第22話 あんたを理解させろ

 二年生になると文系と理系、それから教養クラスに分かれなければいけないらしい。


 私はその三つの違いがさっぱり分からない。先生がその話をしてからどの分野を選ぶかという話題で持ちきりになっている教室に、私は耳を澄ませていた。


 磁石が私の席の前に吸い寄せられて、同じ極の奴らが集まってくる。教養はオラついた奴しかいない。理系は男子ばっかり。文系に行こう。そういう話に、誰も逆らうことはなく、上から手で押さえつけられているかのように頭部を垂れた。


「猫ちゃんは?」


 胸の前に両手の花を咲かせる、磁石、じゃなくて、タンバリン女、でもなくて。フナ? だったっけ、いかん。忘れた。スナ、砂? そんなような名前の女が私の顔を覗き込んでくる。


「後で決めるよ」


 私は頬杖を突いて窓の外を眺めていた。


 お昼休み、そういえば魚さんの姿を見ていない。いったい、どこへ行ったんだか。


「今日中庭で食べようって話になってたんだけど、猫もくるー?」

「私は、いいや。お腹空いてない。そもそも」

「低燃費だなー。そろそろクラス替えだし、寂しくなっても知らんぞー?」

「あはは、そのときはクラスを跨いで会いに行くよ」

「それなー! 絶対クラス変わってもこのメンツで集まってそうだよなー!」


 散り散りになっていく磁石。中は空洞で、叩けば乾いた音が鳴る。


 もう自分でも気付いている。私は同じ極にはなれないって。引き寄せる力も、引き寄せられる力も、私には無いわけじゃないけれど、そもそもそういう、気力が沸かない。


 持ってきた弁当を袋から出さないまま、机に置いて眺める。


 お腹はしっかり空いている。けど、まだ食べたくない。もうちょっとだけ粘ろう。私は時計との睨めっこを始めた。


「猫ちゃん、大丈夫?」


 時計に被って、タンバリン女が現れた。磁石と一緒に中庭に行ったんじゃなかったのか。


「猫ちゃんが心配で戻ってきちゃった。食欲がないって、大丈夫? 体調とか悪かったりしない?」


 私はまだ一言も喋っていないのに、タンバリン女が脈略もなしに推測憶測をつらつらと並べる。


「やっぱ購買の菓子パンが食べたいよ私は」

「あ、猫ちゃん今日お弁当なんだね。珍しいな。可愛い包みだね」

「お母さんの趣味だよ」

「いい趣味してるんだねー。猫ちゃんのお母さんは可愛い人なんだろうなぁ。猫ちゃんが羨ましいよー。私もそんな可愛いお弁当包みがよかった」


 そう言って、タンバリン女が椅子を持ってきて私の向かいに座る。


 私はもう、タンバリン女に褒められすぎて、褒められ慣れてしまった。嬉しくもないし、煩わしくもない。これは、一体なんなんだろう。ずっと誰かの下に座り込んで生きていて苦しくないのだろうか。


「あのね猫ちゃん、私教養に行こうと思うんだ」


 さっき磁石たちと話していたときは文系って言ってた気がするけど、心変わりがあったのか。それとも、集まる場所が変化しただけなのか。


「オラオラ系がいっぱいいるって噂だよ。へそにピアスとか開けてる奴ばっかりかもよ」

「そんな!? まさか、ええ? そこまでじゃないよ。たぶん」


 互いに顔を見合わせる。互いに、自信はなさそうだった。


「私ね、お姉ちゃんがIT企業に勤めてるんだけど、将来私も同じような職に就きたいって思ってたんだ。教養だとパソコンの演習授業もあるみたいだから、いいなってずっと考えてたの」

「将来のことについて考えてたなんてすごいじゃん」


 私もお返しに褒めてみたけど、タンバリン女は静かに首を横に振った。


「考えてただけだよ。結局、離ればなれになるのが怖くてみんなの後ろを付いて回ってただけ」


 タンバリン女は目を伏せて、悔いるようにそう言った。


「私ね、誰かに褒められるにはまず自分が誰かを褒めなきゃいけないって思ってた。誰かに好かれるにはまず自分が誰かを好きにならなきゃいけないって思ってた。損得とか、恩情とか、そういう都合のいい人たちを歓迎して、そうじゃない人を追いやる。それが人間関係っていうものだと思ってた。ずっと、思ってたの」


