第11話 文化祭当日だって

 文化祭当日の朝は、クラスで作ったTシャツを着て家を出た。ペンキをひっくり返したみたいな真紫に、弾痕みたいな赤い模様が散りばめられていて実にダサい。


 せめてパステルカラーみたいな淡い紫ならオシャレだったのに、どうしてこうも暗い彩色にしてしまったのだろう。


 いつもより早く家を出たからか、外が暗くて、脚で踏むコンクリートから冷気が伝わってくる。


 気付けばセミの鳴き声は消え、張り詰めるような暑さも灰色の空へと飲み込まれてしまった。


 また、夏と秋の境目を見つけることができなかった。


 ゴミ袋を持った近所のお母さんに挨拶をして、トンネルの入り口でひょこひょこ歩いているキジに遭遇したり、朝早く起きるだけで、普段見られない色んな景色を見ることができた。


 制服を脱いで登校するというのは、こんなにも素晴らしいことなのか。やっぱり制服って、肩肘窮屈だし、なんか重いし、開放感に欠けるから、もっと軽量化を計ったほうがいいと思う。


 開会式を体育館で行ってから、私たちは足早に自分たちの教室へと戻る。


「頑張ろうねぇ」


 ふにゃふにゃした声で魚さんが言う。魚さんも私と同じダサTシャツを着ているけど、やっぱり背が高いからか似合ってる。ただ、丈が少し合っていないのか、ちょっと仰け反るとおへそが丸見えだった。


 私と魚さんは午前、店番を任されているので、おつりの確認なんかをしながら、廊下が騒がしくなるのを待った。


 ちょこちょこと生徒がやってきて、それから十時になると、校外からやってきた人の姿も見えるようになった。学校の中で、私服を着た知らない人たちを見るのはすごく新鮮で、つい足元が浮ついてしまう。


 売り上げとかその辺のことは分からないけど、そこそこのお客さんは来たように思う。魚さんの作ったピザダーツは、見た目がごちゃごちゃしているせいで的が絞りづらく、お客さんをよく苦しめていた。


 百円払って、うまか棒一本あげるのは申し訳なかったけど、それがこの店のシステムなので諦めてほしい。こうやって人は、働いていくうちに人間の良心を忘れていくんだろう。


 お昼どきになると、一旦店を閉じて、魚さんとお昼を食べた。魚さんはバスケットに入ったサンドイッチを美味しそうに食べている。魚さんちのお母さんはサンドイッチを作るのが好きらしい。私も一個たまごサンドを分けてもらって、代わりに唐揚げをあげた。


