第7話 一日目

 前々から考えていたことを実行する時が来たのだ。

 例えるならばドラクエで貰った最高の回復薬を、ラスボス戦でも使わずに腐らせているような……そんな愚行は犯さまいと決めていた。

 そうとなったら話は早かった。しかし、どこに行こうか……。

 関西圏は、もはや旅行ではなくちょっとした遠出の遊び場だ、というのは言うまでもなかった。兵庫に住んでいると、友達との遊びの行き先はやはり大阪が多く、稀に京都や奈良にまで遠征する。滋賀は琵琶湖があり、和歌山は白浜がある。だが、それは小旅行というに差し支えないようなものだった。

 私は旅行がしたいのだ。そう、このデジタル世界で、スマホ無しの一人旅をしたいと考えていた。

 どうせするならば、違う地方へと赴きたい。だがスマホというあまりに利便あふれるものを常に使用していると、一つ県を跨ぐだけで不安と恐怖が襲ってくる。近くもなく、遠くもない。それでいて私の求める風景のある場所へ。

 だが、日程を決め、往復のバスの便、さらにはホテルまで予約してしまった。こうなれば、もう行くしかない。

 いつも人を追い立てるのは、締め切りが近付き、やらざるを得ない時だけなのだ。

 そういった訳で、私は島根に一人旅へと赴いた。

 三宮から出発のバスは八時からである。私は六時に起き、電車へと乗り込んだ。最大の敵は暇である。そもそも私は、この旅の目的を小説執筆のための足掛かりとして考えていた。十一月の文フリへと出す作品の、その構想を練るための旅であるのだ。私は本をいくつか持っていき、インプットにあてることとした。

 電車の中などは、それを読み時間を潰せばよいのだ。だが乗り換え先で私は立って待たなければならなくなった。その時に電車の中の光景を見て思い浮かんだのは、現代社会の風刺動画である。

 とある迷子の少年がいる。彼は頼れる人間を探し求め、その場所を歩き回っている。だが周りの大人達は手に持ったスマホを見るため、頭を直角九十度にまで曲げ、見向きすらしない。私はその大人達を今この電車内で見ていた。

 だからといってなんだ、というわけではないが、点と点が繋がる気持ちは快感に近い。また、私もそのような一員だったはずが、今は脱却しているのだ。私はこの旅の目的を深く再認識した。

 三宮のバス乗り場で島根行きへと乗車し、島根までの道を眠って過ごした。帰りのバスで私は眠れなかったため、片道四時間をただ風景を見て過ごしたのだが、そのどちらがよいともまた言えない。

 私は松江駅前で下車した。二泊三日分の荷物が入ったリュックを背負い、とりあえずの目的地である出雲大社へと向かうため、松江しんじ湖温泉駅へと向かった。一畑電話が運営の線である。

 およそ一時間に一本しか走らないこの電車は、私が乗り込んだ時はたったの一両のみで運行していた。さらには駅員が私の買った切符の確認を行なっている。

なるほど、田舎だ、と私は感動する。私の住む街もなかなかの田舎だとおもっていたが、こう見てみるとまだマシなのでは、と言う気持ちになってくる。

 車両は縦一列に伸びた座席と、横並びに二人座れる座席がおよそ四つほど。それが半分まで来ると、位置が逆になって同じ配置で並んでいる。私は最初に縦一列の座席へと座った。窓と対角線に座る事ができるためだ。この一畑電車は宍道湖沿いを運行する電車であり、車窓からの風景を売りにしている。ホームページを見たところ、車窓からすぐ海かと見紛う宍道湖の風景、見渡す限りの田原が伺える。行きの電車では本は読むまい。私は風景を堪能してやろう、とカメラを手に意気込んでいた。

 そして発車すると、なんと私が考えていた以上に早く宍道湖が見えてきた。なるほど、確かに車窓から宍道湖まで、何も遮るものがない! そのまま、窓からダイブ出来そうな程湖が目の前にあるのだ。さらに驚くべきは、なんとその風景はおよそ十五分程続くのだ。かといって湖だけ見ておけば良いものではない。その反対側の車窓を覗けば、一面に広がる緑の大海原が乗客を圧倒する。これは参ったぞ、私の頭は激しく前後を繰り返し、圧巻の風景を一度に楽しむ事ができないではないか。

 私は仕方なく横並びの座席に座り直した。座席には相乗りの子虫がおり、彼らが私に田舎という情景を激しく呼び起こす。さらに良いのは、制服を着た学生達が談笑していることだ。老人だけが座っているような、寂れたものではない。私は若さと生命を感じた。それが夏の日差す、想像して出てくるような風景の中であればなおさらだ。

 彼らは停車駅で駅員に軽い挨拶をしながら降りていく。重たそうな鞄を軽々と担ぎ、笑いながら無人駅を降りて行く。

 これこそが私が求めていたような原風景なのではないか。私は一瞬でこの電車の虜になってしまった。

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