3046話

 領主の館にある執務室で、対のオーブを使った話はまだ続いていた。

 とはいえ、対のオーブの向こう側では少しでもニールセンから話を聞こうとする者達を、指揮をしている者や、アーラが黙らせつつのものだったが。

 エレーナが騒いでいる者の鎮圧に加わらなかったのは、そうした場合は騒いでいた者だけではなく他の者までもが緊張してろくに動けなくなってしまうからだろう。

 姫将軍という異名は、そこまでの力を持っているのだ。

 ……もっとも、力を持っているという点ではランクA冒険者にして深紅の異名を持つレイもまた相応の力を持つのだが、レイの場合は同じ冒険者ということでそれなりに生誕の塔の護衛をしている者達と親しいというのがある。

 また、何だかんだとレイは生誕の塔の野営地に顔を出していることも、この場合は関係しているのだろう。


『では、穢れの件が解決するまでレイは野営地で寝泊まりをしながら、穢れ……聞いた話によると黒い塊や黒いサイコロといった存在が出てくるまでは倒すのですね?』

「そうなる。ただ、それと並行して他に穢れを倒せる手段がある者がいるのなら確認しておきたい」


 ダスカーにしてみれば、穢れの相手をレイだけにさせる訳にはいかないと思っているのだろう。

 もしこの状況でレイが穢れの件だけに関わっていられなくなった場合、その時に穢れが出て来たらどうなるか。

 倒す手段がない場合、本当に穢れに好き勝手をさせることになってしまう。

 また、レイがいた場合であっても同時多発的に穢れが姿を現した場合は、レイだけで対処に手が回らない可能性もある。

 そうなった時、レイ以外に対処の出来る者がいるのは、大きな力となる。


『そうなると、まずは私達からですか?』

「そうだ。お前達はギルドからの信頼が厚く、実力も高いと認識されている冒険者だ。そうである以上、もしかしたら穢れを倒す手段があるかもしれない」


 そう告げるダスカーに、聞いていた方は少し困った表情を浮かべる。

 仮にも高ランク冒険者である以上、当然だが奥の手の一つや二つは持っている者が多い。

 しかし、それを人前で簡単に使う訳にいかないのも事実。

 また、奥の手を使うのに何らかの触媒のような代償が必要となる場合もあるのだ。

 そのような触媒の類は基本的にそう安いものではない。

 生誕の塔の護衛の報酬はそれなりに高価だが、そのような触媒を使えば赤字になるという者もいるのだろう。

 話していた冒険者の男の態度から、それとなくその理由を察するダスカー。

 王都で騎士をしていた時なら、あまりそういうのに気が付くこともなかっただろう。

 だが、辺境にあるギルムの領主として冒険者に接する機会の多いダスカーだけに、その辺の事情についても何となく理解出来るのだ。


「もし穢れとの戦いにおいて、何らかの金銭的な損害が出た場合は、こちらで補償しよう」


 あっさりとそう言うダスカー。

 触媒の類は高価になるのは間違いないが、それを使った場合はその触媒を新しく買い換えるだけの報酬は別途支払うというダスカーの言葉に、対のオーブに映し出されている中の数人が安堵した様子を見せる。

 普通なら雇い主がそんな風に言ってもあっさりと信用されることもないだろう。

 しかし、そこは今までの経験が物を言う。

 ダスカーはギルムの領主として、今まで多くの冒険者と接してきた。

 勿論、その全ての冒険者に満足出来る対応をしたという訳ではない。

 中にはダスカーの対応に不満を抱いた者もいただろう。

 だが、それでも多くの冒険者にとっては十分に満足出来ており、だからこそダスカーのこの言葉に皆が納得したのだろう。

 ダスカーにとっても、正直なところ金で解決出来るのならそれは安いものだ。

 ミレアーナ王国唯一の辺境ということで、ギルムに集まる金は多い。

 現在は増築工事の為に結構な金額が出ていっているのは間違いないが、仕事を求めて多くが集まっており、そこからの収入もかなり大きい。

 それ以外にも、まだ試験的な販売ではあるが緑人によって生み出された香辛料は既に結構な収入になっている。

 そのようなダスカーにしてみれば、多少の――あくまでもギルムの収入で考えてだが――金を支払うだけで穢れを倒すことが出来るかもしれないのなら、それに手を出さないという選択肢は存在しない。


