第十話:決行、デート作戦


 頭をこねくり回した結果、デートプランのテーマは、『世界一美味いカフェレストランへ』というものにした。

 どう考えても、ヴェラさんはこの世の全てを手に入れている。ああ、いや、さすがそれは言いすぎか。だが、そう評したくなるほどには恵まれた環境にいることは間違いない。

 そんな彼女に対して、僕ができることはなんだ? なにをすれば満足してもらえるのか? 半端では駄目だ。相手に楽しんでもらわなければならない。つまらないと思わせた段階で、心は固く閉じてしまう。そうなれば、相手のことを知るタイミングを失ってしまうのだ。

 んで、考えに考え抜いた結果、世界一美味しい料理を提供する場所があったことを思い出したのである。

 そうと決まれば決行あるのみ。学校でヴェラさんと相談しスケジューリング、その後、店の予約をして準備完了。で、今日はその本番当日なのである。ヴェラさんの家にお邪魔してから、一週間が経過していた。


「久しぶりだな、ここに来るのも……入学式以来か」


 今、僕がいるこの場所は、カイゼル=クロース駅という。ユヌシティーツァ帝国が帝都・ユリナシティにおける最大の駅だ。帝都と各地の街を魔術器具列車アーティファクトトレインで繋いでいる、いわば、流通の大動脈である。帝都の外へ行くならほぼほぼ確実に使われるであろうし、実際、僕もなんどか利用している。というかこれから利用する。今日のデートは帝都の外へ行くからだ。


「さて、約束の時間にはまだ早いが」


 待ち合わせ場所に指定した、駅舎の真ん中にある大きな柱時計。それを見ながら時間を確認する。時計の針は、現在の時刻がお昼前だということを示していた。帝都最大の駅だけあって、駅舎は大きい。そのうえ、人も多い。油断すると迷いそうになる。その点、この柱時計の下は待ち合わせ場所に最適だった。


「やぁ、待たせたね」


 なんの気なしに行き交う人々に目を向けていると、聞きなれたハスキーボイスが耳に飛びこんできた。視線を向ける。またしても、あの似合いすぎるほどに似合っている男装で、ヴェラさんがこっちへ近づいてきたのであった。朱のショートヘアかゆらめく。すれ違う人々がみーんな振りかえってた。すごいな。やっぱり目立つなヴェラさんは。


「いえ、来たばっかりです。特に待っていませんよ」


「ふふ、そうかい? ならよかった」


「それにしても、相変わらずそのコーデ似合ってますね」


「お世辞でも嬉しいよ、ありがとう」


「まっっったく、これっぽっっっちもお世辞のつもりじゃないんですけどね」


 世辞なわけがあるかいなと、心の底で全力でつっこむ。そうしてから、僕は持っていたカバンから、一本の水筒を取りだした。売店で売っていた、魔術器具アーティファクトの水筒だ。それを、ヴェラさんの前へ差しだす。


「はいどうぞ」


「これは?」


「レモネード水ですよ、お好きなんですよね?」


「別に、そんな気をつかわなくても」


「こっから列車で一時間くらいかかるんで、飲み物はあった方がいいです。それに、ほら……今回は僕のエスコートなんですから、カッコくらいつけさせてください」


 はにかみながら、ずいっと、レモネード水を押しつけた。言っておいてあれだが、すんごい恥ずかしいな。なにがカッコくらいつけさせてください、だよ。気持ち悪くてダサいことキリがない。


