第4話 陽キャと海へ行きました

 私が通るんだぞお前らどけ。


 どれだけふんぞり返っても、銅像みたいに動かない無礼な奴らは、私の存在なんて気にも留めずにガハハと笑っている。仕方ないので地べたに座ってテーブルにあがっていたスイカに手を伸ばしたが、すでに皮の部分しか残っていない。そのうえ「片付けといて」なんて言われて、これじゃ召し使いみたいだ。


 私がお姫様だった時期も確かにあった。あれを取ってきなさいと言えば家来が我先にと取りに行き、あそこに行きたいと言えばエンジンで動く馬車にチャイルドシートという特等席までつけて乗せてくれた。どうしても欲しいものがあれば、一度断られてもギャオオオオン! と泣けば次の日手に入った。


 私を中心に世界が回っていたはずなのに、なんで今はこんなになってるんだか。


 ソファの上で寝そべった母が、口からスイカの種を吐き出す。私が持っていた皿にちょうどカラン、と入り、母は満足そうにグハハハと悪魔みたいに笑った。この城はとっくに魔王軍に占拠されている。


 緩やかな曲線を描くように、夏休みに突入した。


 魚さんがスイカになったあの日、結局魚さんが教室に戻ってきたのは三限目の始め頃で、墨をぶっかけたみたいにゴワゴワとした魚さんの髪は、しっかりと黒に戻されていた。


 どれだけイレギュラーな事態が発生しようとも、人は日常を好む。いつしか魚さんのスイカ事件も過去の記憶になっていった。


 一度だけ、体育の前に、着替えている男子の前に下着姿の魚さんが現れたとかいうさっぱり状況の掴めない情報が入ってきたが、そもそも魚さんはどこにだってどんな格好でも現れるので不思議じゃない。ただ、魚さんはスタイルがいいのでそういう目で見られていたのかもしれないと思うと、胸の奥がざわざわした。


 私はお世辞でスタイルがいい、なんて言われるけど、豊かに見えるのはこの運動不足からなる贅肉の塊のせいで、擬態しているようなものなのだ。それに対して、魚さんは私よりも背が高く、手足も長い。運動不足からなる贅肉の塊は私よりも小さいけど、それが一層、体のバランスを良くしていた。


 夏休みはやることもないので、そうやって学校でのことをよく思い出しながら寝転がっている。窓にかけられた風鈴が、冷房に揺られて鳴っている。本来の風ではないけど、風鈴はそれでもいいのだろうか。りん、と軽やかな音が鳴った。


 そんな私の夏休みに事件が起きたのはお盆の一週間前のことだった。なんと我が家の冷房が故障してしまったのだ。どれだけボタンを押しても、うんともすんとも動かない。機械音痴の両親が協力して角を叩いていたけど、カバーがでろんと外れるだけで直ることはなかった。


 結局業者を呼ぶことになったのだけど、業者が来るのは明日。つまり今日だけは、冷房なしで過ごさなくちゃならない。なんの恨みか、今日は最高気温三十八度を記録する猛暑日だった。


 私は少しでも冷気を求めるために、フローリングに頬を付けて寝そべっていた。パンツとシャツ一枚の格好のまま、フローリングと同化する。すぐ近くで犬も私と同じように寝ていた。


 犬はうっすらと目を開けて私を見る。いつもの図々しさはなく、弱々しく瞬きをして、再び眠りに就いた。元気なのはサウナ好きな父だけで、家には物音がない。


 いきなり私の腹に脚が入ってくる。


 母にけっぽられた。


 こらあ、とか、言う気力もなくって、私はフンコロガシのフンみたいに蹴り転がされて暑苦しいカーペットの上に放り出された。私の寝場所を奪った魔王を睨むと、魔王はアイスを口に咥えて「あぢー」と唸っていた。


