第八話:招待からの、死闘
週末は休みだ。シンドヴァルト冒険者学園もその例にもれない。そして今日は週末だ、休日なのである。
『おい、今日どっか行こーぜ』
『俺勉強しねーとだわ』
『歌姫マリーゼがこの街に来てるんだってよ』
『最近、美味い飯屋を見つけてよ』
ゆるゆるとした空気が男子寮のエントランスに流れている。平日は授業やらでどうしたって疲労がたまってしまう。休日はガス抜きしたくなるのも仕方ない。
「まっ、僕は休まないけどね」
ひとりごちながら、エントランスをつっきる。友人との遊興もそれは大事なのかもしれないが、今の僕には必要ないものだ。
他にやることは多い、目下の課題はヴェラ=ウルフェードへの対策だ。とにもかくにも彼女のことを調べなければ……。玄関のドアノブに手をかけた。
「――失礼します。ロウガ=ジーン様で間違いないでしょうか?」
で、ドアを開けた先にメイドさんがいた。
「……えーと」
「事前にお嬢様からうかがっていた身体的特徴と一致しておりますので、あなた様だと判断したのですが相違ないでしょうか?」
「あ、はい、そうです。相違ないです」
なにも考えずに返答してしまった。気が抜けそうになるのをすぐさま引き締め、相手を観察する。
メイドだ。純白のエプロンに、同じく純白のヘッドキャップ。エプロンの下には紺のワンピースだ。ちり一つ目に入らない、身綺麗な出で立ち。着ている人の立ち振る舞いにもがちゃついたところがなく、整然として洗練されいてる。人間というより機械のようだ。
「どちら様でしょうか?」
「コリーと申します。ウルフェード家にお仕えしているメイドです」
コリーさんがうやうやしく頭を下げた。冷静というか冷徹というか。眉も、唇も、瞳も、全てがキリリと鋭い。襟足で綺麗に切りそろえられたショートヘアーも、彼女の粛々とした空気を後押ししていた。感情が読みとれん。小柄な体格ながら、得体の知れない怖さがある。
「ウルフェード……あの、もしかしてヴェラさん関連ですか?」
「はい。ヴェラお嬢様より、ロウガ様をお連れするように命じられました」
「お連れするって、どこに?」
「ウルフェードの本家邸宅にございます」
「はへぇ?」
いきなりすぎない? それ。
「いや、どうして」
「ヴェラお嬢様が是非お連れしたいと。それと、旦那様も是非お会いしたいと」
「旦那様というと……」
「ウルフェード家の当主、ヴォルフ様です」
「うええ??」
そこでヴェラさんのお父さんが出てくるのか。なんでまた……。
ああ、いや、理由は明白か。
ようするに、『娘をたぶらかす男の面を見てやろう』ってことだろうよ。
「ちなみに、ヴェラさんは今どこに?」
「本家でお待ちしております」
「一緒に来てくれないのね」
「私の方から待っていただくようお願いしました。お嬢様のお手をわずらわせるわけにはいきませんので」
「ああ、なるほど」
職務に忠実なことだ。いや、まぁ、ウルフェード家の令嬢にご足労願う方がおかしいんだけどね。普通なら。
「ちなみに拒否権は?」
「お嬢様から、『どんな手を使っても連れてきてほしい』と命ぜられたことだけは伝えておきます」
「あー、そっすか」
そりゃ下手に抵抗してもめんどいなぁ。ここは素直に従っておくかぁ。まったく、せっかくの休日だというのに。まぁ、特に優先したい用事もなかったけどさ。
「じゃあ、行きます」
「かしこまりました。校門前に馬車を用意させておりますので、どうぞそちらまで」
「わざわざご丁寧に……」
「大事なお客様なので」
コニーさんは無表情だ。ありがたいやらそうでないやらだ。
さて。
そんなこんなで僕は馬車の中だ。
「……すっごいなぁ」
「どうかされましたか?」
「ああ、いえ。かなり高級な馬車だなぁと」