「午後どこ回る?」


 回ろ、とか示し合わせたわけじゃなかった。気付けば私の未来は魚さんに決められている。


「お化け屋敷とか行ってみたい。結構本格的なんだって」

「いいね。吐かないでよ?」

「そっちこそ」


 強がってみたけど、魚さんが声をあげて「キャー!」なんていうところ想像できない。どうせ真顔のまま「びっくりしたぁ」とか言って、演者の士気を下げるんだ。魚さんは。


 お昼を食べ終わって、午後の部の人たちがお店の準備を始める。


 そこでふと、午前私たちと一緒に店番をやっていた磁石がいそいそと開店の準備をしているのを見かけた。


 午前も午後も働くのだろうか。仕事熱心だな。それとも、また別の何かに、引っ張られたのか。


「回らないの?」

「クラスの子が一人、体調不良で保健室に行っちゃったの。その子午後は店番だったんだけど、一人抜けたら他の人も大変だろうし、代わりに私が入ろうかなって」

「ほえー」


 その磁石は、えへへ、と困ったように笑う。本当に、困っているんだろうなとその飾り気のない落胆の表情から汲み取ることができた。


 私が気の抜けた相槌を打っている間も、魚さんはじっとその磁石を見つめていた。


「か、変わろっか?」


 魚さんがおそるおそると言った様子で手を挙げた。


 私も、そして磁石も驚いた様子で魚さんを見た。相変わらずの無表情だけど、耳たぶがちょっとだけ赤くなっている。


「そんな、悪いよ。魚さんだって、午後の部回るんでしょ? 私のことはいいから、楽しんできてよ」

「うるせえ、ここはわたしに任せろ」


 おいおい。


 もう一つの人格でも出てきてしまったんだろうか。


「お腹いっぱいなので、まだ動きたくないので、店番するよ、わたし」

「え、でも」

「文化祭実行委員が、文化祭を楽しめないなんて、よくなくなくないっ?」


 跳ねるような語尾が、どう磁石の耳に届いたのか。


 磁石はしばらく考え込んで、顔を上げたときには、夏空のようなカラッとした表情をして笑っていた。


「じゃあ、お願いしてもいい?」

「へい。お腹いっぱいなので」

「本当にごめんね! でもすっごく助かったよ。こういう時くらいしか、はっちゃけられないし」


 磁石は何度も魚さんに頭を下げて、教室を出て行った。その軽やかな足取りを見届けて、魚さんがほげーと息を吐く。


「緊張してたでしょ」

「うおわかんない」


 うおってなんだ。


「なんであんなことしたのさ」


 可哀想だな、とは私も思っていた。けど、本人が良いと言っているんだから、そこまでのお節介は効かせる必要はないか、と私は見て見ぬふりをしていた。けれど魚さんは、耳を真っ赤にしてまで、しどろもどろな言葉で磁石を気遣った。


「人の青春を守るのも、青春」

「文化祭を回ることが青春なのか」


 チャイムが鳴って、また廊下が騒がしくなる。魚さんはいそいそと準備に回った。午前に店番を経験しているため、他の人よりも動作はスムーズだった。


「猫さん、わたしの分までお化け屋敷楽しんできて」


 ふわっとした軌道を描いて、魚さんの投げたボールが目の前まで降ってくる。それは私めがけて飛んできているのか、それとも私の足元を目指しているのか、分からない。


 私はたぶん、そういう微妙なフライを捕るときは、一歩下がってバウンドするのを待つ。決定権、責任、そういう重いものをグラウンドの地面に任せる。


「私も手伝うよ」


 でもそれは時々、イレギュラーなバウンドをして、あらぬ方向へと飛んでいくことがある。そういうのが嫌だから、という理由でダイビングしてしまうのは、大げさだろうか。


 大げさすぎる。


 魚さんの隣で、店番を始める。魚さんはダーツを用意して、私はお客さんにゲームの説明をして、クリアした人にお菓子を渡す。


「分かってたでしょ、魚さん」

「えー? 何のこと?」

「私がフライ捕るの下手だってこと」

「分かってはないよ。信じてはいたけど」


 そう言って、魚さんが、へへー、と鳴く。


 どうやら私は、道連れにされたらしい。


「ええい、しょうがない!」


 いっらしゃいませー! と、私は声を張り上げた。


「らっしゃーい!」


 魚さんも叫ぶ。板前か? 教室で、笑い声が起きる。


「店番だって楽しんでやる!」

「おー、猫さんやる気。そうだね、楽しまなくっちゃ」


 店番は、しょうじきめんどくさかった。この鬱屈とした私たちの気持ちも知らないで、幸せそうな顔で訪れる客のことを恨めしく思っていたのも事実だ。


 けど、そんなので文化祭が終わって良いんだろうか。


 だって、魚さんは、来年で転校してしまう。


 この学校で過ごす文化祭は、これが最後なのだ。


「ピザダーツだよー! めちゃくちゃ面白いよー! トレビ案なゲームだよー!」


 この教室の中で、この学校の中で、一番大きな声を出す。


 隣の魚さんも、少し驚いたような様子で、私を見ている。


「楽しいよー!」


 廊下まで響いたのだろう。何事か、と入り口から顔を出している人が何人かいた。そういう人の手を無理矢理引っ張って、強制的にダーツをさせた。


「はい魚さん! 次のダーツ貸して!」

「お、おおー」


 魚さんの面食らったような声を、私は初めて聞いた。


 それだけでも、文化祭の一つの思い出としては充分だった。

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