齧る
最近鼠がねえ。真琴が困ったように頬に手を当てた。
害獣が住み着くと家が悪くなる。そればかりか家具や配線を齧られたものならたまったものじゃない。生活に支障を来すどころか最悪火事になりかねない。
「一度見てみようか」
透が腰をあげた。
古い民家を買い上げてセルフリフォームするのが流行りなんですよ、とのセールストークに二つ返事で承諾した二人はなかなか悪くない生活をしていた。もともとそのつもりだったし一通りの知識はあったのでスムーズに修繕はできていた。問題がないわけではなかったがひとつずつ解決していく楽しみを噛み締めながら日々暮らしていた。買い取ったすぐのころは民家と言うよりも物置と言う方が言い得て妙で埃やカビ臭さに鼻を曲げながら修繕していたが、最近になってようやく二人が住めるような塩梅になった。
天袋の板を押し上げると前後の框に隙間ができた。埃や煤がぱらぱらと漏れ出てくる。
板を押し上げ屋根裏を見渡す。どんよりとした暗がりが懐中電灯の光を包んでいる。所々に空気を通すための板間から外の明かりが差し込みキラキラと埃が踊っていた。
「鼠いる?」
「昼間だから隠れてるのかも。綺麗なもんだよ」
あたりには鼠の糞どころか足跡すらなかった。
もう一度ぐるりと見渡すとちょうど真後ろに黒々とした位牌が梁にしなだれかかるように倒れていた。ぎょっとした透は思わず動きを止める。長い間放置されたのか蓄積された埃の量が桁違いだった。よくみればあたりには様々な仏具も散らばっている。クモの巣のかかったそれを持ち出そうとも思ったが怖がりな真琴をさらに不安にしてもいけない。真琴の目の届かないところで処分してしまおうとあえてそのままにした。
「壁の中かな」
「どこで見たの」
天袋から降りた透が訊ねる。
「見たんじゃないけど木屑が落ちてたのよ。キッチンのあたりとか仏間とか。家の至るところで」
「この部屋か。どのあたり?」
真琴が指差したのは床の間の角、陰って日の差さない隅だった。
今は綺麗に掃除されていて飴色の床板には埃ひとつない。
「もとりもち置いた方が良いかしら」
「また夜中に見てみるよ。それからで良いんじゃないかな」
真琴は眉根を寄せながら頷いた。
真琴が就寝してから約二時間。透は時間を潰してから仏間に向かった。しんと静まり返る家屋はいつもと違った表情をしている。軋む床板の音がいつもより大きく聞こえた。
真琴は少々過敏なところがあり透よりもいろいろなことに気づく。もしかしたら夜中にも鼠の足音やらを聞いていたのかもしれない。それとも鼠の糞や形跡を見つける度に掃除して鼠が寄り付かないようにしてくれていたのかも。
ふと、カリカリと音がすることに気がついた。早速鼠の登場かと足を止め音源を探る。薄暗がりの廊下の先──目的地の仏間からだった。
大きな音をたてないよう先程よりも爪先に意識を集中させて歩いた。鼠を逃したら増えて出てくるかもしれない。ゆっくり、しかし急いで仏間に向かった。
「……真琴?」
襖が人一人分開いていた。中を覗くと丸まった背中があった。床の間の隅に頭を寄せるようにしている真琴はじっと動かない。
鼠でも見つけたのだろうか。もしかしたら壁に穴を開けようとしているところをみているのかもしれない。それは良い予想と言うもので透の頭の中には最悪の予想が滲み出るように脳内に広がっていた。
まさかな。
そんなことがあって良いわけがない。透は位牌を入れるつもりだったビニール袋を急いでポケットに突っ込んだ。
「真琴、なにしてるんだ」
あとはやるから、と声をかけようとしたときだった。よくみると真琴は小刻みに震えている。真琴の肩にのせようとした手を思わず引っ込めた。真琴は一体何をしているんだ?
滲み出た予想が最悪の形で現実化しているような気がしてならなかった。ゆっくりと天袋の襖を見る。微かに隙間が開いていてさらに天井板がずれ、どっぷりとした闇がこちらを見ている。よくみれば襖に煤けた手形がついている。
透は意を決して真琴の肩に手をかけた。真琴の声を呼ぶ透の声は震えていた。
ぐっと力を込めずっしりと重い真琴の体をずらす。壁と真琴の隙間から彼女の顔を見る。
両目を大きく見開き壁の一点を見つめる真琴。截断機のように小刻みに上下する顎回りは白い。よくみると口許に寄せる真琴の指も真っ白だった。
「なにしてるんだ!」
叫び、真琴の体をひっくり返さんばかりに肩を引いた。
真琴が腹に抱える白い壺。部屋に差し込んだ光を艶やかに反射しているそれの蓋は開いていた。
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