『ありがとうございます、ダスカー様。それならここにいる者達も、その穢れというのが出て来た場合は対処出来るでしょう』


 そう言う男。

 だが、実際には自分の奥の手は出来るだけ他人に見せたくないと思っている者も多い。

 そのような者に具体的にどうやってその奥の手を使わせるのか。

 その辺りは、男のやり方次第だろう。


「では、これからレイをそちらに戻らせる。妖精郷や妖精については、レイに聞くといい」

「げ」


 小さく、だがそれでも確実にレイの口からはそんな声が漏れる。

 そんなレイの手の中では、ニールセンがショックを受けたレイの動きを見逃すようなこともなく、一気にその手の中から抜け出す。


「あ」

「へへん、レイがダスカーから言われたんだから、私達の説明についてはレイがしなさいよね!」


 そう言いながら、執務室の中を飛び回る。

 レイはそんなニールセンに悔しげな表情を浮かべていたが、対のオーブの向こう側ではそんなレイ達とはまた違う状況になっていた。

 ニールセンが喋っていたり、レイに掴まった状態で見せられたりといった光景は見ていたものの、対のオーブ越しとはいえ妖精がこうして自由に飛んでいる光景を自分達の目で見ることが出来たのは……特に妖精という存在に強い興味を抱いていた者にしてみれば、非常に嬉しいことだったのだろう。

 目が輝いているのが、対のオーブ越しにでもレイには分かった。


(あれ? これってちょっと不味いんじゃ?)


