第五話:ヴェラ=ウルフェードとは


 断言する。ヴェラ=ウルフェードはとんでもない女だ。

 なにがとんでもないかってーと、それはもう色々なのだがまずもって勢いがとんでもなかった。


『ロウガ君! ボクと恋人になってくれ! もう離さない! 離したくない! 誰にも渡したくない!』


 あの日の血闘デュエルで、僕に勝ったヴェラさんは、そんな力強い告白を叫んでいった。んで、そっから彼女の猛アタックが始まってしまったのだ。


「おはようロウガ君! 朝からいい男だね! さぁ、教室までともに歩こうじゃないか!!」


 気持ちのいい朝に、ヴェラさんの美声が高らかに響く。耳が気持ちよくなるくらいに美しい声を聴いても、残念ながら僕の気分は快くならなかった。


「ヴェラさん」


「なにかな!?」


「ここ、どこだと思ってます?」


「我がシンドヴァルト冒険者学園が誇る男子学生寮の入り口だね!」


 登校しようと思って寮を出たら、居るんだもん。びっくりしたよ本気で。ああ、周囲の目が痛い。


「わざわざ来たんですか、ここまで?」


「君と登校をしてみたかったんだ! 恋人との登校……ふふ、乙女が憧れるシチュエーションだね!」


「僕、恋人になった覚えはないんですが?」


「聞こえないな!」


 発せられた疑義をぶった切り、強引にヴェラさんが僕の手を握ってきた。そのまま、すさまじい勢いで駆け抜けていく。ドドドドと、他生徒の中を猛牛のごとく爆走していった。つーか力つよっ。


「ああ! 楽しいね! 味気ない登校のひとときも、愛しい人と一緒ならこんなにも輝かしい時間になるのか!」


「楽しいのか!? これ楽しいのか!?」


 なすがままにされた僕。もちろん、楽しんでいる余裕はなかった。疲れた。なんだこれ。朝からこれだ。

 んで、そんな彼女の勢いは、授業中も止まらなかった。


「ふふ、ロウガ君。分からないところはないかな? ボクは学業も優秀な自負がある。遠慮なく聞いてくれたまえ」


「あのね、ヴェラさん。近い、近いの」


 机に向かいテキストを広げる僕に身体を限界まで密着させて、ヴェラさんが耳元でささやいてくる。香水をつけているのか、柑橘系のいい匂いがした。リラックス効果があるとされる香りのはずなんだが、僕は一切リラックスできない。ていうか緊張する。姿勢を直そうと身体を動かせば、そのたびにムチムチした彼女の太腿ふとももの感触をズボン越しから感じてしまう。理性が溶けそうになるのをなんとか耐えた。そんな僕をあざ笑うかのように、流れるような動きで足をからめる。


「ヴェラさん、さすがにそれは激しすぎません?」


「ふふ、なんの話かな?」


 艶めかしい声でささやくな。

 もうどうにもならなくて、意識を逸らそうと黒板に目を向ければ、先生が大変複雑な感情がこもった視線を飛ばしてきた。授業中に色ボケかましてる生徒を怒るべきなのだろうが、相手はあのヴェラ=ウルフェードだ。品行方正であるはずの彼女が異様な姿をさらしていることに、怒りよりもとまどいが勝っているのだろうか。


「えー、ロウガ=ジーン君。『ゼグルロード通貨協定つうかきょうてい』について説明できますか?」


 視線が交わった僕を、乾いた笑顔でもって先生が指名する。気のせいだろうか、少しだけ同情の想いが混ざっているように思えた。ヴェラさんの足をほどいて、スクっと立ち上がる。


「はい。協定に批准した国では、ダンジョンで採掘できる魔晶石ましょうせきのみを原料として、通貨を作成しなければならないということを決めた国際条約です。これによって、各国で流通する通貨の量が、【どれだけの魔晶石ましょうせきを採掘できたか】、で決まるようになり、貨幣経済の安定に繋がったとされています」


 「正解です」という先生の声と同時に、僕は席に座った。途端に、ヴェラさんが耳打ちしてくる。


「素敵だったよ。ボクの助けがなくても十分だったね」


「そりゃどーも」


 褒めてくれるのはいいんだが。足をからめないでくれ。頼むから。

 そんな願いも空しく、ヴェラさんはありとあらゆる授業でずーっとこんな風な勢いで接してきた。もちろん、周囲の生徒の視線は痛かった。

 正直、気が休まらない。せめて、昼食の時間は心穏やかに過ごしたい。


「ロウガ君! あーん、してあげようか!?」


 でも駄目でした。

 目の前には両手でほお杖をついたヴェラさんが微笑んでいる。食堂で、席に座った瞬間、どこからともなく現れて一緒の席に座ったのだ。


「おお、ずいぶんと理想的な食事のメニューだ。だが、肉をつけるためにもっと食べてもいいんじゃないかな!?」


「むしろあなたはそんな食ってんのになんで理想的な体型なんだよ」


 野菜や豆を中心に、脂身の少ない慎ましやかなメニューを食す僕。それと比較するとヴェラさんの食事は豪快の一言だった。中心には、肉汁滴るミノタウロスのステーキが特大のサイズで大皿に横たわっていた。ボウルにはライスが山盛りよそわれて、こんもりと三角の山を作っている。若緑の輝きを放つレタスとルッコラのサラダの量もあふれんばかりだ。もっというと、水ですら大きなグラスに並々注がれたのが二本も並んでいる。めっちゃ飲むなこの人。


