第七話:成功、デートへ


「デートに行こう、ヴェラさん」


 朝の教室、その真ん中で、僕はヴェラさんに面と向かって申し出た。クラスメイトの談笑でがやがやしていた教室内が、水を打ったかのように静かになった。一瞬で全員の耳目じもくを集める。


「へ? え? うん」


 誘いを受けた当のヴェラさんはきょとんと呆けた声で返した。


「いや、どうしてそんな驚いているのさ」


「まさか君の方から誘われるとは思ってなかったから、ね」


「嫌でしたか?」


「そりゃもちろん嬉しいよ……ただ、どういう風の吹き回しだい? 今までボクがさんざんアプローチしても、つっけんどんな態度だったのに」


 気の抜けた顔をすぐさま矯正し、不敵に笑ってヴェラさんが問う。


「僕って男は、純情でしてね。相手のことをゆっくりと理解してから恋を発展させたいんですよ。ほら、手を繋いだり、遊びにいったり、あるでしょう?」


 嘘ではない。嘘ではないが、真実でもない。僕の言葉には裏の意図がある。すなわち、『強引な手段で手籠めにしようったってそうはいかねーぞ』って意思表示だ。これが伝わっているかどうか。

 ヴェラさんが、あごに手を当て口元を隠す。


「素晴らしい」


 そして、手を剥がし、唇を歓喜に歪ませた。


「すごいね、想像以上だ」


 ヴェラさんの声は若干震えていた。ああ、その反応ってことは、やっぱり予想していた通りだったってことか。


「ああ、一筋縄ではいかないなぁ。分かりやすく大胆不敵なアプローチも、君の前では無意味だったかぁ」


「無意味とはいいませんが、まぁ、お互いのことをゆっくり理解してから次のステップに行きませんか? ってことで」


「次に進んでくれる意志はあるんだね?」


「そりゃもちろん。ヴェラさんほどの人に愛されているのは、悪い気がしない」


「そう思っていながら、ボクの愛を未だ受け取らない、いけずな男」


「だから、デートから始めましょうってことで」


 自然と唇の端が歪んでくる。変な方向で気持ちが昂っていた。周囲からヒソヒソとした話し声が聞こえるが、まったく気にならない。目の前にいる絶世の美女と、二人だけの世界だ。ロマンチックだね。油断は一切できないが。


「ま、待て!」


 と思ったら、間に入ってくる声が一つ。顔を向けると、いつの間にやら一人の男子生徒が側まで来ていた。たしか、ヴェラさんの幼馴染である、ユウノ=ジュンナーだっけか?


「ヴェラ、いい加減にしたまえ」


「……どういうことだい?」


「その男は君にふさわしくない」


 ユウノは僕の存在を完全無視して、ヴェラさんにご諫言かんげんなさっている。面白そうなんで、なにも言わずに見守っていよう。


「ヴェラ、君はこの学園の至宝だ。どこの馬の骨とも言えないような男に熱をあげるなんて……間違っているよ。君には君にとってふさわしい相手がいるはずだ」


「たとえば、誰だい?」


「それは、その……」


 ほおを赤く染めて目を逸らすユウノ。おっと、まぁ、純情可憐である。


「ボクは、誰、と聞いているよ」


 そんなユウノの様相なぞ知らんとばかりに圧をかけるヴェラさん。笑顔なのに、深紅の目だけは全く笑ってなかった。超怖え。ユウノが唇を噤んでしまってるもの。


「答えられないかい?」


「いや、そんな……」


「答えられないなら、話は終わりだ」


「ま、待ってくれ!」


「ボクの恋路の邪魔をするのか? ならば、ボクと戦うか?」


 ヴェラさんの問いかけ。ユウノの目の色が変わる。あれは……怯え、か?


「戦って、ボクに勝つことができるなら、君の言うことを聞くよ」


「そんなことをしなくてもだね……」


「やらないなら、聞く耳を持たないな」


 そこまで言われたところでユウノはうつむいて何も言わなくなった。傍観していた周りの生徒達も、ざわつきを止める。


(ふぅむ?)


