第十一話:持たざる者
俺は、あまりにも恵まれていないと思う。
まず、生い立ち。育ちは間違いなく最底辺だ。物心ついた時には帝都のスラムにいたのだから。両親が事業に失敗して多額の借金を背負ったからって話らしいのだが、そこらへんはよく覚えていない。その日を生きるのに精一杯で、家族の団欒を楽しむ時間も余裕もなかった。
次に、身体。背は大きいわけでもなく、むしろ小さい。線も細く、筋肉は少ない。もとより貧乏ゆえに栄養状態がよろしくなかったというのもあるが、それを差し引いても貧弱な身体であった。
そしてなにより、
とにかく、俺という男はなにもかも与えられなかった存在なのだ。
おかげで、最低最悪の人生を歩むことになった。貧しいから身を粉にして働かなきゃいけないのに、見返りの大きい仕事に就くことができない。俺の稼ぎはいつも少なかった。それもあってかどうか、家族との仲はいつもギクシャクしていた。
ただ、正直、それだけならまだ耐えられた。生きていくためには仕方ないと割りきることができた。耐えられなかったのは……舐められことだ。
「貧弱だねぇ! ロウガくぅん!」
「おら! 反抗してみろよ!」
「悔しかったら、魔術の一つでも使ってみろ!」
毎日、毎日、俺の周りにいた奴らは、こんな風に罵詈雑言を吐きながらいじめてきた。人は、自分より劣る者をこそいじめたくなるのだと、その時に学んだ。底辺に生きる者達だからこそ、自分より劣る者を見つけて、踏みつける。誰かを踏みつければ気持ちよくなれるからな。
だが、納得いかなかった。金がなかった、身体が強くなかった、
なぜ、舐められる? どうしてだ? 鬱屈とした想いを胸に抱えながら生きる日々だった。
「そりゃお前、弱いからさ」
そんな時に、出会った。俺の人生を変える女性……ティグルさんに。
「舐められるのは、弱いからさ」
初めて見た時から強い人だと思った。女の人なのに、ものすごく大きかった。いや、身体の大きさ以上に、威圧感がだ。
獣だと思った。いつも好戦的な顔をしていて、隙があれば容赦なく喰われる。それなのに、普段はどこかゆったりとして、恐ろしさを微塵も感じさせなかった。
そして何より、神秘的だった。腰まで伸びるギラギラと輝く銀の髪と、果てしなき空を思わせるかのような青の瞳は、俺の心を強烈に震わせてしまった。
こんな薄汚いスラムで、これほど光輝な人がいるなんて信じられなかった。出会えたのが奇跡だと思った。
「あなたのようになりたい。俺を、あなたのように強くしてほしい」
だから、奇跡にすがった。
「無理だね」
最初、ティグルさんは、無情に切り捨てた。
「強くなるにも、お前さんには足りないものが多すぎる。分かりやすいとこで言えば金だな。金がなければ強さを得るための環境を得られない。しかも、
けたけたと笑い飛ばされた。たしかに、言われた通りだ。才能なんてないのだろう。分かっている。
「嫌だ、あきらめない」
分かっていてなお、引き下がらなかった。
「才能がなければ強くなれないのか? 強くなっちやいけないのか? 俺は、そうと思えません。才能がない奴は永遠に舐められ、蹴られ、踏みつけれたままなのか……そんなの、認められない」
そうだ、俺は、認めたくない。
舐められたくない。卑屈な奴らに、弱いと思われたくない。強く、強くなりたい。
俺は、どうしても、強くなりたかった。
その思いを察したのかどうかは知らないが、ティグルさんは薄く笑って、口を開いた。
「なるほどね、面白いことを言う。ならば、お望み通りに鍛えてやるさ。ただし、殺す気でやる。それでもいいか?」
冗談ではない、本能でそう感じた。俺のことなんて、死んでも構わない程度の存在なんだ。実際、死んだところでスラムのゴミとなるだけなのは違いない。彼女が俺を鍛えようとするのも、単なる暇つぶし以上の意味合いはないのだろう。
でも、それでよかった。
「それでいいです。お願いします」
「ほいよ、そいじゃあまず、
「了解しました。これから、俺……僕のことを、よろしくお願いします」
さて、そんなわけで俺は――僕は、ティグルさんに師事することになった。で、冗談抜きに死ぬんじゃないかと思うような日々を過ごすことになる。
