第十二話:叫び
「ずいぶん懐かしい夢を見てたなぁ……」
そうつぶやきながら、男子寮の自室にて目を覚ました。ベッドから降りて、軽く全身を伸ばす。それなりに身体が軽い。夢見が悪くなかったからなのか。
本当に、懐かしい光景だった。幼少期、かつて帝都のスラムで生きてた頃だ。十二歳になってイエナ伯父さんに引き取られるまで、まぁ苦労に苦労を重ねていた日々だった。
はっきり言って、美しい思い出ではない。むしろ辛いことの方が多かった。実の両親の顔とか、正直あまり思い出したくない。
けど、ティグルさんがいた。
クソみたいな環境で過ごした日々にあって、あの大きくて強い女の人と過ごした記憶だけは、鮮明に脳裏へ刻まれている。銀髪の輝きも、青い瞳の美しさも、全部、覚えている。忘れるはずもない。
「ティグルさん……」
拳を握り、見つめる。あの人が僕の前からいなくなって数年が経過した。いなくなってもなお、残滓が頭の片隅に残っている。会いたい、会って、話をしたい。まだまだ教えてもらいたいことはあるんだ。
「考えるな、今は」
目を閉じ、深呼吸をして、握り拳を解く。思考を切り替えなければならない。ティグルさんのことを考えると、ナイーブになる。それは、必要のないものだ。
戦いだ、ヴェラ=ウルフェードと戦うのだ。
「
シャワールームにある洗面台にて、顔を洗う。タオルで水滴を拭きながら、気持ちを引きしめた。先日のデートで、僕は改めてヴェラさんに再戦を申しこんだ。三日後に、その日を迎えることになる。
「さて、時間の経つのは早いことだ」
残された時間は少ない。寝間着を脱ぎながら、脳内でやるべきことを整理する。とにかく、勝つためにできることを、全てやりきらなければならない。
ヴェラさんに比べれば、僕は才能がない。だからこそ、戦い方を考えなければならない。
勝ちたい、ヴェラさんに。あの人に勝てれば、僕はさらに強くなれる。強くなりたい。強き冒険者になりたい。
そうすれば、きっと。
「あなたに会える気がするから」
ふと、窓の外を見る。ずいぶんと天気がいい。日光がガラスを通して部屋に降り注いでいた。澄みわたる青空は、ティグルさんの瞳の色に似ていた。
さぁ、あの人の教えを胸に、戦いを迎えようじゃないか。
△△△
シンドヴァルト冒険者学園には、
そんな
「ふぅむ、岩がそこら中に設置してある。隠れるには最適だな。ただ、石とかがそこら中に散らばってて、足元はよろしくないか。砂も簡単に巻きあがる……」
「岩場はあんまり人気な場所じゃない。戦い辛いからな」
きょろきょろと辺りを見回しながら分析する僕に、サヌルボゥが補足をしてくれる。一人よりは二人で調べた方が色々とはかどると判断し、一緒について来てもらった。
「ヴェラさんが一番苦手な試合場はどこかな?」
「過去のデータ見ても、特にそういうのはねぇな」
「森林とかは?」
「あいつの火力なら、森林なんて全部燃やしちまうからなぁ」
「ああ……」
〈
「ってなると、相手が苦手な場所というより、自分が得意な場所で戦う方がいいか?」
「それができるならそれが理想なんだろうが、できんのか?」
「やってやれないことはないさ……頼んでたものは?」
僕が聞くと、サヌルボゥは懐から袋を一包取りだして、投げた。受け取って、中を確認する。サイコロが一つ入っていた。
「頼まれた通りに用意したが、そんなんでいいのか?」
「十分さ、ありがとう」
「遠慮しないで、もっとこう、金のかかるもの頼んでもいいんだぜ?」
「別に遠慮してるわけじゃあない。これ以上は必要ないと思っただけ」
「おいおい、油断していい相手じゃないだろうが」
「油断じゃない、事実さ」
「……この前のデートとやらで、なにかつかんだのか?」
「ご想像にお任せするよ」
二人して顔を見合わせて、唇を歪めた。なんだかんだ、この男とは気の置けない仲となってるなぁ。
「楽しみにしてるぜ、ロウガ。勝ってくれよ」
「僕の価値が上がるからかい?」
「よく分かってんじゃねぇか!」
サヌルボゥはどこまでも楽しそうだ。まぁ、逆の立場ならたしかに、楽しんで見れるだろうとは思う。少し羨ましい。
「さて、そろそろ次の場所行くか?」
「そうだね……ちょっと、先に行っててくれないか」
「うん? なんかあんのか?」
「いや、僕に用事ある人、いるみたいだから」
「……ああ、なるほど」
サヌルボゥが鷲鼻をかく。彼も気づいていたようだ。
さっきから、僕のことを尾けている人がいるってことに。
「モテる男も大変だねぇ」
「ほんとそう思うよ。まぁ、ちゃっちゃと済ませる」
「はーいよ」
テキトーに返しながらサヌルボゥか去っていった。その姿が見えなくなるまで見送った後、十歩ほど離れた後方に設置してある岩山の一つに振りかえる。そこに、人の気配があった。
「なにかご用ですか?」
隠れているであろう人物に向かって、声を飛ばす。ほどなくして、ゆっくりと、一人の男が姿を現した。
ユウノ=ジュンナーだ。
もう見てるだけで分かるほどに剣呑な空気をたぎらせている。涼やかな甘いマスクと評されるその顔は、憤怒によってかギラついた険しいものへと変化していた。
「……いい加減にしてもらおうか」
「いや、誰が、なにを?」
「ふざけたことを抜かすなぁ!!」
