第九話:持てる者
コニーさんとの激闘を経て、僕は改めてウルフェードの邸宅へと案内されることになったのだが。
「すっげ」
到着して早々、感嘆の声が上がった。それが、あまりにも美しいからだ。
純白の鷹が、美麗な翼を広げるような……そんなイメージが脳裏に押しよせる。大理石を建材に使ったのか、全体的なカラーリングは真白。きっちりと左右対称で設計されたであろう景観は、遠めに観察しても一切の狂いがなかった。窓ですらきっちりと横一列に、等間隔で並んでいる。それでいて、細かなデザインが芸術的であり堅苦しさを感じさせない。屋敷の前に広がる庭園は、丁寧に丁重に整備されているのがうかがえ、あたり一面を爽やかな萌黄色に染めていた。どこを見渡しても、とにかく美しい。
「すごいですね、めちゃくちゃ綺麗です」
「先代の当主が、当時における最高峰の建築家へ設計を依頼したとのことです」
コニーさんが淡々と述べる。声音は冷静ながらも誇りのようなものを感じた。ここで働いているという事実は、たしかに、ある種の優越感を植えられそうなものである。ウルフェードってのは住んでいる家ですら違うのかい。
「本気で恵まれてるなぁ」
口からもられるため息に、もはやうらやましいという感情すらわいてこない。庭園に生い茂る草花を眺めながら、コニーさんの案内に従って屋敷の入り口へと足を運び、中へ入った。絢爛豪華なエントランスホールが僕の視界を煌びやかに埋めつくす。まぶしくて、一瞬だけ目を細める。
「待っていたよ!! ロウガ君!!」
そんで、すぐさま、耳を貫くようにハスキーボイスが響いた。ウルフェード家のご令嬢が直々のお出迎えである。
「お待たせしました……で、いいのかな?」
「本当に、本当に、首を長くして待っていたんだよ!」
「それは、まぁ、光栄です。ところで、一つ聞いていいですか?」
「なんなりと!」
「すごいカッコしてますね」
「……似合わなかったかい?」
「いや、むしろめちゃくちゃ似合ってます」
嘘偽りのない感想だ。本当に、コーディネートは素晴らしく似合っている。疑問点があるとすれば……何で男装なんだ? ということなのだが。改めて、ヴェラさんの全身をまじまじと見る。
薄紅を基調としたシングルのテーラードジャケットとズボン、それらが豊満な肉体にピッタリとフィットしている。ジャケットの下は染み一つとして見えない清潔な白のシャツ。胸元には蝶ネクタイでダンディズムをプラス。まごうことなき男装。男装の麗人だ。身体つきは女性らしいというのに、その色気はむしろ男性から生まれるものに通じている。
「いつもその恰好なんですか?」
「大体はそうだね。もっとも、君が来るというものだから気合を入れたのは間違いない」
ヴェラさんが胸を張る。たしかに気迫は感じる。完全に想定してない方向ではあるが。側で控えるコニーさんは相も変わらず微動だにしない。ヴェラさんの服装など見慣れてるというのか。こっちは心臓がバクバクしているよ。変な汗が流れてきた。
「……いや、ちょっと待って。ボクのことよりも、君の格好の方が気になるよ!」
「あれ、なにかありましたか? 私服は失礼でしたか?」
「そうじゃないよ! 君、ボロボロじゃないか!」
ヴェラさんが、はらはらしながら指摘する。そうか、さっきまでコニーさんと激しい鬼ごっこと取っ組み合いをしてたからか。指摘されるまで意識の範疇になかった。格好を気にしてる余裕なんざ、あるはずもない。
「なにがあったんだい?」
「いや……特に、なにもないですよ」
「……さすがにそれを信じるほど愚かじゃないよ」
「まぁ、気にするようなことじゃないですよ」
面倒になることを嫌いはぐらかす僕に、ヴェラさんが口をへの字に曲げる。その次には、怒りの視線をコニーさんへ向けた。
「……コニー、君が付いていながら、ロウガ君の身になにか起こったというのかい?」
「申し訳ございません」
言い訳もなくコニーさんが首を垂れる。
「彼は大事なお客様だ、それが分かってないとでも?」
「待ってください……なにもないって言ってるじゃないですか」
「それで済む問題じゃない、それで済む問題じゃないんだよ、ロウガ君。分かっているね、コニー。君は、ウルフェードの名に傷をつけた」
「い、いや、そこまで