「ふふ、魅力的な体型と言ってくれるのかい? 押し倒したくなるほどに」


「いやまぁそうなんですけど、押し倒しませんからね?」


「押し倒される方が好みと?」


「そうじゃない」


 即座に突っこむ。押し倒す倒さないの下りは、冗談と信じたかった。


「まぁ、とにかく遠慮なくあーんされてもいいんだよ」


「遠慮します」


 ぶうっと、ヴェラさんが口を尖らせてステーキを口に運ぶ。どこか大雑把な食事内容に比して、彼女の食べ方はとても丁寧で所作の全てが整っていた。そこはやはり上流階級ということか。ヴェラさんが布巾で唇を拭う。肉の脂で光ったそれが、テラテラと妖美ようびに光っている。見ていると吸い込まれそうなので、スープを飲みながら視線を切った。

 ヴェラさんがナイフを走らせ、肉を切る。少しだけ目を閉じて、考えこんだ。


「うーん……やはり、あーんをしたい」


「しません」


「したいなぁ」


「はい、あーん」


「いや、だからしません」


「あーん」


「だからね」


「あーん」


 無敵か、この人。フォークに突き刺したステーキのかけらを、無理矢理僕の口へ持っていこうとする。恥ずかしいのもあるのだが、それ以上に、周りの視線が痛いんだ。あ、サヌルボゥがいる。あいつ笑ってやがる。

 ヴェラさんが無言の圧をかけてくる。満面の笑顔に、有無を言わさぬ迫力を満たした。もうやだぁ。なんか断れない。

 ええいままよと、一気に肉をほおばる。美味い。肉の旨味が汁と一緒にじゅわっと広がっていった。


「ふふ、嬉しい」


 たおやかにはにかむヴェラさん。とてもチャーミングなのだが、周囲からの殺気が一段階ボリュームを上げたことに気づいているのだろうか。どうでもいいんだろうな、そんなこと。

 そんなわけで、昼食の時間も安息とはならなくなった。

 しかし、しかしなのだ。

 はっきりいって、これでもまだ序の口だということを、僕は思い知ることになる。


「つ、疲れた……」


 そうつぶやいて、僕は重苦しい息を吐く。肩にかけた赤茶色の革製学生カバンが、妙にずっしりくる。ここまで疲労を感じたのは、この学園に来てからは初めてだった。


「一日中……一日中べったりだった。なんなの、ほんと」


 僕の言葉は、比喩でもなんでもない。離れていた時間の方が少ないんじゃないかと思うくらいには、ヴェラさんは僕にくっついていた。それをいなすために割と体力を使ってしまう。そのうえ、そんな僕達の様子を見て、周囲は奇異と嫉妬と殺意の視線を四六時中向けた。これが地味に精神力を削ってくるのだ。殺気自体は別に気にしないんだが、それが常時向けられるのはさすがにまいる。

 結果、僕は心身ともに疲労困憊となってしまった。


「まぁ、とにかく帰ろう。帰って休もう」


 そうこうひとりごちてるうちに、この学園における僕の帰る家である、男子学生寮に着いた。シックな赤レンガを主な建材に使った、渋さと落ち着きを感じさせる建物だ。寮の上部を飾る屋根の色は、全てロイヤルパープルで塗装。それが、成熟した老紳士のような余裕を見る者に与えてくれる。外観からでもゆっとりとした安寧を得られるようにと、学園が配慮したなのだろう。非常に立派な学生寮だった。五階建ての大規模な学生寮であり、収容人数は千人をゆうに超える。それでいて全部個室なのだから驚きだ。シンドヴァルト冒険者学園は学生寮にだって金をかけている。

 そんな男子学生寮の入口玄関を開ける。乳白色に染色された木製ドアの先にはエントランスホールがあり、帰寮した男子生徒達が複数のグループに分かれてたむろっていた。それらに一瞥もくれることなく、僕はさっさと自分の部屋に戻っていく。


「はいただいまーっと」


 ドアの鍵を開けて、五階にある自分の部屋に帰る。一人で暮らすには十分すぎる広さの部屋に、鉄のフレームで支えられたシングルベッド、洋服タンス、木製の学習机を完備。これでも至れり尽くせりなのに、なんと、小さいながらもシャワールームまである。文句のつけようがない部屋だった。