「……うん、じゃあ、もらうね」


 そんな僕に、ヴェラさんはたおやかに微笑んでくれた。安心して、ほっと一息。こんな初手の初手から好感度を下げたくない。


「嬉しいな、うん、嬉しい」


「お世辞でも嬉しいですよ」


「まったく、これっぽっちもお世辞じゃないよ」


 そう言いながら、ヴェラさんは愛おしそうに水筒を胸に抱いていた。その姿は、純情可憐な乙女としか表現しようがなく、力強く美麗な男装とのギャップがすさまじかった。

 人の魅力とはギャップによって際立つと聞いたことがある。なるほど、ヴェラさんを見るとそれもうなずける。だからこそ人気者なのだ。


「用意した甲斐がありました……っと、そろそろホームに行かないとですね」


「おっとそうだった。君といると時間を忘れるね」


「そういうことにしておきますよ」


 ヴェラさんは、僕よりもずっと歯の浮くセリフが似合ってる。あーあ、こんなとこでも勝てないでやんの。

 二人で改札をくぐる。少し歩くと、一台の魔術器具列車がプラットフォームに停まっているのが見えた。ヴェラさんに手を差し伸べる。彼女は、それを、迷いなく取ってくれた。


「行きましょうか」


「うん、楽しみだよ。君が、世界一美味しいとまで評する料理、早く食べてみたいな」


「期待してていいですよ」


 手を握りながら、ヴェラさんと列車の中に入っていく。空いている席を見つけ、並んで座った。程なくして、発車のベルが鳴る。

 後は、ゆっくり、目的地まで乗っけてもらうだけだ。


△△△


 プロステラの各地に存在する、迷宮ダンジョン。そんなダンジョンに、世界はなにかと依存している。政治、経済、文化……どの分野においてもダンジョンは切り離せない。切り離すと全部がたち行かなくなる。

 それならば、いっそ徹底的にべったりとくっついてやろう。そんな思惑によって築きあげられた街のことを、迷宮街ダンジョンタウンと呼ぶ。

 今回、デートの目的地として設定した街、『ベルトナス』もそんな迷宮街の一つだ。


「ここが、ベルトナスか」


 駅から出たヴェラさんが、街の様子を物珍しそうに眺めていた。剣を腰に下げた男性、ローブと杖を装備した女性等々、周囲には、冒険者と思わしき人々がそこら中に闊歩している。


「初めてですか?」


「そうだね。でも、いずれ来たいと思ってた」


「どうして?」


「ここはダンジョンが近いんだろう? 冒険者志望なら、そこに惹かれないはずがない」


「ああ、なるほどね」


 たしかに、僕等は冒険者志望の学生だった。


「この街は地下洞窟型のダンジョン、『べルートの洞穴』を中心にして造られた街だったね」


「ですです。街にあるのも、武器屋だったり、酒場だったり……冒険者向けの施設ばっかりです」


 酒場は特に大人気だ。冒険者稼業は危険に満ちている。そのストレスを酒で発散する人は多いからだ。


「そんな中で、カフェレストランなんて洒落たものがあるんだね」


「冒険者が皆、酒が好きってわけじゃありませんから。あと、酒場はうるさくなりがちなんで、静かに飯を食いたいって人もそれなりにいるんですよ。そんな需要に応えた店もあるって話です」


「へぇ、詳しいね」


「そりゃまぁ、ここ、住んでましたから」


 地元なら詳しくもなる。自然な話だ。


「なるほど、世界一美味しいだなんて、やたらと太鼓判を押すなとは思っていたが……」


「実際、今から行く店、この街では根強い人気を誇る名店なんですよ」


「ふふ、ますます楽しみになってきたな」


 ヴェラさんは、浮ついている気分を隠そうともしていない。初めて来た街への高揚感からか、デートというシチュエーションからか……見てるこっちがほっこりしてしまいそうになるくらい、楽しそうにしていた。


「それで、そのお店はどこにあるんだい?」


「ここから少し歩くところです。若干、分かりづらい場所にあります」


「案内、任せたよ?」


「もちろん、お任せあれ」


 ヴェラさんの一歩先を歩く僕に、迷いはない。道のりは身体が覚えている。目に映る景色は、全部馴染みがあった。


「ここです」


 歩くこと十五分と少しして、目的地に着いた。大通りから外れた、喧騒の少ない脇道。その道の奥まった場所に、こじんまりとしたカフェが一軒建っている。入口は地味ながらもシックな装いであり、落ち着いた雰囲気の店であることを静かに主張していた。


