3017話

 妖精郷を出たセトは、当然のように霧の空間も走って抜ける。

 その途中で霧の空間を守っている狼達とも遭遇したものの、セトは軽く喉を鳴らすだけで通りすぎた。

 狼達はいきなりのことだったので、一体何があったのかといったように驚きを露わにしていたが……セトの背に乗っているレイにしてみれば、そんなのは特に気にするようなことでもない。

 そして事実、狼達は妖精郷から飛び出してきたセトの存在に驚きつつも、混乱するようなことはなかった。

 妖精郷に突っ込んでいったのではなく、妖精郷から飛び出してきたというのが大きかったのだろう。

 あるいはそれが見知らぬ相手なら、狼達も攻撃をしたりしたかもしれない。

 しかし、妖精郷から飛び出してきたのはセトだ。

 しかも臭いでレイやニールセンがいるというのも理解していた。

 そうである以上、ここでわざわざ追うといったようなことは必要ないと判断したのだ。

 霧の空間を飛び出したセトは、目的の場所に向かって走る。


「それにしても、その穢れの関係者は、一体どうやって姿を現したんだと思う?」


 セトの背に跨がっているレイが、自分の右肩に立っているニールセンに尋ねる。

 レイはニールセンから以前穢れの関係者と戦った場所に新たな穢れが……あるいは穢れの関係者が現れたとしか聞いていないので、具体的に何がどうなって今のような状況になったのかというのは、分からない。

 だからこそ、こうしてセトが走っている間にレイは今回の一件のもっと詳しい事情をニールセンから聞こうと思っていたのだ。


「そう言っても、私に分かる訳がないでしょ? ただ……そうね。長が穢れを感じた以上、穢れがあの場所にあるのは間違いないわ」

「そうなると、以前の経験を活かして生け捕りにしたりせず、一気に殺してしまうのがいいな」


 迂闊に生け捕りにして穢れの関係者の情報を引き出そうとした場合、恐らくは……いや、確実に以前と同じように穢れを飲み込み、自殺するだろう。

 ただの自殺なら情報を引き出すことが出来ないという意味で残念ではあるのだが、穢れの関係者のそれはただの自殺ではない。

 穢れを飲み込むことによって、モンスター……いや、魔石がない以上、正確にはモンスターでもないのだが、とにかくそのような存在になってしまうのだ。

 それはレイにとって非常に厄介だった。

 黒い塵の人型は、攻撃をしても塵がすぐ人の形に戻るのだ。

 レイの魔法を使い、それでようやく燃やしつくすことが出来る。

 他にも何らかの手段でそのような相手をどうにかする手段はあるのかもしれないが、生憎と今のところはレイの魔法しかないのも事実。

 そうである以上、面倒なことになるよりも前にとっとと片付けた方がいいのは間違いない。


(一度、ギルムの高ランク冒険者や異名持ちとかを集めて、黒い塵の人型を殺せる手段があるかどうか試してみる……無理か)


 その考えを、レイは即座に否定する。

 冒険者の中には、自分の奥の手を隠しておきたいと思う者も少なくない。

 レイの場合は火災旋風であったり、魔獣術のスキルであったりと奥の手は色々とある。

 特に現在、地形操作というスキルと霧の音というマジックアイテムを入手したことにより、今までレイの代名詞であった火災旋風以外の広域殲滅の手段を手にしていた。

 ……いや、地形操作と霧の音は広域に影響を与える魔法ではあるものの、殲滅という言葉は合わない。

 大きな影響を与えるという意味では事実だが、相手を迷わせるようなことは出来るものの、火災旋風を使うように多数の敵を攻撃するといった真似は出来ない。

 レイは自分のスキルを隠すような真似はしていないものの、自分の奥の手を隠している者はもし黒い塵の人型をどうにかすると言っても、それを受け入れるかどうかは別のことだった。


「とにかく、穢れをどうにか出来る手段を用意しておくのは悪くない」

「そうなってくれると、こっちも嬉しいけど……大丈夫なの?」

「その辺はダスカー様とギルドに任せるしかないだろうな。……そろそろか?」


 流れていく景色が、どことなく見覚えのあるものになってきたような気がしたレイは、そう呟く。

 しかしその言葉に絶対的な自信はない。

 これが昼間なら、しっかりと周囲の景色を確認することも出来たのだろう。

 しかし今はもう夜だ。

 森の中というのは、昼と夜では大きく違う。

 レイの目から見ても、自分の見ている光景が本当に自分の思っている場所なのかどうか、分からない。

 だが……それはレイにとっての話であって、トレントの森についてはレイよりも詳しいニールセンには、夜であっても現在自分達がどこにいるのかというのは十分に理解出来ていた。