 妖精にここまで興味を持つのはいい。

 しかし、だからといってその興味に突き動かされるままに、妖精をどうにかしようと考えるのは不味いだろう。

 妖精の輪という転移能力を持つが、それでも優れた冒険者ならそれをどうにかしてしまうかもしれない。

 多分大丈夫。

 半ば自分にそう言い聞かせながらも、一応生誕の塔に戻ったら冒険者達の指揮をしている男に話をしておいた方がいいかもしれない。

 そんな風に考えつつ、レイはダスカーに視線を向ける。


「取りあえず説明が終わったようですから、そろそろ生誕の塔に戻りたいんですけど、構いませんか?」

「構わない。色々手間を取らせたな」

「いえ、ダスカー様が説得してくれたので、向こうの方でも信じてくれたんですし。……じゃあ、そっちに戻るから対のオーブを切るぞ」


 ダスカーに挨拶をしてから、レイは対のオーブに手を伸ばし、通信を切る。

 もし向こうでまだ何か言いたいことがあった場合、生誕の塔に戻ってから色々と話をすればいいだろうと思いながら。

 対のオーブをミスティリングに収納すると、ふとレイは気になっていたことを尋ねる。


「そう言えば、樵達の方はどうなりました?」

「ん? そっちはギルドの方に任せてある。ワーカーからしっかりと説明されている筈だ」

「そうですか。なら、問題なさそうですね」


 護衛の冒険者はともかく、樵はギルドマスターというお偉いさんに会うことになって緊張しているかもしれない。

 そう思いつつも、酒場で飲んでるんだろう酒がいい感じに緊張をほぐしているだろうと思っておく。


「樵達への説明は分かりましたけど、木の伐採は明日からも続けるんですか?」


 これはレイにとってどうしても聞いておかなければならないことだ。

 レイは生誕の塔の側にある野営地で寝泊まりしながら、樵達の方に穢れが姿を現した場合、すぐにでもそちらに駆けつける必要があるのだから。


「そのつもりだ。樵達には悪いが、建築資材は今でも決して十分にある訳じゃない。危険度が大きくなった以上、報酬も昨日よりも上がることになっている筈だ」


 金で問題をどうにかするのかと言われてもおかしくはない。

 だが同時に、樵達は金を稼ぎにギルムに来ているというのも事実。

 より多く金を稼がせ、危険に関してもレイに何かあったら対処出来るように準備をして貰う。

 そう考えれば、ダスカーの報酬を上げるというのは決して間違ってはいないのだろう。

 レイもその辺については特に責めるようなことはなく、頷く。


「分かりました。なら、ニールセンを通して長から連絡が来たら、こっちもすぐ動けるように準備しておきますね」

「頼む」

「ああ、それと……その、セトに乗って普通に移動すると騒動になるので、敷地内から飛び立ってもいいですか?」

「構わない。向こうでも少しでも早くレイが来るのを待ってるだろうしな」


 ダスカーのその言葉に、自分を戦力として待っているのではなく、妖精について聞きたいから待っているのだという風に聞こえたのは、きっとレイの気のせいではないだろう。

 そんなダスカーの言葉に何かを言おうとしたレイだったが、今は取りあえず黙っておいた方がいいだろうと考えて執務室から出るのだった。






「グルゥ!」


 レイを見つけたセトは、嬉しそうに喉を鳴らしながら近付いてくる。

 ただし、そのクチバシには何らかの料理……恐らくスープか何かの痕跡があった。

 レイが来るまでの間に、セトは料理長によって料理をご馳走して貰っていたのだろう。

 領主の館にいる料理長は、以前からセトを可愛がっていた。

 だからこそ、今回もセトが来ていると知って料理を用意したのだろう。


「どうやら美味い料理をご馳走になっていたみたいだな」

「グルルゥ? グルゥ!」


 うん、と。

 レイの言葉を聞いて、セトは嬉しそうに喉を鳴らす。

 レイを見た時も嬉しそうに喉を鳴らしていたが、それとはまた別の意味で現在はこうして喉を鳴らしていた。

 そんなセトを、少しだけ羨ましそうに見るレイ。

 領主の館の料理人は、非常に腕がいい。

 貴族を含め、多くの者を招待した時に出す料理を作るのだから、腕がいいのは前提条件だった。

 その上で、その腕を活かして何をどうするのか。

 それがこの場合は問題なのだ。

 例えば、今回は食べることが出来なかった一口サイズのサンドイッチ。

 サンドイッチというのは、具をパンで挟むといった単純な料理だが、そのような単純な料理だからこそ作った人物の技量が大きく反映される。

 そういう意味では、レイにとって領主の館で働いている料理人を非常に評価していた。


「さて、じゃあここでの用事も終わったし。生誕の塔に戻るか」


 そう言った瞬間、ドラゴンローブの中でレイの身体を蹴るニールセン。

 ニールセンにしてみれば、生誕の塔……つまりトレントの森に戻るのは仕方がないにしても、出来ればもう少しゆっくりしていたかったのだろう。

 例えば、どこかの屋台で買い食いをしていくといったように。

 執務室から出てすぐにドラゴンローブの中に入れられたニールセンにしてみれば、少しくらいはゆっくりさせろといったところか。

 とはいえ、レイは出来るだけすぐ生誕の塔に戻るつもりであった以上、ここで寄り道をするという選択肢は存在しなかった。


「我慢しろ」


 身体を蹴ったニールセンにそう告げると、レイはセトの背に乗る。


「ダスカー様から、直接ここから飛び立ってもいいという許可は貰ってきた。エレーナの迎えの馬車も向かわせることになってるから、もうやることはない」


 樵達が伐採した木も、既に運んだのだろう。

 レイが置いた場所には既になかった。


(樵達も、半日程度だが今日の分の報酬は貰えるだろうし……ワーカーから色々と説明されるのも、俺に何も言ってきたりはしないよな?)


 樵達や冒険者達にしてみれば、レイが説明すると思っていたのだ。

 そんな中で、レイの代わりにギルドマスターのワーカーが説明をするのだから、説明をされる者にしてみればレイに対してふざけるなと言ってもおかしくはない。


「グルルルゥ?」

「ああ、悪い。じゃあ、生誕の塔に向かうか」


 そう言うと、セトは数歩の助走で翼を羽ばたかせながら空に向かって駆け上がっていくのだった。






 ギルムを出てから数分も経たないうちに生誕の塔が見えてきた。

 生誕の塔の側には湖が存在し、その近くには未だに燃え続けているスライムの姿もある。

 地上を見ているレイの右肩には、ドラゴンローブから出て来たニールセンの姿がある。


「ニールセン、そろそろ生誕の塔に着地するけど、いいか?」

「ええ。……って、ちょっと待って。長から……」


 レイの言葉に、慌てた様子でニールセンが叫ぼうとした次の瞬間、生誕の塔の側にドラゴンの頭部が姿を現したと思うと、レーザーブレスを放つのだった。

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