第3話 雪の花 ❅ ❅ ❅
早苗の要望で土葬にした。この街にある教会に墓地があり土葬ができるので早苗はそこで眠っている。
父の仕事が多忙過ぎて家族がバラバラになりそうだったので、仕方なくこの街を離れて父と母と璃人は新しい生活を始めた。
【早苗】は小学六年生になった。璃人は蓮太郎を見つけることを止めようと思っていた。
家族として大好きだった早苗を失った悲しみは少しだけ癒えた。
しかし大好きだった蓮太郎に対する怒りは消えない。早苗を捨てた蓮太郎が許せない。
蓮太郎に再会したらきっとこの憎しみが溢れてしまう。蓮太郎を殺すかもしれない。
長い時間が過ぎればいつか、蓮太郎への愛情も憎悪も薄く消えていく。
璃人は蓮太郎を忘れたかった。
早苗は冬休みにひとりで璃人が眠る墓標の前に来ていた。今日は雪がチラついていた。
【早苗】は連休があると【璃人】に会いにきた。
約束を忘れないための儀式。
早苗が墓標の前に佇んでいると気配を感じた。振り返るとそこにいたのは……蓮太郎だった。
早苗は奥歯を噛み締めた。油断していたので璃人としての憎しみが目にこもってしまった。
何と言って断罪をしてやろうかと思った。
早苗が死んだことを責め立ててやろうかと思い口を開こうとしたら、一足先に蓮太郎が声を出した。
「早苗、生きていたんだな。本当にすまないことをした。早苗が今ここにいて俺は幸せだ! 早苗、好きだ! また俺と一緒にいてくれ! ……今度は必ず俺が君を守る」
蓮太郎はそう言いながら早苗を強く抱きしめて泣いていた。
酷い言葉を言って蓮太郎を傷つけてやろうと思っていた早苗だったが、途端に力が抜けて倒れそうになる。
震える早苗の身体はしっかりと蓮太郎が支えている。
今まで独りきりで頑張っていた早苗は包み込む腕が温かくて、無性に縋りたくなった。
早苗の耳元で蓮太郎は何度もごめん……と囁いた。
早苗は冬休みだったのでこの街に数日滞在することにした。両親は凄く心配したが友達の家に泊まると言えば納得してくれた。
その数日は蓮太郎の家で過ごした。夢のようなひとときだった。
早苗はこれは夢だな……と強く思った。
早苗に向ける眼差しが異常なほどに優しい蓮太郎を見た早苗は何も聞けなかった。
何も言えないまま早苗は蓮太郎から受ける愛情に溺れていた。
仮初めの生活に甘えながら早苗の心は次第に冷えていった。
終わりにしよう。
早苗はそう思った。
約束はもうおしまい。
夢から覚めて、あの日のことを蓮太郎に教えてやるのだ。
あの日から蓮太郎と璃人を解放してやるのだ。
最終日。今日で蓮太郎とお別れだ。外はかなりの雪が積もっていた。昨夜は雨が降ったので建物の軒の下に長い氷柱が出来ている。
【早苗】と蓮太郎は手を繋いで【璃人】のお墓にやってきた。
お墓の上の雪を軽く振り払う。外は凄く寒くて凍えそうだった。ここで長話はできそうにない。二人は教会に入って横に並んで長椅子に腰かける。
早苗は深呼吸してから真横にいる蓮太郎に問いかけた。
「蓮太郎、薄々気が付いているよね? 私が誰なのかわかるんでしょう?」
「そうだな……最初は本当に早苗が生きてると思った。でも君が早苗ではないことは初めからわかっていたんだ」
早苗を見つめる蓮太郎の瞳はとても悲しそうだった。蓮太郎は早苗から目を離さずに言葉を続ける。
「璃人……ごめんな。もう早苗のフリをしなくていいから。これからは自由に璃人らしく生きてくれ。俺には早苗がいるから大丈夫だ」
蓮太郎の台詞が言い終わらぬうちに教会の扉が開く。早苗は、いや早苗のフリをしている璃人は教会の出入り口へと視線を向ける。
そこにはあの日のままの……早苗が立っていた。
早苗が生きている!?
