第10話 文化祭の準備するって
魚さんのバレーボールの話を聞いて影響されたのか、今朝ソフトボールの夢を見た。小学校だったか、中学校の頃だかに授業でグローブをはめて白球を待ち受けていた時期があった。
大きなフライがあがって、ごまみたいにちっちゃくなったボールが、私めがけてなのか、それとも私の足元めがけてなのか、不鮮明な曲線を描きながら向かってくる。このふんわりとした起動が厄介で、私は後ろに下がったり、前に出たりと踊ってみる。
ボールが私の頭くらいの高さまで落ちてきたとき、あ、全然前だったわ。とがっくし、その場で崩れ落ちそうになる。
飛び込めば届いたかもしれない。
でも、足元は砂と石だし、膝擦りむくかもしれないし、それで捕れなかったらダサいし・・・・・・って考えていたらボールが目の前に落ちた。そういう夢を見た。
あれが完全なフィクションなのか、それとも実際に経験したことなのかは、微妙なところだった。
過去ではなく、現在の私の元にボールが飛んできたら、私はどうするだろうか。
近くで守備をしている人に「これ! これ捕ってー!」とか言って鼻くそをほじくっているかもしれない。そういうふうに生きてきた。私の長所である。
今朝見た夢が、だんだんと頭の中から消えていくのを感じながら、ぼーっと黒板を眺める。
午後の授業を潰してでも開かれたホームルームで、いつのまにか文化祭実行委員が決まっていた。
「それじゃあ、出し物を決めようと思います」
教壇の前でふんわりと話す磁石は、拍手が癖のタンバリン女だ。立候補したようには見えなかった。最初は誰も手を挙げなくて、磁石の誰かがタンバリン女を推薦して、そこからなし崩し的に、選ばれた。
出し物の意見を誰かが出すと、すごいね、いいと思う! かっこいいね、素敵だね。と褒め称えるので、みんな気を良くして手を挙げる。その中で、少数の磁石だけは面白くなさそうな顔をしているのが見えた。
魚さんの方を見ると、あまりこの議題に興味はないらしく、池の鯉みたいな表情で窓の外を眺めていた。あほ面。
文化祭を頑張るかサボるか。魚さんは後者でも特に問題はないらしい。
出し物は駄菓子屋さんに決まった。ただ売るだけじゃなくて輪投げとか、ダーツとかのミニゲームで商品を獲得していくシステムらしい。我が社は子供をターゲットにしているらしいです。
「魚さんは駄菓子屋でよかったの?」
六限目、方針を決めた私たちは早速小道具作りに取りかかった。私と魚さんは、教室の端っこでダーツの的を作っていた。画用紙を切って重ねての作業は、なんだか拙い。本当に高校生の出し物なのだろうか。
「文化祭を頑張るって、どう頑張ればいいのかな」
「めっちゃ真面目に小道具を作るとか」
「うーん」
魚さんはあんまり納得いってない様子だった。
私たちの他にも、小道具を作っている人たちは真剣な顔で取りかかっているし、その姿は真剣そのものだ。真剣を真剣で超えるのは、難しい。
「メイド喫茶とか青春っぽいのに」
「ええ、やだよメイドなんて」
メイドって、あのふりふりでしょ? 私にはダボダボの服しか似合わない呪いがかけられているので、メイド服にはあまり惹かれなかった。
「猫さんは見たくない?」
「なにがさ」
「わたしのメイド姿」
見せてくれるのなら見たい。でも、ねえいいでしょ見せてよぉ、と鼻の下までは伸びない。
「こうなったら飛び込みでバンド演奏するしかないね」
「あー、あるね。確かに青春っぽい」
「帰ってギターの練習しよう」
「持ってないよ」
「わたしも。猫さんは持ってないの?」
「持ってないし触れたこともないし実物を見たこともない」
「洋楽バンドのポスター部屋に貼ってないからー」
「そのイメージなんなの」
女子の部屋に対する魚さんの偏見はどうもリアリティがない。ここまでくると魚さんの部屋も気になるけど、そういえばアパート暮らしって言ってたな。賃貸住宅でそこまで好き勝手はできないか。
