3002話

「うわぁ……」


 レイの頭の側を飛んでいたニールセンの口から、そんな声が出る。

 数秒前まで、周辺はレイとセトがスキルを好きに使った結果として、荒れに荒れていた。

 それこそ実はここが戦場だったと言われても納得出来るような、そんな状況だったのだ。

 だというのに、レイが地形操作というスキルを使っただけで、その荒れた大地は完全に消えてしまった。

 勿論、大地が荒れた状態から綺麗になったからとはいえ、それで全てが完全に元通りになった訳ではない。

 具体的には、地面に生えていた草は土に飲み込まれて全て消えてしまっており、見えるのは土だけだ。


(草刈りとか、そういう依頼があったら楽そうだな。いや、別に俺がわざわざそういう依頼を受ける必要はないだろうけど)


 基本的に街中だけでどうにか出来る依頼というのは、冒険者になったばかりの者がやるような依頼だ。

 草刈りや倉庫の片付け、部屋の掃除、荷物の運搬……中には古くなった建物を壊すといったような依頼もある。

 そのような依頼を、まさかランクA冒険者で、しかも異名持ちのレイが出来る訳もないだろう。

 ……いや、実際に依頼を受けようと思えば受けることは出来る。

 ただ、当然ながらギルドの方でもいい顔はしないだろうが。


「レイ? どうしたの?」

「いや、ちょっとスキルを使って色々と試していたら夢中になってしまってな。それを少し反省していた。それでニールセンはどうしたんだ? 言っておくけど、もう昨日の黒豹の肉は残ってないぞ」

「分かってるわよ! 一体、レイは私を何だと思ってるの!」


 心外だといったように叫ぶニールセンだったが、レイにしてみればニールセンの性格を知っているからこそ、そのように言えるのだ。

 昼も近くなったところでニールセンが自分のところに来たのだから、その理由として思い浮かぶのは、やはり食事をしたいというものだと思ったのだが……ニールセンはそれを否定する。


「じゃあ、何をしに来たんだ?」

「長から言われてレイを呼びに来たの! そしたら何かもの凄いことをやってるし」

「長から? ……もしかして今の件を察知したのか?」


 長であれば、そのくらいは出来てもおかしくはない。

 そして長のお仕置きはニールセンであっても恐怖を感じるようなものなのだ。

 そうである以上、レイも今回の一件で長に何か言われる……叱られるのは勘弁して欲しいと思う。


「違うわよ」


 ニールセンが否定したことでレイは安堵したが、すると次に一体何故自分を? と疑問に思う。


「もしかして穢れについて何かあったか?」

「それも違うわ。……忘れたの? 霧の音よ。完成したらしいわ」


 一瞬、レイはニールセンが何を言ってるのか分からなかった。

 しかし、数秒が経過したことでその言葉の意味を理解する。


「本当か? 霧の音が本当に完成したのか?」

「ええ。だから長からレイを呼んで来るように言われたんだもの。……まさか、ここがこんな風になってるとは思わなかったけど」


 呆れた様子のニールセンだったが、レイはそんなニールセンに気が付かず、嬉しそうに笑みを浮かべている。

 穢れの件で色々とあったが、元々レイが妖精郷にやって来たのは以前頼んだ霧の音を受け取る為だ。

 霧の音はほぼ完成した状態だったのだが、それでも足りない素材があるということや、何よりも長の立場としては穢れの件を優先させる必要がある以上、どうしても遅くなってしまっていた。