 反射的に、僕はあごに手を当てた。直感だが、この光景、なにか引っかかる。


「すまない、ロウガ君。余計なのが入った」


 ヴェラさんが微笑みながらこちらに顔を向ける。余計なの、とは。ユウノはたしか幼馴染だったはずだ。先のやり取りは相当おかんむりだったということか。


「……いえ」


「ふふ、このまま二人、誰にも邪魔されない場所に移動したいところだが、もうすぐ授業が始まる。後でまた、話をしよう」


「そうですね。デートは僕のほうでエスコートしますので、色々好みとかを聞きたいなぁと」


「ああ、なんてスマート! かっこいいよ、ロウガ君!」


 目を輝かせるヴェラさん。飾っている気配はなく、本心で言っているようにしか思えない。彼女の心に、幼馴染の姿は少しも映っていないのだろう。

 そうこうするうちに、教室のドアが開いて、教師が入ってきた。室内の生徒が次々と席に着く。僕もそれに続いた。当然のようにヴェラさんは隣に座ってきた。

 なんとなく、ユウノに目を配った。

 唇を噛み、拳を震わせている。悔しさからなのか。まぁ、その心中、察してやれんこともない。彼の心は誰に向いていたのかなんて明白だ。僕ごときに取れられるなんて、屈辱にすぎるだろう。

 とはいえ、だ。

 今は正直そっちに気を向けるつもりなんざ毛頭とない。注視するのは隣でしなだれかかるヴェラ=ウルフェードだ。

 彼女のことを知る。それが至上命題だ。勝負に勝つ、そのためにはありとあらゆる情報をかき集めなければならない。そのためのデートだ。


「楽しみだね、デート」


 甘く甘くささやくヴェラさん。本当に、楽しみにしているのだろう。


「そうですね、楽しみです」


 そして、それは僕も同じだった。

 これからどんな風にコトが進んでいくのか、楽しみ楽しみで仕方ない。


△△△


 贔屓目もあるのかもしれないが、ウルフェード家は家族仲が良いと思う。

 当主であるボクのお父様、ヴォルフ=ウルフェードが揺るぎない大黒柱として君臨し家を統括しているので、多少の衝突はあれど家族を引き裂くような仲違いは過去一度もなかった。

 そんな父が、妻であり、ボクのお母様であるロベラ=ウルフェードと決めた家族の決まりごとの一つに、『可能な限り家族全員で食卓を囲む』というものがある。食事は心のゆとりを生む。ゆとりがあれば、家族同士で安穏とした交流ができる。そうして仲を深めていく。それのおかげがどうかは分からないが、たしかに、食事の時間は家族に色んな話をした覚えがある。学校のこととか。


「デート、行ってきます」


 んで、今回はデートのことを話すわけだ。魔物モンスター由来の食材であるジェノサイドサーモンのカルパッチョをメインとした料理に舌鼓を打ちながらボクはそれを口に出した。


「…………え? ギャグ?」


 兄の一人たるオーヴェル兄様がフォークの動きを止めた。どうしてそうなるのか。ウルフェード家の三男坊は、大変知的で学問に優れるというに、ボクの発言は理解できないのか。


「今の発言をどう聞けばその反応になるのですか、オーヴェル兄様?」


「いや、いやいやいや。それはだって、お前。え? デート? ヴェラが? え?」


「そんなにですか?」


「お前、過去何人の男を切って捨てたと思ってんだ?」


「数えたことないです」


「そういうとこだよ」


 こめかみを抑えながら兄上が言った。仕方ないではないか、今まではお眼鏡に叶う男がいなかったのだから。


「ま、まぁ、いいんじゃないか? ヴェラにもようやく浮いた話が……」


「……とめん」


 とまどいつつもオーヴェル兄上がそう流そうとしたところで、となりに座っていたもう一人の兄、ルヴォー兄様が低くうなった。


「お、おう。どうした? ルヴォー兄?」


「みっとめええええええええええん!!」


 オーヴェル兄上の問いを完全無視して、ルヴォー兄上が叫びテーブルを叩く。ウルフェード家次男は、若いながらもこの国で指折りの猛将として名を馳せている。そんな人の大喝は大変に迫力があった。


「ヴェラがデート!? 認めんっ!! 認めんぞ俺はぁ!!!!」


「ちょっ! 落ち着けってルヴォー兄!!」


「これが落ち着いていられようか!」


 ルヴォー兄上は顔を真っ赤にさせている。グラスに注がれている赤ワインよりも赤い。酔っているのだろうか。


「可愛い可愛いヴェラに、男!? そんな! そんなの!! ゆるっ、ゆるるる!!」


「落ち着いてくださいルヴォー兄様。音に聞こえた猛将ルヴォー=ウルフェードが妹の恋路に一喜一憂するようでは、その名に恥がつきますよ?」


「ヴェラのことに勝る名などあろうか!!」


 力一杯に主張するルヴォー兄様。ボクの上には三人の兄がいるのだが、この次兄は一番可愛いがってくれている。ありがたい話だ。ちなみに、長兄は今この場にはいない。家から離れて過ごすことが多いからだ。