 タンバリン女の言うことは間違いではないと思う。結局人なんて、自分を褒めてくれる人が好きだし、自分を好きな人が好きだ。けど、それは自分だけでなく、他の人も同じことを思っている。


 そういう人間が集まると、互いに腹を探り合いながら貸し借り、損得。そういうものを駆使して釣り合いを取ろうとする。


 なんて優しい世界なんだろう。人脈と人望、それだけを築いていればこの先なんとかなってしまう。生きていくのに特別な力も特別な才能も、必要ないのだ。


「でもね、そういうのもうやめようかなって」


 タンバリン女が顔を上げる。その瞳は、いつもの柔和なものではなくなっていた。


 いや、元々こんな形か?


 初めて、タンバリン女の目をしっかりと見た気がする。


「去年みんなで海に行ったことあったでしょ? そのとき猫ちゃん、なんだかつまらなそうにしてたよね」

「そーんなこと」


 ない。とは、言い切れなかった。


「マイペースだなんてみんな言うけど、それって周りに流されないってことだよ。そういう猫ちゃんのこと、私カッコいいって思う。世間的に見ればちょっと冷めてるかもしれないけど、でも。私もそんな風にかっこよく生きてみたいなって思ったんだよ」

「私、カッコいい系だったのか」

「生き様だけね。顔は、あんまりカッコいい系ではないかな? 猫ちゃんはどっちかっていうとかわいい系だから」


 ガーン。いつものタンバリン女だったら「顔もカッコいいよぉ」って言ってくれたはずなのに。こうなったら、とってつけられたかわいい系で、えへえへするしかない。


「だから、自分の将来くらいは、自分で決めるよ」


 タンバリン女は胸の前にあった両手を降ろして自分の膝に置いた。


「つまらないのは嫌だもんね」

「それは、そう。本当にね。正直海は、本当つまらなかった。私は泳ぎたかったのに」

「分かる。私も」


 タンバリン女が笑う。笑うと、目元のクマが浮き出てくる。寝不足だろうか。


 あー、クマ。クマ? そうだ。クマさんだ。思い出した。


「クマさんもカッコいいよ。最初から突っ走って走るより、途中から全力で走ることのほうがムズいから」


 合ってるかどうか分からなかった。けど、クマさん? は私の言葉を聞くと三秒くらい固まってから、


「うん!」


 力強く頷いた。


「そういえば魚さんは今日はいないの? 猫ちゃん、最近いつも魚さんと一緒にいたから」

「さっきから姿が見えないんだよね。虫でも捕まえにいったのかも」

「そんな・・・・・・ことないとは言えないね。魚さんって不思議な人だし」

「不思議っていうか、何考えてるか分からないって言うか」


 もう少し表情が豊かだったら、そこから読み取ることが出来たのかもしれないけど。


「魚さんの自己紹介はいまだに覚えてるよ。懐かしいな」

「自己紹介?」

「うん。ほら、入学式のときだったかな。クラスが決まって自己紹介しよーってなって。そのとき魚さん、『わたしのことは魚と呼んでください』なんて言ったから、みんな目が点になってんだよ。覚えてない?」

「入学式・・・・・・終始寝てたのは覚えてる」


 私が夢の中でうつらうつらしている間に、魚さんがそんな暴挙に出ていたとは。恐ろしい反面、ちょっと面白い。他人事だからだろうけど。もし起きてその話を聞いていたら、私は魚さんを危険人物リストに入れて一生近づくことはしなかっただろう。