 転がり戻る元気もなくて、四つん這いのまま冷凍庫を開ける。空っぽだった。


 冷蔵庫の近くに置かれたゴミ袋に、ホームレスみたいに寄りかかる。


 そんなとき、メッセージアプリのグループトークで、海に行かない? と誰かが発言した。磁石たちは待っていたとばかりに集まって、賛成の意とスタンプを押す。


 残っているのは私だけ。こんな暑苦しい部屋にいるよりはいいか、と思い私も海に行くことにした。


 買ったばかりの水着を中学生のときに使っていた水着用リュックに入れて、外に出る。太陽の光がバカみたいに鋭かったけど、風がある分、家の中にいるよりは涼しかった。


 待合場所にいくと、磁石が三人、すでに集まっていた。


 私は自転車を使えないので、後ろに乗っけてもらうことになった。


「荷物は?」

「あー、そっちに渡して」


 見ると、三人分の荷物を持った磁石と目が合う。その磁石はいつも二人の後ろに隠れているような奴で、自分から発言することはないし、誰かから話を振られることもない。ただ、誰かの発言によく反応して笑うから、置物のように同伴している磁石だ。


「預かるよー。このリュック大きくていいね」


 私がリュックを投げると、その磁石は友好的な笑みを浮かべて拍手する。拍手が癖になっているのか、常に手の位置は胸より上。


「あ、待って猫ちゃん。髪に埃付いてるよ?」


 フローリングに寝そべっていたときに付いたのだろうか、磁石が取ってくれる。


「髪、きれい~」


 人を褒めることが趣味なのだろうか。慣れたように拍手する磁石に荷物を預けて、いざ海へと向かう。


 自転車を漕ぎながらも、風に靡く自分の髪を気にする磁石は、そのたびにハンドルから手を離して、私まで落ちそうになる。


 会ったときにも思ったのだけど、今日の磁石たちはいつもと印象が違う。まつ毛が長かったり、毛先がくるくるしていたり、頬が赤かったり、爪がデコボコしていたり。大人っぽい、という表現が最も適している。


 のらりくらりと向かってようやく着いた海はとても綺麗だった。さあ泳ぐぞ、と自転車から降りると、磁石たちは一目散にお手洗いに向かった。


 私は先に、更衣室で水着に着替えていた。


 パレオというなんかひらひらのものを腰に付ける。巻かなくてもいい、ボタン式のものにしたのだ。鏡に映った自分を見て、想像とちょっと違うなとがっかりする。


 布の間からはみ出す脚はなんとなく、お姉さんっぽいのかもしれないけど、どうにも歩きにくい。邪魔だなって後ろに回したら、なんかマントみたいになった。


「あ、似合うじゃん~」


 遅れて着替えてきた磁石たちは、私と違って露出が激しい。うわあ、大丈夫? 風邪とか引かない? おばちゃん心配になっちゃうよ。


「みんなかわいい~」


 そんな中、磁石の一人だけ、スク水を着ていた。胸元にはワッペンを剥いだ跡がある。


 けど、私は磁石の水着を鑑賞してムホホと鼻の下を伸ばすためにやってきたのではない。広大な蒼に向かって、この体を溶かしたいのだ。


「近くに有名な海の家があるんだって。テレビでもやってたの」

「あ~! うちも見た! 透明なシャーベットが出るとこでしょ~! 行きたかったんだよね~! ね~、早く行こうよ~!」

「うん、まずはそこに行こっか」


 磁石三人が喋って、次の目的地を決める。


「おー」


 遅れて私も、唇から力を抜いて返事をする。これはなんの頭文字が漏れたのだろう。


 とりあえず、まだ海には入らないらしい。


 けれど、これもまた、大人っぽい振る舞いなのかもしれないなと私は思った。遊ぶだけではなく、有名なスポットや、美味しい料理店に行き、いつもとはちょっと違う服を着て、浮ついた空気の中に存在する自分を俯瞰的に可愛いって思うと、より世界に同化した気になれて心がホッとする。


 こういう休日の楽しみ方もあるのか、私もそろそろお姉さんの仲間入りでもするか。


 ナンパされたらどうしよう、なんて思いながら、足下に転がってきたビーチボールを拾い上げる。


「お姉さんありがとう!」


 持ち主らしき女の子に返してあげて、お姉さんなんて呼ばれ方をしたものだから、私の物腰もそれっぽくなる。


 動作も緩やかに、後ろにやったマントを前に戻して、パレオにする。すらりと伸びた脚を実際の何倍もの細長さに錯覚しながら、首から上は見ないように、鏡に映ったシルエットだけを眺める。


 磁石たちに続いて、私もくっついていく。


 ぞわ、と体が寒くなる。


 まるで体が、鉄になったかのようだった。

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