「かくなる上は、この俺自らその男に……」


「――静かにせんか、ルヴォー」


 騒ぎたてるルヴォー兄様を、冷静沈着になだめる声が響く。重厚感に満ちたバリトンボイスに、その場が一瞬で静まりかえる。声の主は、一家の長たるボクの父、ヴォルフ=ウルフェード。さしものルヴォー兄さんもお父様の前では動きを止めるしかなかった。


「気持ちは分からんでもないが、突っ走るでない」


「そうですよ。あなたの美しい兄妹愛も尊いですが、一番はヴェラの気持ちなのですから」


 お父様に続き、お母様もルヴォー兄様をたしなめた。母の慈愛に満ちたアルカイックスマイルは、時としてお父様すら黙らせてしまうほどだ。息子であるルヴォー兄様が反抗できるはずもなく、しゅんと、身体を小さくさてしまった。


「しかし、ヴェラよ。ルヴォーほどでないにしろ、動揺はある」


「そうですねぇ……ヴェラってば、今まずっと色恋に無縁でしたから」


「そろそろ縁談を用意せねばと思っていたところだよ」


 お父様が憮然として息を吐く。お母様はワインに口をつけながら、眉を少しひそめていた。


「ヴェラよ」


「はい」


「どんな男だ」


「ボクにとって必要な男です」


 家族全員の視線が、いっせいに突き刺さった。静かに迫力のある光景だが、特に臆することもなくコーンクリームスープを口に運ぶ。まろやかな味わいに舌が躍った。家で抱えるシェフはやっぱり優秀だ。


「彼は、ロウガ君は、ボクとは違う。なにもかも違う」


「身分がか?」


「身分もそうです。ですが、一番違うのは才能でしょう。彼は、魔素エレメンツに愛されなかった」


「それは大きな違いだ」


 お父様が腕を組み鼻を鳴らす。明らかに不満そうだ。


「ヴェラよ、お前の恋愛は尊重したい。だが、違いは軋轢を生む。王には王の暮らし、シェフにはシェフの暮らし、パン屋にはパン屋の暮らしがある。それぞれが無理に交わっても上手くいくはずがない」


「理解しています」


「理解していてなお、愛を貫くか?」


「愛というより、運命なのですよ」


「運命?」


「ロウガ君は、ボクにとって必要なんです。だから出会った」


 お父様の正論は、全て分かる。客観的に見ると危うい恋愛なのだ。

 それでも、ボクは彼が欲しい。


「ヴェラ、お前がそこまで言うなら、もう止めない。デートでもなんでもするといい。だが、その前に一つだけ条件をつけよう」


「なんでしょう?」


「その男を家に連れてきなさい」


 有無は言わせない。静謐な声色ながら、お父様の言葉にはすごみがあった。さすがにこれは断れない。断るつもりもないが。


「分かりました。どんな手を使ってでも招待します」


「うむ。会うのを楽しみにしているよ」


「かっこいい子かしら、それともかわいい系? うふふ、お母さんも楽しみ~」


「ヴェラが……ヴェラが……うう、許さんぞぉ……我が最愛の妹をたぶらかしおってぇ」


「いい加減に落ち着きなってルヴォー兄。よっぽどのクソ野郎じゃない限りは認めてやろうさ」


 家族の一人一人が、個性豊かにロウガ君への思いを巡らせている。当たり前だが、家族と言っても違う人間だ、考え方はまるっきり違う。されど、ボクへの愛情に違いはない。有難く、なにより嬉しかった。

 この家に生まれてよかった。つくづくそう感じる。


(ロウガ君にも、この輪に入ってほしいなぁ)


 一日でも早く。待ちきれない。

 ロウガ君、早く、早く、ボクのものになってね。

 グラスを口につける。レモネード水がさらさらとしたのどごしで胃に落ちた。いつもより何倍も美味しい。何故だろうか。きっと、好きな人のことを考えているからだな。

 無敵な気分だ。

 

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