穢れ
3004話
霧の音によってレイが生み出した霧は、レイが消えるようにと思うとすぐに消える。
つい先程まで、掌の先すらも見えないような濃厚な乳白色の霧が漂っていたのは何かの間違いだったのではないかと、そう思えるくらいにあっさりと。
「そう言えば、霧の濃さや広さは試してみたけど霧の温度については試してみなかったな」
霧の温度を変えるというのは、レイが長に頼んで特別に追加して貰った機能だ。
夏に暑くなった時、それを使えば快適だろうと。
ただ、レイの場合は簡易エアコン機能を持つドラゴンローブを装備しているので、寒くも暑くもない。
これはあくまでもレイと一緒に行動する者達……エレーナ、マリーナ、ヴィヘラ、アーラ、ビューネといった面々への配慮だ。
それ以外にも、何らかの理由でレイと一緒に行動することになるような者達がいた場合も、暑さによって本来の実力を発揮出来ないということはないだろう。
……もっとも、既に秋も本番だ。
朝と夜はかなり涼しく……いや、寒くすらなっているので、実際に霧の音で涼を取るというのは来年に持ち越されたのだが。
(あ、でも霧は水分で出来てるんだよな? でその水分は俺の魔力な訳で……砂漠とかそういう場所でなら、これって実はもの凄い価値を持つんじゃないか?)
ギルムは林や森や山、草原、川、湖と非常に自然が豊かな場所だ。
そんなギルムに比べると、以前レイが行ったことのある砂漠というのは空気そのものが乾いており、水は年に何度か降るかもしれないといった程度の雨や、オアシスくらいにしか存在しない。
しかし、もしそのような場所で霧の音を使ったらどうなるか。
まず日中の猛烈な暑さ……否、熱さは幾分かマシになり、水分も霧によるものだが多少はある。
勿論、砂漠の広さを考えると、霧で得られる水分というのは文字通りの意味で焼け石に水でしかないだろう。
それでもないよりは随分とマシなのは間違いなかった。
(とはいえ、それは俺が砂漠に行かないと何の意味もないんだが)
レイにしてみれば、何の理由もなくわざわざ砂漠に行くようなつもりはない。
「レイ? どうしたの?」
「霧の音をどうやったら有効に使えるのかと思ってな」
「呆れた。レイのスキル……地形操作だっけ? それと組み合わせて使うというのを思いついたんでしょ? なのに、それでもまだ足りないの?」
「こういうのは、どれだけ考えついてもいいんだよ。それが実際に出来るかどうかというのは、やってみないと分からないけどな」
「ふーん。そういうものなの? で、取りあえず霧の音の効果は確認出来たんだし、これからどうするの? 妖精郷に戻る?」
そう言いながらも、ニールセンは微妙に気が進まない様子だ。
長の前で、レイが霧の音の使い心地を確認する為に一緒に行くと言ったのが気になっているのだろう。
長の前から早くいなくなりたいと、そう態度で示したようなものだったのだから。
長は特に怒っている様子はなかったものの、それでも本心は分からない。
そうである以上、今は出来ればあまり妖精郷に戻りたくなかったのだろうが……
「そうだな。なら、妖精郷に戻るか」
レイの口からは、あっさりとそんな言葉が漏れる。
まさかレイがすぐにでも戻ると言うとは思っていなかったニールセンだったが、霧の音の性能を確認出来た以上、ここに残っていても特にやるべきことはない。
敢えてこの状況でやるべきことを探すとすれば、この辺りに棲息するモンスターを倒し、それが未知のモンスターなら魔石を奪うというくらいか。
黒豹がいたことからも分かる通り、トレントの森にはレイが戦ったこともないようなモンスターも普通に姿を現す。
そういう意味では、それなりに未知のモンスターの魔石を入手出来る機会はあるのだが。
それでもモンスターを探すよりは、まず長に霧の音は無事に発動して、思い通りに動かせるようになったと報告する方が先だ。
レイは若干不満そうな様子を見せるニールセンとセトと共に、妖精郷に戻るのだった。
「そうですか、無事に霧の音が発動したようで何よりです。レイ殿に渡すマジックアイテムですので、しっかりと問題ないように作ってはいたのですが……それでも、実際に動かしてみないと何とも言えなかったので、安心しました」