ざっと、車内に視線を回す。馬車を造る細かい部品の一つ一つに小綺麗な装飾が施されており、とにもかくにも見栄えが良い。あいにく芸術とは無縁な僕だが。さすがにこれが美しいものだというのは分かる。
「座席のクッションもふかふかで……全然揺れないですよね」
「そのクッション自体が
顔の筋肉を微動だにさせず、コニーさんが教えてくれる。馬車自体はありふれたものであるので、僕も何度か乗ったことがある。けど、これほど高性能なものは初めてだ。新鮮な気分。
まぁ、浮かれてもられないが。車窓の外、ゆったり流れる景色をながめつつ、横目にコニーさんを観察する。
「…………」
じぃっと、視線を僕に固定させている。呼吸の動作ですら見逃さんと言わんばかりに僕を見ている。
(うーむ、これは)
見られている、あるいは、観られている。
品定めってとこだろうか。大事な大事な主家のご令嬢を惑わす男とはどんな者なのだろうか、と。
(いや、違うな)
もっと踏みこんだ考えだろうなこれは。
窓の外の景色は、人気の少ない、物静かな路地になっていた。
「コニーさん」
「なんでしょうか?」
「ここらへん、住宅街……貴族街から離れた場所ですよね」
「そうでしょうか」
「近くにはスラム街もありますよ。まさか、ここらへんにヴェラさんの家があるんですか?」
「さて、どうでしょうか」
「質問追加していいですか?」
「答えられる範囲でなら」
「ご当主様には、なんて命じられたんですか?」
「…………」
「もしかして、『始末しろ』とか、言われてたり? ここなら、人目もつかないですしね」
一瞬の沈黙。
すぐ後に、殺気。
顔面に、銀の閃きが飛んでくる。ナイフだ。どこから取りだしたのか、コニーさんの手に握られていた。首を曲げて回避。即座に馬車のドアを蹴飛ばす。そのまま降車。路面を転がりながら脱出した。間髪入れずに身体を起こす。
「っつはははははは!! とんだ休日だなぁ!!」
駆けだし、笑いを弾けさせる。だよねぇ。そんな、たかだか一介の小市民相手に気をつかおうってそりゃあないよな。
「申し訳ございません」
すぐ背後から、コニーさんの声が聞こえた。
「っつ!!」
背を向けたまま身体をかがめる。コニーさんのナイフが空を切ったようだ。かがめると同時に、足を出す。右脚を軸に、左足で蹴りを放った。相手の腹を狙う。
「〈
肝まで冷えそうなほど冷たい声音の詠唱。生命属性の魔術だ。〈
魔素には属性という概念がある。大別して【地・水・火・風・光・闇・生命】だ。生命属性は肉体に干渉する魔術が主となる。肉体を鉄のようにするなんてお手の者だ。
しかし、一瞬のやりとりの内に魔術を詠唱しきるなんて、手練れだ。魔術の行使は精神の集中が大なり小なり必要であり、下手くそは簡単な魔術ですらろくに詠唱できない。そして、生命属性の魔術は全体的に難易度が高い。生半可な練度ではまともな行使は望めない。
「マジかよウルフェード家! メイドすら戦闘能力高いのかよ!」
変な笑いがこみあげてきた。ナイフの連撃が、ひたすら首から上を狙ってくる。紙一重で躱しつづけた。コニーさんの攻撃はどれもが精確であり、それだけで、修羅場への練度が分からせられてしまった。
(真正面から打ち勝つのは無謀だなこりゃ)
ナイフの銀閃が幾重も重なる。このままだと遠からず斬られる。相手は女性ながら、腕利き。たぶんただ者じゃない。
ならどうするか。
「逃げ……ますっ!!」
バクステップで強引に間合いを離し、そのまま背を向け一目散に逃走。スラム街の、細い路地裏の奥へ、駆け足で突入していく。ぼろい建物が両脇にいくつもたたずみ、圧迫感満載の窮屈な細道を形成。そこら中にゴミが散らばっていることもあり、走破性はかなり悪い。上手くいけば相手をまくことはできるだろう。
「〈
