第四話:雲上人からの誘い、そして敗北


 ヴェラ=ウルフェード。彼女は、この学園における有名人だ。

 学園の至宝、十年に一度の逸材、才色兼備の擬人化……彼女を称える言葉には限りがない。多少の僻み、やっかみはあったものの、それ以上の賛美が圧倒していた。

 正直、それもうなずける。サヌルボウから聞いた彼女の経歴は、そのどれもが嫉妬すら及ばないほどの栄光に満ちていたのだ。

 生まれはこの国でも有数の名家。父は高名な軍人、兄妹も皆優秀な者ばかり。幼少期に常人とは比較にならないほどの魔素エレメンツの保有量であることが発覚。それを契機に、世界最高峰の冒険者学園たるシンドヴァルトがスカウト。十二歳になった時点で中等部に特別コースで入学。その後はありとあらゆる部分で優秀な成績を残し、常に首席を譲らなかった。

 簡単な経歴だけでもこれなのに、それ以外も仰天だ。外見は誰もが振り向く美女で、彼女のブロマイドが学園で流通してバカ売れしたこともあるらしい。友人も多いので性格だってかなり親しみやすい。本屋の棚にひっそりと埋まってる三文小説の方がマシな設定盛るのではないかと思うくらいに、天稟てんぴんを過積載にしている。

 まさに雲の上の人物。本来なら僕ごときが手を伸ばすこともおこがましい人なのだろう。

 だというに、だ。


「ロウガ=ジーン君、ボクは君に血闘デュエルを申しこむ!」


 まさかそっちから手を伸ばすとは思わなんだ。

 朝の教室、登校したばかりのタイミングでいきなりこれだ。教室の入口で僕とヴェラさんが真正面から相対している。そこに向かって、何事かと、周囲の視線が一斉に突き刺さった。ここまで注目されたのはここに来てから初めてだよ。ちなみに、悔しいことにヴェラさんの方が身長が高いので、僕は微妙に顔を見上げる形となった。


「……冗談だったりします?」


 念のため確認する。頑張って愛想笑いを作っているが、油断すると真顔になりそうだった。


「なにをっ! ボクは本気さ!」


「そんな馬鹿な」


 ヴェラ=ウルフェードがロウガ=ジーンに? この学園での扱いは天と地の差だぞ? というか、むこうは僕のこと認識してたのか?


「おいおい、まさか、断る気じゃないよね? ボクに勝つ・・・・・つもりなんだろう?」


 逡巡する僕に、ヴェラさんが芝居がかった動きで指を指して挑発する。そういうことか、くっそ。

 あの日、あの場所で、この女は僕とサヌルボウの会話を聞いていたということか……。

 ちらと、ざわつく他生徒達に混じっていたサヌルボウにアイコンタクトを送る。肩をすくめるだけだった。なるほど、彼にとっても想定外だったようだ。


「盗み聞きですか? ヴェラ=ウルフェードともあろう方がずいぶんとみみっちい真似をしますね?」


「たまたま、偶然、君達の会話が耳に入っただけさ。それとも、ボクが君のことをストーキングしていたと? 自意識過剰じゃないかい?」


「これは失礼、けど、あなたほどの女性にこんなことをされたら、自意識過剰にもなります。人生における女運を全て使いきったかなと」


「褒め言葉として受け取っておくよ!」


 胸をはるヴェラさん。その胸にある大変な迫力の双丘おっぱいが存在を強く主張した。いやはや、大変に眼福だが、まじまじ見てる場合じゃないな。

 脳をフル回転させる。この状況はとにかくまずい。というのも、考えていた計画がこれで全ておじゃんとなってしまったからだ。

 当初の計画では、誰からも注目されていないというこの学園における僕の立場を最大限に活用し、ヴェラさんの情報を隅から隅まで集めるつもりだった。誰からも気に留められないから、自分の情報を渡さないままに相手のことを調べ放題なのである。そして、集めた情報を元に勝つための準備を整え、勝つ。そうするつもりだった。

 だが、相手が僕のことに目を向けていたのは、完全に予想外だった。ヴェラさんが、その他大勢と同じように、僕のことを歯牙にもかけないと見くびっていると思いこんでいた。なんてうかつ。いや、違うな、相手が規格外だっただけの話か。


「で、どうするんだい?」


 その言い草には、この場で返答をしろという圧があった。逃げ出すことは許さない、ということか。すごいな、ライオンはうさぎを狩るのにも全力というが、ヴェラさんは僕のことを全力で叩くつもりだ。逃さない。勝つための準備などさせない。そう宣言している。