ふつふつと怒りのボルテージを上げるヴェラさんに、なんとか取りなそうとする僕。そりゃまぁ、コニーさんには色々やられたもんだけど、こっちとしては問題にするつもりはないんだ。深入りされては困る。だが、ヴェラさんは怒りの矛先を向けつづけていた。
「やめなさい、ヴェラ」
さて、どうしよう……そんな僕の葛藤は突如として吹きとんだ。荘厳なバリトンボイスがエントランスホールに響く。声の方に顔を向けると、素晴らしくダンディなおじ様が泰然たるたたずまいで直立していた。がっしりと重々しい体格に、紺色のテイルコートがピッタリとフィットしていた。しわの一つも見えやしない。
あの人が、ヴェラさんの父親、ヴォルフ=ウルフェードか。
「ヴェラ、落ち着きなさい」
「お父様。ボクの大事な友人に失礼があったというのに、どうして怒りを抑えられるのでしょうか?」
「それはな、全ての責が私にあるからだ」
ヴォルフさんの身体から放たれる圧。ヴェラさんが目を尖らせた。それを受け止めながらこちらに近づいてくる。革靴が床を叩く音が、僕の鼓膜を神妙に叩いていた。
「無礼な真似をして申し訳なかった、ロウガ=ジーン君」
「いえ、こちらは気にしてませんので」
頭を下げる動きすら、高貴にして剛直であった。大木のような人だ。地面に根を張り、動じることなどないのだろうな。
「どういうことですか、お父様?」
「私が、コニーに命じてロウガ君を試したのだよ。手荒になっても構わないと、言い含めた上でな」
「お父様……いくらお父様でも、許されないことはあります」
「そうだな。ヴェラ、お前にも謝れねばならんな」
そうして、今度はヴェラさんにも頭を下げた。しかし、ヴェラさんは不愉快そうに唇を尖らせている。このままギクシャクしたまま進むのも嫌なんで、ここは僕も口を挟もう。
「ヴェラさん、僕は気にしていませんよ」
「お人よしがすぎるよ、ロウガ君」
「冷静になって考えてください。大事な大事な娘が、どこの馬の骨とも分からん男に取られようとしてるんです。ちょっと小突いてやろうと思っても不思議じゃないですよ」
「……むぅ、君がそう言うのなら、これ以上はなにも言えないなぁ」
ヴェラさんが苦笑交じりに表情を和らげてくれた。なんだかほっとしてしまう。それを見てか、ヴォルフさんがコニーさんに対して口を開いた。
「コニー、今回の件は君にも迷惑をかけた。後で改めて謝罪させてくれ」
「旦那様、これは仕事です。謝罪など不要でございます。それに、個人的にも、大変面白い経験ができました」
「ほう?」
「ロウガ様は、この私めに勝ったのでごさいます」
あくまでも淡々と述べるコニーさん。彼女の言葉を受けて、父と娘がそろって目を丸くした。
「それは本当か?」
「はい」
コニーさんに嘘偽りはないと分かるや、今度は父娘が同時に僕の方を見た。面白い光景だな。
「運がよかっただけですよ。それに、勝ちというには微妙なラインです」
「謙虚だね、ロウガ君。ますます惚れてしまいそうだ。けどね、コニーはそうそう簡単に負けるような人じゃないんだよ」
「ああ、私も保証する」
二人のセリフにはたしかな重みがあった。僕よりもずっとコニーさんのことを知ってるのは間違いない。だからこそ、曲がりなりとも僕が勝ったことに驚いているのか。
「そうか、そうか。面白い。まさかコニーに勝つとはな。よほど情けない男でなければそれでよしとしていたのだが……いやはや、これは予想外だ」
「素敵な人でしょう? お父様」
「まだ断定はしてやれないが、興味はわいたとも」
にこやかに話す父と娘。いやまぁ、悪い気はしないんだがむずがゆいものだよ。
「お父様、これ以上は立ち話じゃなくて、お茶とお菓子を交えながらに……ロウガ君も疲れているでしょうから」
「うむ、そうだな。コニー、準備を頼む」
「かしこまりました」
「ウルフェード家の総力をかけてもてなそう! なにせ! ボクの大事な人だからね!」
やいのやいのと、一応は当事者であるところの僕をさしおき話が進む。楽しそうのはいいんだけどね。
「というわけで、ロウガ君……ようこそ、ボクの家へ」
満開の笑顔で、ヴェラさんが手を差し伸べた。ほぼ無意識に手を取る。とんでもない吸引力だ。まぶしすぎて破壊力が高い。ヴォルフさんが微笑ましそうな表情で見つめていた。