「『止り木』……か」


 ヴェラさんが看板の文字を流し見る。そこには、趣のあるモノクロのカリグラフィーによって店の名前が刻まれていた。


「冒険者達が、落ち着いて羽を休めるようにって、名付けたらしいですよ」


 説明をしながら、僕はドアを開けた。カランカランと、優しげな音色でドアベルが鳴る。


「おう、来たか」


 入るや否や、しわがれた声が投げやりに耳へ届いた。やや痩身ながら、渋い魅力にあふれた中年の男性が、カウンターにたたずんでグラスを拭いている。


「うん、ただいま。元気にしてた? イエナ伯父さん」


「見ての通りだよ」


 僕のあいさつをぶっきらぼうに返しながら、この店のマスターであるところのイエナ伯父さんが、グラスをカウンターに置いた。


「……お嬢さんが、ヴェラさんかい?」


「あっ、はい。ヴェラ=ウルフェードと申します。ロウガ君には、いつも学校でお世話になっています」


「イエナ=ジーンだ。こちらこそ、甥っ子が世話になってる、礼を言わせてもらうよ。大した店じゃないが、ゆっくりしてってくれ」


 イエナ伯父さんがニヒルに笑う。伯父さんは、老成した空気をまといながらどこか愛嬌があり、親しみやすい。それのおかげだろうか、ヴェラさんの緊張した面持ちが和らいでいた。


「テキトーな席座ってろ。水、出してやるからよ」


「他にお客さんいないね? 経営大丈夫?」


「馬鹿野郎、貸し切りにしたんだよ。お前が女連れてくるってことでな」


「ええ? 別にそこまでしなくても……」


「元々、昼は閉める予定だったから問題ねぇよ。長居するんじゃねぇぞ、夜は開ける予定なんだからよ」


「りょーかい。遅くならないうちに帰るよ」


 店内に設置してあるテーブル席の一つに、ヴェラさんと一緒に座りながら、伯父さんと会話を交わした。遠慮のいらない会話もなんだか久しぶりだ。羽を休めるとは、まさにこういう感覚なんだろうな。ヴェラさんもヴェラさんで、すでにリラックスムードをまとわせている。


「ほい、こちらどうぞっと。注文決まったら、呼んでくれ」


 伯父さんが水を渡しながら言った。


「この店のおすすめは?」


 だが、机上のメニューに手を伸ばすことなく、ヴェラさんは僕に聞いてきた。


「コーヒーとベリータルトですね」


「じゃあ、それで」


「即決していいんですか? それ以外も絶品ですよ?」


「君のおすすめがいいんだ」


 ヴェラさんの人差し指が、僕の唇にそっと触れた。その仕草は、優しくも情熱的だった。恐ろしいほど蠱惑的なヴェラさんの視線。それを切りながら、伯父さんの方へ顔を向けた。


「……コーヒーとベリータルト、二人分お願い」


「承りましたっと。お前さん、ずいぶんと可愛らしい子を捕まえたもんだな」


「捕まえたんじゃない、捕まったんだよ」


「かかかか、そりゃ大変だ」


 イエナ伯父さんが愉しそうに笑いとばしている。まぁ、他人事なら愉しいだろうね。こっちはいつも振り回されてるけど。


「まっ、いつも以上に、腕によりをかけてやるよ」


「期待してますね」


「おう。お嬢さんのほっぺた落っことしてやるよ」


「ふふふ」


 やり取りを見るに、二人は打ち解けあってるように感じた。イエナ伯父さんが気負わずに接していてくれたからだろう。こういうところ、接客業のプロだなぁ。素直に尊敬する。


「素敵な人だね」


 そんな僕の内心を知ってから知らずか、ヴェラさんがつぶやいた。飾り気のない実直な褒め言葉だ。芝居がかった言動が多い彼女にしては珍しい。少し、こそばゆいな。


「……まぁ、そうですね」


 でも、嬉しい。なんだかんだ、数少ない僕の家族と呼べる人だ。そんな人がヴェラさんほどの人から褒められるのは、やっぱり嬉しい。

 カウンターをのぞき見る。イエナ伯父さんが、真剣な表情で料理を作っている。僕は確信した。間違いなく、ヴェラさんは気に入ってくれるだろうと。絶対の自信があった。

 ――ならば、勝負どころは、その後だ。彼女の心を剥がすのは、そのタイミングだ。


「ほい、こちら、コーヒーとベリータルトね」


 イエナ伯父さんが、注文していたものを順々に机の上へ置いていく。


「おお、これは……」


 目前に置かれたタルトを見て、ヴェラさんが唸る。紅色のストロベリーと紺青のブルーベリーが、タルト生地の上でガラス玉のように煌めいている。その様に、目を奪われているようであった。