 なるほど、それなら答えは一つだ。


「受けます」


 ヴェラさんの目を真正面から見据えて、答えを返す。気のせいか、ヴェラさんの身体がぞくぞくと震えていたように見えた。赤々としたショートヘアがゆらめいているように感じる。

 周囲の喧騒がボリュームを一段階上げる。僕が受けるとは思ってなかったのだろう。いや、それとも、無謀なやつだと笑っているのか。


「そう言うと思ってた」


 だが、当のヴェラさんはそう思っていないようであった。


「……大して話もしたことないのに、よくぞまぁ僕のことを分かっておいでで」


「話をしなくても分かることがある、それだけのことさ」


「そんなもんですか……」


「ああ、ボクにはよく分かるよ」


 ヴェラさんの手が、僕のあごに柔らかく触れた。クラス内の女子から黄色い声が続々ともれた。それほど絵になる美しさなのか。


「君は逃げない。逃げたら負けを認めることになる。それだけは許せない、そうだろう?」


「別に、負けること自体は苦にならないですけどね」


「ああ、そうかもね。でも、逃げたうえでの負けと、戦ったうえでの負け。選ぶのは後者だ。違うかい?」


 この女、おっかねぇな。

 口に出そうになったのを飲みこんだ。なんで分かるんだよ。


「……いつやりますか?」


「君の準備がいいなら、今からでも」


「ならすぐやりましょう」


「情熱的だね、好きだよ、そういうの」


「冗談でもそんなこと言わない方がいいと思いますよ」


「ふふ、冗談じゃないかもよ?」


 悪戯な微笑みをヴェラさんが向ける。可愛らしいんだけどさ、周りからの視線が痛いんだ。特に男子からの。唯一、サヌルボウだけが笑ってやがる。ちくしょうめが。


試合場フィールドは『闘技場』でいいかな?」


「構いませんよ」


「じゃあ、行こうか。善は急げだ」


「……いやいや、善って、そんなに楽しいものでしょうかね?」


「楽しいさ」


 足早に教室から出たヴェラさんが、くるっと、僕に振り返った。彼女の瞳が輝いている。その時、初めて、その色が炎を思わせる真紅だということに気づいた。


「いつだって、本気の戦いは、心躍る」


 ぞくりと、心臓が震えた。彼女は笑っていたのに、目の奥が笑っていなかった。背筋が凍ってしまいそうなほどの、冷徹なプレッシャーが、僕の神経を余すことなくざわつかせる。


 本気の戦い・・・・・か。

 ああ、つまり彼女はこう言いたいのだ。

 本気で、戦えと。


「おっかねぇな」


 ああ。今度は我慢できなかった。口に出てしまった。


「褒め言葉として受け取っておくよ」


 僕の言葉を気にする様子もなく、余裕な態度でヴェラさんが返した。そうして、廊下に足を動かし、戦いの場所へ行かんとする。やや遅れて、その背中に着いていった。

 負けるな、これは。

 予言めいた直感が脳によぎる。ヴェラ=ウルフェードという少女は、強者だ。足の先から脳天まで、強い。強さがオーラとなってあふれている。

 まったく、僕には出来ない芸当だ。なにより、僕には与えられなかったものだ。


(僕は、負ける。負けるだろう)


 だが、ただでは負けない。

 本気で戦えと言った。言われなくてもそうするつもりだ。本気で戦って、戦い抜いて、そして、負ける。

 いずれは、勝つためにだ。


「ヴェラさん、あなたはきっと強いんだろうな」


「そうさ、ボクは強いよ」


「けど……最後に勝つのは僕だ。勝って、僕の強さを証明してやる」


 吐きだした決意。ヴェラさんは振り向かなかった。言葉を返しもしなかった。

 そこから、しばらくは無言で歩く。歩いている間、ずっと好奇の視線にさらされていたが、大して気にもならなかった。


△△△


 【血闘デュエル】。切磋琢磨をモットーとするこの学園が強烈に推し進めている制度だ。

 この学園では、その敷地内に数々の決闘空間が設置されている。それらを用いての私闘が、授業中以外であればいつでも認められているのがこの制度だ。それに勝った者には成績への加点を初めとした様々な恩恵を学園から享受することが出来る。

 よって、勝てば勝つほど、シンドヴァルトでの地位は上がる。さすれば、生徒たちは、少しでも自分の地位を上げるために血で血を洗う戦いを繰り広げるのだ。だからこそ、血の闘いと書く。物騒なネーミングは、学園側が生徒に何を求めているのかが如実に伝わるものであった。

