第16話 む、ちゅー。なのだ
誰かが私を、マイペースだと言った。
人の顔色を窺おうとはせず、人のためになろうとはせず。同調を恐れ、群がることに冷め、興味の矢印が全て自分の足元に向いた協調性のない人間だと誰かが言った。
まだ五時だというのに外は暗い。母に「外から丸見えだからカーテン締めてから点けなさい」と言われたことを思い出し、先にカーテンを締めた。
暗い部屋。こたつの布団をめくりあげると、中にオレンジ色の淡い光が灯っていた。
脚を入れて、まだ冷たい座布団に顔を埋めて丸くなる。
雪が積もっているせいで、窓を通じて冷気が地面を這ってくる。
紅白歌合戦の話題が出るのとほぼ同時に、私たちは冬休みに向かって歩き出す。もうそんな時期か、なんて考えていればあっという間に今年は終わっているのだろうけど、この一瞬という尺度で測れば、冬休みまでなんと長いことか。
暗い部屋の中でこたつに入っていたら、いつのまにか寝てしまっていたらしい。蓄光の時計が、午後の七時半を指していた。二時間ほど寝ただろうか。頭がまだぼーっとしている。
スマホを開くと、母から今日は帰りが遅くなるという趣旨のメッセージが届いていた。父の方は仕事は終わっているらしいけど、渋滞がひどくて家に着くのは当分後になるとのことだった。
カーテンを開けて外を見ると、ひらひらと雪が舞っていた。
冷蔵庫を漁ると、昨日のおひたしと、豚汁の残りが残っていた。下の戸からインスタントの五目ご飯を取り出してレンジで温める。
テレビを点けて、生暖かい豚汁を啜った。美味しかった。
お風呂を洗おうと思ったけど、面倒くさくて、そのまま栓をしてたし湯のスイッチを押した。食器も水に浸けるだけにして、さっそくこたつに入り込む。
私は、まだ両親がいないと料理すらできないし、家事もままならない。そんな未成熟な足取りなのに、そんな私をどうしてマイペースと呼べるのだろう。
テレビでは動物の番組がやっていた。犬が飼い主の服を破いてしまってしょんぼりしてしまっている、というホームビデオが流れ、そこに誰かの声が当てられている。
まるで犬が本当にそう思っているかのようにアテレコをして、それを見てゲストのタレントたちは笑っている。
気付けば私はリモコンを握りしめ、テレビの電源を消していた。
仰向けになって脚を曲げようとしたけど、低いこたつの中だと膝すら満足に曲げられない。狭い、窮屈だ。けど、温かくて離れられない。何かに似ている。
小さい頃に買ってもらって、今はただの物置になっているグランドピアノ。その横に設置された猫タワーのてっぺんに、犬が座っている。
ふてぶてしく頬を垂れ下げながら、私をジッと見下ろしていた。
なんか言いたいのか、おう。
犬は、答えてくれない。当たり前だ。
「寒いよぉ、ご主人様ぁ。ストーブ点けてよーぅ」
私もアテレコをしてみる。けど、ストーブを点け忘れていたのは本当だ。のそのそと四つん這いでストーブへと辿り着いて、スイッチを点ける。
すると犬は、猫タワーを降りて、私の足元・・・・・・を通り抜けて、別の部屋へと歩いて行ってしまった。
「ぶにゃーん」
鳴いてみる。
意味なんてないし、言葉なんて通じない。ましてや私の方が、犬を理解してやれることもない。
両親は、まだ帰ってこない。お風呂が沸いた音がしたけど、こたつから出る気にはならなかった。
はぁ、眠い。
なんで冬って、こんなにも睡眠と相性がいいんだろう。紛らわし、誤魔化すのに、丁度いいからだろうか。
そんなことを考えながらうとうとしていると、玄関の方で足音が聞こえた。耳がぴく、と動いた気がする。人の気配を家の中から感じ取れるようになったのは小学校の頃だった気がする。母が帰ってくるのを警戒しながら、私は一日一時間までと決められたゲームをズルしてやっていたのだ。
ピンポンピンポンピンポンピンポンピンポンピンポンピンポンピンポンピンポンピンポンピンポンピンポンピンポンピンポンうわあ両親じゃない!
いきなり鳴りだしたインターホンにビックリして私は慌てて立ち上がって玄関へと走った。
扉を開けると、モコモコのコートに、ニット帽に耳当てと完全防備の魚さんが立っていた。
「外すごいよ」
魚さんが口を開くと、白い息がふわっと舞う。
「みたいだね」
雪は夕方以降もずっと降り続けている。まさか今年のうちにこんな大雪を見ることができるとは思っていなかった。
「雪だるま作ろうよ」
魚さんに予定だとか計画だとか、そういう未来を見据えたものはあまりないのだろう。魚さんはいつだって、目をまん丸に開いて目の前の景色を楽しんでいる。私みたいに眠気に目を細めたり、虚ろ気に伏せたりはしない。
「手袋取ってくるから待ってて」
私は急いでコートを羽織って、長靴を履いてから父のスキー用のグローブを手にはめた。サイスがだいぶ大きめだけど、手首のところをキツくできるのでむしろちょうどいい。
外に出ると、当然だけど、雪が降っていた。
窓から見た雪は音もなかったけど、こうして外に出て雪を間近で見ても、やはり無音だ。
音も重みもないのに、そんなものがどうして、車の進行を止められるほどまでに積もり積もることができるのだろう。砂鉄の山に磁石を近づけても、きっとこんな風にはならない。
「猫さん、もしかして寝てた?」
魚さんが白い息を吐く。
「目、ちょっと赤いよ」
「うん、だいぶ昼寝に夢中でして」
「だからむちゅーって言うんだね」
だからの意味も、むちゅーって言うんだねの意味も、徹頭徹尾分からない。
魚さんはたこみたいにちゅーっと唇を尖らせている。
リップを塗ってきたのか、魚さんの唇は凍った地面のように光っていた。
「でっかいの作ろう~!」
「うん」
二人で雪道を歩く。降ったばかりの雪に、私と魚さんの足跡が出来ていく。
歩くだけでも楽しいと思えるのは冬だけだろう。幻想的で、だけど、交通に不便ができたりと変に現実的で、そんな景色を見て、一体化していくのは夏秋春にはできない。
そして魚さんと過ごす冬は、今回だけだ。
こうして歩くのも最後かもしれない。
私は、む、ちゅーにはなれなかった。
振り返っても、まだ私の家には明かりはついていない。
人がいなければ、家に明かりはつかない。
空を見上げる。
無数に降り注ぐ雪は、街を歩き、無数にすれ違う人のようで。
ふわっと触れたときには、すでに消えてしまっていた。
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