「シャワー浴びよう……」


 学生カバンを無造作に放り投げ、制服の上着を脱ぎながら、シャワールームのドアノブに手をかけて回した。


「おや、お帰り。先にシャワー浴びてたよ」


 その先で、信じられないものを見た。


「ああ、ちょっと待っててくれたまえ。ボクは風呂上がりには必ずキンキンに冷えたレモネード水を飲まないと落ち着かないんだ。もちろん、シャワーの後にもだ」


 バスタオル一枚をその身にまとわせたヴェラ=ウルフェードが、そこにいた。部屋の主である僕よりも先にシャワーを浴びて、あまつさえ美味しそうにシャワー後の一杯を堪能している。濡れた赤髪をきらめかせ、水筒を口につけて喉を鳴らす姿が大変色っぽい。目の保養だ。

 ……いや、いやいや、待て待て待て待て待て待て待て待て待て待て待て待て待て待て待て待て待て待て待て。


「待てやこら!!!!!!」


 目の保養とか言って場合じゃない。


「なんでいるの!? ねぇ!! なんでいるの!?」


「君の部屋に行きたかったからかな?」


「行動に移すなよ!!」


「????」


「心底理解できない、みたいな顔をするんじゃない!!」


 どうなってんだよこの人。仮にも年頃の少女が男の部屋に許可もなく入ってんじゃねぇよ。しかも先にシャワー浴びて半裸でいるんだぞ。

 ……あれ? 冷静に考えろ、なにかがおかしい。いや、おかしなことだらけだけど一番おかしい部分にまだ突っこんでない。


「……ちょっと待って?? ヴェラさん、どうやって入ったんですか? 部屋に鍵、かかってましたよね??」


「ああ、管理者に話を通したら、マスターキーで開けててもらえたよ。君以外の人にシャワーをのぞかれたら困るから、その後は中から私が施錠したんだ」


 彼女はさらっと言ってのけた。


「はぁ!?!? 話ってなに!?!? 生徒のプライバシーどうなってんだよ!!」


「ふふ、こういう時実家が太いと色々便利だよね」


「あっ、買収しやがったな!」


「いやいや、人聞きの悪い。誠心誠意、腹を割った話し合いをしただけのことさ」


 その結果、僕のプライベートゾーンが大変なことになっちゃったんですけど!!


「まぁまぁ、細かいことはいいじゃないか」


「全然細かくないんだっ、がっ!?」


 僕の訴えを右から左に流し、流れるような動きで、ヴェラさんが僕の身体を押して壁に追いやった。背中にひんやりとした壁の冷たさを感じながら、目の前に立ちはだかる彼女を見つめる。


「ふふ……これが噂に聞く、壁ドンってやつなんだな」


 ヴェラさんが甘い声を発しながら、引きしまった腕を真っ直ぐに伸ばし、壁へ手をついた。頭一つ分くらい身長差があるので、僕が彼女を見上げる形だ。普通、これ男女逆じゃねえ?


「せっかく、部屋に二人きりというシチュエーションなんだ……色々と楽しもうよ、ねぇ?」


 砂糖菓子よりも糖分が高そうな誘い文句。誘っているのは学園トップクラスの美女。おまけに半裸。

 据え膳を食わねば何とやらだが、もはや据え膳が高級感レストランのフルコースみたいになってる。男ならば、誰もがよだれを垂らしすぎて口内が干からびるのではないかという魅力的な状況だ。

 それを前にして、僕は……のどを鳴らし、ゆっくり口を開く。


「きっ」


「きっ?」


「きゃあああああああああああああああああ!!」


 そんで、思いっきり金切り声を叫んでやった。


「いやあああああああああああああああ!! きゃああああああああああああ!!」


「え!? ちょっ!? えっ!?」


「襲われるううううううううううううう!!」


「襲うつもりだったけどさ!?」


 力の限りかん高い叫びを、大ボリュームで流し続ける僕。さすがのヴェラさんもこれにはかなり面食らっているようだ。


「いやあああああああああああああああ!!」


「ええっ!? なんで!? なんでなのさぁ!?」


 そんなこんなで騒いでるうちに、部屋の外がにわかにやかましくなってきた。僕の叫びを聞きつけて、人が集まって来たのだろう。目論見通りだ。


「誰かああああああああああああああああ!!」


「むっ、むぎぃ!!」


 ヴェラさんが悔しそうにうめく。騒動を起こされてしまっては、ムードもへったくれもない。身体を使ったのに籠絡されなかったからか、屈辱がもれ出ていた。


「……この程度じゃあきらめないからな!」


 捨て台詞を吐き、壁ドンを解いて、いそいそと服を着るヴェラさん。据え膳をテーブルごと引っくり返したというのに、僕に対する執着を捨ててない。なんなんだこの人。

 やがて、ドアの向こうにいた人々がバタバタと部屋に突入してくる。僕はほっと、安堵の息をもらした。これで、今のところは、彼女から解放されると。その後は、騒ぎの原因となったことから、ヴェラさんと一緒にしこたま怒られることになったのだが、そこは甘んじて受けいれることにした。

 まぁとにかく、以上が、ヴェラ=ウルフェードをとんでもない女だと判断するに至った一日である。

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