「まっ、ゆっくり召しあがってくださいな。じゃ、やることやったんでよ、俺は外へ行ってるわ。後は若いお二人さんでごゆっくり」


「いやいや、なにを余計な気づかいしてんのさ?」


「別にそんなんじゃねぇよ、勘違いすんな。さっき言ったじゃねぇか、元々、昼は閉める予定だったってよ。どうしても今日やらなきゃならねぇ野暮用があんだよ」


「あっ、そっか……ごめんね、そんな忙しい時に」


「気にすんなよ、面白いもん見れたしな」


 僕の謝意に伯父さんは軽い口調で返した。そして、ヴェラさんに向きなおる。


「ヴェラお嬢さんも、ぜひゆっくり過ごしてくれ」


「はい、遠慮なくゆっくりさせていただきますね」


 ヴェラさんの穏やかな言葉を聞いて、伯父さんがにこやかにうなずいた。多くは語らないが、伯父さんも伯父さんでヴェラさんのことを気に入ってるんじゃないだろうか。どことなく、赤い瞳が優しい光を帯びている。


「じゃ、行ってくるわ」


 それだけ言い残して、伯父さんは外へ出た。静かな店内で二人きりとなる。


「じゃ、いただきますか」


「そうだね。コーヒーも冷めてしまう」


 二人同時に、フォークを手に持ち、タルトを口に運んだ。


「ああ、うん」


 やっぱり、美味いな。この味は、どうしたって忘れられない。カスタードの甘さとベリーの酸っぱさが、ほどよいバランスで口に溶けている。生地はサクサクで食べごたえがあり、かつ、香ばしい。全ての要素がバランスよく、高いレベルでまとまっている。そして何より、食べやすい。作った人が、食べる人のためにどれだけの技術を費やしたのか。どれだけの想いをこめたのか。それが、否応なしに感じられる。

 忘れられない、世界一の味だ。


「やっぱり、美味い。美味いな」


「ああ、そうだね。とても美味しい。素晴らしい。とても温かくて、優しい味だ」


 ヴェラさんが、本当に嬉しそうにしている。この味の素晴らしさを分かってくれたようだ。


「普段ボクが食べてるような、贅を凝らした料理とは違う。新鮮だよ、うん」


「気に入っていただけたみたいでよかったです」


 彼女の姿から、自分の選択が間違いでなかったことを確認する。本当に彼女は喜んでいた。


「ふふ、たしかに、世界一美味しいと豪語するのも分かるね」


「本気の本気で、ヴェラさんに満足してもらおうと考えたら、ここしか思い浮かびませんでした。身内の贔屓目もあるのでしょうがね」


「うん、満足した。来た甲斐があるよ……ありがとうね、ロウガ君」


 満面の笑みのヴェラさんを見つめながら、僕はコーヒーに手を伸ばした。ほどよい酸味と、コーヒー豆の爽やかな香りが、口に残るベリータルトの後味を円熟した味わいに引きたてていく。


「コーヒーも美味しいですよ」


「だね、タルトとよく合う」


「ええ、単品でも好きなんですが、合わせると最高なんですよ」


「うん、お菓子に合うような豆を使っているのかな?」


「コーヒー豆の違いも分かるんですか?」


「どうだろう? 多少は分かるつもりだが、専門家には劣ると思う」


「ヴェラさんなら専門家にも勝てそうだ」


「買いかぶりすぎだよ」


 どこまでも和やかに会話が弾む。ゆっくりと、ゆるやかに。心地のよい時間、空間。ヴェラさんも、抱いている想いは同じはずだ。


「――ねぇ、ヴェラさん」


 だからこそ、仕掛ける。


「ドブネズミ、食べたことありますか?」


「……え?」


「ドブネズミですよ、ドブネズミ。そもそも存在を知らない?」


「……いや、そんなことはないが」


 あまりにも唐突な問いかけからか、ヴェラさんの顔に困惑が浮かんでいる。それこそが、狙い。戸惑っている内に会話のイニシアティブをこっちが握ろうというわけだ。


「あいつら、食える部分は少ない癖に、しっかりと煮たり焼いたりしないと身体壊すんですよ。そしてなにより、臭い。臭くてたまらない。この世で一番不味い食べ物はなんだ? って聞かれたら、僕は間違いなくドブネズミと答えます」