いや、そんなはずはない。
それならあそこにいる早苗は何なのだ?
璃人が考えているうちに早苗は蓮太郎の隣にやってきた。
それから奥に座る璃人を見て可笑しそうに笑った。
『璃人、ありがとう。もういいわ。だって私が蓮太郎を支えるから。ちゃんと土葬にしてくれて、私との約束を守ってくれてありがとう。私は死んでるけど蓮太郎の下僕になって、蓮太郎の一番近くで蓮太郎を守っているわ』
にたりと微笑む早苗を見て璃人は言葉を失う。
言葉に出来ない感情は激情と表現をしよう。
璃人は激情に囚われて殺意を込めながら蓮太郎を殴りつけた!
蓮太郎は素直に殴られた。悲痛に歪められる蓮太郎の表情を見た璃人は激情を鎮めようと拳を握り締める。爪が食い込んで璃人の両手の平から血が滲む。
ハッとした蓮太郎は慌てて璃人から距離を取る! 後に大きく飛んで鼻を押さえた!
そのやり取りを目の当たりにした早苗は苛立ちを募らせて璃人へと不満を漏らす。
『璃人、もういいわ! この街には二度と来ないで! 私は蓮太郎と二人で幸せに生きてるわ。邪魔しないで……お願いよ』
早苗の想いに璃人は困惑した。
早苗は死んだ。あの日早苗は死んだのだ。
では今目の前にいる早苗は一体何者なのか。
璃人の中の激情が弾け飛ぶ! 璃人は蓮太郎に噛みつくように叫んだ!
「蓮太郎! どういうことだ⁉ 蓮太郎の正体は何だ? ……早苗をこんな姿にしてまで縛り続けるのか!? いい加減にしろよ!」
蓮太郎の甘え。それがこんな未来を生んだのだ。
蓮太郎さえしっかりしていれば、早苗が死んでまでも蓮太郎を守る必要はなかった。
蓮太郎は一体何がしたいのだ?
璃人の憎悪が膨らむ。すべてを蓮太郎のせいにしたくなった。
蓮太郎が早苗を不幸にした。
蓮太郎が璃人を不幸にした。
そう思えば心が軽くなる。
いつもいつも、璃人は思っていた。
あの日の璃人が何かが出来れば、もっと早く璃人が何かをしていれば、璃人が頑張っていれば……そうすれば、早苗と蓮太郎が不幸にならずにすんだのではないかと思って、璃人は璃人のことをずっと責め続けていた。
どこで間違えた?
その後悔に毎日毎日押し潰されそうで璃人は恐かった。何度も何度も自殺しようかと思った。
でも早苗との約束を守りたかった。
早苗との約束がもういらないなら、璃人が頑張って生きる理由はなんだろうか。
璃人はもう苦しくて苦しくて仕方がない。
もう璃人は生きることに疲れてしまった。
でもその前にやらなきゃならないことがある。
璃人は教会の外へと走った。
そして軒の下にある長い氷柱をへし折る。それはまるでレイピアのような剣になった。璃人の手袋に氷柱の剣がへばりつく。
教会の扉を見遣ると蓮太郎に肩を抱かれた早苗がこっちを眺めていた。
雪が吹雪いてきた。
白い雪の花が降り注ぐ。
璃人は氷柱を握り締めて二人に近づく。蓮太郎と早苗も雪を踏みしめて歩み寄る。
蓮太郎が言った。
「俺を殺したら早苗も土に還る。俺は吸血鬼だ。早苗は俺のせいで死んだ。あの頃俺は毎日早苗の血を飲んでいた。それが原因だ。俺は吸血鬼だから簡単には死なない。どうするんだ?」
璃人は答えた。
「なら蓮太郎が死ぬまで刺し続けるよ。早苗が歪んでしまったのは蓮太郎のせいだ。早苗が死んだのは蓮太郎のせいだ。僕はどうしても許せないんだ」
早苗が声を上げた。
『どうして邪魔するの? 私は幸せなのに……璃人が蓮太郎を殺すなら私が璃人を殺すわ』
