3018話
いつの間にかレイの側に姿を現した長。
その姿に、レイは驚くことしか出来ない。
ここに近付いてくる気配の類を感じることが出来ていれば、レイもそんなに驚くことはなかっただろう。
だが、気配も何も感じさせるようなことはせず、長はレイの側にいたのだ。
「グルゥ……」
驚いたのはレイだけではなく、セトも同様だった。
いや、寧ろ驚きの理由としてはセトの方が大きいだろう。
レイは通常の人間や獣人よりも五感が鋭い。
だが、セトはそんなレイよりも更に鋭い感覚を持っているのだ。
それだけに、セトも長がいつの間にか自分のすぐ側にいたのは信じられない程の驚きだったのだろう。
レイとセトが驚いているのだから、ニールセンもまた驚いている。
しかし、その驚きはレイやセトよりも大分少ない。
これは長を詳しく知っているニールセンと、付き合いの浅いレイとセトといった違いがある。
長との付き合いの長いニールセンは、それこそ長ならこの程度のことはやってもおかしくはないと……いや、寧ろこの程度のことはして当然だろうと思っていたのだ。
だからこそ、今こうして突然長が自分の隣に姿を現しても、驚きはしているものの、レイやセト程に驚いてはいない。
そんな落ち着いたニールセンを見たレイは、自分の中の驚きが消えて、納得の気持ちが強くなる。
(考えてみれば、妖精には妖精の輪という転移能力があるんだ。それにマジックアイテムでも一応転移は出来るようになっている。そう考えると、長が転移してくるのはそこまで驚くべきことでもない……のか? もっとも、何の前触れもなくってのは明らかにおかしいけど)
何か転移してくる前兆のようなものでもあれば、レイもまたそのことに納得出来たのかもしれない。
しかし、生憎とレイはそのような前兆を感じられなかった。
本当に気が付けば、すぐ隣に長の姿があったのだ。
「どうしました? レイ殿」
自分の方を見て首を傾げる長に、レイは何と答えればいいのか少し迷いつつも口を開く。
「どうしたというか、何でいきなり俺の側にいるのか、それが全く分からないんだが? ……まぁ、それはいいとして。結局あれは穢れと何らかの関係があると思っていいんだよな?」
見るだけで嫌悪感を抱く、不定形の黒い塊を示してレイが尋ねる。
そんなレイの言葉に、長は一瞬の躊躇もなく頷く。
「はい。あれは穢れと関係している存在で間違いはありません」
「以前ここで戦った穢れの関係者とは随分と違うけどな」
「それは、以前戦ったのはあくまでも人が穢れの欠片を持っていたのに対して、ここにいる存在は穢れそのもの……」
なのです。
そう言おうとした長だったが、その言葉は木の倒れる音によって強制的に中断される。
何があったのかとレイは驚く……までもない。
視線の先で倒れている木は、先程見た時と同じように折れている場所が黒い塵となって黒い塊に吸収されていたのだから。
「穢れかどうかはともかく、触れただけで木が倒れるってのは厄介だな。……今のところこっちに対して露骨に敵対するつもりはないようだが」
攻撃してくる様子もないからこそ、レイ達はこうして離れた場所で様子を見ながら会話をすることが出来ている。
しかし、このままだと色々と面倒なことになるのは間違いない。
黒い塊が触れただけで木が折れるのだから、そのような存在を放っておけば、そこら中の木が折れる。
……それだけではない。
今は木にしか触れていないので特に問題はないものの、それ以外の……例えば動物や生き物、あるいは人間や妖精達に触れたらどうなるのか。
それは、まさに考えるまでもないだろう。
「見ての通り、あの黒い塊はそのままにしておけば大変危険です」
「けど、問題なのはどうやって倒すかだよな。……スキルを使っても駄目だったし、やっぱり魔法か?」
実際に黒い塵の人型を倒した経験があるだけに、レイが真っ先に思いついたのは魔法だった。
とはいえ、魔法を使う場合は周囲に延焼させないように効果範囲を区切って魔法を使う必要がある。
ただでさえ、今は秋で空気が乾燥しているのだ。
そうである以上、下手なことをすれば山火事……いや、森火事になる可能性が高い。