 闘技場は、そんな血闘に使われる試合場フィールドの一つだ。形は円形、大きさは直径約二百メートル。床材は石畳。全てきれいに削られた石材が、寸分の狂いもなくびっしりとしきつめられていた。フィールドの周りには観客席があり、戦いを見物することが出来る。というか、すでに結構な人数が見物に来ている。さすがはヴェラ=ウルフェードのネームバリューか。

 そんな闘技場の真ん中で、僕とヴェラさんが面と向かって対峙している。装備を制服の上に着けて、戦いの準備を始めながら。


「ふふ、ずいぶんと軽装だね。棒と、胸当てプレートメイル、あとは篭手ガントレットだけかい?」


「重いものは動きを阻害されて好きじゃないんですよ。それに、ヴェラさんだってあんまり人のこと言えないんじゃないですか?」


「重いのは動きを阻害されて好きじゃないのさ」


 冗談めかして言っているが、なるほど、あながち全部が冗談ということでもないようだ。

 ヴェラさんの装備は、僕とほぼ同じ。胸当てプレートメイル篭手ガントレットだけだ。ただし、僕のは革製だが、彼女のは鉄製。しかも、篭手ガントレットがかなり大きくて、ゴツい。防御だけでなく攻撃にも使えるようにした、攻防一体のものだ。つまり、武器に頼らずに肉弾戦を得意としているのだろう。鉄製であるのは、肉弾戦における防御力を重視したか。


「もっと魔術をゴリゴリに使った、魔術師のような戦い方をすると思ってましたよ」


「ふふ、どうだろうね? もしかしたらどこかに杖を隠し持ってるかもしれないよ?」


 不敵に笑うヴェラさんだが、さすがにそれはないだろう。ヴェラさんの格好は、強力な魔術を使うのには向いてないものなのだから。

 魔術とは、体内にある魔素を用いて使う神秘の術だ。かなり便利な代物であるが、なんでもかんでも無制限に使えるわけじゃない。強力な魔術を使うには色々と条件がある。一番重要なのは集中力だ。少しでも集中を乱したら、強力な魔術を行使することは不可能となる。ゆえに、それを扱うには様々な面で工夫を強いられることになるのだ。

 分かりやすいのが装備。強力な魔術を使える人物、いわゆる、魔術師と呼ばれる者達はほとんど重いものを持たないし、着ない。身体にかかる重量によって、集中を乱されることを避けるためだ。魔術師の装備は、ローブにワンドと相場が決まっている。

 なのに、ヴェラさんはそうじゃない。あの篭手の重量は傍目はために見ても相当なものだ。

 つまり、強力な魔術を使うことはない。


(初級、あって中級くらいの魔術を織りまぜながら、肉弾戦で戦う……魔法戦士ってとこか)


 僕はそうあたりをつけた。まぁ、色々と考えた上で、だ。


(多分だが、実技試験の時のような、開始早々の奇襲は止めた方がいいな。立ち振る舞いに隙がない。僕は魔術をろくに使えないから、魔術戦は絶対に避ける。とにかく、接近戦を主体に戦いを組み立てる)


 脳内に戦いの絵図を、引くだけ引く。

 個人的な感覚だが、戦いとはどれだけ頭を使ったかで勝ちが決まる。脳死で突っこんでは獣と同じだ。人は獣とは違う。獣でいては勝てない。だから、頭を使う。


「では、始めよう」


「ええ、そうしましょうか」


 僕とヴェラさんが、それぞれ構えを取る。その様子を側で見守っていた石像ガーゴイルが、ピカっと目を光らせた。決闘空間デュエルフィールドが、辺りを包んでいく。観客がざわつきが大きくなった。それと反比例するかのうように、僕とヴェラさんは口を閉じて喋らなくなる。


「…………」


「…………」


 じりじりと、すり足で少しづつ移動。間合いを調整。つかず離れず、相手の懐にいつでも飛びこめるような距離間を維持する。相手は動く気配がない。待ちの姿勢か。

 ならば、こちらから仕掛ける!

 下半身に力を入れ、足から地面へ力を伝達。真っすぐに、跳ぶ。


「〈火球ファイアボール〉」


 ヴェラさんから放たれた、短い詠唱。全身から危険信号が発せられる。跳躍の方向を急遽変更、真横へ。

 ――ボンッ!!!!

