3016話

 トレントの森を進んでいたレイ達だったが、やがて道の先にボブの姿を発見する。

 そのボブは、いつもとは違って不満そうな様子を見せて口を開く。


「レイさん、僕を置いていくってどういうことですか!?」

「……悪い。すっかり忘れてた」


 ボブも生誕の塔にやって来ていたのだが、気が付けばレイの姿はなくなっていた。

 ちょっと生誕の塔に行ってくるといったことを伝言として聞かされてはいたのだが、それでも自分が置いて行かれるというのは納得出来なかった。

 そもそも、ボブはここから妖精郷に戻るのも難しい。

 道については十分に理解しているものの、トレントの森には多くのモンスターが存在している。

 だからこそ、そのような存在と遭遇してしまえば逃げないといけない。

 いけないのだが、それが成功するかどうかはまた別の話だ。

 モンスターに遭遇した時、レイがいない場合は最悪の結末となる可能性が高い。


「はぁ、……まぁ、こうして合流出来たからいいんですけど。もしかしたら、ここに置いていかれてたかもしれないんですか?」

「多分ニールセンが気が付いていたと思う」

「勿論よ! 私がボブを置いていく訳がないでしょう?」


 レイの言葉にニールセンがそう言うものの、ボブは素直に納得出来た様子はない。

 実際のところ、レイもまたニールセンに話を振ったものの、久しぶりにドラゴンローブを出て嬉しそうにしていたニールセンの様子を思えば、恐らくボブのことは忘れていただろうと思う。

 とはいえ、それでも妖精郷に戻った時にボブを連れていなければ、他の妖精からボブはどうしたのかといったように聞かれており、急いで生誕の塔まで戻ってきただろうが。


「そうですか。ならいいです」


 ニールセンの言葉を聞いたボブは、あっさりとそう答える。

 ニールセンの言葉を信じているのか、それともこの状況で何を言っても意味はないとおもったのか。

 その辺りはレイにも分からない。

 取りあえず騒動が収まったし、ボブも最初こそ不満そうだったが、今は特に怒った様子がない以上、その辺は気にすることはないだろうと判断する。


(妖精郷に到着する前の、それこそセトに乗った時にここに来る時と何かが違うといったように違和感があった……かもしれないな)


