第17話 にやけているのだ
最初に小さい雪玉を作って、それを転がして徐々に大きくしていく。生まれたばかりの雪は軽く、力加減を間違えれば簡単に壊れてしまうほど脆い。
雪玉を転がしている間も、重みを感じず、なかなか手に馴染んではくれなかった。
隣の魚さんを見ると、鼻先を赤くしながらせっせと雪玉を大きくしていた。転がすだけじゃ飽き足らず、雪を手でかき集めて無理矢理合体させていた。そのせいで、形は若干歪だ。
どっちが頭を作るとか、そういう話し合いはなかった。ただ一面「広がる雪景色に飛び込んで、赴くまま雪に触れた。
近くの空き地で雪だるま作りをしている私たち。当然人は通るし、車のエンジン音だって、どこかの道路から聞こえてくる。
「まさかこの歳で雪だるまを作ることになるとは」
「百歳が雪だるま作っててもいいでしょ?」
「普通に体が心配だよおばあちゃん」
若いもんにはまだ負けんよ、と魚さんが雪玉を持って走って行く。
雪だるまって、なんのために作るんだろう。どうせ明日には溶けはじめて、雪だるまの存在を忘れかけた頃に合わせて、奴らは地面に同化していくのに。
少しばかり染みた地面を蹴って家を飛び出す朝は、多少いつもより元気が湧くか。まるで未来への投資だ。そんな計画的なこと、私にできるとは思えない。
未来を考えるのは疲れるし、過去を振り返ってばかりだと首を痛める。その代わり、今を突き動く私の体は嘘を吐かない。
魚さんのお尻を追いかけて、私も雪玉を転がす。
窮屈になってきたので、ムートンコートを脱ぎ捨てた。大人ぶるために買ったブラウンのコートは、雪の上に乗ると両腕を広げて仰向けになった。
「わ」
一時間ほど、雪玉を転がしただろうか。魚さんと合流して雪玉の大きさを比べ合うと、魚さんが驚いたような声を出す。
「猫さんの、おっきい」
私の雪玉は、魚さんの雪玉の二倍近い大きさまで膨れ上がっていた。
「雪玉の大きさは、想いの大きさだよ」
「エモいね」
薄ら寒い、コピー用紙のようなペラペラな感想が飛び出す。
やめてくれ。
その言い分じゃまるで、魚さんの二倍近い大きさの感情が私の中にあるみたいじゃないか。
「それじゃあ猫さんのを胴体にしよっか」
「そうだね、デカいし」
私の雪玉の上に、魚さんの雪玉を乗せる。乗せただけじゃすぐに落ちてしまいそうだったので、上から押し潰したり、雪を追加で足したりして固定した。おかげで、ちょっと太った人の首元みたいになってしまった。
「ふふーん」
魚さんが満足そうに手を叩いている。
真っ暗な夜空を背景に佇む雪だるまは、まるで金魚すくいですくってきた金魚を水槽に放り投げたときのような快活な雰囲気を醸し出していた。ここが、お前の居場所なのか。
「枝探しにいこう。手っぽいの」
イメージしたのは、アルファベットのYみたいな形の枝だけど、そう簡単には見つかってくれなかった。仕方ないので、飾り気のないありきたりな枝を雪だるまにぶっさした。
質量を得た雪だるまの胴体は、私が転がしていたときよりもずっと硬くて、中に肉が詰まっているかのようだった。こいつもここで、受肉したのか。
時々、自分の体がこの世に確かに存在すると実感するときがある。雪だるまもまた、自分の存在を確かめている最中なのかもしれない。
小石を顔にねじ込む。だけど中々ハマってくれなくて、結局顔の装飾は諦めた。
できあがったのっぺらぼう。笑いもしなければ泣くこともしない。そんな雪だるまのはずなのに、どうしてか。
「嬉しそうだね」
私の隣で感心した様子の魚さんが、雪だるまをじっと見つめていた。
私も、嬉しそうだなって思っていた。
「手が痛くなってきた。いたたた」
魚さんが手袋を取ると、確かに指先が赤くなっている。私はどうだろうって手袋を取ってみるけど、さすがスキー用のグローブ。綺麗な肌色を保っていた。