トレントの森に生えている木は、ギルムの増築工事に必要な資材だ。
そもそもトレントの森の木が資材として使える……それどころか普通の資材ではなく、魔法的な処置をすることで金属にも負けないくらいに強固で、しかも魔法に対して強い防御力を持つということが判明したからこそ、ダスカーはギルムの増築工事に取り掛かることにしたのだ。
そんな中で、その決定打となったトレントの森の木が全て燃えた場合、どうなるか。
それはギルムの増築工事に大きな影響を与えることになる。
それもプラスの影響ではなく、マイナスの影響を。
他にもトレントの森に存在する生誕の塔で寝泊まりをしているリザードマン達や、その護衛をしている冒険者達にも被害が出るだろう。
勿論、それはあくまでも最悪の結果だが。
そもそも黒い塵の人型を倒した時は、周辺の草原に被害は出なかったのだから、同じような魔法を使えばいい。
「お願い出来ますか? 今はこちらに対して攻撃をする様子はありませんが、穢れという存在を考えると、いつ攻撃的になってもおかしくはありません。それこそ、最悪の場合はあの黒い塊がそれぞれ別の場所に向かってもおかしくはありません」
長のその言葉に、レイは心の底から嫌そうな表情を浮かべる。
触れるだけでその場所を黒い塵に変え、吸収してしまう黒い塊。
それが長の言うように四方八方に散らばっていくというのを考えると、それこそ最悪の結末しか思い浮かばない。
レイとしては、出来ればそのようなことにはなって欲しくなかった。
だからこそ、長の言葉にすぐに頷く。
「分かった。やってみる。……ただ、これが本当に成功するかどうか分からない。それこそ下手に刺激を与えて、あの黒い塊を変な風に暴走させてしまう可能性もある」
今は自分達に向かって攻撃をするようなことはないものの、それはあくまでも今だけだ。
もしレイの魔法によって自分達が死ぬ……黒い塊に死ぬといった現象が起きるのかどうかは分からないが、とにかく自分達にとって危険だと判断した場合、それを行った者……レイに攻撃をしてくる可能性は否定出来ない。
そうである以上、今は何かあったら即座に対応出来るようにしてから攻撃をする必要があった。
「お願いします」
穢れについて知っている長も、レイの言葉を大袈裟だとは思わない。
ある意味ではレイよりも黒い塊に対して警戒心を向けている。
「じゃあ、やるぞ」
呟き、レイはデスサイズを手に意識を集中して呪文を唱え始める。
『炎よ、汝は我が指定した領域のみに存在するものであり、その他の領域では存在すること叶わず。その短き生の代償として領域内で我が魔力を糧とし、一瞬に汝の生命を昇華せよ』
呪文を唱えつつ、デスサイズの石突きを地面に突き刺す。
するとそこから地面を走るように赤い線が延びていく。
その線は黒い塊のうちの半分近くを取り込む。
黒い塊の位置の関係上、一番巨大な黒い塊は線で囲むことは出来なかった。
それを少しだけ残念に思いつつ、魔法を発動する。
『火精乱舞』
魔法が発動すると同時に、地面に引かれた赤い線から半透明の膜がドーム状に広がって黒い塊を閉じ込める。
同時に赤いドームの中には数え切れない程のトカゲの形をした火精が姿を現し……そして次の瞬間、トカゲの一匹が爆発した。
その爆発そのものは威力はあるものの、そこまで大きな爆発ではない。
だが、この魔法の恐ろしいところは、ここらからだった
一匹のトカゲが爆発すると、それと連鎖するように他のトカゲも爆発する。
一匹が三匹、十匹、二十匹……といったように、連鎖して赤いドームの中が無数の爆発によって覆われることになる。
その爆発だけでも、相手に大きなダメージを与えることが出来るのだが、この魔法の最大の効果は最後のトカゲが爆発したその瞬間に発揮される。
灼熱の炎。
そう表現するのに相応しい炎がドームの中で荒れ狂うのだ。
それこそ炎に触れるどころか、熱せられた空気そのもので周囲を燃やしつくしてもおかしくはないような、そんな圧倒的な灼熱の炎。
しかし、レイの魔法によって生み出された赤いドームの中は灼熱の地獄と化しているものの、その外……ドームから少し離れた場所では全く熱を感じない。
赤いドームが熱を完全に遮断しているのは間違いなかった。
