第12話 二人きりだって

 二時を超えたあたりで、一斉に客がいなくなった。魚さんが急にでたらめなイタリア語で接客し始めたからというのは関係なく、どうも体育館で行われるライブにみんな吸われているらしかった。


 花より団子。団子より音楽。音楽というよりは、友達や恋人のカッコいい姿を見に行くのか。じゃあ、花か?


 一緒に店番をやっていたクラスメイトたちも、私たちも行こ~、なんて言いながら教室を出て行ってしまった。


「なんか、私たちだけになっちゃったね」

「んだなー」


 田舎みたいな訛りで喋る魚さんは、もう当たり前のように店の駄菓子をボリボリ食べていた。


「猫さんもいる?」


 喉渇くからいいや。歯の裏にくっつくし。あと共犯になりたくないし。       


「もらう」


 言うべきことはあったはずなのに、四文字以上の言葉を話すのが億劫で、魚さんから手渡されたうまか棒をそのまま咥えた。


「ふすー」


 うまか棒に空いた穴を通して呼吸すると、空気に混じってしょっぱいカスが口の中にハウスダストのように入り込んでくる。もぞもぞと手を使わずに噛んで、飲み込む。


 魚さんも私の真似をして、ノーハンドうまか棒を披露する。上を向いて落ちないようにする私たちは、なんだか餌をねだる雛鳥のようだった。


 シーンとした教室。廊下から、早く行こーという声が聞こえ、足音がどんどん遠ざかっていく。


「魚さんって優しいんだね」

「厳しいと思ってた?」

「そうじゃないけどさ、なんとなく、私と同じなんだって思ってた」


 私はあのとき、可哀想だと同情するだけで手を伸ばしてやろうとは思わなかった。だって目の前には楽しいことが待っていて、それは私にしか手に入れることはできない。それなのに、どうして人のために自分を犠牲にしないといけないのだ。


「同じじゃないよ」


 魚さんはきっぱり言う。


「猫さんは、本当の猫だもん」

「へぇ? どんなところが」

「名前」

「まぁ、そうだけど」

「あと、顔」

「顔ぉ?」

「つり目」


 私、つり目だろうか。


「あと、口がもにょってなってる」

「そんなこと言ったら、魚さんだって、魚じゃん」


 無表情なところとか、口をぽけーっと開けているところとか。光を反射するみたいに白い肌とか。急に、跳ねるところとか。


 魚さんは今も、ぽけーっと窓の外を眺めている。私の話、聞いてんのか?


「カーテンの後ろに隠れない?」

「え、なんで」

「誰か来たら飛び出してビックリさせようよ」


 標的を事務的に殺す冷徹な殺し屋みたいな表情で魚さんがカーテンを指さす。


 窓際には腰をかけられるくらいの大きさのでっぱりがある。魚さんはそこに登って、身を縮めながら自分の膝を抱いた。


「早く早く」


 魚さんに手招きされて、しょうがなく私もでっぱりに腰掛ける。窓の前には柵が設置されているので、背中を預けることができた。


 魚さんと隣同士で座って、カーテンを閉める。


 同じ教室のはずなのに、クリーム色に閉じ込められた私たちは、まったく別の世界に隔離されたみたいだった。空気までもが様相を変え、隣の魚さんという存在をこれまで以上に強く感じる。


 しーんとした静寂が、隔てられた世界の向こうから伝わってくる。


 別に誰かにバレるわけでもないのに、私と魚さんは息を止めて互いの顔を見合った。


「なんかドキドキする」


 魚さんがまん丸な目で私を見てくる。近い。博物館に飾られた芸術品を間近で覗き込んでいるみたいだ。


 私の方のカーテンが僅かに開いていて、こっちから黒板が見えてしまっている。体を詰めると、ぐに、と魚さんが潰れていく。


 魚さんの体はやっぱり細くて、体同士で触れ合うと、固い骨が当たる。肌は冷たく、夏は心地良いけど、冬はあんまり歓迎できない。


 せっかくの文化祭なのに、本当、何やってるんだろう。


 今頃みんな、体育館でライブを楽しんで、熱の籠もった体をひっさげてこれからきっと校舎を走り回るんだろう。みんなで写真を撮って、笑い合って、そういうものこそ、青春と呼ぶんじゃないか。


 空を眺める。僅かに、向こうの空が赤い。夕焼けか? まだ昼過ぎなのに、こんなにも日が暮れるのは早かっただろうか。


「赤い、秋」


 魚さんが呟く。


「真逆だねぇ」


 歓声と静寂、青い春と赤い秋。私たちは全てにおいて真逆の道を歩んでいた。


「あ、見て。中庭の方」


 窓を開けて、魚さんが身を乗り出す。私も落ちないように首を伸ばすと、中庭にある池の近くで、制服を着た生徒が二人向き合って、なにやら落ち着かない様子でほわほわと話していた。


「告白かな」

「あー」


 かもしれない。浮ついた空気が、私たちのいる三階まで昇ってくる。生暖かくて、粘っこい。チーズみたいな、ちょっと鼻につくようなツンとした風が舞い上がる。


「猫さんって、彼氏とかいるの?」

「なんでそんなこと聞くの」

「気になるから」


 気付けば魚さんのまん丸な目は、中庭ではなく私をジッと見つめていた。


「いないよ。いたこともない」

「えー、意外」

「なにその意外って、私。彼氏とかいそうに見える?」

「うん、だってクラスで一番可愛いし」


 それは、なんだ。あ?


 自分が口をパクパクさせているのだけは分かった。なんで声が出ないのかだけが、さっぱり分からない。


 お世辞だ。あんま気にすんな猫。女子なんて、互いを可愛いって言ってれば仲良くなれるのだ。


「魚さんの方が可愛いよ」


 お世辞お世辞。とりあえず言っとけ。


 そんで吐き捨てるみたいにしてどっかに逃げてしまえ。


 夕焼けが押し寄せてくる。赤い、秋。空を映した窓に、私の顔が反射する。


 クリーム色のカーテンで隔離されたこの場所に、逃げ場なんてない。


 隣を見ると、すぐ近くにもまた、夕焼けが迫っていた。


「へ、へへー」


 秋の空は移ろいやすい。午前まで晴れていた空が急に灰色に染まり、気付けば雨が降っていたり、それがただの通り雨で、また晴れたりする。


 私だって、今朝起きたときはまだ夏の途中だと思っていた。カラっとした季節をもう少しの間過ごさなきゃいけない。なのに、昼を過ぎてしまえば、こんなにもじめっとした空気が私たちの肌を撫でている。


「絵になるぜー」


 魚さんが窓を見る。映った私たちの顔。


 なんだ、もうとっくに、秋が来ていたのか。

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