3063話
レイとセトが野営地に戻ってきたのは、特に驚かれるようなことはなかった。
これからレイ達がこの野営地で寝泊まりするというのは、既に知られている事実なのだから。
しかし、レイ達の一行にヴィヘラとビューネ、それと二頭の馬がいるのを見れば、色々と思うところがある者もいたらしい。
ヴィヘラの美貌に目を奪われる者、その魅力的な肢体を覆っている薄衣に鼻の下を伸ばす者、ヴィヘラの強さに憧れの視線を向ける者もいる。
多くの者の視線は、ビューネには向けられていない。
普通ならそのことに不満を持ってもおかしくはないのだが、ビューネの場合は寧ろその件に感謝すらしていた。
もし自分が目立つようなことになれば、誰かが話し掛けてきたりしてもおかしくはないのだから。
「じゃあ、レイ。私はちょっと湖の方に行ってみるわね。……ビューネはどうする?」
「ん」
いつものように一言だけ呟き、ビューネは馬に乗ったまま湖に向かう。
ビューネもまた、湖が気になっていたのだろう。
その理由が巨大なスライムなのか、それとももっと別の湖に棲息する生物なのかは定かではないが。
水狼のように、湖に棲息するモンスター……あるいはモンスター以外にも魚を含めて多種多様な生物がおり、それらの中には愛らしい容姿を持っている個体もいる。
ビューネがそちらに興味をもってもおかしくはない。
(ビューネの馬は少し不満そうな様子に見えるけど)
馬にしてみれば、自分の主人であるビューネが自分以外に興味を向けるのはやはり面白くないのだろう。
とはいえ、それで実際にどうこうするとは思わないが。
「ヴィヘラには言うまでもないと思うけど、気を付けろよ」
「分かってるわ。迂闊に巨大なスライムに触ったりとかはしないから、安心してちょうだい」
そう告げると、ヴィヘラはビューネと共に湖に向かう。
その後ろ姿をセトと見送っていると、野営地に残っていた冒険者が近付いてくる。
「レイ、ヴィヘラは何をしに来たんだ? 今は穢れだったか? あの件もあるし、野営地にいない方がいいと思うんだが」
「そうだな。俺もその意見には賛成だ。ヴィヘラの戦闘力は高いが、黒いサイコロとの戦闘の相性という点ではかなり悪いし」
「だろう? なら、連れてこない方が……」
「それを言って聞くと思うか?」
「う……」
レイに尋ねた男も、そう返されると何も言えなくなる。
この男はヴィヘラとそこまで深い付き合いという訳ではないが、それでも今の状況を思えばとてもではないがヴィヘラが自分の意見を取り下げるとは思わなかったのだろう。
実際にはもし本当にレイが真剣に言えば、ヴィヘラが聞き届けた可能性はある。
だが、巨大なスライムに触れるのは危険だったが、そこまで……それこそ触れるのが危険だと言える程に危険な訳ではない。
そうである以上、ここでレイがヴィヘラに何かを言っても説得力がなかった。
「ヴィヘラのことなら、そこまで心配することはないと思うぞ。ヴィヘラの強さはお前も知ってるだろう?」
「そう言われると、俺も何も言えなくなるな。実際、ここにいる中でヴィヘラと戦って勝てる奴がいるとは思えないし」
「だろう? そしてお前達はずっとここにいるけど、問題はない。そうなると、ヴィヘラも問題がないということになる」
「……俺達は自分から進んで巨大なスライムに触れるなんてことは、全く考えていないけどな」
「う……」
今度はレイが何も言えなくなる。
実際、この状況でヴィヘラが巨大なスライムにちょっかいを出さないとは限らない。
レイは一応触れないようにとは言ってあるが。
ただ、ヴィヘラの場合は万が一という可能性があるのは間違いなかった。
「と、取りあえず大丈夫……だと思う。うん。きっと大丈夫だ。恐らく……多分」
「喋っているうちに、どんどん自信がなくなっているぞ。……そんなに気になるのなら、見てきたらどうだ? それでもし何かあったら止めればいいし」
「そうだな。そうした方がいいか」
ようやく……本当にようやく、巨大なスライムを倒せるようになったのだ。
それをもしヴィヘラが妙な真似をして駄目になってしまったらどうなるか。
レイとしてもかなりショックなのは間違いない。