 大岩のごとき巨大な〈火球ファイアボール〉が一直線に飛んできた。すんでのところで、僕は回避に成功。無理をして真横に飛ばなければ間違いなく直撃して真っ黒こげだった。


「いや、いやいやいやいやいやいやいや!!」


 おかしいだろあれ! 急ぎ間合いを離しながら僕は心中で悪態をつく。

 聞き間違えでなければ、あれは炎属性魔術における初歩中の初歩の魔術、〈火球ファイアボール〉だ。日常生活でも大活躍な汎用魔術であり、かまどに火をつける等、ありとあらゆる場面で使われる。使うだけなら本当に誰でも使える、そのくらい簡単でありふれた魔術だ。

 だが、この威力となると話は違う。


「〈火球ファイアボール〉。〈火球ファイアボール〉。〈火球ファイアボール〉」


 唱えること、三連。ヴェラさんの手から三度〈火球ファイアボール〉が放たれる。足を全力で働かせ、横に逃げながら何とかかわした。


「嘘だろ……〈火球ファイアボール〉なんて、普通はマッチ、よくて石ころ程度の大きさだぞ」


 それなのに、あれはもはや大砲だ。ヴェラ=ウルフェードという女は、マッチに火を起こす程度の気軽さで、砲撃の連打を浴びせることが出来るのか。


「無茶苦茶だろ!」


「はははは、久しぶりに見たよその反応、初々しいねぇ!」


 ヴェラさんの高笑いが聞こえる。その間も〈火球ファイアボール〉は浴びせられつづけていた。僕はもう、避けるしかない。

 隙を見て接近戦? それが可能なら苦労はしない。下手に攻めっ気を出して回避がおろそかになったら、あっという間に敗北確定だ。


「これがっ! これがヴェラ=ウルフェードなのかっ!」


 想像以上の強さに怖気おぞけが立つ。冷静であろうと努めるが、脳が変に興奮していた。

 天才。まさに、あれを天才というのだろう。

 彼女は常人とは比べものにならないほど、質も量も桁外れな魔素エレメンツを備えている。その結果がこれなのか。歌うように、炎の雨を降らせることが出来るというのか。

 僕には、逆立ちしたって無理な芸当だ。


(ああ、くそっ)


 負けだ。今はもう、絶対に勝てない。


「それでも」


 最後の最後まで、本気で戦う。

 そうでなければ、本当の意味で負けてしまう。


「それだけは認められない」


 回避し続けろ。足を止めるな。少しでも相手に目を配れ。観察しろ。次につながるための情報を手に入れろ。油断が見えたのなら攻めろ。決して油断はするな。最後の最後まで、本気で戦え。

 それが出来なければ、お前は弱者となる。魔素エレメンツなんていう分かりやすい才能の目安に、真の才能が屈服してはならない。絶対に、絶対にだ。


「う、おおおおおおおおおおおお!!」


 気勢を吐いて突撃。回避のためのステップを攻撃へ転換、前へ。


「やるじゃないか」


 あくまでも高みから見下ろすように、ヴェラさんが言った。

 火の球が、目の前に迫っている。

 ――――ボンッ。


「あっ! がっはっ!」

 熱い。炎熱に身体が焼かれ、爆風に身体が吹き飛ばされる。地面を転がった。すぐさま起きあがる。


「〈火球ファイアボール〉」

 間髪を入れずに、〈火球ファイアボール〉が襲う。休む暇など与えてくれない。

「ぎっ、っあああああああああ!」


 正面から、それを受けとめた。もう自分がどんな声をあげているかも分からない。意識が飛びそうになる。でも、まだ、まだだ。吹き飛ぶ、また、立つ。

 まだまだまだまだまだまだ、倒れるな。

 力の続く限り立っていろ。戦え。

 負けるのは恥じゃない、恥なのは。


「逃げることだ!」


 身体を低くして、一直線にヴェラさんの身体へ。組み付くことさえできれば。〈火球ファイアボール〉の攻撃を意地で耐えて、接近戦を。


「無駄だよ」


 ゴンっと。頭上に衝撃が落とされた。それが、ガントレットの拳による振り下ろし攻撃だと気づくに、一瞬の間を必要とした。

 ああ、くっそ、この女、接近戦も、強い、のか。


「見事だったよ」


 勝利を確信したのか、澄ました顔で賞賛を送ってきやがる。ああ、駄目だ。全身から、力が抜ける。もう、倒れる。だが。


「ああっ?」


 勝った気でいるんじゃねぇよ。絞りカスほどしか残ってない力を総動員して、ヴェラさんの足をつかむ。首を上に向けて、顔を見上げた。彼女が驚いている。動けると思ってなかったのか。


