来なくなっている。

 勿論、それはあくまでもレイと親しくない者だけでの特徴で、普段からそれなりにレイと親しい相手であれば普通に話し掛けたりするのだろうが。

 周囲から向けられる視線に、若干不満そうな様子を見せるレイ。

 とはいえ、自分の普段の行いが原因であるというのは知っているので、それに対しては特に不満を言ったりはしない。


「で、誰からやる?」


 そう尋ねつつ、レイはミスティリングの中からデスサイズと黄昏の槍を取り出す。

 勿論いつもの武器を手にしたからとはいえ、本気で戦う訳ではない。

 あくまでもこれは模擬戦なのだから。

 ……模擬戦ではあるが、それでも普段から使う武器を手にしたのは、ここにいる面々はギルドから信頼されている腕利きだと理解しているからだろう。

 もしこれが、例えば冒険者を目指している子供、もしくは冒険者になったばかりの者であれば、レイもデスサイズや黄昏の槍を使ったりはしない。

 これはあくまでもこの場にいる者達が十分な強さを持っていると理解しているからこそ、今回のようにしてるのだ。

 レイがお遊びでもなんでもなく、本気で模擬戦をしてくれるというのを理解したのだろう。

 模擬戦をやっていた冒険者も、そして周囲で見ていた冒険者も……更には、リザードマン達までもがやる気を見せる。

 リザードマン達は強者を尊ぶ性質がある。

 そんなリザードマン達にとって、現在この場にいるリザードマンの中でも最強であるガガと、それに次ぐ実力を持つゾゾを倒したレイは、半ば英雄的な存在だった。

 特にガガは、この場にいるリザードマンの中だけではなく、異世界に存在する国でも最強の存在だったのだ。


「じゃあ、俺が」

「ちょっと待って、私でしょ」

「何を言ってる。俺の出番だ」

「ガガ様、ゾゾ様に勝ったその腕を俺も体験してみたい」


 そんな風に多くの者達がレイと模擬戦をやりたいと主張する。

 これが普通に戦うのなら、レイと模擬戦をするのは絶対にごめんだと言う者も多いだろう。

 しかし、これは模擬戦だ。

 場合によっては骨の一本や二本折れてしまうこともあるかもしれないが、本当の意味での命のやり取りという訳ではない。

 そして多くの者が少しでも強くなりたいと思っている。

 そんな者達が、命の心配をせずにレイと戦うことが出来るこの絶好の機会を見逃す筈もない。


(ここまで俺と戦いたい奴がいるのは、少し驚きだな。暇になったら、俺と模擬戦出来る権利を売るとか、そういう真似をしてもおかしくはないか)


 金に困ってるわけではないので、無理に権利を売るといった真似をしなくてもいい。

 しかし無料でということになれば、多くの者が殺到するだろう。

 レイとしても、それはさすがに遠慮したかった。

 そんな風に考えていると、やがて模擬戦の相手が決まる。

 それは……最初にレイに模擬戦を持ちかけた男。

 つまり、妖精好きの男だ。


「お前が最初の相手というのは、ちょっと意外だったな」

「そうか? 俺がレイを模擬戦に誘ったんだから、俺が最初に模擬戦をする権利があってもいいと思うが?」


 会話をしつつも、男は長剣を手にレイの隙を窺っている。

 当然だが、男が持っている長剣も模擬戦用の物ではなく、実戦で男が使う長剣だ。

 レイのデスサイズと違って、長剣なら普通に模擬戦用の物があるのだが、それでも男が普段使っている物とは微妙に違ってくる。

 そうである以上、模擬戦に自分の武器を用意するのは自然な流れなのだろう。


「じゃあ……行くぞ」


 これが実戦なら、もっと駆け引きの類を使って相手が迂闊に動くように仕向けるだろう。

 しかし、これはあくまでも模擬戦だ。

 そうである以上、ここで時間を掛ける訳にはいかない。

 ……いや、駆け引きも模擬戦で鍛えられる技術ではあるのだが、今ここでこうして戦っているのはあくまでも戦いを行うという意味での模擬戦だ。

 妖精好きの男以外にもレイと模擬戦をしたいと思う者は多い。

 そうである以上、ここで迂闊に時間を掛けるような真似をすれば、他の者からのブーイングが飛んでくる。

 そうならないようにする為には、駆け引きの類は抜きにして――戦闘の中のフェイントとかは別だが――実際に戦う必要があった。

 地を蹴り、近付いて来た男の振るう長剣。

 命中すれば相手の命を奪ってもおかしくはない鋭さと素早さ、そして威力を兼ね備えた一撃。

 模擬戦で使えないような一撃だったが、男は容赦なく振るう。

 レイがこの程度の攻撃でどうにかなるとは、到底思っていなかったのだろう。

 そして……事実、レイはその一撃をあっさりと回避しながら黄昏の槍の一撃を放ち、長剣を弾き飛ばすのだった。

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