 僕の言葉に、ヴェラさんは黙って耳を傾けている。なにも言葉を返さない。そのまま続ける。


「僕、幼少期は帝都のスラム街で暮らしてたんですよ。ドブネズミ食ったのもその時です」


「ここに住んでたというのは?」


「産みの両親が死んで、イエナ伯父さんに引き取られることになってから住み始めました。四年くらい前のことですね」


「それは……」


「引き取られた時、最初に食べさてもらったのが、伯父さんのベリータルトでした。美味しくて、美味しくて……未だに、これを超える味に出会っておりません」


「だから、世界一なんだね」


「そういうことです」


 言ってしまえば、思い出による補正だ。それでも、僕は自信をもってこのベリータルトが一番だと主張する。だからこそヴェラさんにぶつけた。持っている札の中で一番と呼べる札が、これしかなかったから。


「ヴェラさん、僕はね、ほとんどなにも与えられなかった男なんですよ。あなたとは違うんです。あまりにも違う」


「……なにが言いたいんだい?」


「どうして僕に固執するんですか? って言いたいんです」


 ヴェラさんの眉が、微かに動いた。唇を真横に結んでいる。吐き出す言葉を吟味しているようだ。それを待ってもいいが、まだ主導権は渡さないでおこう。


「金、環境、家族、力……あなたは全てを持っている。雑にまとめるなら、才能があるってことなんでしょう。金も、環境も、言い換えれば才能の一つです。そして、それらは全て、僕にはないものです。天と地の差もある。なのに、あなたは僕に固執する。その理由が分からなかった。だからこそ知りたい」


「知ってどうするんだい?」


「あなたに勝ちたい。それ以外にはない」


 即答した。ヴェラさんの口角が上がった。


「勝負に勝つには相手のことを知る必要がある。だからこそ、あなたを知りたい」


「それを聞いて、ボクが答えるとでも?」


「答えないならそれでもいい。分かったこともあるからね」


「それは?」


「あなたは、自分に挑んでくる相手を欲している」


 ヴェラさんが目を見開き、息を飲んだ。驚いているのか、いや、感動しているようにも見える。いずれにしても、もう少し揺さぶりたい。


「ようするに、ライバルが欲しいんですよあなたは。自分に何度でも挑んでくるライバルが、どんなに強く叩きのめそうとしても決して折れないライバルが」


 かつて、教室で見た光景を思い出す。『ボクと戦うか?』とヴェラさんが吐き捨てた時、誰も彼もがうつむき、目を伏せていた。

 きっと、皆、ヴェラさんに心を折られたのだ。圧倒的な才能に裏打ちされた、圧倒的な力に、心から屈服してしまったのだ。戦う気なんて、起こるはずもないほどに。


「【切磋琢磨】がモットーのシンドヴァルト冒険者学園にいながら、あなたはそれができない。だって、挑んでくる人がいないから。戦ってぶつかりたい、けど相手がいない。皮肉ですね、なにもかも与えられたあなたは、唯一、自分と同等のライバルだけがいなかった」


「……別に、ボクより強い人なんていくらでもいると思うけど?」


「ただ強いだけじゃ駄目なんでしょうよ。同等のライバルじゃないと。コニーさんは? あの人は従者だ。ヴォルフさんは? 父親だ。立場が違う人は同じ目線で磨きあうことが難しい……って、あなたは悩んでたんじゃないですか?」


 そんな時に、突如として現れたのが僕ってわけだ。


「自分でも自覚ありますが、僕は勝ちに対して執念深い。そうそう簡単にあきらめない。それが、ヴェラさんにとっては新鮮で、衝撃的だった。愛の言葉をぶつけて、自分のものにしてしまいたいと願うくらいには、ね」