「まだ、負けて、ねぇ」


「……すごい」


「ま、けっ……」


「すごい、すごいよ」


 そこまで言ったところで、今度こそ意識を失う。最後、耳に残ったのは、ガーゴイルがヴェラさんの勝利を告げる音。目に残ったのは、恍惚の笑みを浮かべるヴェラさんの表情だった。


△△△

 

「ありがとう……ござい、ました」


 意識を取りもどした僕は、膝をつきながら、戦闘後の礼を述べる。決闘空間が解除されたことにより、火傷だらけだった全身はきれいさっぱり元通りだ。立ち上がろうと思えばすぐにでも立ち上がれる。なのに、重い。立ち上がれない。


『ああ、やっぱりな』

魔素エレメンツの保有量が史上最低なんだろ、あいつ』

『マジ? 才能ないじゃん』

『なんで入学できたんだよ』

『裏口じゃねーの?』

『ヴェラさんに挑もうとか、ばっかじゃねぇの』


 観客席で見物していた有象無象どもが、思い思いに侮蔑の言葉を投げる。悔しさで死にたくなってくるが、奥歯を噛んで耐えた。負けは負けだ、そこから目をそらしたら前に進めなくなる。


「立てるかい?」


 頭上よりヴェラさんの声が降ってきた。手が差し伸べられる。僕は一瞬だけ、彼女の顔を見上げて、その手を取った。いつの間にか、彼女は装備を外していて、制服姿に戻っていた。それをする余裕はあったということか。こっちとは大違いだ。


「負けましたよ。完敗です」


 あくまで笑顔で、なるたけ爽やかに、ゆっくり立ち上がりならヴェラさんを称える。焼きごてを当てられたかのように、胃が熱い。負けは苦にならない。けど、悔しい。脳の神経が全て切れそうなほど、自分が腹立たしい。それでも、顔に、態度に出してはならない。それは弱みとなってしまう。


「素晴らしかった。ため息が出そうなくらい高いレベルだ。戦えたことを誇りに思います」


「…………」


「ですが、今度は負けません。次こそは絶対に……あの? ヴェラさん?」


「…………」


 手を握ったまま、ヴェラさんは動かない。顔を見ると、表情が消えていた。


「あの、ヴェラさん? 僕、変なこと言いましたか?」


「見つけた」


「へ?」


「ああ、見つけた。やっと見つけた。ボクの運命の人」


 無表情から一転、弾けたようにうっとりした顔を浮かべるヴェラさん。それに気づいた時には、僕は強引に腕を引っ張られ、彼女の胸へ顔面ダイブしていた。大きくて柔らかい二つの山が、顔をまるっと包みこむ。


「はへぇ!?」


 素っ頓狂な声がもれる。離れようとしたが、その間もなく彼女の両腕が僕の背中に回り、強烈な力で抱きしめられた。


「ぼふぅ!?」


 熱すぎる抱擁によって、身体が完全密着する。柔らかくていい香りがした。だが、そんなもの堪能できない。


「ああっ! 最高だっ! 君は最高だっ! ロウガ君! ボクは君が好きになったっ! 大好きになったっ!!」


 衝撃的すぎる告白。周囲から悲喜こもごもの驚嘆がどっかんどっかん鳴り響いた。


「好きだ好きだ好きだ好きだ! ロウガ=ジーン君! ボクは君が好きなんだ! こんなに興奮したことはない! こんなに誰かに熱くなったことはない! これは間違いなく恋なんだ! 好きだ、大好きだ!」


 なんだ、なんなのだこの女。

 状況が全く理解できない。


「ロウガ君! ボクと恋人になってくれ! もう離さない! 離したくない! 誰にも渡したくない!」


 次々と耳にぶつかる愛の告白。喜んでしかるべきなのだろう。けど、今の僕にそんな余裕なかった。


「……ばふっ」


「ロウガ君! 返事はどうだい!?」


「…………」


「ロウガ君?」


 あの、力、強、気が、遠く。おっぱい、顔、うもれ、息、できな。


「ロウガ君……ロウガ君っ!?」


 ヴェラさんの困惑を認識した時には、もう、僕は意識を手放していた。女性の胸に埋もれて気を失うなんて、色んな意味で恥ずかしくて、血闘に負けるより悔しかった。

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