魔術の詠唱が不気味に響く。今度は、瞬発力を一時的に上げる魔術だ。猛烈な勢いで距離をつめられる感覚が、背筋に冷水を浴びせてくる。細くて走りにくい道を、爆速で駆けているのが足音で分かってしまう。走破性が悪い? そんなことは関係ないと言わんばかりだ。間違いなく、このままじゃ追いつかれるだろう。
追いつかれるなら――。
「跳ぶ!」
気合を発し、足の裏に力を込めて跳躍。跳んだ先は、壁だ。
「らぁ!」
さらに気合を重ね、跳ぶ。壁を蹴って、反対側の壁へ。またさらに壁を蹴って、跳ぶ。そうして、どんどん上へ登っていく。俗に言う、三角跳びと呼ばれるやつだ。
「……ふぅ」
壁伝いで跳んだ先、建物の屋根に乗った後、小さく息を吐いた。下を見下ろす、ほんのわずかに顔をしかめたコニーさんが見えた。
その次には、彼女もまた、同じように壁を蹴って、跳んでいた。
「この程度じゃ駄目ってことかよ!」
足を必死に動かしながら、悪態をつく。あんなくっそ動きづらそうなメイド服で、三角跳びみたいなダイナミックな動きができる。やっぱりあの人ただ者じゃない。っていうか、たぶんメイドが適任じゃない。もっといい仕事がある。傭兵とか、それこそ冒険者とか。
「捕まって……たまるかよ!」
意地でも、な! 屋根の上を走る、走る、そして、跳ぶ。屋根から屋根へ。
「〈
再度、魔術の詠唱。コニーさんの駆け足が近づいてくる。距離がつめられる。走りながら、追いかけながらの魔術の詠唱をこなす。なんたる練度だ。その上、この短時間に魔術の詠唱が三回。生命属性の魔術は、かなり魔素を消費すると聞く。だとするならば、間違いなく、魔素の保有量は常人より上。みそっかすな僕とは天と地の差もあるはずだ。
ああ、くそ。羨ましい。僕には与えられなかったものだ。
脳裏に浮かぶ、ヴェラさんの姿。声。顔。
『ボクのものになってくれ、ロウガ君』
なぜ、なぜ、なぜ。
あなたは、僕にないもの、与えられなかったもの……天賦の才を得ていながら、僕を求めるのか。そこまでして僕に――俺に、完膚なき敗北を与えたいのか。
「馬鹿がっ!」
奥歯を噛み、自らを叱責。気を向けるべきは、ヴェラさんじゃない。僕をどこまでも追跡するコニーさんだろうがっ。
敵を見誤るな。常に自分と敵の勝利と敗北の条件を考えろ。頭を使え。
「
全てを振りきるように、スピードを上げる。屋根から、屋根へ。道なき場所に道を見出し、駆けぬけていく。追いすがるコニーさんの気配。それを一心不乱に振りきろうとする。
追う、逃げる。
追う、逃げる。
追う、逃げる。追う、逃げる。追う、逃げる。
スラム街にて繰り広げられる鬼ごっこは、もう数十分が経過しただろうか。捕まれば負け。捕まらなかったら、勝ちだ。僕は、ひたすら、跳んで、走って、逃げまくった。
そして、その結果が現れる時が、間もなく訪れるようだ。突如、近寄ってくる背後からの殺気が鈍くなった。
直感を信じ、後ろを振りかえる。コニーさんが、初めて、その表情を悶絶に歪めていてるのが見えた。
ついに、その時が、狙っていたタイミングかきたと確信。
「ずっ、あああああ!!」
急ぎ、身体を方向転換。前へ向けていた推力を、後ろへ。身体を低く、コニーさんへタックルを仕掛けた。
「なっ!?」
予想外の動きだったのか、あっけなく、彼女は下半身を僕にとられた。足を刈り、押し倒す。僕が上に覆いかぶさる体勢。完全に有利なポジションである。形勢は、ここに逆転した。
僕が狙っていたのは、スタミナ切れだ。
単純な足の速さならば、コニーさんが確実に上である。魔術の力を使う彼女に、単純な鬼ごっこではあまりにも分が悪い。だからこそ、それを覆すなにかが必要だった。そこで着目したのがスタミナだ。
集中力が必要な魔術は、使えば体力を削られる。この時点でスタミナの減少は僕より激しい。この時点で、スタミナにおけるアドバンテージが一つ。ここに、地の利のアドバンテージを加えた。