づかづかと大股でこっちに近づいてきたと思ったら、怒声とともに胸ぐらをつかんできた。眉間にしわが深く深く刻まれている。相当怒ってるね、これ。優男のイメージを勝手に抱いていたが、なるほど、迫力がある。身長もヴェラさんくらいは高いし、身体つきも悪くない。今の状態を横から見て、貧相な僕との比較を観察してみたいよ。
「今、ここで誓え!」
「はぁ、なにをでしょうか?」
「ヴェラには二度と近づかないということをだ!」
だろうと思った。予想していた言葉とちっとも違わないセリフが出てきちゃったよ。笑いそうになるがそれは必死にこらえた。
「ヴェラはなっ! お前のような存在と一緒にいるべきではないんだ!」
「へぇ」
「才能がないお前とはなにもかもが違うんだ!」
「はぁ」
「真面目に聞いているのかっ!!」
「いや、それはいいんですけど……見てますよ? ヴェラさんが、後ろで」
瞬間、ユウノが光の速さで後ろに視線を回す。そこには、誰もいなかった。
「そりゃだめでしょ」
隙ができるんだから。小声でつぶやき、ユウノの足をかかとで踏みつける。がっ、といううめきが彼の口からもれ、胸ぐらをつかんでいた力がゆるむ。
そうなればこっちのものだ。身体を寄せ、相手の襟に手をかけながら、僕の左脚を滑らせ、払い、刈る。片足が地面から離れたユウノは、後ろに崩された重心に引っ張られるかのように、背中から倒れた。
「ぐあっ!?」
「はい終わり」
起きあがろうとする前に、どてっ腹を思いっきり踏んづける。腹直筋で守られた、ダメージが少ない部位を狙ったのはせめてもの情けだ。痛いだけで済む。
「ひ、卑怯なっ……!!」
「――いい加減にしろよクソが」
倒れたままわめき散らすユウノを見下ろしながら、心の赴くままに僕は吐き捨てた。
「お前みたいのが、ずっと小物のままでいるから……ヴェラさんは苦しんでるんだろうが」
「お前にヴェラのなにが、ぶべっ!?」
今度は顔面を踏んづけてやった。端正な顔立ちが砂と土で汚れ、見るも無残なものになっていた。
「ヴェラさんはたしかにすごい。あれはすべてを与えられた人だ。怖気づくのも仕方ない。戦いたくない、向かいあいたくない、負けるのは怖い、そうなるのもうなずける。それはいいよ。けどな、だったら、お前らこそヴェラさんと僕の関係に割って入るな」
ヴェラさんにふさわしくないとお前は言う。そんなもん、こっちだって当然のように分かっている、ヴェラさんもな。
それでも、ヴェラさんは僕を求めている。なにもかもが違う僕を、ヴェラさんがなぜ求めるのか。
その理由に想像を巡らせもしないで、あまつさえヴェラさんにじゃなくて、僕に文句を垂れ流すなんて。
「愚か、お前は愚か者だ。なにより弱い。ようするにヴェラさんが好きなんだろう? 愛しているのだろう? 恋人になりたいのだろう? だったら、なぜ正面からそれをぶつけない。怖いのか?」
「そ、それは……」
ユウノが唇を噛む。心当たりはありありってとこか。だから駄目だったんじゃねーか。
「僕は、ヴェラさんに勝ちたい。それは、なにがあっても揺るがない。その心意気をこそヴェラさんは好きになってくれたんだろうが。こんな場所で、こんなことしでかしてる、小心者のお前なんかじゃなくてな」
僕は、負けた。けど、折れなかった。それこそが、大きな違いだ。
シンドヴァルト冒険者学園の目的は、強くて優秀な冒険者を輩出すること。別に一番を目指さなくてもいい。卒業した段階で、国を富ませてくれるであろう冒険者になっていればそれでいい。だから、ヴェラさんに勝つ必要はない。一番なんて目指さなくてもいい。
ユウノを初めとした、ほとんどの生徒が、きっとそう結論づけたのだろう。だから、ヴェラさんに誰も挑んでこなかった。
怒りでどうにかなってしまいそうだ。
「なにが、なにが、【切磋琢磨】だっ! お前らは自分がエリートであることに驕り、自惚れ、強さへの努力を怠った愚か者どもだ! ヴェラ=ウルフェードという才能に屈し、負けたままでいることを良しとする弱者どもだ! ヴェラさんを孤独にしておきながら、偉そうなことほざいてんじゃねぇ!!」
「ヴェラが……孤独?」
「分かんねーならそこで一生沈んでろ!」
もう一発、腹をふんづけてやった。もうさすがに付きあいきれん。戦意を喪失したのか、ユウノから抵抗の気概が消え失せていた。
「僕は勝つぞ、ヴェラさんに。
「無理だ……お前では、勝てない」
「僕の意志は折れてない」
折れない意志こそ、真の才能。ティグルさんはそう教えてくれた。それがある限り、僕はヴェラさんに勝てる。絶対に折れるつもりなんてない。
「次の
倒れたままのユウノに背を向け、僕は歩きだす。こんな小物に構っている暇はない。今は、ヴェラさんのことだけ考えていたいのだ。
ああ、これはたしかに、恋に似ている。他の奴らなんて目にも入らない。ずっと、特定の誰かのことだけ考えていたい。そんなの、恋とか愛という感情以外に説明しようがない。あの人はこれが激しかったのだろうな。
頭では理解していた。この時になって、ようやく、感覚として身に染みた。
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