第27話 剥き出しにしろ

 魚さんに異常が現れたのはクラスが替わった翌日だった。早いわ。


 元々正常だったかと言われたらそうでもないけど、周りから見たらそれは異常という判定になるらしい。


 魚さんは髪に青のグラデーションを加えて登校してきた。周りはそれをかき氷みたいと言ったけど、私はなんとなくそれは鯉のぼりなんだろうなって思った。



 もうすぐ五月だし。


 なんて思ってたら、その日を境に魚さんは学校に来なくなった。


 メッセージを送っても既読は付かないし、不登校にでもなったのだろうか。


「ねぇ、魚さんって今日も来てないの?」


 私は事情を知りくて、魚さんのクラスまで出向いた。まさかイジめられるような奴ではないと思うけど、まさかまさかの事態はあるかもしれないから。


「魚さんって・・・・・・誰?」

「はあ」


 一人目にはそう言われた。


 まあそういうこともあるかと思って別の人にも聞いたけど、同じような答えしか返ってこなかった。


「そんな人最初からいないよ」


 クラスの人全員に言われて、私は自分の頭がおかしくなったのかと思った。


 クラス替えしたばかりとは言っても、あの魚さんだぞ? 昨日まで髪を染めてきた不良でもない変人がいたって噂が流れてたのに。なんでその次の日には忘れてるんだ。


 夢の世界にでも迷い込んだ気分だった。


 おいおい頼むよ。


 思えば魚さんは出会ったときから不思議な奴だったし、私の脳内にしか存在しない概念的存在だったとしても自信を持って否定はできなかった。


 それに。


『おはよ宇宙人』


 まさか、ね。


 私に何も言わないで、宇宙に帰ってしまったのだとしたら、私は自転車に乗って空を飛ばないといけなくなる。


 それにわざわざ地球まで来る技術と、あの空っぽの脳みそがかみ合っていない。技術というか、資材さえあれば、バカでも宇宙船は作れるということだろうか。


 魚さんと出会ったあの日、鯉が降ってきたと思っていたけど、実のところ宇宙人も一緒に落ちてきていたのだろうか。


 二組の名簿表を見ても、魚さんの名前は見当たらない。最初からいなかったかのように、世界から抹消されていた。


「もしかして湯浅さん?」


 後ろから声をかけられた。


 まさか、私は知りすぎたとでもいうのだろうか。両手を挙げながら命だけはと振り返る。フレームのないメガネをかけた、いかにもというような子が立っていた。


「ゆあさ?」

「探してるんじゃないの?」


 起きた第一声みたいに「ゅあさ?」と復唱する。


「魚さんって、あだ名なの? 湯浅さんの」

「へ」


 ゆあさ。


 ゆあさ佳奈。ゆあさかな。


 さかな・・・・・・。


「ゆーあー、さかな?」

「違うけど」


 メガネの子がマジメに否定する。ツッコミとか、そういうものはこの教室には存在しないらしい。


「さっき職員室で生徒指導の先生と話してるの見たよ。たぶん髪の色落とされてるんだと思う」

「あ、ありがとうございます。助かります」


 なんでか私までマジメになってしまう。そもそもマジメってなんだっけ。普通のことだっけ? ならこれはマジメじゃない。私の普通はもっと、カリッと薄く揚がったようなものだ。こんなにしっとりはしていない。


 私は静かな教室をぶち壊しかねない音を立てて教室の扉を開けた。


 階段の手すりにお腹を乗せてすいーっと階段を降りていく。


 職員室に着くとちょうど魚さんが出てきたところだった。


「魚さん」


 久しぶりに見るその顔は、少しやつれているように見えた。魚さんは私には気付いていないようで、職員室の先生から去り際に釘を刺されていた。


 それにたいして魚さんは、「すみませんでした」「気を付けます」と良い子ちゃんみたいに謝っていた。けど、先生も先生で厳しい声で追い打ちをかける。


 生徒指導なんて役柄なんだかしょうがないのかもしれないけど、ちょっと怖いなーと遠巻きに見ながら思う。


 魚さんも、どこか目元が赤い気がするし、俯いたその表情は叱られて泣きべそをかく普通の子供みたいに見えた。


 さっきの私も、あんな風になっていただろうか。


 マジメって、なんだろうなぁ。


「魚さん、魚さん」


 話が終わったところに駆けつけると、魚さんは驚いたように肩を震わせた。キュッと締められた唇に、細まった目尻。ああ、ビックリしたんだな。


 魚さんの表情から、はじめて感情を読み取れたような気がする。


「怒られてたんだ」


 指を指して、からかうように言ってやる。


「何かあったときは頼むって」

「何かって何さ」

「テロリストとか」

「テロリストが学校に来たら、魚さんは立ち向かってくれるの?」

「それがわたしの役目だから」


 気付けば魚さんはいつも通り、顔中に鱗を張っていた。


 美味しいと思っていた具材が添加物いっぱいだったときのような気分だ。人工的に操作された味だとも知らず、回転寿司に回るハンバーグを美味しいと喜んでいた頃の私が、遠くに見える。うっすらと。