そうならないようにする為には、やはりレイが直接様子を見に行く必要がある。
「じゃあ、頑張れよ」
そう声を掛けられたレイは、頷くと湖に向かう。
ちなみにセトは近くにいた冒険者の一人に料理を貰っていたので、放っておく。
……ちなみにその料理はニールセンに食べさせようと妖精好きの冒険者の男が干し肉を使って作った料理だったのだが、ニールセンを見つけることが出来なかったので、セトに食べさせたらしい。
レイがヴィヘラと話している時に木の幹から生えたように、ニールセンはレイと一緒にトレントの森にいたのだから、幾ら料理を作ってもそれを食べさせる相手がいなかった以上、それは仕方がないのだが。
一瞬、レイはその件について説明をしようかとも思ったが、今レイがここにいる以上、ニールセンも近くにいるのは間違いなく、それでも出てくる様子がないのだからその料理はニールセンが気に入らなかったのだろうと判断して、結局何も言わずに湖に向かう。
「これは……おいおい、嘘だろ! 今まで燃え続けていた巨大なスライムが燃えている!? どうなっている!」
レイが湖に近付くと、一人の研究者と思しき者が燃えている巨大なスライムを見ながら叫ぶ。
燃え続けていた巨大なスライムが燃えるというのは、明らかに表現としてはおかしい。
おかしいのだが、それでも事情を知っている者であれば納得するだろう。
燃え続けている巨大なスライムというのは、それだけ圧倒的な存在感を持っていたのだ。
(うわ、これは不味いか? というか、穢れの一件があるのに何で研究者がここにいるんだ? ……研究者だからか)
元々研究者がこの湖までやって来るのは、あくまでもダスカーが事態の解明であったり、この湖について多少なりとも分からないことを知ることが出来ればいいというダスカーの要望によるものだ。
また、ダスカーの直接的な影響力を行使するのが難しい、国王派や貴族派と繋がりのある研究者も多い。
そうである以上、ダスカーも問答無用で研究者達の行動を制限するといった真似は出来ない。
普通なら穢れについて説明すれば、危険だと判断する者もいるだろう。
しかし、研究者の場合はそうもいかない。
それこそ穢れについて知れば、それを自分が解明したいと考える者も出て来るだろう。
危ないから、命の危険があるから近付かないようにと言っても、それを素直に守れる者ばかりではない。
そうして叫んでる研究者の近くには、護衛なのだろう冒険者の姿があり、そこから更に離れた場所にはここまでやって来た時に使ったのだろう馬車もある。
巨大なスライムが燃えて以前よりも明らかに小さくなっていることに驚き、憤慨すらしている研究者。
そんな研究者が燃え続けている巨大なスライムに向かって走り寄ろうとしているのを、冒険者は必死になって止めている。
この冒険者は研究者の護衛なのだから、燃え続けている巨大なスライムに近付こうとする研究者を止めるのは当然だった。
……ただし、そんな研究者の視線の先、巨大なスライムの近くにはヴィヘラの姿があり、燃え続けているその身体を確認している。
ふぅ、と。
ヴィヘラが巨大なスライムに触れるようなことをしていなかったので、レイは安堵した。
やはり先程の冒険者との会話は、特にフラグでも何でもなかったのだろうと。
ただ、このまま放っておけばいずれ巨大なスライムに触れそうな気がするので、出来るだけ早くヴィヘラに話し掛けた方がいいのは間違いなかったが。
レイは巨大なスライムの前にいるヴィヘラに向かって近付いていく。
「おい、お前! その燃えてる奴に近付くと危険だぞ! そっちの女も危ないから離れろ!」
冒険者に押さえられている研究者の男が、レイに向かってそう叫ぶ。
それが少しだけレイにとって意外だった。
今の話の流れからすると、自分の研究が一番大事で、それ以外はどうでもいいというタイプのように思えたのだ。
しかし、こうしてレイやヴィヘラの心配をしている。
(もしかしたら、燃えている巨大なスライムに妙なちょっかいを出されたくないとか、そういう理由かもしれないけど)
そんな疑問を抱きつつ、レイは研究者を押さえている冒険者に視線を向ける。
そのまま押さえておいてくれというレイの視線の意味を理解した冒険者は素直に頷く。