 僕に対する求愛の数々、それは、元を正せば一種の飢餓からだ。

 ライバルが欲しい。その想いがあふれにあふれた結果、恋愛感情や独占欲に結びついて、過激な執着となってしまった。そんなところではないだろうか。


「すごいなぁ。君は、本当にすごいなぁ」


 で、その予測は間違いでないらしい。


「ああ、やっぱり正解でしたか」


「どうして分かったんだい?」


「きっかけは色々ありますが、ヴォルフさんとの会話は大きかったかなぁ」


「お父様と?」


「ヴォルフさんにも言ったんですよ、僕はヴェラさんに勝ちたいってね。そしたら、『ヴェラが気に入るはずだ』って返したんですよ。そのやり取りを自分なりに解析したら……ってとこです」


 冷静に考えて、あんなクソ生意気な態度、気に入られる要素なんてどこにもない。なのに、ヴォルフさんは納得していたようだった。となると、そんな生意気な態度自体にこそ、ヴェラさんに好かれる要因があったというわけだ。


「素敵すぎる! そんな細かいやり取りにまでっ!」


「買いかぶりすぎですよ」


「いいや、ボクは評価する!」


 声のボリュームを一段階あげて、ヴェラさんが力強く主張した。いきなりのことだから心臓がキュッとなる。二人きりでよかったと心底思った。


「そうだっ……! そうなんだ! 誰もっ、誰もボクに挑んでくれないっ! 戦ってくれないっ! それじゃ嫌なのにっ!」


 ヴェラさんの主張は続く。ずっと心にしまっていたのだろうか、大河の氾濫がごとく、悲痛な想いがあふれていた。


「切磋琢磨! 切磋琢磨! なるほど、素晴らしい理念だ! でも、ボクにはそんな相手がいない! ボクに誰も挑んではくれない!」


「まぁ、挑まれなくなる理由は分かりますがね。あなたの力は圧倒的だ」


「それでも、挑んでほしいんだよボクは……! 強くなりたいんだっ!」


 語気は荒々しく、ヴェラさんがテーブルを叩いた。

 ああ、そうか。あなたもそうなのか。

 考えてみれば、そうか。なんでライバルを求めるか、なんて、理由はそれしかない。執着しすぎて恋愛感情までからんでしまうほどに、なぜ、ライバルになり得る僕を求めたのか。


「強く、なりたいんですね」


「そうだ、ボクは誰よりも強くなりたい」


「それはね、僕も同じなんですよ」


「素敵、素敵、素敵だ。やっぱり運命の人だよ」


 もう、全身の神経全てがとろけてしまっているのではないかと甘ったるい声で、ヴェラさんがささやいた。


「ロウガ君、ボクのものになってよ。ボクのとなりで、ずっと、恋人として、ライバルとして、一緒にいてよ。君が他の子に目移りしちゃったらと思うと、耐えられないんだ。お願いだよ」


「嫌です。今はまだ」


「どうして? 他に好きな人でもいるの?」


「あなたに、勝ってないからですよ」


 僕の意志は変わらない。それどころか、ますます頑なになったんじゃないだろうか。ヴェラさんの心を知れたから。


「ヴェラさん、あなたのことは理解しました。勝ちます、いや、勝てます。勝たなければならない」


 そうでなければ、強くなれない。となりにいる? もっての他だ。


「ヴェラ=ウルフェードさん、僕は、あなたに再度、血闘を申しこみます」


「受けてたつよ」


 僕の申し出を、ヴェラさんは即座に受けた。ここに、僕達は、再び戦うことが決まった。


「次は勝つ」


「次も負けない」


 互いにぶつけあった意地と決意に、脳髄から興奮が垂れ流される。全身に電流が走ったような感覚を覚えた。

 ヴェラさんは、僕のことを運命の人だと言った。

 僕もそう思う。

 これほどにまで、勝ちたいと思える人に出会えるなんて思ってもみなかった。

 興奮を抑えようと、コーヒーを飲む。いつの間にか冷めてしまっていた。だが、逆にそれが心地よかった。


「楽しいですね」


「うん、楽しい。最高のデートだ。誘ってくれてありがとう」


 ヴェラさんは本当に嬉しそうだった。あどけなく笑うその顔は、可憐という言葉に尽きる。それが自分だけに向けらているというのは、悪い気がしない。なんだかんだ、彼女のことは結構好きなんだなって自覚してしまう。勝つことができたら、いい加減彼女にちゃんと返事をしようかな……なんて、うっすらと考えてしまった。