 しかし、長にとっては予想外なことにニールセンが覚醒し、レイもまた穢れを魔法で燃やして焼滅させることが出来る――後者はまだ確実ではないが――と判明した。

 だからこそ、長も霧の音に手を回す余裕が出来て、ようやく完成したのだろう。


「なら、いつまでもこうしているような余裕はないな。早速行くか」


 待ちに待った時が来たのだから、レイはここでじっとしているつもりはない。

 すぐにでも長に会い、霧の音を貰うつもりだった。


「あー……そうね。うん。そうした方がいいわ」


 レイの様子を見ていたニールセンは、何となくやる気をなくしてそう告げる。

 本当は色々と言いたいことがあった。

 この場所で行われていたことや、それをあっという間になかったことにしたこと。

 既にこの場でレイやセトがスキルを使っていた痕跡は、草が生えていない地面くらいしかない。

 そんな真似をしながら、レイ本人には自分が大きな力を行使したという自覚が全くない。

 呆れるしかないのだが、レイの様子を見ていたニールセンはそれに突っ込むのが馬鹿らしくなったのだ。


「じゃあ、行きましょう。長も待ってるだろうから。……それにしても、朝に来た時はまだ寝てたみたいだけど、いつまで寝てたの?」

「ちょっと前だな。昨日は本当に色々とあったからな。自分で思っていたよりも疲れが溜まっていたらしい。なぁ?」

「グルルゥ?」


 長のいる場所に向かう途中で、レイ達はそんな風に話しながら進む。

 途中で何人かの妖精達がレイを見て寄ってくる。

 元々レイから何かお菓子や果実を貰おうと思った妖精は多かったが、昨夜の黒豹やガメリオンの肉で余計にそのように思う者も出て来たのだろう。


「ねぇねぇ、レイ。何かちょうだい!」

「あ、ずるい! 私にもちょうだい。甘いのがいいな」

「えー、やっぱり私はしょっぱいのがいい!」


 そんな妖精達だったが、レイが何かを言うよりも前にニールセンが前に出る。


「はいはい、その辺にしておきなさい。私達はこれから長のところに行くのよ。それを邪魔したら、どうなるか……分かってるわよね?」


 ビクリ、と。

 ニールセンの言葉に他の妖精達が即座に反応する。

 長を怒らせることになるとどうなるのかは、妖精達もよく知っていた。

 ……そんな中で、最も長にお仕置きをされているのはニールセンなのだが。

 まるで海の波が引くように、妖精達はレイ達の前から消える。


(うーん、長の影響力って凄まじいな)


 妖精達の様子に、しみじみとそんな風に思うレイ。


「さて、じゃあ他にも来ないうちに、さっさと行きましょう。ここでじっとしていれば、また集まってくるでしょうし」

「そうだな。……こうして考えると、昨日の件は失敗だったかもしれないな」


 レイはそんな風に呟く。

 昨日の一件があったからこそ、妖精達は今まで以上にレイに向かって何かちょうだいと集まってきたのだ。

 そういう意味では、半ば自業自得に近い。


「ほら、もう少しで到着するわよ」

「ん? ああ、悪い。……そう言えば、ボブの姿が見えなかったな。てっきり妖精達と遊んでいるんだとばかり思っていたんだが」

「グルルゥ」


 レイの言葉に、狼の子供達も見なかったとセトが喉を鳴らす。


「そうだな。狼の子供達も見えなかった。となると、ボブは妖精達じゃなくて狼の子供達と遊んでいるのか? いつもならセトと一緒に遊んでるのに、ちょっと不思議だな」

「そう? ボブはともかく、狼の子供達は結構気紛れよ。それこそ妖精郷に住んでいるからか、どこか妖精のような性格になってきてるみたいな」

「それは……色々な意味で大丈夫なのか?」


 妖精郷には多数の妖精がいるので、当然ながらそんな妖精達の魔力が満ちている。

 モンスターというのは、普通の動物が魔力に長いこと触れていると、動物からモンスターに変わる……ある意味で進化するのだ。

 妖精郷で暮らす狼の子供達は、ニールセンの話を聞く限りだとモンスターへの道を順調に歩んでいるように思えてしまう。


「さぁ? でもまぁ、長も考えがあってそうしてるんでしょうから、問題ないと思うわよ?」


 ニールセンの言葉には、長に対する信頼がある。

 散々長を怖がっているのは間違いないのだが、それでもニールセンにとって長というのは尊敬すべき相手でもあるのだろう。


(いつも露骨に長の前では怖がっているけど、そういう気持ちを長に見せた方がいいと思うんだけどな。そうすれば、長も……うーん、どうだろう。長のことだから、実はあまり変わらないような気がしないでもない)


