第5話 でも楽しくはありませんでした
海の家を屋台みたいな感じでイメージしていたんだけど、向かった先は大きめのロッジのような建物で、カラフルな三角の、なんだ、あれ、紙か? で装飾されたカジュアルな見た目をしていた。中に入ると水着のお姉さんがメニュー表を渡してくれた。わあい。
私はラムネを頼んで、磁石たちはサマーなんたらオレンジみたいな、サマーと付いているものを片っ端から注文していた。
有名らしい透明のシャーベットの隣に、水色と黄色のシロップがかけられたかき氷が並んでいる。手のひらサイズのシーフードピザもあって、そういえば小腹が空いていたことを思い出す。
私が瓶で来たラムネのビー玉をほじくっていると、磁石たちはポーチからスマホを取り出して写真を撮り始めた。かき氷、溶けかけてるけど。
「猫ちゃん食べるー?」
私があんまりにもじっと見ていたからか、磁石がかき氷をまるごとくれた。
「いいの?」
「いいよー、もう終わったし」
まだ生きているけど、どうやら終わったことにされたらしいぞ。
かき氷は、グラスに水滴を作って、なおも溶け続ける。止まらない涙のようで、私はそれをすくい上げて、飲み込んだ。そのままシーフードピザと、バナナのムースも貰った。うまい、うまいと食いまくる。
結局海の家で注文した料理はほとんど私が食べた。すごい食べっぷりだね~、と拍手する磁石をよそに、私は気にせず頬張った。頬を膨らます私を混ぜて、磁石が写真を撮る。
けれど被写体であるべき私は一番奥に、左右の磁石が前にいる。できあがった写真を見たが、光も不自然なほどに左右の磁石に当たっているし、私の咥えているスプーンが捻じ曲がっていた。
夏の暑さか、それとも、人間に生じる執着ともとれる暑苦しさに、空間が歪んでしまったらしい。
波の音を聞きながら、私は無心で料理を口に運んだ。
腹がちょっと出た気がする。最悪だ。へそなんて出しているものだから、嫌でも分かってしまう。
海の家をあとにして、浜辺に到着する。
ようやくだ。海に脚を入れてみると、栓を抜き忘れた前日の風呂みたいにぬるい。
磁石たちがスマホをジップロックみたいなケースに入れて、海を撮っていた。撮った海の写真を、インターネットの海に放流する。遠くにぷかぷか浮かんでいるオレンジ色のラグビーボールみたいな物体に乗っていたカモメが、笑うように鳴いていた。
パレオが濡れると、すねに張り付く。どうにも、泳ぐ用ではない気がして外す。それでも、さっきまで私に取り憑いていたお姉さんとしての立ち振る舞いを拭い去ることができず、なんだか内股気味になってしまう。着ているドレスが崩れないように大きな動作をやめて、水しぶきが立たないようゆっくりと歩く。ドレスなんてどこにもないのに。
それからビーチボールを投げ合って遊んで、磁石が知らない人に声をかけて、何故か磁石が増えて、八人くらいで遊んだ。変な不良だったらどうしようかと思っていたけど、同じ高校生だったこともあってみんな良い人だった。一つ上のその磁石たちに微かな歳の差を感じながらも、私は飛んできたビーチボールを跳ね返した。
青い空、白い雲。広大な海。それに生える私たちは、天に向けるよう手を伸ばす。ふと気付いて足下に目を向ける。魚がいたような、いなかったような。
遅れてやってくる満腹感もあって、いつしか泳ごうという気持ちは薄れていった。
夕方になると、海から上がって、更衣室で水着を脱いだ。普通のシャツを着ると、露出が減ったはずなのに、開放感が増していくような気がした。
磁石たちはさっき知り合った知らない人とこれからどこかへ行くらしい。私は母から「いつ帰ってくるんだ」と連絡が着ていたこともあって、先に別れて家へ帰ることにした。
磁石が一人、家まで乗せてくれると言ったので、私はそいつの自転車の後ろに跨がった。
「楽しかったね~」
「なんだか大人に一歩近づけた気がするよ」
「小夜ちゃんのこと? すごいよね~、知らない人に声をかけるなんて、私にはできないよ~」
さよ、さよさよ。どれだ?