そんな赤いドームを見ていたレイは、だがすぐに周囲に視線を向ける。
黒い塊は、触れた存在を黒い塵にして吸収するという能力を持っている。
そうである以上、場合によってはレイが魔法で生み出した赤いドームですらも黒い塵にして吸収するといった真似が出来るかもしれない。
「俺の魔法に影響はあるか?」
「グルルルゥ!」
レイの疑問に真っ先に答えたのは、セト。
そんなセトの視線の先を見れば、そこには丁度赤いドームに触れた黒い塊があった。
レイが見たところ、黒い塊に知性の類があるようには思えない。
それこそ適当に動き回り、それに触れた存在を黒い塵にして吸収するといった……生物というよりは、それこそ兵器か何かのようにすら思える存在だ。
そうである以上、狙ってドームに触れた訳ではなく、偶然触れてしまっただけだろう。
ともあれ、そんな黒い塊が触れても赤いドームに何も影響がないことにレイは安堵する。
「どうやら問題ないみたいだな。後は……あのドームの中で黒い塊が焼滅してるかどうか」
黒い塵の人型は、この魔法で滅んだ。
それこそ再生するといったようなことも出来ない程に焼かれて消える、焼滅と呼ぶべき状況になったのだ。
その魔法が、黒い塊にも通用するかどうか。
その辺は実際にやってみないと何ともいえない。
「あ、ちょっと、レイ! 長!」
爆炎が閉じ込められている赤いドームを見ていたレイだったが、不意にニールセンの声が聞こえてくる。
「ニールセン?」
「ほら、あっち! あの大きな黒いの!」
その言葉にレイと長は黒い塊の中でも一番大きな存在……他の黒い塊とは違って動き回るようなことはなく、一ヶ所に留まっている黒い塊に視線を向ける。
ニールセンが驚きの声を上げるのは、どういうことかと視線を向け……
「マジか」
その視線の先にあった光景を見て、レイの口からそんな声が漏れる。
長も声には出さないが驚いているのは間違いないだろう。
セトもまた、驚きで喉を鳴らす。
他よりも大きな黒い塊から、不意に別の……周囲を動き回っているのと同じような黒い塊が出て来たのだ。
「出て来た……けど、あれって分裂じゃなくて大きな黒い塊から出て来たといったような、そんな感じがするな」
黒い塊がどういう生態……いや、性質を持っているのは、レイにも分からない。
特定の生物やモンスターのように、何らかの条件で自分を分裂させるといったようなことをしてもおかしくはないのだ。
もしくは分裂ではなくて子供なのかもしれないが。
しかし、遠くから見ている限りでは分裂の類には思えない。
そもそもの話、分裂をすれば普通ならそのベースとなった方もその分だけ小さくなっていないとおかしい。
(いや、モンスターに普通とか、そういうことを考えるのが間違ってるのかもしれないけど。それ以前にモンスターじゃなくて穢れか)
赤いドームからそう離れていない場所に存在する、この場で一番大きな黒い塊。
それを見ていたレイは、ふと気が付く。
「長、もしかしてあれ……分裂とかそういうのじゃなくて、あの黒い塊から出て来てるとか、そういうことじゃないか?」
「……どういう意味です?」
レイの言葉の意味を理解出来なかったのだろう。
長はその言葉に不思議そうに尋ねる。
それでいながら、もしかしたらレイは自分が気が付いていないようなことについて気が付いたのではないかと思ったのか、真剣な表情をレイに向けていた。
「つまり、あの一番大きな黒い塊は他の黒い塊とは違って自我……いや、こういう表現は正しくないか? とにかく、好き勝手に動いて周囲を攻撃したりするような存在じゃなくて、どこかと繋がっている空間がああいう風に見えるんじゃないかと思ったんだが」
レイがそのように思ったのは、トレントの森の中央の地下に存在する、異世界に繋がる穴を自分の目で見て、何よりもその穴を通ったことがあったからだろう。
「つまり……それは、あの黒い塊の先には穢れが、あるいは穢れの関係者が存在していると?」
緊張した様子で尋ねる長に、レイは頷くのだった。
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