3047話

 時は少し戻る。

 ギルムにいるレイやダスカーと対のオーブを使った通信が終わり、どこかゆっくりとした雰囲気が流れたその時……


「敵だ、妙な敵が現れた! ガガ様の攻撃も通じない敵だ!」


 不意にそう叫びながら、リザードマンの一人が飛び込んできた。


「落ち着け、どうした。ガガ兄上でも勝てないだと? それはどのような敵だ?」


 やって来たリザードマンに対し、ゾゾはそう尋ねる。

 このタイミングで、ガガでも勝てない相手。

 そう聞かされたゾゾが思い浮かべたのは、当然のように穢れだった。

 レイやダスカーから聞いた話によれば、穢れというのは普通の攻撃が通じないという話だった。

 もし姿を現したのがそのような存在の場合、幾らガガであっても倒すことは出来ないだろう。

 ゾゾから見て、ガガはかなりの強さを持つ。

 転移前にゾゾが所属していたリザードマンの国では、その強さと血筋から英雄と称えられている程の者なのだから。

 もし正面から戦った場合、ガガに勝てる者はいなかったというくらいに。

 そんなガガの勝てない相手と、このタイミングでの敵。

 出来すぎであるとは思うが、それだけに今の状況を思えばその敵がどのような存在か予想するのは難しくない。

 だが、レイがいない状況でレイしか倒せないと言われている穢れの襲撃があったと考えると、それは最悪の結果となるだろう。

 だからこそ、ゾゾは出来ればガガの遭遇した敵が穢れではないことを祈ってどのような敵が現れたのかと聞いたのだが……


「黒い四角だ。それが何匹もいる!」


 そう叫ぶリザードマンの言葉に、ゾゾは微かな希望を打ち砕かれたことを知り、残念に思う。


「レイ様が来るまで時間稼ぎを。レイ様のことですから、ここに到着するまでそう時間は……」

「エレーナ様!?」


 ゾゾの言葉を遮るように、周囲に響く声。

 それはアーラの声で、その声を向けられた先にいたのは名前を呼ばれたエレーナ。

 そのエレーナは連接剣のミラージュを手に森の奥……具体的には穢れが襲ってきたと口にしたリザードマンのやって来た方に向かって歩き出す。


「私が行こう」

「エレーナ様、何故ですか!?」


 何故この状況でエレーナが穢れと戦う必要があるのかと叫ぶアーラだったが、エレーナはミラージュを手に口を開く。


「穢れの件は、派閥には関係ない。倒さなければ大陸が滅亡するかもしれないのだろう?」

「それは……」


 エレーナが言ってる内容はアーラも理解出来る。

 もし本当に穢れがダスカーから聞かされたように大陸の滅亡に繋がるものであった場合、それは派閥云々という話ではない。

 それどころか、ミレアーナ王国だけの問題でもないだろう。

 アーラにもそれは理解出来ているものの、だからこそ今回の件については素直に納得することが出来ないのも事実だった。


「レイ殿がこちらに向かっている筈です!」


 現在、穢れを倒すことが出来るのは、レイだけ。

 そう言われていたからこそ、アーラはレイに任せた方がいいのでは? と思ってしまう。

 しかし、そんなアーラの言葉にエレーナは真剣な表情で口を開く。


「レイに任せきりなのはどうだろう。レイ以外にも穢れを倒せるのなら、それは今後助かる筈だ。それこそ、大陸の危機になるかもしれない時、貴族派に所属する私がその穢れを倒す手段を持っているのは大きい。……安心しろ。試してみて、どうしようもなかったらレイが来るのを待つ」


 自分の身を犠牲にしてといったことは考えていない。

 そう告げるエレーナに、アーラは少しだけ安堵し……


「では、私も行きます。私はエレーナ様の護衛なのですから」

「……そうか。では行こう」


 アーラの言葉に数秒沈黙した後で、エレーナはそう告げる。

 エレーナにとって、アーラが穢れとの戦いで役立つとは思えない。

 基本的にその剛力を活かして戦うという戦闘スタイルである以上、触れた存在を黒い塵にして吸収するという能力を持つ穢れを相手にした場合、アーラの攻撃が通じるとは到底思えないのだ。