「お前をこれからひたすらに殴る。痛みに慣れておくこと、人体はどこが急所なのかを知るための訓練だ」
そう言われては殴られつづけた。頭、目、喉、睾丸といった、デリケートな部分も容赦なく殴られまくった。
「そもそもある程度身体を作らなければ強くなれない。金がないなら、金がないなりの肉を食え」
そう言われては、スラムに巣食っていた野良犬やドブネズミ、虫を食わされつづけた。最初の頃は吐いていたが、無理矢理胃へ通していく内に慣れていった。
「弱いお前は武器を使え。棒かナイフが使いやすい」
そう言われては棒とナイフを持たされ、ひたすら戦わされた。棒で打たれては青アザを、ナイフで切られては切り傷を、身体に負っていくこと数知れずだった。
これら以外にも、
「とにかく頭を使え、情報を集めろ」
「地の利を使え。自分に有利な場所で戦え」
「相手の油断を誘え、そのために浅ましく振舞え。自分を低く見せろ」
「なにがあっても、どんなことがあっても冷静でいろ」
「できないなら、死ね」
こんな風に、脳みそに詰めこまれすぎて破裂するんじゃないかってくらい、多くの教えを叩きこまれた。
何度も、何度も、死ぬって思った。死ぬのは怖かった。
だが、それ以上に、一生弱いままでいることに耐えられなかった。それだけは嫌だった。絶対に、絶対に、強くなりたかった。
「お前さん、才能あるよ」
ある日、ティグルさんから、ふと、そんなことを言われた。
「本物の才能ってのはな、意志なんだ。折れない意志こそ、真の才能だ。それがないなら、他のものは全部無意味で無価値だと断言してもいい」
「意志……」
「ロウガ、お前にはそれが備わっている」
その時のティグルさんからは、一切の感情が読みとれなかった。ただ、青い瞳から発せられた淡い光が、僕の心臓を鷲掴みにしてしまったことだけははっきりと分かった。
「お前に、奥義を教えたい」
「奥義?」
「必殺技とかに言い換えてもいいぞ? まぁ、私がその人生で編みだした、戦いにしか使えん技だ。誰かに教えるつもりもなかったが……気が変わったよ」
はにかみながら、ティグルさんはほおをかいていた。そんな顔は初めて見たから、すごく印象に残ってしまった。
「で、どうする?」
「お願いします」
断る理由もなかった。ティグルさんの強さ、それが学べるなら奥義であろうと必殺技であろうとなんでもよかった。
なにより、嬉しかったのだ。才能がないと一蹴されていたのに、今は、本物の才能があるのだと評してくれた。これ以上ないほどの褒め言葉だった。認めてくれたから、奥義とやらを教える気になったのだろう。その心意気を受け取らないわけにはいかなかったのだ。
そうして、ティグルさんの奥義を教わることになった。習得は困難を極めた。理屈よりも、感覚で覚えることが多く、身体も脳もなかなか理解をしてくれなかったのだ。
それでも、不思議と、絶望は感じなかった。むしろ楽しくすらあった。教わるたびに、ティグルさんの強さが着々と落としこまれる体感があって、どうしようもなく気持ちよかった。
至福だった。強くなれた手応えがあったから。今まで感じたとこのない幸福だった。いつまでもこんな時間を過ごしていたいと、心から願った。
そんな時間も、突然、終わりを告げた。
生みの両者が病に罹って二人そろって仲良く死んだことを切欠に、僕の人生が大きく転換することになる。天涯孤独になった僕の身上をどこで耳に入れたのかは知らないが、父親の兄であるところの、イエナ伯父さんが僕を引きとるということになったのだ。
そのタイミングで、ティグルさんが消えた。
こつ然と、僕の前からいなくなった。まだまだ、あの人に教えてもらいたかったことはあったのに。
探して、探して……どこにもいなかった。
スラムから離れるその時まで探しつづけたが、結局、見つからなかった。
まるで最初から存在なんてしていなかったかのように、ティグルさんは消えた。
嘘だったのか、幻だったのか、それとも、空に消えてしまったのか……けど、自分の中にはたしかにあの人の教えは残っている。
また……会いたい。
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