彼女の手から温もりを感じる。それは、きっと、豊かさが作りあげたものなのだと、なんとなく感じた。
さて、そんなこんなでウルフェードの家にもてなされることになったのだが……いや、ほんとにもう、この家は完膚なきまでに大金持ちだった。
出されたお茶とお菓子は非常に美味かった。
屋敷の内装はどこを見てもきらびやかだった。
飾ってあった美術品は素人目に見ても美しかった。
そして、何よりも豊かさを感じたのは、家族だ。
「あなたが、ロウガ=ジーン君ですね。ヴェラの母、ロベラです。どうぞゆっくりしていってくださいね」
ヴェラさんの母、ロベラさんと初めて挨拶を交わした時に、ウルフェードという家がどれほどの富貴を誇るのかを理解した。
美しい、優しい。この二つがどこにでも備わっている人であった。ヴェラさんとベクトルは違うが、母娘そろって美人であるのは間違いがなかった。
そしてなにより、家族仲。
「とっても素敵な男の子ね。ヴェラが恋するのも分かるわー」
「そうでしょうそうでしょう! 彼は誰よりも素晴らしいんです! ボクの目に狂いはない!」
「二人ともロウガ君、ロウガ君と……いやはや、娘だけならまだしも、妻まで取られてしまって情けない限りだ」
「あら、若い頃のあなたの方が素敵だったに決まってるじゃないですか!」
「今は違うのか……」
こんな感じで、家族が本当に仲が良い。というより、雰囲気が良い。予定が合わなかったという他兄弟に関しても、険悪さを感じさせる態度は見せなかった。
(ああ、この家には……)
ゆとりが、あるのだ。
あくせくしてない、する必要がない。家族で話をする時間がたくさんある。だから、仲が良い。
ああ、もう。
なにもかも、僕が得られなかったものを、得られている。
ヴェラさんは強い。あまりにも強い。その源泉がここにある。それが、強烈に目に焼きついてしまう。これらもまた、才能と呼ぶのだろうか。
「ロウガ君、楽しんでくれてるかい?」
ヴェラさんがそう聞いた時、僕は即座に答えた。
「ええ、楽しいですよ」
とっても。僕が今まで触れてこなかった世界に触れたのだから。ヴェラ=ウルフェードという少女のことを知れた。楽しい。すごく楽しいさ。
「そろそろ帰ります」
やがて、楽しい時間に終わりがくる。夕方にさしかかりそうな時間になった段階で、僕は帰宅を申し出た。
「一緒に夕飯も食べてきなよ」
ヴェラさんはそう言ってくれたが、さすがにそれは断らせてもらった。これ以上いては家族団欒の邪魔になる。向こうは気にしないのだろうが、それとこれとは話が別だ。
「分かったよ……名残惜しいが、今日はここまでだ」
「本当に楽しかったです。ありがとうございました。また学校で」
「うん、また学校で」
ヴェラさんと別れの言葉を交わす。彼女は本当に寂しそうにしていた。僕との時間を本当に楽しんでくれたのだろう。ありがたいことだった。
「では、僕はここらへんでお暇させていただきますヴォルフさん、ロベラさん、本日はありがとうございました」
「こんな家でよければ、また来てくださいな。コニー、送ってあげて」
「かしこまりました」
ロベラさんの命を受けて、ずっと側に控えてくれたコニーさんが動く。僕も、その後に着いていこうとした。
「――ロウガ君、少しだけいいかな?」
そんな動きを、ヴォルフさんが引き止めた。
「なんでしょか?」
「君と二人きりで話がしたい。時間は取らせないよ」
「お父様……」
「そう睨むなヴェラよ。彼に害が及ぶ話をするつもりはないのだから」
娘の不服そうな態度をよそに、ヴォルフさんが無言でこちらに顔を向けた。少し考えて、首肯する。
「すまないね。コニー、先に外で準備を頼む」
「かしこまりました」
「お父様、変な話をしないでくださいね?」
「まぁまぁ、男同士での話が必要な時もあるものなのよ。そこを汲みとってあげるのも良妻の、条件」
三者三様のセリフを残して、コニーさん、ヴェラさん、ロベラさんが続々とその場を離れていく。そうして、ヴォルフさんと僕は二人きりとなった。
「それで、話とはなんでしょうか?」
時間を取らせないということなので、さっさと本題に入ってしまう。
「はっきりと聞くが、ヴェラのことは好きかね?」
で、ヴォルフさんが余計な話もなく質問。本当にはっきりと聞くな。どう答えればいいんだ、これ?