「でも、不思議だよね。魚、だなんて。魚さんは、魚が好きなのかな」

「魚さんが好きなのは虫だよ。本人が言ってた」

「そ、そうなんだ」


 けど、今考えてみれば確かに不思議だ。なんで魚さんは、わざわざ魚と呼んでくれなんてみんなに言ったのだろうか。


「本名、なのかなぁ?」

「そういえば魚さんの名前って、なんだっけ」

「私も聞いたことはないかも。えっと、確か教壇の中に席順の書いてある紙が入ってたはずだよ」


 教壇の中に手を突っ込むと、クマさんの言った通りの紙がクリアファイルに閉じられて入っていた。


 魚さんの名前を探す。


 しかし、どこにも『魚』の文字は見当たらない。


 魚さんの席に当たる場所は、不思議なことにマジックか何かで黒く塗りつぶされていた。


「魚さんは最初から私たちの心の中にいたってこと?」

「ええ、そういうことじゃないと思うけど」


 クマさんも困っている。私も、大変困っている。


 今更本名なんてどうだっていいし、本人が魚って呼んで欲しいと言っているのだからそれでいいのかもしれないけど。


 でも、なんだろう。


 浜辺を歩きながら花火をしていた夜のことを思い出す。特別だと思っていた自分たちと同じように花火をする人を見つけるたびに、なんだか面白くないと感じる私がいた。あのときの感情に、どこか似ている気がした。



 お昼休みが終わっても、魚さんは姿を見せなかった。


 ぽっかりと空いた席が目に入るたび、時計の針をジッと眺めてしまう。


 長い。


 魚さんのいない学校は、ひどく長い。


 五限が終わっても魚さんは帰ってこなかった。


 五限の授業を担当していたのがちょうど担任の先生だったので、魚さんのことを聞こうと教室を出て行こうとする担任の先生を呼び止めた。


「あの、魚さん知りませんか?」


 先生は一瞬呆けた顔になる。


 魚って、誰だ? そんなことを言われようものなら私はこの担任の頭をスリッパで叩いていたところだったけど、先生は思い出したかのように手をポンと叩いた。


「あー、そうか。そうだったな。魚な。魚はさっき帰ったよ」

「帰った?」

「熱があったみたいでな。保健室で休んでもらっていたんだが、下がらないみたいだったから親御さんを呼んで迎えに来てもらったんだ」

「そうだったんですか」

「季節の変わり目だし、風邪を引いたのかもしれないな」


 魚さんでも風邪を引くことがあるのか。もしかしたら、私のほうがよっぽどバカなのかもしれない。


「そうだ、お前魚と仲良かったよな? 渡しそびれた保護者用のプリントがあるんだけど、よかったら届けてやってくれないか?」

「え、私ですか? でも、場所が分からないです」


 魚さんが私の家を訪ねてくることはあっても、私が魚さんの家を訪ねたことは一度もない。


「そうなのか? 分かった。なら場所を教えるよ、メモ取れるか?」

「あ、はい」


 ノートを取り出して、ペンを持つ。


 先生が言う住所を、ノートに間違えることのないよう書き記していく。


「授業もその調子で聞いて貰えればいいんだけどな」


 顔をあげると、先生が苦笑いしていた。


「でも懐かしいよ。たしか去年の夏ごろだったかな。魚が急に俺のところまでやってきて『猫さんの住所を教えてください』って言ったんだ。あれには驚いたなぁ」


 そういえば、去年の夏。魚さんが急に私の家を訪ねてきたことがあった。先生に住所を聞いたって言ってたけど、担任に聞いていたのか。


「理由を聞いたら『猫さんと海に行きたい』だって。あのときは連絡先を交換してなかったのか?」

「え、まぁ。そうですね」


 魚さんと連絡先を交換したのは、いつだっけ。覚えてない。少なくとも、出会ってまだ間もない頃は知らなかったと思う。


 って、そんなことよりも。


「私と、海に行きたいって?」

「ああ、それも真剣な顔で。悪用されないかと最初は危惧していたけど、魚のあの顔はそういうんじゃないって分かったから、すぐに教えたよ」

「なるほど」


 ということはつまり。


「勝手に教えないでくださいよ!」

「しまった。それじゃあな、六限も頑張れよ~」


 つまり、この口軽教師が! ということである。


 人の個人情報がすきま風のように流れていくこの高校を、本当に信用してもいいのだろうか。


 先生の開け放ったドアの先を見て、ため息を吐く。


 つまり。だから、つまり。


 魚さんは、海によっぽど行きたかったってことであり、それと同時。


『猫、見せて』


 あのとき見た、魚さんの顔がぼやけて思い浮かぶ。


 魚さんは猫を見るために私の家にやってきたんじゃないのか。


「わからん・・・・・・」


 魚さんのことを考えると、頭も、胸もパンクしそうになる。


 とりあえず、先生から教えてもらった場所に向かえば、魚さんがいる。プリントを届けて、それから、どうしよう・・・・・・。


 考えていたら、いつのまにか時計の針が一時間ほど跳んでいた。

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