 それでもアーラを連れていくことにしたのは、もしここで自分が断っても、アーラは間違いなく自分の言葉に従わないと理解出来たからだろう。

 何があろうとも、自分と一緒に来る。

 それが分かったからこそ、エレーナはアーラが一緒に来ることを認めたのだ。

 そうしてエレーナとアーラが移動したのを見ると、ゾゾもすぐに指示を出す。


「こちらからも人を出す。ただ、穢れについての説明はレイ様の説明で理解出来た筈。攻撃力ではなく、回避能力の高い者が向かってくれ」


 実際には詳細な説明をしたのはダスカーだったのだが、ゾゾにしてみればダスカーに対しては同胞の扱いという点で感謝しているものの、それよりも自分が忠誠を誓ったレイの方が重要だったのだろう。


「ゾゾの話を聞いたな? こっちからも人を向かわせるぞ。この場所の護衛を任されている訳じゃない姫将軍が行ったんだ。俺達からも人を出さないという選択肢はない!」


 冒険者達の指揮を執っている男の言葉に、話を聞いていた者達の中の数人が早速口を開く。


「回避が得意な奴がいいんだろう? なら、俺が行く」

「俺も回避は得意だ。一緒に行こう」


 そうして数人が自分も行くと言う。

 何も情報がない状況で穢れと遭遇したのなら、対処出来ずに絶望的な気持ちになってもおかしくはない。

 何しろ基本的に攻撃は通用しない相手なのだから。

 そうである以上、基本的には逃げるという対処方法しかない。

 また、未知の存在であるだけに、迂闊に攻撃をすればどのような反応をするのかというのも分からない。

 そういう意味では、穢れについての情報をレイやダスカー、エレーナといった面々から聞いていたというのは大きい。


「分かった。ただ、基本的には敵を引き付けるように動いてくれ。決して無理をするなよ」


 この場で指揮をする冒険者に、それを聞いた者達は当然だと頷く。

 ここにいる冒険者は、ギルムの中でも精鋭と呼ぶに相応しい冒険者だ。

 それは実力だけではなく、性格的な意味でも。

 純粋に技量だけなら、この場にいる冒険者より上の者はそれなりにいる。

 しかし、そのような者達は基本的に性格に問題があった。

 この場合の問題というのは一般的な問題ではなく、突拍子もないことをやったり、ギルドの方でも予想外の行動をしたりといったような、そんな感じで。

 ここに集まっているのは、そういう問題のない……意図的に悪い表現をするのなら、ギルドにとって計算がしやすく扱いやすい存在だった。

 そのような者達だけに、ギルドとしても出来るだけ死んで欲しくないと思う。

 指揮を執っている冒険者は勿論、他の冒険者も自分達がギルドにとってどのような存在なのかは知っている。

 だからこそ、ここで迂闊に死ぬなどといった真似をするつもりはなかった。

 リザードマンと冒険者の中から、回避を得意としている者達がエレーナとアーラを追う。

 トレントの森の中を進むこと、十分程。

 周囲の様子を警戒しながらの移動だったので、それなりに時間は掛かったものの、それでもエレーナ達に追いつくことに成功する。


「私と一緒に来る以上、戦いに巻き込まれないように注意するように」


 そう告げるエレーナの言葉は、どこまでが本気で言ってるのか分からない。

 ただ、それでもエレーナがそのように言うのなら恐らく何らかの広範囲攻撃の手段を持ってるのだろうと、そう納得した。


「分かりました。私達は回避に専念します」


 冒険者の一人がそう言う。

 これが普段なら……今のように緊急の事態でない場合なら、姫将軍の異名を持つエレーナと会話をするのに緊張し、あるいは喜びに浮かれていたかもしれない。

 だが、今はそのようなことをしているような余裕はない。

 だからこそ、今はエレーナとの会話でも浮かれたり緊張したりといったことはなかった。

 全員が一丸となって進み、更に数分。

 やがて進行方向から数人のリザードマン達が走ってくるのが見てとれた。


「ガガは?」

「ガガ様は俺達を逃がす為に……」


 リザードマンの一人の言葉を途中まで聞いただけで、エレーナはミラージュを手に走り始めた。

 他の者達もすぐに後を追う。


「おい、待て! 敵はこっちの攻撃が効かない! 行ってもガガ様の足手纏いになるだけだ!」


 悔しそうに叫ぶリザードマン。

 もし攻撃が通じるのなら、ガガが敵を倒すと信じることが出来た。

 しかしそのような真似が出来ない以上、ガガ以外の者が戦場にいれば足を引っ張るだけだと、そう理解しているのだ。