 本当にそのようなことになったのかどうか、正直なところレイには分からない。

 分からないものの、今はそれについては触れないでおく。


「全員揃ったし、そろそろ妖精郷に戻るか。妖精郷の方でも、こっちを待ってるかもしれないし」


 夏であれば、まだそれなりに明るさがあるような時間なのだが、秋の今となってはもうかなり薄暗い。

 レイは夜目が利くのでこの程度の明るさであっても問題はないのだが。

 それでも完全に暗くなるよりも前に、妖精郷に戻っておきたいと思うのは当然だろう。


「そうね。夜になると穢れの関係者が出て来るかもしれないし」

「いや、それはないと思う」


 まるで夜行性のモンスターのように穢れの関係者について言うニールセンだったが、別に穢れの関係者はモンスターでも何でもない。

 ……ある意味、モンスターよりも余程質が悪い存在なのは否定しようがない事実ではあったが。


「そう? でも穢れの力で、夜でも普通に行動しているように思えない?」

「それは……」

「なるほど。それはありそうですね」


 意表を突くかのようなニールセンの言葉にレイは言葉に詰まったものの、ボブはあっさりとそれに同意する。

 旅の猟師として、多くの林や森、山で行動してきたボブだけに、ニールセンの言葉には十分な説得力があったのだろう。


「なら、取りあえず夜になる前に妖精郷に戻るとするか」


 そんなレイの言葉にセトは身を屈めニールセンはドラゴンローブの中に入り、レイとボブはセトの背に乗るのだった。






「結局特に何か特殊なモンスターとかは出なかったな」


 妖精郷を覆っている霧の中を進み、妖精郷に到着したレイは残念そうにそう告げる。

 するとドラゴンローブの中から飛び出したニールセンが、レイの顔の横を飛びながら怒ったように言う。


「モンスターが出て来ないなら、それでいいじゃない! 強力なモンスターが出て来たら、ボブや私達が被害にあったかもしれないのよ!?」

「けど、高ランクモンスターが出て来た方が、ニールセンにとっても面白かったりするんじゃないか?」

「それは……まぁ、違うとは言えないけど……ちょっと長のところに行ってくるから」


 自分の今までの行動から、言い争いでは勝ち目がないと判断したのだろう。

 ニールセンは慌てて飛び去っていく。

 そしてボブもまた、妖精達が大量にやって来ては半ば強引に連れていった。

 いつもならレイにも何か食べ物をちょうだいといったように多くの妖精が集まってくるのだが、何故か今日はボブが人気となる。

 それは別に何か理由があってのことではなく、単純に妖精の気紛れだろうとレイには思えた。


(もしかしたら、長からそういう真似はしないようにと言われていたのかもしれないな)


 この妖精郷において、長の権力は絶対だ。

 他の妖精達よりも一回り大きな長は、その実力でこの妖精郷を治めている。

 実際には力による畏怖や恐怖だけではなく、十分に好意も持たれているのだが。

 とにかく、この妖精郷において長の指示は絶対だった。

 その長が妖精達に対してレイに何かちょうだいと言わないようにと指示をすれば、妖精達は絶対にそれを守る。

 楽しいことが好きな妖精であっても、長のお仕置きと引き換えにしてまで自分の楽しさを追求するということは……滅多にない。

 これが絶対にないのではなく、滅多にないとなる辺りが妖精らしいのだろう。


「ワンワンワン、ワオオオオオン!」


 これからどうするかと考えていたレイは、そんな鳴き声に視線を向ける。

 確認するまでもなく、その鳴き声が誰のものなのかは明らかだったが……事実、視線の先にいたのは狼の子供達だった。

 狼の子供達は何故かセトに懐いている。

 いや、何故かではないのだろう。

 この妖精郷にいるのは、妖精とレイとボブだけだ。

 狼達と同じ獣は、セトしかいないのだから。

 妖精郷を守っている霧の中には多数の狼達がいるのだが、その狼達が妖精郷に入ってくることは基本的にない。

 そうなると、狼の子供達としては自分達と姿や大きさは違うものの、獣であるセトに懐くのは当然だった。

 ……これでセトがもっと乱暴な性格をしていれば、狼の子供達を無視してもおかしくはない。

 しかし、セトは基本的に優しい性格をしている。

 だからこそセトはレイを円らな目で見る。


「グルゥ」


 一緒に遊んできてもいい? と、そう喉を鳴らすセトに、レイは頷きながらその身体を撫でる。


「そうだな。ガメリオンの件で少し離れていたしな。セトはその子供達と一緒に遊んできてもいいぞ」

「グルルゥ!」


 レイの言葉に嬉しそうに喉を鳴らすと、セトは狼の子供達の方に向かって走っていく。

 そんなセトの姿を見送ったレイは、あっという間に自分が一人になってしまったことに気が付く。


「何だか妖精郷に戻ってきてから、休む暇もなく皆がいなくなったな」


 気が付けば自分一人になっていたと呟くレイ。

 とはいえ、いつまでも一人でここにいる訳にもいかない。

 取りあえず今は特にやるべきこともないので、いつもの野営に使っている場所に向かう。

 途中で何人かの妖精を見たが、レイとは軽く声をかけるだけで特に集まってくる様子はない。


(こうして急に何もされなくなると、それはそれでちょっと思うところがあるんだよな)


 そんな風に思いつつ歩いていると……やがて目的の場所に到着する。

 当然ながら、朝にここで行われていた焚き火は既に完全に消えている。

 ドラゴンローブがあるし、マジックテントもあるので、レイとしては無理に焚き火をする必要はないのだが……暖房目的という意味ではなく、料理を温めたりするには焚き火はあった方がいい。

 そんな訳で適当に薪を置くと、魔法を使って火を点ける。

 レイが本気で魔法を使えば、それこそ一瞬で木は灰と化すだろう。

 だからこそ、火加減にかなり注意をしながらの魔法の行使だ。


「よし。後はマジックテントだな」


 ボブが使っているテントはそのままだったが、レイのマジックテントはその名の通りマジックアイテムで非常に貴重な代物だ。

 悪戯好きな妖精のいる場所で、出しっぱなしに出来る訳がない。

 ミスティリングから取り出し、野営の準備は完了する。


「さて、後は特にやることもないから……ん?」


 ゆっくりとしているか。

 そう言おうしたレイは、不意に視線を上に向ける。

 するとそこには、真っ直ぐ自分のいる場所に向かって飛んでくるニールセンの姿があった。


「ちょっとレイ!」

「ニールセン?」


 自分の名前を呼ぶニールセンの姿がいつもと違うことに気が付き、不思議そうな表情を浮かべるレイ。

 今のこの状況で一体何があったのか。

 正直なところ、それは分からない。

 分からないものの、ニールセンの様子を見る限りでは、何かあったのは間違いない。


(妖精郷に戻ってきたばかりなんだけどな。出来れば少しゆっくりとしたかった)