「そうね。もう少しで到着すると思うわ」


 レイの少し戸惑った声に、そうニールセンは返す。

 そんなニールセンのことばを聞いて、レイは納得の表情を浮かべた。

 どうやら自分の予想は間違っていなかったらしい、と。


「なら、そろそろ穢れについての気配とか、そういうのを感じても……いたな」


 言葉の途中でレイは何者かの気配を感じ取り、そう呟く。

 だが、気配を感じ取ったのは間違いないものの、その口調に安堵した様子はない。

 もし感じた気配の主が、以前レイが戦ったのと同じような穢れの関係者達……つまり、戦闘能力そのものは普通の者達と変わらない相手だった。

 しかし、今こうしてセトの背に乗っているレイが感じたのは、そんな者達とは明らかに違う気配。


(何だ? これは……人? 何か違うような気がするんだが)


 レイの感じたその気配は、明らかに人とは違う。

 そしてモンスターや動物とも違うように思えた。

 だとすれば、それ以外の存在……そう思ったレイが思い浮かんだのは、黒い塵の人型だった。

 人の死体が穢れによって変化したその存在。

 その黒い塵の人型と気配の特徴が似ているように思えた。


「グルルルルゥ」


 レイが感じた気配は当然のようにセトも感じていた。

 セトはレイよりも察知能力が鋭いのだから、レイが感じた気配についてはレイよりも先に察知していてもおかしくはない。

 そんなセトの鳴き声に、レイは右肩のニールセンに視線を向ける。


「どうやら待っているのは穢れの関係者ではないらしい。それこそ、穢れそのものと表現すべき奴だ。長にはニールセンの見てる光景は伝わってるんだよな?」

「ええ、それは問題ないわ。私の方でも長と繋がってるのが分かるもの」


 レイの問いに、ニールセンは即座に頷く。

 その表情が微妙なのは、自分の行動を長に見張られているという思いがあるからだろう。

 いつものように何らかの悪戯の類をしようものなら、それこそ後で一体どんなお仕置きをされるのか分からないという恐怖もあるのは間違いない。

 いつもであれば、レイもそんなニールセンをからかったりするのだが、今の状況ではそんなことをしている余裕はなかった。


「分かった。なら、これから接触する奴がどういう存在なのかは分からないが、それでも敵の外見は長の方で把握出来る訳か。なら、少しは……本当に少しは気楽だな」


 レイは半ば気休めといった様子で呟く。

 ニールセンはそんなレイの言葉を聞きながら、相手が穢れに関係する何かであった場合、自分にも出来ることがあったら即座に行おうと決意する。

 レイがこのように言うのだ。

 相手は楽に倒せるような存在でないのは間違いない。

 ならば、自分の魔法もそれなりに使えるだろうと。

 ガメリオン狩りをした時は、周囲の草は殆ど枯れていたのでニールセンの魔法では数秒ガメリオンの動きを止めるような真似しか出来なかった。

 しかし、この森なら違う。

 勿論春や夏のような力は発揮出来ないだろうが……それでも草原よりは自分の魔法は相応に効果がある筈だった。


「接敵するぞ」


 セトの背に乗っているレイが、ミスティリングからデスサイズと黄昏の槍を取り出し、そう告げる。

 接触するのではなく、接敵する。

 それはつまり、最初からこの先にいる相手が敵であるとレイが認識しているということを意味していた。

 もっともそれはニールセンもまた同様だ。

 敵は穢れの気配を漂わせている存在なのだ。

 そのような相手である以上、戦いにならないという選択肢はまずないのは明らかなのだから。

 半ば枯れかけている茂みにセトが突っ込み……その瞬間、レイの目に入ってきたのは、黒い塊。

 夜だから黒いという訳ではない。

 太陽に照らされている中であっても、それが黒いのは変わらないだろうと、そう思えた黒。

 黒いモンスターというだけなら、そこまで珍しい話ではない。

 しかし、そんな黒とは違い、何故かは分からないが、その黒い塊は見ているだけで心の中に強烈な嫌悪感が湧き上がってくる。

 一体何故そのように思うのかは、その嫌悪感を抱いているレイにも分からない。

 また、黒い塊は一つだけではなく、二つ、三つ、四つ……と、数える限りでは十以上はあった。