「知っている! あれは穢れの一種だ! 倒すことが出来るレイが今ここに向かっているから、やるのは時間稼ぎだけでいい!」


 冒険者の一人が、足手纏いになると叫んだリザードマンに対してそう返し、エレーナ達を追う。

 その場に残されたリザードマンは、今の言葉の意味を考える。

 自分達がどうしようもなかった敵を倒せるのがレイなのだと。

 その言葉の意味が真実かどうかまでは分からない。

 分からないが……このまま逃げるつもりがなくなり、今来た道を引き返すのだった。






「よし、敵の動きはこっちに引き付ける! お前も逃げろ!」

「しかし、ガガ様!」


 ガガは自分と一緒に戦っていた……正確にはダメージを与えられないで、時間稼ぎをする程度しか出来ていなかったリザードマンに叫ぶ。

 既にここに残っているリザードマンは、ガガを含めて三人だけだ。

 黒い四角……もしレイが見れば黒いサイコロと呼ぶその存在と遭遇したガガは、自分達では倒すことが出来ないと判断すると、相手の隙を突いて……より正確には相手を自分に引き付けるようにして、一人ずつ逃がしていったのだ。

 そんな中で最初に逃げ出したのが、生誕の塔まで援軍を呼びに来たリザードマンだった。

 そうして一人、また一人と逃がしていった結果、現在ここに残っているのはガガを含めて三人になったのだ。


「分かっているだろう、こいつには勝てない。なら、今は少しでも……」

「ですから、そういうことであれば私がここに残ります!」


 叫ぶリザードマンにしてみれば、ガガをここに残すというのはまず有り得ないことだ。

 これからのリザードマンを率いる者として、ガガは重要な人物なのだから。

 そうである以上、やはり最後に残るのは自分が、あるいはガガ以外のもう一人かのどちらかしかない。

 だというのに、ガガはそれに否と言う。

 そんなガガに何とか考えを翻して貰おうと口を開いたところで、もう一人のリザードマンが叫ぶ。


「悪い、交代してくれ! 引き付けるのは難しくなってきた!」


 黒いサイコロに追われるのは一人でいい。

 その一人は五匹の黒いサイコロに追われることになるが、その間にガガともう一人は休むことが出来るのだ。

 しかし、五匹の黒いサイコロはそれぞれ逃げているリザードマンを追うが、だからといって全ての黒いサイコロが同じ速度や同じコースで追ってくる訳ではない。

 そして黒いサイコロに触れれば、その部位は黒い塵となって吸収されてしまう。

 これが最初にレイ達が遭遇した黒い塊なら、まだ移動速度もそこまで速くはない。

 しかし、黒いサイコロになると移動速度は黒い塊よりも明らかに上がっていた。

 ……もっとも、黒い塊には黒い塊で厄介なところがあったのだが。

 具体的には、不定形で移動している最中も動きを変える。

 つまり、当たる寸前に回避するといった見切りが出来ないということを意味している。

 それでいながら、見ているだけで強烈な嫌悪感を抱かせるというのは変わらず、それもまた逃げ続けるのを難しくしている一因だった。


「分かった。では、ガガ様……」

「待て、俺が行く」


 ガガがリザードマンの言葉にそう告げる。

 そんなガガの言葉に、リザードマンは否定しようとし……


「どうやら間に合ったらしい」


 え? と。

 聞こえてきた声にリザードマンとガガが視線を向ける。

 一体誰が姿を現したのかと。

 これがここまで切迫した状況でなければ、ガガは聞こえてきた声に聞き覚えがあったことに気が付いただろう。

 しかしこのような状況では、とてもではないがそのことに気が付くようなことはなかった。

 なかったが、それでも声のした方に視線を向けるとそこにいる者の姿をしっかりと把握出来る。


「エレーナ!?」


 そう、そこにいたのはエレーナだ。

 実際にはエレーナの後ろにはアーラの姿があり、その後ろには冒険者達やリザードマン達がいるのだが、エレーナの姿を見てそちらに意識が向けられてしまったのだろう。


「私のいる方に向かってこい! 合図をしたら大きく左右どちらかに回避しろ!」


 そう叫ぶと、エレーナは呪文を唱え始め……そして巨大なドラゴンの頭部がエレーナの側に浮かび上がり……


「今だ!」


 その言葉と同時に、黒いサイコロを引き付けていたリザードマンは反射的に左に跳ぶ。

 次の瞬間、浮かび上がったドラゴンの口からレーザーブレスが放たれ、五匹の黒いサイコロを呑み込むのだった。

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