どれとかじゃなくて、誰、なのかもしれないけど。
行きのときより、自転車の進みは遅かった。最初は喋りかけてきた磁石も、疲れたのか口数が減っていた。
「私、降りるよ」
ここからなら歩いて二十分くらいで着くだろう。
汗水垂らして運んで貰うのも申し訳ないので、私は信号で止まったのを見計らってピョンと飛び降りた。
「いいの?」
「いいのいいの、こっちこそさ、なんかごめん。私のせいで行けなかったでしょ?」
今頃磁石たちは何をやっているんだか。
ご飯を食べて、帰りにゲーセンでも寄って、それから、どこへ行くんだろう。私には、磁石たちのゴールというものがなんなのかが分からない。
「私はたぶん呼ばれてないから」
磁石が悲しげに笑う。呼ばれてないなら、呼ばれていないのだろう。呼ばれてないのに、呼んだ? って顔を出す奴よりは常識が備わっている。
そうやって話している間に、私たちは別れていた。挨拶したっけ? 覚えていない。海に浮かぶ泡のように、いつのまにか消え、また新しい泡が生まれていた。
家に帰ってシャワーを浴びて、テーブルの上に置かれた冷めた焼き魚を食べていると、母がにまにまとしながら向かいの椅子に座った。
「へい、楽しかったか?」
「私もいよいよ、女になったって感じだな」
「お母さんの股から顔出したときから女だったでしょうが」
母には、女が女になるということが分からないらしい。今日の私は、女の色気で満ちている。鏡の前で、自分の姿を見るとそれがより顕著だ。海の塩気を浴びて、肌が艶やかに、顔つきも、どこか引き締まりながらも丸みを帯びた愛らしさが増している。気がする。
部屋にすっ飛んで、布団に入る。
その日はどうも、眠気というものがやってこなくて、夜の三時まで、スマホで動画を見たりゲームをしたりしていた。
お盆が明け、おじいちゃんちから帰ってきた私はすっかり運動というものを忘れてしまっていた。立ち上がるのも億劫で、立ち上がったら立ち上がったで、足下がふらついて、わざとらしく「おっとっと」とか言いながらソファにダイブする。
冷房が復活したことによって、だらだらできなかったあの日を取り戻そうと、私の体が必死に怠惰を貪っているのだ。
足の指でリモコンを挟み、これでテレビ点けられたら私もチンパンジーの仲間入りかもしれないな、と仰向けになって足を立ててぐりぐりしていると、途中で「あ、これ無理だ」となってソファから転げ落ちた。
おじいちゃんちから帰って久々に体重計に乗ったら、意識を失いそうになった。ムカついたので、体重計は洗濯機の後ろに隠した。我が家に体重計なんて、最初からなかったのだ。
そんな日々をだらだらと過ごしていたら、両親のいない昼間に、家のチャイムがピンポンピンポンピンポンピンポンピンポンピンポンピンポンピンポンピンポンと鳴りまくったのでうわあなんだよ! と慌てて玄関へ向かった。
裸足のまま扉を開けると、そこには麦わら帽子を被った魚さんが立っていた。
「あ、よかった。あってた」
魚さんは私の顔を見ると、ホッとしたかのように息をついた。水色のワンピースがやけに爽やかで、いつもの魚さんの印象とは異なっていた。
「よく家が分かったね」
魚さんに家を教えた覚えなんてないんだけど。
「先生に聞いたの」
「ええ」
そこまでして私の家を特定する理由ってなんだ? 私は今日ここで殺されるのか?
「猫見せて」
魚さんが体を傾けて、私の後ろに視線をやる。
そういや前に猫が好きって言ってたな。二番目に好きだとも言ってた。
「いいよ」
どうせ親もいないし、犬だって暇してるだろう。魚さんを家に入れて、扉を閉めると、家の空気がちょっとひんやりした。
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