 空中を浮かんでいる黒い塊は、不定形と評するのが相応しいだろう。

 空中でそれぞれに好き勝手に動いてはその形を変えている。

 大きさは人の頭部程。

 ただし、そんな中で他の黒い塊と違うのが一つだけ存在していた。

 他の黒い塊は人の頭部くらいの大きさなのに対し、その黒い塊は直径一m程の円球で、しかも他の黒いとは違って動く様子はなく一ヶ所に留まっている。

 一体この黒い塊がどういう存在なのかは分からない。

 だが、見ているだけで生理的な嫌悪感を抱かせる何かがあるのは間違いない。




「飛斬っ!」


 そんな嫌悪感に促されるように、レイはデスサイズを振るって飛斬を放つ。

 放たれた斬撃は、真っ直ぐ黒い塊に向かって飛んでいき……


「ちっ、やっぱりか」


 黒い塊を切断したものの、次の瞬間には二つに分かれた黒い塊は、再び一つになる。

 あるいは切断したのではなく、実は斬撃が黒い塊を通りすぎただけなのかもしれない。

 しかし、その結果そのものはレイにとってもある程度予想出来たもので、今の一撃はあくまでも確認の為の一撃でしかない。

 黒い塵の人型の件を思えば、この黒い塊が同じような性質を持っていてもおかしくはないのだから。

 実際には黒い塵の人型と目の前に存在する黒塊の持つ性質は微妙に違うのだが。


「レイ、どうするの!?」


 焦った様子で叫ぶニールセン。

 黒い塵の人型を見ているレイと違い、このような穢れを見るは初めてのニールセンだけに動揺は大きい。


「どうすると言われてもな。このままには出来ないだろ。……何故か今は向こうもこっちを認識してないみたいだが」


 飛斬で切断された黒い塊だったが、その攻撃を行ったレイに反撃をしてくる様子はない。

 ただ、夜の森の中を漂っているように見えるだけだ。

 ……見るだけで嫌悪感を抱く存在が多数いるのを思えば、この状況をただ浮かんでいるだけといったように表現するのはレイとしてもどうかと思うのだが。


「私の魔法……使ってみる?」


 ニールセンが一応といった様子で尋ねてくるが、レイは首を横に振る。


「あの様子から見ると、植物も……って、おい」


 言葉の途中で、レイは自分の見た光景に思わず呟く。

 トレントの森というのは、基本的には多くの木が生えている。

 例外は樵達が伐採している場所だが、レイ達が現在いる場所は樵達が働いているところからは大きく離れている。

 そうである以上、この辺りにも当然のように木々は生えており、不定形の黒い塊が空中を動き回っていれば、当然だが生えている木に触れることもある。

 それ自体はそこまで驚くようなことではない。

 だが……黒い塊の触れた場所が黒い塵になって黒い塊に吸収されるといったようなことになれば、話は違う。

 木の幹の半ばまでもが黒い塵となって黒い塊に吸収されると、どうなるか。

 当然のように、木の幹がそのままという訳にはいかない。

 ずず、と。そしてメキメキ、と。

 そんな音を立てながら、木の幹は半ばから折れていく。

 レイ達にとっては幸いなことに、その木が倒れた方向はレイ達のいる場所ではない。

 そのおかげで倒れてくる木への対処を考える必要はなかったが、それはあくまでも今の状況での話だ。


「これは……本当に厄介だな」

「そうね。触れただけでああなるなんて、ちょっと洒落にならないわ」

「グルルゥ」


 レイ達は揃って自分の意見を口にする。

 そんな真似をしながらも、やはり黒い塊に対する嫌悪感というのはどうしようもない。

 未だに心の中に存在するその思いを出来るだけ意識しないようにしながら、レイはニールセンに向かって尋ねる。


「それで、この光景は長も知ってるんだろう? 向こうではどんな風に思ってるのかは分からないか?」

「一方通行だから、無理よ」

「倒して下さい」


 ニールセンが無理だと口にした瞬間に聞こえてきた声に、レイ達はそちらに視線を向ける。

 するとそこには、険しい表情で黒い塊を……その中でも一番大きな黒い塊を睨み付けている長の姿があった。

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