 長とニールセンの関係を考えながら進むレイだったが、やがて妖精郷の中でも最も奥にある、長のいる場所に到着する。


「レイ殿、お待ちしていました」


 長はレイの姿を見ると、そう言って笑みを浮かべる。

 ここ最近は穢れの件で真剣な……もしくは深刻な表情を浮かべることも多かった長だったが、今回は穢れには関係ない為だろう。

 特に緊張した様子もなく、笑みを浮かべてレイを待っていた。


「悪いな、待たせたか?」


 そう言ってから、何だか今の自分の台詞はデートで遅れた相手に言うような一言では? と若干思ったものの、それを口に出すような真似はしない。

 長はレイのそんな様子を見ても何を考えているのか読める訳でもないので、特に何か反応するようなことはなかった。


「いえ、問題ありません。昨日は忙しかったのですから、ゆっくりと休むのはおかしな話ではないと思います」


 この忙しかったというのが、穢れの関係であったり、黒豹との遭遇であったりすることを言ってるのか、それとも宴会についての話なのかは、生憎とレイには分からなかった。

 また、それについて直接確認をするのもどうかと思ったので、それは聞かないようにしておく。

 その辺りの事情についてよりも、出来るだけ早く聞きたいことがあったからというのも、この場合は大きいだろう。


「それで、霧の音が出来たという話を聞いたんだが?」

「レイ殿をお待たせしましたが、何とか」


 申し訳なさそうな様子の長だったが、レイにとってはそこまで気にするようなことではない。

 出来るだけ早く霧の音を入手したかったのは間違いないが、だからといって穢れの件を放っておく訳にもいかなかったのだから。

 もし長が穢れの件を放っておいて霧の音を優先したら、その時は寧ろレイは長に対して怒っただろう。

 レイにはそこまでの実感はないものの、穢れというのは最悪の場合大陸を滅ぼすことになるような存在だと、そう長が言っていたのだから。


「気にするな。長が忙しかったのは分かってるしな。それに妖精の作ったマジックアイテムをこうして入手出来るんだ。このくらい待つのはどうってことはない。それで、霧の音は?」

「こちらです」


 そう言い、長が軽く手を振るとどこからともなく掌で握るくらいのことが出来る丸い宝石が姿を現す。

 最初はただの青く丸い宝石かと思ったレイだったが、その宝石がレイの前までやってくると、宝石そのものが削られており、精緻な彫り物がされているのが分かる。

 また、青い宝石の中心部分には光があるのが特徴的だ。

 光っている何かが宝石の真ん中にある訳ではなく、光そのものが閉じ込められているのだ。

 その光によって、宝石の青さはより際立ち……マジックアイテムではなく、一種の芸術品に近いのではないかとすら思ってしまう美しさを持っていた。


「これは……素直に凄いな」


 目の前に浮かぶ宝石……いや、霧の音を見ながら、レイの口から感嘆の声が出る。

 そう言いたくなるような、そんな美しさを持った存在だったのだ。

 レイの様子を見て、長は満足そうに笑みを浮かべた。

 ……本来なら、レイに渡す霧の音は宝石に近い形ではあっても、そこに彫り物の類はなかった。

 しかし色々とあって霧の音を渡すのに時間が掛かっており、更にはニールセンの件で迷惑も掛けてしまった。

 その為、少し無理をして彫り物をしたのだ。

 この彫り物は見栄えをよくする為だけのものではない。

 この彫り物によって、霧の音の効果が多少ではあるが上がるのだ。

 効果の割に手間暇はかなり必要となることもあり、端的に言うと労力の割に合わない代物だったが、外見もより鮮明に美しくなるという点では大きな意味を持つ。


「霧の音という名前だったから、鈴とか鐘とかそういう外見だと思ってたんだが……そういう外見とは全く違うんだな」

「そう言って貰えると、私としても嬉しいです」


 レイの様子に満足そうに、そして嬉しそうな様子を見る長。

 自分の努力の結果を見て貰い、それが嬉しかったのだろう。

 目の前にある霧の音に、そっと手を伸ばすレイ。

 すると目の前に浮いていた霧の音が、レイの掌の上に乗る。

 多少の重さはあるが、それでも持てない程ではない。


「正直なところ、ここまで綺麗だと手で持つのが勿体ないような……そんな気がするな。何かで保護しておいた方がいいのか?」

「基本的には手で持って使うマジックアイテムなので、そうして使って下さい。一応汚れないように保護してありますから」

「……それもマジックアイテムとしての効果なのか?」


 そう尋ねるレイに、長は満面の笑みを浮かべて頷くのだった。

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