「忌憚のない答えでいい。今の君の気持ちを、ありのまま伝えてほしい」
「分かりました。では遠慮なく」
ヴォルフさんの声色にはたしかな誠意があった。下手な誤魔化しは悪手と判断する。
「好きですよ。だけど、友情なのか、愛情なのかは、分かりません」
誤魔化しのない、確実な本心はこうだ。ヴォルフさんは、少し目を閉じた後、さらに聞いてきた。
「ヴェラと結婚したいかね?」
「したくないと言えば嘘です。彼女は素敵な人だ。ですが……できない」
「なぜだね?」
「僕が負けたままだからです」
毅然として言い放つ。ヴォルフさんは少し驚いていた。
「僕は一度彼女に負けたんです。負けたままなのは、なにがあっても我慢ならない。特にヴェラさんには。なにもかもを天稟として与えられたあの人には」
「どうしてそこまで勝ちたいのだ?」
「強くなりたいからです」
ありったけの想いをこめて吐きだす。飾ることなどない、むき出しの心だ。ヴォルフさんは、僕の言葉を、否定も肯定もしなかった。再度目を閉じて、考えこむ。
少しだけ、沈黙の時が流れた。ややあって、ヴォルフさんが口を開く。
「ヴェラが気に入るはずだよ」
うなずきながら、得心したようにヴォルフさんがこぼした。
それはつまり、ここまでのやり取りで、気に入られる要素があるってことか。
ヴォルフさんがさらに続ける。
「こちらもはっきりと言うが……ロウガ君、私は、君がヴェラと恋仲になって結婚するなら、それでいいと思っている。むしろ応援したい」
「それは……」
「無論、色々と面倒はあるだろう。だが、その面倒を乗りこえられるようバックアップはするつもりだ」
「至れり尽くせりですね」
「それくらいには君のことを気に入ったということだ」
ヴォルフさんが不敵に笑う。その笑い方があまりにもヴェラさんそっくりで、思わず吹きだしてしまいそうになった。
「ヴェラとデートをするんだってね?」
「ええ、こちらからお願いしました」
「私からも協力できることがあれば、言ってくれ」
「……ありがたすぎて、怖いくらいです。遠慮しますが」
「そういうことが言えるから、気に入ってしまうのだよ」
ヴォルフさんのそれはお世辞で言ってると思いたい。目が笑ってないのは横に置いておく。
「時間を取らせたね、話はこれで終わりだ。今日は楽しかったよ」
「こちらこそ、お世話になりました」
「いつでも来てくれ。君なら歓迎だ」
「次来る時までには、勝っておきます」
僕の言葉を聞いた途端、ヴォルフさんが大笑いした。威厳のある大の男が、子供のようにからから笑っている。
あざとい人だ。心がこの人に酔いそうになる。ウルフェード家の人間は、どいつもこいつも油断がならない。もう、かなり、この家が好きになってきている。
馬車の中、ゆったりした帰路の中で感じた寂しさが、それを証明していた。
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