そう、このスラム街は、僕にとって非常に馴染がある場所だったのだ。それこそ、おおよその地形を把握しているくらいには。だからこそほぼ止まることなく走り逃げることができた。見知らぬ場所ならそうはいかない。いちいち周囲の状況を把握しなければならないからだ。この作業は頭と目を使うので結構疲れる。その証拠に、コニーさんの息があがったのだ。僕よりも早く。
二つのアドバンテージをもって、スタミナ切れを狙う。それこそが、僕が狙った勝利条件であった。
「ぐううううう!」
「ずあっ!」
唸りながら、コニーさんは身体よじらせ抵抗する。彼女は右手にナイフを持っていた。下手に自由を許すと、無手の僕と有利不利が逆転してしまう。それは駄目だ。僕の右腕を、彼女の右脇から首の下に回し、ナイフを持つ右腕を上げた。流れるように、左腕も同じく相手の首の下に回して両手を握る。そして、自分の頭と首筋を利用してコニーさんの肩をロックした。こうすれば、僕の腕と相手の肩を用いて頸動脈を絞めあげることができるのだ。
この技を、〈
「がっ! はっ!」
「このまま僕が固めつづければ、あなたは気を失います」
「ぎっ」
「僕の勝ちですね」
コニーさんはなんとか抵抗しようとするも、体力の消耗が著しいのかそれもままならないようだ。じょじょに、じょじょに、彼女の全身から力が抜けていくのが分かる。
「うっ……くぅ」
そうして、最後、脳に酸素が行かなくなって気を失ってしまう。コニーさんの右手から、ナイフが落ちた。もう間もなく、意識が飛んでいくであろう。
その前に、僕は身体を離した。
「がっ、がひゅー!!」
コニーさんが勢いよく上半身を起こし、肺に空気を送った。みるみるうちに、彼女の瞳に生気が戻っていく。その間に、僕は落ちたナイフを回収しておいた。危ないからね。
「なっ、な、ぜっ?」
呼吸は激しいままに、コニーさんが僕に問う。
「なぜ? というと?」
「なっ、なぜ、解放っ、したのっ、でっ」
「ああ、だって、これだけやれば十分かなって……最初から、僕を殺すつもりなんてなかったでしょう?」
コニーさんが目を丸くした。
「攻撃に殺気自体は乗ってましたが、本気じゃないと思いましてね。なんというか、僕を試してやろうみたいな、そんな感じです」
「……それは」
「というか、本気で殺す気があるなら。まずもってコニーさん一人だけというのはおかしい。確実に仕留めるなら、二人以上の人間を寄越すかなって」
「……」
コニーさんが口を噤んだ。呼吸はもう整っている。
「もしかしたらですけど、ご当主様の命令って、『始末しろ』じゃなかったりします?」
「まさしく、あなたの予想通りです」
そう言いながら、彼女はこちらに頭を下げた。
「ロウガ様、ここまでの無礼、大変に申し訳ありませんでした」
「いや、まぁ、あなたも色々大変だなとは思うんで」
「寛大なお言葉、重ねて御礼もうしあげます。そして、此度の無礼を働いた件につきまして、改めて、旦那様から説明をお聞き願いたいと存じます」
「ああ、ということは」
「今度こそ、本当に、ウルフェード家にご案内いたします」
ああ、そう言えば、そんな流れだった。怒涛の展開すぎて忘れてしまっていた。
正直もう疲れた、帰って休みたいというのが本音、なのだが。
「お願いします」
今度は僕が頭を下げた。帰りたいのはやまやまだが、ここまできて引き下がるのも悔しい。悔しいから、最後まで付きあってやろうじゃないか。
もしかたら、ひょっとすると、将来の義父となるかもしれない人の顔を、拝みにいこうじゃないか。
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