 そう思いつつも、だからといってニールセンがやって来たのに対して帰れといったようなことを言える筈もない。

 真っ直ぐ自分の方に向かってくるニールセンを待っていると、やがてそのニールセンは急いでレイの前に到着した。


「ニールセン、どうした? その様子だとよっぽどの何かがあったのは間違いないと思うが」

「穢れよ! 妖精郷からそう離れていない場所に、また穢れが来たみたいなの!」

「……厄介な」


 面倒そうにレイが言ったのは、空を見上げてだ。

 既に空では完全に太陽が沈んでおり、夜となっている。

 これが夏ならまだ夕暮れくらいだったのだが、今はもう秋である以上、この時間は既に暗い。

 レイは夜目が利くものの、それでも日中と同じように活動出来る訳ではなかった。

 だからこそ、レイはニールセンの言葉にそう思ったのだ。

 とはいえ、穢れの存在が確認された以上、レイもこのまま放っておくといった真似は出来ない。

 今のところ穢れでそこまで致命的な被害を受けてはいないものの、長の話によれば穢れにとって大陸が壊滅してもおかしくはないのだから。

 今はまだそこまでの存在と思えずとも、そのような危険があるのなら、当然だが放っておくような真似はする訳にいかない。

 だからこそ、レイは出したばかりのマジックテントを再びミスティリングに収納する。


「セト!」


 周囲に響く大声を発するレイ。

 セトならこれで自分の声を聞き、すぐ自分のいる方にやって来るだろうと思い、次にニールセンの方を見る。


「それで、穢れが出たって話だったけど、具体的にはどこに出たんだ?」

「長の話によると、この前穢れの関係者と遭遇した場所の側らしいわ」

「……それは、また。これで実は偶然とかだったら凄いんだけどな」

「普通に考えれば、そういう偶然はないでしょ」


 ニールセンにそう言われると、レイとしても反論は出来ない。

 実際にそんな偶然があるとは思っていないというのも大きいだろう。


「それにしても、穢れの関係者と遭遇した場所は妖精郷から結構離れていたと思うけど、そんな距離であっても長は感じられるのか?」

「今回は特別らしいわ。あの場所で遭遇して、穢れを飲んで死んだ。だからこそ、もしかしたら……そう思ったらしいんだけど」

「それが見事に当たった訳か。話は分かった。それで、俺はどうすればいい? 長に会いに行けばいいのか、それとも穢れの方に行けばいいのか」

「穢れの方に。それなりに数が多いらしいわ」

「グルルルルゥ!」


 そんなニールセンの言葉に反応するかのように、先程呼んだセトが姿を現す。

 そんなセトをレイは笑みを浮かべて見ると、ニールセンに視線を向けて口を開く。


「俺は行くけど、お前はどうするんだ?」

「私も行くわ。その……穢れがやって来た場所の様子はある程度把握出来ているらしいけど、距離がありすぎて完全じゃないのよ。私を通して長が向こうの状況をより詳細に把握出来るらしいから」

「分かった。なら行くか」


 そう言うとレイはセトの背に跨がり、ニールセンはレイの右肩の上に立つ。

 それを確認してからレイがセトの首を軽く叩くと、セトはすぐに走り出す。

 その途中で、いきなり走り出したセトを追い掛けてきたのだろう狼の子供達とすれ違うものの、セトは軽く喉を鳴らすだけで足を止めたりはせずに走り続ける。


「あれ? ちょ……」

「ちょっと出掛けてくる!」


 また、妖精達と遊んでいるボブとも遭遇したが、レイはすれ違いざまにそう声を掛け……そしてセトは、レイとニールセンを乗せたまま妖精郷を出るのだった。

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