「えー、なんで猫さんは大丈夫なの」
「日頃の行いでしょ」
言ったときにはすでに、魚さんが私の手を握っていた。
「あったかい」
「だしょ」
だよね、だろ? でしょ。いろんなものが混ざった。
まるでツボを押すみたいに、魚さんが私の手をにぎにぎとする。魚さんの視線に釣られて、私もつい握られている自分の手を凝視してしまう。
「そういえばね、転校の話なくなったよ」
世界から人が消えたような気がした。
いや、消えてはいないんだろうけど。タイミングよく、道路を走る車が途絶え、私たちの周りから音が無くなった。
足元から、煙があがってきた。
「はっ」
違う。これは私の息だ。自分の吐いた白い息が、視界を覆っているのだ。
顔をあげると、魚さんはまだ私の手をにぎにぎしていた。
「ふーん」
転校の話がなくなった、なくなったってことは転校しないってことで、転校しないってことは魚さんは転校しないってことだ。どういうことだ。そういうことだ。
だから、つまり。ふーん、と、言うべきなのだった。
「また一緒にいれるよ。よかったぁ」
魚さんが顔をあげて、目が合う。
「あれ、猫さん。どうしたの? なんで」
じっと私を見るまん丸の瞳に自分の顔が映りそうになって、慌てて顔を背ける。
なんで、なんでなんで。なんだ、なんだ? なんなんだ、これ。
意味が分からない。
凍ったか? そうだ、凍ったのだ。雪で凍って、顔が動かない。マズい、凍死する。やばいやばい。
素手で自分の顔に触れる。
あ、熱い。
「私。私、もう帰るので」
魚さんの返事も待たずに、私は走り出す。一度転んでしまって雪布団に身を投げはしたが、すぐに起き上がって靴紐が解けているのを見なかったことにして夢中で走った。
魚さんを一人残して大丈夫だろうか。大丈夫か、一人で私の家まで来たワケだし。
息を切らしながら家に辿り着くと、両親がすでに帰宅していた。時刻はすでに九時を回っている。当然、母が鬼のような形相でこちらに向かってくる。
「どこ行ってたの!」
「ちょっと野暮用で」
「そんな言葉使うなんて五十年早いわ」
五十年経ったら使ってもいいらしい。
私はコートを脱ぎ捨てて、母の雷が落ちる前に二階へ上がろうとした。
「ちょっと猫、どうしたのそれ」
しかし、母の声色には怒りではなく、困惑が含まれていた。
「なんでそんなニヤニヤしてんの、気持ち悪いねぇ」
息を切らして肩を揺らすと、前髪にくっついていた雪がサラサラと落ちる。
「うおわかんない」
わかるもんか。
わかるもんかー。
口パクで叫びながら自分の部屋に飛び込む。
布団を被って、猫みたいに丸くなった。
「ぐああー」
唸る。
「ずああー」
滑る。
頭を抱えたまま、私はベッドから滑り落ちた。
脚だけをベッドに乗せたまま、半分ブリッジみたいな体勢で私は悶えた。
凍っているどころじゃない。溶けている。トースターで焼いたチーズみたいに、とろっとろに溶けてしまっている。
自分の顔に触れると、確かなデコボコがえくぼと目尻に出来ているのが分かる。
おそるおそる机に置いてある丸鏡の前に立ってみる。
そこには母の言うとおり、気持ち悪いくらいにニヤニヤした私がいた。
布団に再びダイブして、布団の海に溺れる。
「ちょっと猫、話はまだ終わってないでしょ。来週のクリスマス、ケーキどうするの?」
「知らん」
ドアを蹴って母を追い出す。
クリスマス、クリスマス、知るもんか。
別にケーキなんか食えなくたって、また来年食えばいいじゃないか。クリスマスなんて来年も、また再来年もあるんだから。
シーツの中に体を入れて、脚をバタつかせる。
目を閉じると、体がキュッと引き締まる。
「へ、へへー」
布団からは微かに、枝豆の香りがした。
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