「テロリストが来たら、一緒に逃げようよ」


 私は何故か、スカートの裾で指先を拭いてから手を差し出した。


「この手は?」

「教室戻るのかなって」

「今日はもう帰っていいって、シャワーも浴びたい」


 魚さんの髪は毛先がゴワゴワしていて、ロッカーから飛び出したモップみたいになっていた。


「じゃあ帰る?」

「え?」

「私も一緒に帰るよ。荷物持ってくるから待ってて」


 私は急いで自分の教室に戻った。


 早くしないと、あの宇宙人にも似た変な奴が消えてしまう気がしたのだ。


 戻ると、やっぱり廊下にはいなかった。窓から魚さんが校門を通り過ぎていくのが見えたので、私は全力疾走で校舎を出る。


「待ってって言ってるじゃん」


 魚さんの華奢な肩を掴む。そのまま握りつぶしてしまうかと思った。


「猫さんも、へそにピアス付けてるの?」

「その理論でいくと、魚さんもへそにピアス付けてなきゃいけないことになるよ」

「付けてないよ」


 魚さんはスカートの中に収納されていたシャツをわざわざペロンと出して、カーディガンとブレザーを手でかきわけると、へそを私に見せてきた。


「つまらない? 新しいクラス」


 魚さんにというよりは、視界の端で揺れる黒い髪に声をかけた。


「民衆の意見を聞くのも王の役目だから」

「いろんなもん背負ってるねぇ」


 ポッキリ折れてしまわない自信があるのなら、いくらでも背負ってもらってもいいけど。


 信号が赤になって、私たちは横断歩道の前でぴったりと横に並んで止まった。


「私はつまらないよ」


 車のエンジン音にかき消されないくらいには声を張ったつもりだった。


「魚さんがいないから」


 白、黒。黒で止まったら冗談ということにしよう。


 横断歩道を、私の目がとんとんと歩いて行く。結局、白で止まった。


「あだ名、紹介しなかったんだね。私たちのクラスのときは、一目散に魚って呼んでくださいって言ってたのに」

「あだ名じゃない。私は魚」

「いいけどさ、魚でもタコでも、キノコでも」

「キノコはやだ」

「あ、そ」


 あくまで海を泳いでいないとダメらしい。海に生えてるキノコってなかったっけ? 珊瑚だっけ。


「この際イカでもいいからさ、私には言ってよ」

「何を?」

「本当のこと」

「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」


 長い、長い沈黙だった。


 そういえば私は、これまで魚さんが押し黙るのを見たことがなかった。


 いつもどこか遠くを見て変なこと言うから、会話に空白はない。余分なものばかりで埋め尽くされてはいるけれど。


「実は文系に行きたいんだ、とか言ってくれたら、私も文系に行ったのに。やっぱり、本音って大事だよ。言わなきゃ伝わらないものってあるし」


 だから人は人と繋がって、支え合って生きていくのだよ。とふんぞり返ってお気持ちを表明しようとした。


 だけどそれよりも早く、魚さんが走り始める。


「は?」


 まさか本当にテロリストでもやってきたのだろうか。


「ま、待ってよ!」


 魚さんの背中を追いかける。


 互いに速力はなかった。のろのろと、亀同士のかけっこみたいに街路樹を抜けていく。


 ジョギングをするおじさんや、散歩中の柴犬に追い抜かれながら、私は魚さんを追う。


 公園にさしかかって、互いの距離が縮み始めたかと思ったそのとき、魚さんは公園に設置されている噴水に飛び込んでしまった。


 水しぶきがあがって、私が到着する頃には、死体みたいに魚さんがぷかーっと浮いてきた。


 私が手を伸ばすと、魚さんはすいーっと逃げていく。


 前のめりになって、水面に付かないように袖をまくって手を伸ばす。ちょん、ちょんと。パンチするように、浮かんだ魚さんの尻を叩く。


「ぎゃ!」


 もうちょっと、と思ったところで、私も水の中へ落ちてしまった。ええいこの際仕方がないと、私は水の中を大股で歩いて魚さんの胴体をガッシリと掴んだ。


「入ってはいけませんって書いてるじゃん」

「う、う」

「魚さん?」


 悶えるように声を断続的に漏らす魚さん。よく見ると、肘から血が出ていた。飛び込んだときに擦りむいたのかもしれない。


「血が出てる。大丈夫?」


 かなり痛みがあるのか、魚さんは私の袖をぎゅっと掴んで目を瞑っていた。


 思わず心配になってしまうほどの痛がりようだったけど、魚さんは一度大きく息を吐いたかと思うと、またいつもの表情に戻った。


「痛くはない。痛覚がないから」

「いや思いっきり痛がってたじゃん」

「痛がってない」

「痛がってたって。痛いんでしょ? ほら、シャツに血が付いちゃうから」

「痛くない」

「人間痛いくらいがちょうどいいって聞いたことがあるよ。痛覚なかったら人殴るとき加減がなくなっちゃうでしょ」

「人間じゃないよ」


 噴水から出て、スカートを絞る。私とは対照的に、魚さんはポタポタと、垂れる雫に身を任せて佇んでいた。


 公園に人はいなかったけど、なるべく早くここを離れたい。


「うち来る? タオルで拭かなきゃ」


 魚さんは、少し考えてから、小さく頷いた。


「こうやって、鯉を盗んだの?」


 この質問には、答えてくれなかった。


 去年の夏。私は魚さんと出会う前に、鯉に出会った。


 空飛ぶ鯉なんているわけない、というか考えたこともなかったのに。それは突如として降ってきた。まるで雷のように、瞬きのように。一瞬として。


 私を鯉に落とした。


 あ、違う。


 私に鯉を落としたのだ。

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