セトがいないので、レイがレイであると認識するのは難しかったのだろうが、それでもレイの身体の動かし方や、何よりもヴィヘラのいる場所に向かっていることで、レイをレイだと認識したのだろう。
「おい、私をどうこうするよりも、あのローブを止めた方がいいんじゃないか!?」
ローブの男ではなくローブとだけ表現したのは、レイが男か女か判断出来なかったからだろう。
そんな声を向けられた冒険者は、研究者を押さえつつ口を開く。
「大丈夫ですよ。あいつは深紅のレイです。有名人だから、聞いたこともあるのでは?」
「あれが? ……ええい、いいから離せ。もうあの燃えている巨大なスライムに近付こうとは思わん!」
研究者もレイの名前は知っていたのか、驚きの表情を浮かべる。
それでいながら、そんなレイが巨大なスライムに近付くのなら、自分はそうしない方がいいだろうと思えるだけの判断力はあったらしい。
そんな研究者の様子を見た冒険者は、その言葉が嘘ではないと判断して押さえていた手を離す。
自由になった研究者は、改めてレイを見る。
この研究者は湖に対して強い興味を持っていたのは間違いない。
だが同時に、その湖の主であるという巨大なスライムについても同様に強い興味を持っていた。
そんな巨大なスライムを燃やしたレイには色々と言いたいことすらある。
……この巨大なスライムは明らかに周囲に対して敵対的な存在で、もし放っておけばギルムに大きな被害が出た可能性が高い。
しかし、それはあくまでもそうなったかもしれないというだけで、確実にそうなった訳ではないのだ。
「むぅ。あの巨大なスライム……どこか以前見た時よりも小さくなってるような……これはもしかして、深紅のレイが何かをしたのか?」
実際に黒いサイコロによって食われ、それによってレイの魔法に対抗する力がなくなって小さくなっていった巨大なスライムなのだが、それを直接見ていたレイとは違い、研究者は毎日のように湖まで来ている訳ではない。
また、それを抜きにしても巨大なスライムの元々の大きさから、正確にその差異を理解出来ないという一面もあるのだろう。
これでもう暫く時間が経過し、それによって誰が見ても分かる程に小さくなっていれば、研究者も分かるかもしれないが。
野営地にいる冒険者達は、巨大なスライムが黒いサイコロに食われている光景を直接目にしているので、縮まっているという前提条件を知っている関係で縮まっているというのは十分に理解出来る。
研究者達の視線を感じつつも、レイはそれを特に気にした様子もなくヴィヘラに話し掛ける。
「で、どうだ?」
「どうって、何が?」
「この巨大なスライムを見て、何か思うところがあったのかと思ってな」
「うーん、そうね。こうして改めて見ると……異様よね」
「それは否定しない」
ヴィヘラの口から出た言葉が予想外だったので、レイは一瞬の躊躇もなく同意する。
普通に考えて、延々と燃え続けているスライムというのは異様としか言えない。
それどころか、その燃え続けているスライムは圧倒的なまでの大きさを持つのだ。
それを巨大と言わず、何と言うべきか。
「でしょう? ただ……こうして見ると、私とは相性が悪そうよね」
「まぁ、ヴィヘラの場合はな」
ヴィヘラの基本的な戦闘スタイルは格闘だ。
そんな素手や足の攻撃、あるいは手甲の爪や足甲の踵から伸びる刃といった攻撃をしても、巨大なスライムに有効的な攻撃かと聞かれれば、その答えは否となる。
あるいは延々と手甲の爪や足甲の刃でスライムの身体を削り取っていけば、最終的には勝利となるかもしれないが、それは園芸用のシャベルで丘の土を掘って移動させるといった真似をするのと同じようなものだ。
やろうと思えば出来るだろう。
しかし、実際にそれをやるには大きな労力が必要となり、普通に考えればそんな真似はしない。
また、今はレイの魔法によって燃やされ続けているものの、それを抜きでと考えれば、巨大なスライムも黙ってやられたりはしないだろう。
そんな風に思いつつ、レイはヴィヘラと会話を続けるのだった。
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