「いいよ。早苗になら殺されてもいいよ」
璃人は柔らかく微笑む。早苗は口を閉ざす。何も言えなくなった。
蓮太郎が早苗の頭を撫でる。
早苗は蓮太郎に飛びつく。顔を胸に押しつけて駄々をこねる子供のような仕種をした。
蓮太郎は何度か早苗の髪を指で梳いてから、早苗の頬に優しく触れて一言落とす。
「早苗、今までありがとう」
早苗はその場に座り込む。雪の中で早苗は身動きが取れないように固まる。早苗の両目から涙が零れた。
雪が激しくなる。
璃人の視界は悪くなる。
離れた場所にいる蓮太郎の姿があまり見えない。
璃人が教会へと一歩踏み出そうとした時に、音も立てずに蓮太郎が直ぐ側に現れた。
璃人は身構える。蓮太郎は何かを璃人に差し出した。璃人は蓮太郎の右手の中にあるモノを確認する。
――――――――それは臓器だった。
ドクドクと脈打つ蓮太郎の心臓だった。
璃人は恐る恐る蓮太郎の顔を見上げた。
蓮太郎は口の端から血を垂らしていた。
それから綺麗に花笑む。蓮太郎は嬉しそうに呟く。
「さあ、殺してくれ。璃人、俺はいつの間にか……お前を愛してしまった。この数日一緒に過ごした時間が凄く幸せだった。俺の一番が早苗では無くなったから早苗はもうじき土に還るよ。璃人、ごめんな」
璃人は氷柱を握る手が震えた。璃人の中にはもう、蓮太郎を好きな気持ちはない。
あるのは苦しみだけ。
璃人は後に一歩足を引いてゆっくりと剣を構える。蓮太郎を苦しめないように一瞬で終わらせたい。
璃人は剣を使ったことはない。上手く一撃で蓮太郎の心臓を射抜けるだろうか。
璃人は頭を左右に振って躊躇いを打ち消す!
璃人は深呼吸してから言った。
「さよなら、蓮太郎。これで僕は憎しみから解放されるよ」
璃人が駆ける! 蓮太郎の心臓へと氷の剣を刺し出す!
確かな手応えがあった。
しかしそれは……蓮太郎を庇って間に入った早苗だった。
璃人の氷柱は急に飛び出してきた早苗を貫いてしまった。
璃人は氷柱を離した。早苗が倒れ込む寸前に蓮太郎が抱きとめる。早苗は虚ろな目で璃人を見た。
『璃人、今までわがまま言ってごめんね。璃人は璃人のままでありのままで生きてね。仕方ないから蓮太郎を璃人にあげるわ。お幸せに……』
早苗は蓮太郎を見つめた。蓮太郎はそっと早苗にキスを落とした。
早苗は幸せそうに微笑んで死んだ。
蓮太郎はゆっくりと早苗を雪の上に横たえた。
死者の早苗は吸血鬼の蓮太郎の下僕になったことで、今まで生きていたがそれから解放される。
早苗の身体は見る見る間に色を失い真っ黒に染まる。そして雪の中に黒い花を咲かせた。
璃人は膝をついて祈るような気持ちで早苗を見送った。
早苗が咲かせた黒い花の上に雪が降る。
蓮太郎が静かに言葉を紡ぐ。
「さあ、殺してくれ」
蓮太郎は自分の心臓を璃人へと渡そうとした。
璃人は首を左右に振って小さな声を言った。
「僕の憎しみは早苗が連れて行ってくれた。僕は璃人として生きる。それでも良かったら蓮太郎のそばにいるよ」
蓮太郎は雪の中に座り込んだままの璃人の両足に顔を埋めた。吹雪を打ち消すような雄叫びを上げて蓮太郎は泣いた。
璃人は蓮太郎の頭を撫でた。
完
雪 ❅ の 花 ❅ 七海いのり @kuma20
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