冬
第14話 変な夢を見たのだ
「猫さんはわたしのだよ」
「だめ。猫ちゃんは私のものなんだから」
「ねぇ、猫さんじゃなきゃいやなの」
「どっちを取るの? 猫ちゃん」
そんな具合で、二人の女から問い詰められる夢を見た。
確かに昔は、テレビに出ていた芸能人と恋愛をする妄想をしたり漫画の世界のキャラクターと現実世界で一緒に暮らしたいみたいな幻想は抱いていたけど。
まさかこの歳にもなってお姫様みたいな欲望丸出しの乙女チックな夢を見るとは思いもしなかった。
枕から頭を離すと、じっとりと首に冷や汗が浮かんでいた。悪夢だ。
体にかけていた布団は足元に移動していて、カーテンを開けると窓からひんやりとした空気が伝わってくる。
パジャマのボタンを外していくたびに体温が一度下がっていくようで、第三ボタンまで外したところで手がとまった。ズボンの紐を垂らしたまま、私はリビングへと降りた。
「あ、猫さん」
ドアを開けた瞬間、私はガクッとその場で崩れ落ちそうになった。寝る家を間違えたか? いやいや、寝る家を間違えるってなんだ。
「なんで魚さんがうちにいんの」
「なんでとは失礼ね。あんたが魚さんと遊ぶ約束してたのを忘れて昼まで爆睡してるから迎えにきてくれたんじゃないの」
「はぁ、ご説明どうも」
まるで自分の事情であるかのように話す母の隣で、魚さんはお紅茶とおクッキーをお食べになっておられるようだった。
「だらしない格好して恥ずかしいんだから。さっさと顔洗ってきんさいバカ娘」
母が私を睨む。魚さんもじーっと、私の胸元を注視していた。
私は慌てて自分の部屋に戻って私服に着替えてから、洗面所へ走って寝癖直し用の水を霧吹きで吹きかけた。せめて前髪だけでも乾かそうと手で弄っていると、鏡に母の顔が映った。
「焼きそばとパン、どっちがいい?」
「パン」
焼きそばなんて食べたら、青のりが歯に付くじゃん。母のデリカシーのなさにはほとほと呆れる。
母は一度すっこむと、パンを二つ持ってきた。
「あんたの部屋で食ってきな」
メロンパンと、焼きそばパンじゃないか。
どっちにしろ私の未来は決まっているらしい。人がいずれ死ぬように、私の昼食もいずれは焼きそばになるのだ。
「魚さん、部屋いこ」
テーブルの上でもそもそとクッキーを頬張る魚さんを捕まえて、二階へとあがる。
魚さんはちゃっかり犬を腕に抱いていた。こう見るとぬいぐるみみたいで可愛いのに、私が触ろうとすると急に遺伝子が野生の頃を思い出して暴れ出す。好き嫌いを裏表なく主張できるのは猫社会だけだぞ、とたるんだその顔に言い聞かせてやる。
部屋に戻って、私はクッションに腰掛ける。魚さんがフラフラとベッドへ向かっていくのを見て、つい手が伸びかける。
「あ、おはようしてなかったね。おはよう」
魚さんが私のベッドで仰向けになる。魚さんが頭を預けるその枕は、さっきまで私が抱きしめていたものだ。汗のにおいとか、ついてないだろうか。
「遊ぶ約束なんて、してたっけ?」
さっきは寝起きでボーッとしていたこともあって母の話を適当に流したけど、今思えばそんな約束した覚えはない。
「してない」
「だよね」
「約束がないとだめ?」
「大手の会社じゃあるまいし、アポはいらないけどさ」
ただ、遊びというものにはいつだって約束というものが付き纏うんじゃないか。どこに行くのだって時間を照らし合わせて、アプリでグループを作ったりして、その日に備えるのが準備というものだ。
「起きたら、猫に会いたくなって」
口に含んだメロンパンをそのまま飲み込むところだった。
上顎にひっついたメロンパンの欠片を舌で舐めながら、なんとか咀嚼して飲み込む。
「ねー、キミも会いたかったよねー犬ちゃん」
ぶにゃ、と腹を踏まれたみたいな声が魚さんの腕の中から聞こえる。
「猫ならなんでもいいの?」
「うーん、猫はどの種類も好きだけど、犬ちゃんは特に好き。なんだか人懐っこいし、甘え上手だし」
それ甘えてるっていうのか? 魚さんの腕の中でぐうたれているだけに見えるんだけど。
「魚さんは甘え上手なのが好きなんだ」
ボソッと呟く。魚さんは私のことを見ていたけど、言葉の意図を汲み取れていないらしく、再び犬へと視線を戻した。
私も私で、拗ねたような自分の声色に寝起き特有のチューニング不足を実感する。
「ま、いいけどね。今日どっか行くの?」
「あれ、遊んでくれるの?」
「中小企業なもんでね」
アポはいらない。
そう伝えると、魚さんがベッドを転がって私の目の前まで落ちてくる。
「どこ行く?」
焼きそばパンをもそもそと食べながら、このあとの予定を考える。
魚さんと休日、水族館とか? 窓の外を見ると、なんだか寒そうな気配だ。この中で水の世界に飛び込もうとはあまり思えない。
遊園地、は前行ったばっかりだ。
魚さんと回る遊園地は楽しかったけど、やっぱりこの寒さの中、前みたいに三十分待ちのジェットコースターに七回も乗るのは嫌だ。そもそも、魚さんが絶叫マシンばっかり乗るからあの日はちょっと気持ち悪かった。そう思うと、魚さんとの遊園地は、年に一回くらいが丁度いいのかもしれないなと思った。
「服買いに行かない?」
「わたしお金あんまり持ってきてないよ」
「見に行くだけでも楽しいよ」
焼きそばパンを咥えたまま言うことではないかと思いながら、魚さんの返答を待つ。別に嫌なら嫌で他のところへ行けばいいし、私だってパッと思いついた案だから正直服屋じゃなくてもいいんだけど。
「じゃあ見てる」
納得がいった、という顔にはあまり見えないけど。
「準備してからでもいい?」
「待ってるー」
床で寝転ぶ魚さんを跨いで、洗面所へと向かう。
鏡の前に立って、せっせと自分の顔を変える。
おばあちゃんちへ向かう直前にリュックにゲームとか絵本を詰めていたときの自分を思い出す。母の注意を遮ってでも持って行く絵本を選び悩んでいたときもあったっけ。
結局シンデレラとかしらゆき姫とか、ありきたりなものに行き着いていたけど、今思えばなんて従順で、当たり前のように育ったんだろう。
自分が何かしなくても誰かに救われて、誰かに言い寄られて、困り果てながらもちょっと上から目線で求婚を受け入れるみたいな自分本位な物語に酔いしれるごく普通の子供だった。
それが悪いこととは思えないし、忌み嫌うものでもないと私は思うけど。
だからかもしれないな、と今更になって思う。
私は最近になって、自分の脚でどこかへ行ってみたいと思うようになっていた。磁力に引っ張られるような毎日じゃなくて、誰かに救われ続ける絵本みたいな人生じゃなくて。
失敗してもいい。泥だらけになってもいい。水びたしになったって気にしない、教室の隅っこで座りこむことさえも、刺激になる。そんな日々が、絵本の背表紙に書いてあったら素敵だなと思った。
「行くよ、魚さん」
部屋に戻って魚さんを呼ぶ。
魚さんが立ち上がって、私の後を付いてくる。
だからこういう休日だって、悪くはないって思う。
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