 まぁ、とにかく。

 これで、デートは成功に終わった。ヴェラさんに満足してもらったうえで、彼女のことを知る。この二つが果たせたのだから。

 後は、しかるべき時に戦い、勝つだけだ。大丈夫勝てる。もう、以前のようにはいかない。絶対に、勝つ。


△△△


 ボクは、本当に恵まれているのだと思う。

 その中でも、特に恵まれていると感じるのが魔素エレメンツだ。幼少期から自分の中にある大量の魔素エレメンツを自覚して、早くから魔術を行使することができた。それが周知された時には、周囲の人間は皆こぞってボクのことを神童だなんて褒めそやしたものである。

 そんなボクが、冒険者を目指すようになったのも、ごくごく自然なことであったのだろう。なにせ、強き冒険者は国の宝となるのだから。魔素エレメンツという分かりやすい才能を持っていたボクは、強き冒険者になれる可能性が高かった。

 そうだ、ボクは強くなりたいんだ。そのための努力は惜しまなかった。一人称をボクにしたのもそうだ、男装をするようにしたのもそうだ。男の性別が有する、一種の力強さ、それを取りいれたかったから。そんな細かい部分にまで、強くなるための努力を惜しまなかった。

 努力の甲斐あってか、ボクは強くなった。

 気づけば国立シンドヴァルト冒険者学園の中等部に入学し、並び立つ者がいないほどの存在となった。血闘を何度も何度も繰り返しては、勝って勝って勝ちつづけたからだ。勝利を得るごとに、強くなっていく実感があった。戦って、勝って、戦って、勝って、戦って……。

 そうして、ボクは孤独になった。


『ヴェラさんには勝てない』

『さすがですヴェラさん』

『私では分不相応ですよ』

『ヴェラは最高だな』


 皆、皆、ボクを持ちあげるだけ持ちあげて、戦わなくなった。君は素晴らしいのだと褒めるだけで、ボクと向かい合おうとしない。気づけば、血闘がてきなくなっていた。

 ボクは強い。それは間違いない。けど、足りない。もっともっと強くなりたい。

 そのためには、一人じゃ駄目なんだ。一人で得られる強さには限界がある。父様を初めとして、サポートしてくれる人はいる。シンドヴァルトも教育機関として最高だ。それでも、足りない、足りないよ。

 欲しいんだ。せめて一人でも、ボクと戦いつづけてくれる人が。いつでも、全力でぶつかって、磨きあう。切磋琢磨ができる相手が欲しいんだ。

 いないのだろうか。現れないのだろうか。ボクはこのまま、孤独に強さを求めなければならないのだろうか。


「次は勝つ」


 ああ、ボクは本当に恵まれている。まさか、今度は、ライバルまで手に入れることができるのだから。

 ロウガ=ジーン、彼は最高だ。戦ってきた中で、もっとも精神が強い人だ。

 ボクと戦って、負けた人は、全て精神が後ろに向く。勝てない。負けたくない。戦いたくない。そんな想いを身体に充満させてしまう。

 だが、彼は違う。彼だけは負けてなお後ろを向かずに前へ行く。このボクをデートに誘う理由が、勝ちたいから、だなんて。最高、最高じゃないか。今の今まで、そんな人はいなかった。

 白馬の王子様なんて、信じていなかった。でも、突然現れた。それがロウガ=ジーン。ボクの王子様にして、最高のライバルとなってくれるであろう男。

 ああ、ああ、駄目だよ。そんなの、昂ぶってしかたない。もう、ロウガ君以外が目に見えない。渡したくない。ボクだけの存在にしたい。

 ロウガ君、ロウガ君。

 ずっと、永遠に、ボクに挑みつづけてくれ。挑まれて、挑まれて、その度にボクが君を負かそうじゃないか。そうすれば、君の瞳はボク以外が映らなくなる。

 二人で、強くなろう。二人だけで、強くなろう。

 ボクに負けたくらいで心が折れるような人なんか要らない。ロウガ君だけでいい。ロウガ君と、強くなりたい。ロウガ君と、強き冒険者になりたい。

 勝つよ、ボクは。

 君を手に入れるため、負けてなんかいられないんだ。

 

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