妖精郷の奥にある、長のいる場所。
そこに戻ってきたレイは、無事に霧の音が発動したということを説明した。
それを聞いた長は、安堵した様子を見せる。
長にとってレイは恩人だ。
それも一つや二つの恩ではなく、多数の恩がある。
そのような相手に渡したマジックアイテムが、実は発動しなかったらどうなっていたか。
そうならず、無事に霧の音が発動したことは長にとって嬉しい出来事だった。
しかし、長が嬉しそうな表情を浮かべたのも一瞬。
やがて心配そうな表情が浮かぶ。
「それで……約束の霧の音の件はこれで終わりましたが、レイ殿はこれからどうなさるのでしょう? もう妖精郷から出ていくのでしょうか?」
長にしてみれば、穢れの件もあるので出来ればレイにはまだ妖精郷にいて欲しいと思うのだろう。
「うーん、どうだろうな。正直なところ、妖精郷は俺にとってかなり都合のいい場所にあるのは間違いないんだよ」
ギルムにレイがいた場合、クリスタルドラゴンの件で多くの者が接触を求めてくるのは間違いない。
つまりレイがギルムにいるとなると、迂闊に外出出来ないのだ。
あるいは見つからないように外出しても、自分がレイであると見つからないように移動する必要がある。
そうなると当然ながらセトと一緒に行動することも出来ない。
そんなギルムと比べると、妖精郷でなら自由にすごすことが出来る。
妖精達や狼の子供達がレイに向かって集まってくるが、それもギルムとは違って対処が可能だ。
最悪、妖精の場合は長の名前を使えばいい。
それでいながら、ギルムまでは数分程度の距離――あくまでもセトに乗っての場合だが――であり、何かあったらすぐギルムに行ける。
また、レイも穢れについての危険を承知している以上、それを放っておく訳にはいかない。
そしてレイが知ってる限り、長は一番穢れに詳しい。
それ以外の諸々についても考えると、この妖精郷という場所はレイにとって非常にやりやすい場所なのは間違いなかった。
「では?」
レイの様子を見て、もしかしたらと思ったのだろう。
期待の視線を向けてくる長にレイは頷く。
「ああ、取りあえず今すぐに妖精郷から出るということはしない。ガメリオン狩りにも参加したいしな。……こっちは難しいか?」
ギルムにとって秋から冬に掛けての風物詩、ガメリオン狩り。
その先駆けとなる一匹を倒すことには成功したレイだったが、まだ一匹だけだ。
やはりギルムを拠点にしているレイにしてみれば、ガメリオン狩りに参加しないという選択肢は存在しなかった。
……もっとも、ガメリオンの肉というだけならこれまでの数年間で確保してきた分が大量にミスティリングに収納されているのだが。
それこそ、まだ解体されていない個体ですらそれなりにある。
時間が流れないミスティリングなので、どのガメリオンの肉も新鮮なのは確実だ。
だが……それでも、やはりレイとしては出来るだけガメリオン狩りには参加したいと、そう思うのだ。
「レイ殿が妖精郷にいるのであれば、ガメリオン狩りというのに参加しても問題はないと思います。ただ、あまり人目に付きたくないので、妖精郷にいるのでは?」
「そうなんだよな。ガメリオン狩りをしているところで、こっちに接触してくるような奴がいると、それはそれで困る」
「では、ガメリオン狩りというのに行かない方がいいと思うのですが」
「長の言いたいことは分かる。けど、ギルムに堂々と行くのはともかく、出来ればガメリオン狩りには参加したいんだよな」
そうしなければならない決定的な理由がある訳ではない。
しかしレイにとってガメリオン狩りというのは、毎年恒例の出来事。
それこそ穢れの一件でどうしようもないのならともかく、特に参加出来ない理由がないのなら、是非参加したいと思う。
クリスタルドラゴンの件で面倒が起きるからという理由では、レイにとってガメリオン狩りを止める理由にはならないらしい。
「ガメリオン狩りってそんなに楽しいの?」
レイの意固地な様子を見て、ニールセンもガメリオン狩りに興味を抱いたのか、そんな風に尋ねてくる。
最近は妖精郷の中での仕事が多く、長と一緒にいる時も多かった。
その為、ストレスもかなり溜まっているのだろう。
それはレイも分かる。だが……
「言っておくが、ニールセンを連れていく訳にはいかないぞ」