「猫ちゃん、魚さん。何か足りないものとかある? 今から体育館裏行ってくるから、もしだったら調達してくるよ」
後ろを向くと、磁石が私たちを見下ろしていた。膝に手を着いて、まるで立場はあくまで対等なんだよと言い聞かせるように高さの合った優しい視線に返事をする。
「そういえばマッキーの赤と黄色がキャップ抜けてて、インク出ないんだ」
「そうなんだ。赤と黄色ってよく使う色だもんね。ごめんね気付かなくって。今持ってくるね。ちょっと待っててもらっていい?」
魚さんと目を合わせる。魚さんは磁石を一度見て、それからこっくり頷いた。
磁石は同じように私たち以外の人にも声をかけていた。話しかけるたびに、あれ持ってってこれ補充してきてと手荷物が増えていく。ゴミ捨て場へ向かう月曜日のうちの母みたいになってた。
「猫さん」
耳元で声がしてびっくりした。
気付くと、魚さんが四つん這いになって私の隣まで寄ってきていた。
「見て、ピザ」
ダーツの的にピクルスやらトマトやらを書いて、勝手にピザにしていた。
「ピザ屋にする?」
「私イタリア語喋れないよ」
「良い案だったんだけどなぁ、トレビ案だったか」
魚さんがアホなことを言っている。この女はアホなのか。アホなんだろう。アホってなんだろうな。バカとは違う。悪口じゃないけど、褒めてもいない。愛嬌のある、天然な、ボケ担当のことを言うのかな。
「でもさ、こうやってクラスのみんなで団結して、一つの目標に向かって頑張るのって青春っぽくない?」
「一つの目標?」
「いい文化祭にしたいよね」
魚さんが良いことを言う。サボるぜー、とか、めんどくせー、とか言いながら。魚さんは最後まで走りきるタイプの人間だ。マラソン大会に出たら、一緒には走らないようにしよう。どうせ最後に裏切る。
「頑張るかー」
結局頑張るのか、私。
あっちいったりこっちいったり、子供みたいな足取りは、アンバランスに進んでいく。
一致団結。それも悪くはないけど。
「ごめーん。遅れちゃった! はい、これ言われてたの。また足りなくなると悪いし余分に持ってきたからね、あ、先生に聞いてきたよ! 大丈夫だって」
それから二十分ほど経って、さっき出て行った磁石が戻ってきた。
「猫ちゃんもこれ、マッキーだったよね。遅れてごめんね!」
「うん、ありがとう」
「とんくす」
私も魚さんも、マッキーで色が塗れなくて手が止まっていたので、待ってたと言わんばかりに手を伸ばした。
「ごめん今行くねー! じゃあ猫ちゃん、魚さん。頑張ってね!」
磁石が吸い寄せられるように、バタバタと走って行く。
「あれ、文化祭実行委員ってもう一人いなかっ
たっけ?」
「いっぱいいた」
「記憶が混濁してますよ」
窓の外に、何を見ていたのやら。
参考にならない魚さんをよそに、小道具作りを再開する。
遠くから聞こえてくる、磁石の声。
よりよい文化祭に。一致団結。
取り替えたばかりのマッキーは滑らかに、色濃く、音もない。
「あ、しまった」
新品だからインクが水気を帯びている。
下に敷いていた別の画用紙に色が滲んでしまっていた。
「あーあ、警察呼ぶね」
「大げさすぎる」
画用紙をくしゃくしゃ丸めて、ゴミ箱に投げる。もっかい作ろ。
新しいマッキー。赤と黄色だけでよかったのに、何故か私たちの手元にはマッキーの入れ物が二つある。古いものと、新しいもの。えっと、どっちがどっちだったっけ?
そういえば昔、牛乳を開ける順番を間違えただけで、母に家を出て行けと言われたことがある。
朽ちていくもの、使われていくもの。廃れていくもの、誰かを救っていくもの。順番と、力加減を間違えるだけで、それらは滲み、腐っていく。
「大げさすぎる」
悪態をつくと、隣の魚さんが不思議そうに首を傾げて、傾げて傾げて。
そのまま私の方へと転がってきた。
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