「ちょっと、何でよ!」
納得出来ないといった様子で叫ぶニールセン。
しかしレイは不満を口にするニールセンに対して首を横に振る。
「俺だけがガメリオン狩りをするのは問題ない。けど、今回のガメリオン狩りについては俺以外にもギルムにいる多数の冒険者が参加するんだ。そうなると、ニールセンが見つかる可能性が高い」
これでガメリオン狩りに参加するのが、低ランク冒険者だけであればレイもここまで厳しくは言わないだろう。
離れた場所でガメリオン狩りをしていれば、ニールセンの存在が敵に見つかるといった心配はいらないのだから。
だが、高ランク冒険者が参加してるとなると、話は違ってくる。
高ランク冒険者であれば、当然ながらその五感も普通より鋭かったり、セトの嗅覚上昇のように五感を一時的に上昇するスキルやマジックアイテムの類を持っていてもおかしくはない。
そのような相手にレイがニールセンと一緒にいるのを知られたら、どうなるか。
それは考えるまでもなく明らかだろう。
ただでさえレイはクリスタルドラゴンの一件で面倒なことになっているのだから。
(あ、でも今の状況でもう面倒なことになってるんだから、これ以上面倒なことにはならない……という考えも、ない訳じゃないのか?)
一瞬そんな風に思うレイだったが、それでも余計な面倒は出来るだけ避けた方がいいのは間違いない。
「レイ、今何か面白い事を考えたでしょ!」
レイの様子を見て何かに感づいたのだろう。
ニールセンはレイに向かってそう叫ぶ。
自分の考えが顔に出ていたのか?
少しだけそんな風に思うレイだったが、動揺を表情に出さないようにして首を横に振る。
「いや、そんなつもりはない」
「ほら、つもりって言った、つもりって! 何もないなら、レイだったらそんなことはないって言うでしょ!」
レイがニールセンと一緒にいたのは、そんなに長い時間ではない。
しかし、そのような時間であってもニールセンはレイの性格を完全ではないにしろ、見抜いていたのだろう。
「ぐ……」
図星を突かれたレイは、ニールセンの言葉に何か言った方がいいのは間違いないと思うのだが、実際には何も言えなくなってしまう。
「ニールセン、そんなにレイ殿に無理を言うのは、どうかと思いますよ」
困ったレイを助けたのは、長。
長のその言葉に、レイは助かったと思う。
ニールセンが長を苦手にしているのは十分に理解している。
そうである以上、こうして長に言われれば大人しく引き下がると思っていたのだが……
「けど、長。私がレイと一緒に行動していると、色々と便利ですよ?」
「……なるほど」
ニールセンの言葉に、長は少し考える。
実際にニールセンがレイと一緒にいた場合、色々と便利な状況になるのは間違いないと、そう思っているのだろう。
「どうでしょう、レイ殿。穢れの件もそうですし、ニールセンが一緒にいると妖精郷に関して何かあった時も、すぐに話を通せますが」
「……そう言われるとちょっと困るな」
レイはダスカーが穢れの件で王都に連絡したのを知っている。
そしてダスカーから、近いうちに――それが雪の降る前か、春になってからかは分からないが――王都から誰かしらがやって来るというのは聞いていた。
そのような者達に穢れの件を話すとなると、妖精郷の件についても当然話す必要がある。
あるいは、王都に連絡をした内容の中に妖精郷について書かれていてもおかしくはない。
その件について妖精郷をどう扱うかといった話をする場合、まさかレイが妖精郷の扱いについてどうこうと言える訳がない。
勿論、妖精郷を襲撃するといったようなことを考えている場合は反対するものの、そのようなことにならず、普通に妖精郷をどう扱うかといった話になった場合、ニールセンがいた方が手っ取り早いのは事実。
もしニールセンがいない場合は、それこそレイが一度話を聞いてそれを妖精郷にいる長に知らせるか……もしくはレイとエレーナで使っている対のオーブを使うといったことになるだろう。
そう考えると、やはり自分がニールセンと一緒にいた方が手っ取り早いと考え……やがて頷くのだった。
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